59 糸の選別
「――あいかわらず、私にはこまかいことがよくわからないわ。でも、風の王は協力してくれるってことなのかしらね」
ルイはカップの半透明の液体をみつめながらディレンツァに話しかける。
「ああ、みずうみにかざしたとき、〈狩り人の弓〉にたしかな手ごたえがあった。おそらく、強い魔力をもってすれば、風の王を召喚することができるはずだ」ディレンツァはちらりとルイをみる。「試してみなければわからないが……試してみる勇気はまだない」
ルイはそれについて考えたが、うまく言葉にならなかった。
「……そういえば、気をうしなう瞬間に、大きな樹をみたわ。樹というより、古代の生きものみたいな」
「みずうみに到着したときから、対岸にそびえていたな。あれが世界樹の根なんだろう」
「え、ずっとあったっけ……根っこっていうより巨木そのものじゃなかった?」
ルイはディレンツァをみる。
「私は、風の王や蝶の一群なんかに気をとられていて、よくわからなかったわ」
すると、窓外をみていたパティがルイにふりむく。
「あの、そう、それだと思うんです――」
「ん?」
ルイもパティをみる。
「なにが?」
パティは目線をあちこちに向けて、ゆっくり深呼吸する。
小ザルはパティの肩から降りて座席にねっころがり、パティのひざまくらで熟睡していた。
「さっき、ルイさんに手をひいてもらっていたとき、私、ふしぎな光景をみていたんです。精神感応が発現してしまって……」
「ああ、心ここにあらずというか、呆然としていたわね」
「ええ、なんだかその、一気にたくさんの視点の映像が目にとびこんできて――それも、わりと長期間にわたるもので、とっても困惑したんです」
パティは少しだけ照れたようにくちびるをかむ。
「森のなかの変わった村のできごとみたいな……ルイさんたちもでてきたりして」
「え――?」
ルイはびっくりして、思わずディレンツァをみる。
しかし、ディレンツァはパティに目をむけ、黙っている。
「村祭りがあったり……ルイさんたちが、私の知らない人たちと共同生活をしていたりして――」
「それって、そう、私たちが〈まぼろしの森〉に入ってからの顛末だわ。そこは〈樹海の村〉とかいう自治村でね、戒律っていうみょうに厳しい不文法があって、最初はとまどったけど、慣れてきたらわりと過ごしやすくなっちゃって……友だちもできたりしてさ、ひと月以上も長期滞在してしまったのよ」
ルイは思わずまくしたててしまう。
「でもそれって……」
パティは動揺で瞳をゆらす。
「へんだと思うんです」
「え――」
ルイもうろたえる。
「どういうこと?」
「時間の感覚がおかしいんです。ルイさんたちが王都を発ってから、まだ二週間です。それって、どういうことなんだろうって……」
パティは自分が苦しいかのように眉をひそめる。
「そうか……」
ディレンツァが目を閉じてうつむいたのち、ルイをみてうなずく。
「やはり、われわれは森に囚われていたらしい」
「それはえっと……」
ルイは両手を頬にあてる。
「〈樹海の村〉は、森のそととは時間がねじれているようだ。私たちはひと月半あそこで過ごしたし、秋の深まりを感じたりもしたが、村をでて森から脱出したとたん、もとの流れにもどった――そういうことなんだろう」
「うーんと……」
ルイは混乱する。
「ちょっと理解不能なんだけど、それは〈まぼろしの森〉が文字どおり、まぼろしってことなの? ほら、人魚の夢の世界みたいな……」
「おなじ要素もあるかもしれない。そう、時間だけじゃない。何度か仕事で森を歩いたが、私の感覚では〈樹海の村〉の領内がどう考えても広すぎた。その時点で異変をおぼえてはいたんだ」
「うーん」
ルイは不安に駆られる。
「でも、なんでそんな――」
「当初、私は世界樹の根があるからではないかと考えた。世界樹は膨大な魔力の根源なので、その周辺域がどのようになっていたとしても、ふしぎはないからな。だが、そうではなかったのかもしれない……」
ディレンツァがひと呼吸をおく。
しばらく馬車の車輪が地面をけずる音がつづいた。
「風の王が選別していたのではないだろうか」
「……選別?」
ルイは小首をかしげる。
「風の王が訪問者の選定をしていたという意味だな」
「へぇ……」
ルイがその意見について考えていると、ディレンツァがルイをみた。
「闇の精霊と表現されていたものは、その選別の結果なのではないか」
「どういうこと――?」
「風の王に面会する資格のない者は、〈まぼろし茸〉の特殊な胞子によって森のなかで命を落とすわけだ。じっさい、われわれもそうなりかけていた」
「――胞子がわかったの?」
「霧にまぎれていたんだろう」
ディレンツァが目を細める。
「〈まぼろし茸〉は夜になると――暗くなると、胞子をだすのではないか」
「あの霧はなんていうか幻惑的だったけれど……それだけ有毒だったってこと?」
ルイはあたまが疑問符だらけだった。
「致死的だったわけではないと思う……むしろ、昏睡してしまうだけではないか」
「ディレンツァが魔法でふせいでいてくれたのよね。たしかにフィオナ王女たちと合流する直前は、あらがい難い眠気があったように思う。でも、それで死んでしまうの?」
ディレンツァはみずからのまぶたにゆびをあてる。
「きのこは菌糸――糸の集まりのことだ。これは以前、少し説明したが」
「ああ、なんだっけ。私たちがみているきのこは、本体じゃないんだっけ」
ルイはななめうえをみる。
「いろんなかたちやいろんな色があるけど、そこじゃないのよね」
「そう、菌糸が集まり綿状になったものに環境条件がととのったとき形成される子実体のことをわれわれはきのこと呼ぶが、本来のきのこは目視できない菌糸のことだ。そして、菌糸は栄養分を集めるためにありとあらゆるところに入りこみ、酵素をだして獲物を分解する――」
ディレンツァはまぶたをぎゅっと押す。
「それが、惨殺体の正体なのではないか。つまり、胞子で眠りついた訪問者は、夜のあいだに菌糸に喰われ――のちに発見されたとき、だれもが息を呑むような遺体になってしまうわけだ」
ルイはディレンツァをみたままかたまる。
想像して少し気持ちわるくなった。
「でも、世界樹の枝でつくったかがり火やたいまつがあれば、夜も平気だっていわなかった?」
ルイがふと思いついて訊ねる。
ディレンツァはまぶたから手を放す。
「菌糸はそもそも火が苦手だからな」
「ううん? ……じゃあ、その選別って、風の王に逢える資格ってなんなのかしら?」
ルイは訊ねてみたものの、だれもわかるはずがなく、ディレンツァも返事をしなかった。
馬車の音を聞きながらルイは思いをめぐらせた。
幌内はだんだん暖かくなり、まるでいまが夢のなかのような気分がした。




