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銀の風ファンタジア ~孤独な炎の生と死の幻想~  作者: 坂本悠
眠れる森の夢みる妖精たち
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56 蝶たちと風の王

 やがて、視界に白みが射してきた――。

 ルイはうつむいていたことを自覚し、顔をあげる。


 瞬間――強い風が正面から吹きつけてきて、ルイは顔をそむける。

 長い髪が風でバサバサあばれて頬をたたくため、手で必死におさえた。


 ゆびのすきまからみると、パティも同様に髪をおさえている。

 頸にしがみついた小ザルは旗のようにたなびいていた。


 そして、突風が過ぎ去ると――「うわぁ!」とアルバートの奇声が聞こえ、みやれば、森全体を覆いつくしていた濃い霧は一瞬にして晴れ、上空には白くうすい雲がひろがり、樹々がなければ、はるか遠くまで見渡せそうなぐらい、あかるく澄んでいた。

 枯れ葉が積もった足もとは、身じろぎだけで軽快な乾いた音をたてる。


「朝――?」


 ルイがようやく話すと、フィオナが「……まるで童話の世界ね」とつぶやき、うながされて周囲をみると、森のあちこちにたくさんの〈まぼろし茸〉が生えていて、そのすべての傘が開いている。

 それも驚くべきことに、吹きぬける風にしたがって、傘を回転させているようだった。それはまるで、子どもたちが雨あがりにくるくるまわしているパラソルのように――。


「かわいいね……」


 アルバートが素直な感想をもらすと、ルイの背後で侍女二人がくすりと笑った。


「ああ……あ――」


 となりのパティが中空をみて目をしばたたかせている。ランプを落としてしまった。


「どうしたの、だいじょうぶ?」


 ルイが心配してのぞきこむものの、パティがぼんやりとしたままなので、ルイはその両手をとる。

 右肩の小ザルも目を大きくしていた。

 そのとき、パティは複雑にいりみだれた映像をみていた――。


 そこは森のなかの村落であり、ルイ、アルバート、ディレンツァの三人が、レムレスという女性やウンブラという男性、村落の住民たちとともに暮らしていた。

 そして、村落に滞在するルイたちの営みが順次みえてくる。

 (戒律と呼ばれる)不可解な規則で男女別に分かれて暮らし、あたえられた仕事をこなす毎日や、個々の恋愛事情が赤裸々にみえてきて、パティは気恥ずかしさとうしろめたさに目をそらそうとするものの、映像はとまらない。


 とまどうアルバートの照れた顔や、うす暗い部屋で頬を染めたルイなど、きわめてプライベートな内容もふくまれた月日が、一気にパティに流れこんできたのである。


 これは記憶――?

 この森でのできごとなのか……。


 パティは混乱する。

 なにより時間の感覚がおかしい。

 これはただのまぼろしなのか。それにしてはずいぶんと生々しい。

 まるでルイたちの私生活を盗み見ている気分だった。


 しかし、パティの懊悩は、多くの未知の目線からもたらされる映像にかき消される――。


「みずうみだ――」


 すると、ディレンツァの低い声がした。よく通る声だった。


 ルイがディレンツァをみると、すでにアルバートやフィオナも前方をみつめていた。

 どうやら風は、みずうみから吹いてきていたらしい。

 目が醒めるような強風は最初だけだったようで、そのあとは鼻さきをくすぐるような、なだらかでおだやかな風が流れてきていた。


 ディレンツァを先頭にして、全員が惹きよせられるようにそちらへ歩きだす。

 ルイはパティの手をひきながらときどき声をかけたが、パティはふしぎそうな顔でうなずくだけだった。

 小ザルも黙ったまま、みずうみのほうをみつめている。


 そして、つぎの瞬間――ふわり、ふわりとルイたちのすぐそばを、風にのって影が流れた。

 それはまるで落葉のようでもあったし、風にとばされたスカーフかなにかのようでもあった。

 ふわり――ふわり。


「――蝶だ」


 アルバートがつぶやいたときは、全員がそれを理解していた。

 二匹のとても大きな、白い蝶と黒い蝶が舞ってきたのである。

 アルバートのあたまのうえ、すぐのところをゆらゆらと飛び、アルバートが手をのばすと、そっとのがれ、森のほうへ消えていった。まるで風の流れに沿って、散歩にでもでかけたかのように……。


 全員がそれを目で追いかけ――ふと、うしろ髪をひかれるようにして正面をふりかえり――ようやく、そこがみずうみのほとりであることに気がついた。


 目前には、ひろく澄んだ透明な水がひろがっており、遠くの水面はうすく白む空を反映し、美しいキャンバスのようだった。

 そして、「圧巻ね……」というフィオナのため息を最後に、だれもが言葉をうしなった。


 みずうみのうえに、色とりどりの蝶々が列をなして飛んでいたのである。

 それも何千匹いるかわからないほどの大群だった。

 白のほかに赤、黃、緑、青とその中間色と――それは、まるで虹のようだった。


 無数の蝶の群れは波うつように上下に飛び、さかまく風に巻かれるようにして渦をつくりはじめる。

 だれかが、みえない巨大な絵筆で水彩絵の具を混ぜてでもいるかのようだった。

 やがて、それは混然一体とした色のかたまりとなり、ルイたちはその美しさにただ魅とれることしかできない……。


 しばらくして、渦を巻いていた蝶たちが停止すると、ふたたびそれぞれの色ごとに一列になって四方八方に散りはじめる。

 それはまるで、とても大きな贈りものの箱のリボンが解かれているかのようだった――。


 そして、蝶の群れが減少してきたみずうみのうえに――美しい巨人が浮いていた。


 伏せられた目には長いまつげがかかり、顔つきは和やかで、口もとは気品をたたえ、着衣はなかった。

 細身の身体つきだけでは男性か女性かわからない。

 しなやかな手は胸のまえで結ばれ、無造作な長い髪がまるではごろものようにゆれている。


 そして、その背には大きな翅があった。

 蝶たちを反映して虹色にかがやく、まるでつばさのように美しい翅だった。


 四大精霊――風の王にちがいない。


 やがて、風の王をとりまいていた蝶が、一匹のこらず森に消えていった。

 ルイたちはまばたきひとつしないまま、その流麗さに見入っていた。

 ルイは目前で起きている奇蹟のような光景について、なにも考えることができない……。


 風の王がゆっくりと両手をひろげる。

 それは抱擁をうながすような、やさしい動きだった。

 うつむいているが、全身から肯定感が発せられていた。


 ふいにパティの肩から小ザルが跳びおりて、テテテと走ってディレンツァの横までいき、その左手をひっぱる。

 パティだけでなくルイも呆然としている状態だったので、その動きに反応できなかったが、ディレンツァはモカを一瞥し、つぎの瞬間――はっとして右手をかかげた。

 ディレンツァはひものついた枯れ枝を、風の王に向けて突きだしたのだ。


 ルイはそれが〈狩り人の弓〉だと認識するのに、少し時間がかかった。

 そして、それを理解した瞬間――風の王がゆっくりと顔をあげて――ルイたちをみつめた。


 しかし、その瞳をルイがみつめかえすよりもさきに、世界がまっしろにかがやきはじめた。

 波動のような風がふたたびルイたちに吹きつける――。


 白い絵の具ですべてが塗りつぶされていくようなまぶしさで、はじけるようにして消えていく視界のなかで一瞬だけ――ルイはみずうみの対岸から天に向かってのびている、まるで古代の竜のように巨大な、ごつごつした樹木を垣間見た気がした――。

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