51 生きものの目
昼さがりで晴れていた。
本来ならのどかな時間帯で、パティも森に踏みこんですぐの頃は、不謹慎ながら紅葉すすむ初秋の景色の美しさに感慨をおぼえたりしたが、奥に向かうにつれて樹木は高く大きくなり、数も増え、やぶもひろがり、急な傾斜やごつごつした岩場、流れの速い小川、どろどろの池沼があるなど、気楽にかまえていられない雰囲気になってきた。
一時間、二時間と進むにつれ、まるで奇怪に建造された石灰岩の古代遺跡に挑んでいる冒険者のような気分になってきて、ひたいの汗をぬぐう。
もともと侍女二人は必要のない発言は一切なかったし、モカも口をつぐみ、くちびるをとがらせて、いかにもサル然として歩いていて、フィオナも寡黙だったため、野鳥の鳴き声や葉ずれ、自分たちの足音が延々つづくだけだった。
そもそも安穏としていられないことはフィオナの態度でわかっていた。
森の精霊力に呑みこまれないための最初の矢を放ったときから、フィオナの目つきは若干変化しており、どことなく冷たいような、突き放したような感じがあった。
それでも、フィオナがとりわけ高い樹の先端めざして矢を放つすがたは凛々しく、それこそ神話的な気品があった。
矢が樹上に刺さり、魔力が解放されたところは目視できなかったが、「とりあえず成功ね。さ、いくわよ」とフィオナが機敏に歩きはじめ、モカもすたすた歩みだしたので、パティもあわてて追いかけた。
侍女二人はパティのうしろについてくれた。
そこからはずっと、速足で進みつづけていた。
ペースが速いのでパティは、ものの15分で息があがりたいへんだったが、足をひっぱってはいけないので夢中で歩いた。
小ザルが途中で音をあげて右肩にもどってくるかと思ったが、ふしぎとオークの葉をくるくるまわしながらフィオナのとなりをキープしている。
フィオナが架空の馬車の馭者に任命したことに起因している行動かどうかはわからない。
「――ちょっとお茶にしましょう」
フィオナがたちどまり、ふりかえってきた。
三時間以上の強行軍だったから、正直パティはほっとした。
手近な岩にへたりこむと、まだ自分が進んでいるような錯覚がするぐらいつかれていた。
モカがもどってきてパティの横に坐り、器用にオークの葉を自分のあたまにのっけた。
侍女の一人が手早く木製漆器の水筒と人数分のコップをだして、それぞれに配ってまわる。
そして、「ローズマリーのお茶です」とにっこりした。
パティは恐縮しながら受けとり、それでものどが渇いていたので一気に半分を飲んでしまった。
ぬるいけれど、そのぶん飲みやすい。
小ザルはもう一人の侍女からチョコクッキーをもらい、ばりばりと食べ散らかしていたが、野外なのでこまかいことは指摘しないことにした。
お茶をくれたほうの侍女がそばにいたので、パティは「落ち着きました」とほほえむ。
侍女は上品に微笑をかえしてきた。
「準備万端なんですね。こういうことはよくあるのですか?」
パティは質問しておいて、おかしなことを訊ねたなと思ってしまった。
「ここまでのことはそうそうありませんが、これに類することはあるかもしれませんね。でもそれはパティさまも、おなじではないですか?」
侍女はていねいに答える。パティさまといわれて、なんだか照れてしまう。
「わ、私の場合は、以前、マイニエリ師から変わった依頼をうけたときも、運よくなりゆきに任せているだけでなんとかなりましたので、準備というのはほぼしていないんです。それに基本的に解決はおろか、モカといっしょにおろおろしていただけなんで……なんていうか、フィオナ王女はとても前向きに課題にとりくんでいて、たいへんりっぱにみえます」
パティはコップをいじりながらもじもじする。
「大きな弓をかまえたフィオナ王女には魅とれてしまいました。しかも、腕前も超一流なんですね……」
「あの弓を使いこなせるように、フィオナさまは幼少のみぎりより技術の習熟にいそしんでまいりました。もちまえの負けん気もありますが、なによりヘレン女王がそれを厳しく強いたのが大きいかと思います。水の国の王家の作法とでもいいましょうか」
侍女の説明に、パティは思わずため息をついてしまう。りっぱすぎる。
「――ねぇ、パティ」
急にフィオナに名まえを呼ばれて、パティは「はいっ」と背筋をのばしてしまった。
「あなたもこういう局面でよく問われて、耳にたこができてこまってるでしょうけど、あえて訊ねるわ。魔法使いとして、どう?」
「あ、えっと――その、あの……」
パティはフィオナから目をそらし、コップのなかの半透明の液体をみつめる。
「そうよねぇ」
フィオナが鼻息をもらす。
「あなたはなにか感じていたら話してくれそうよね」
「す、すみません」
パティは恐縮する。
しかし、フィオナが憤慨しているようすはない。
「こまったわね、さっぱりわからないわ。アルバート王子たちの居場所どころか、世界樹の根のありかも。はっきりいって、道に迷ってる」
「――追いうちをかけるようで気がひけるんですが、私は外部の危険を察知するような高度な魔法をあやつることはできません……」
だから期待されてもこまる、という言葉を、パティはなんとか呑みこんだ。
「あぶない状況から脱するような能力もないんです……すみません」
フィオナが噴きだす。
「自分を卑下しないことよ。あなたの特性を知らないまま、ここまできた私も私なんだから」
「パティさまは精神感応の才をおもちだとうかがっております」
そばの侍女が突然話した。
「――というと?」
フィオナが目を大きくしたので、パティはあわあわする。
「あっと、えっと……なんていうか、そんなだいそれたものじゃなくてですね。私の場合は動物とかその、ほかの生きものの視点を感応するんです」
「視点? 視線ってことかしら」
「はい、でも現在進行形にかぎらず、なんらかの意図や記憶っぽいものがみえたりっていう場合もあったりで――」
「それって、すごいんじゃないの」
フィオナが考えこむ。
「あ、いや、自分から狙ってみられるわけでもなくて――」
パティは意味なくコップをかかげてしまう。
天に捧げものをしている仔猫の置物にみえて、侍女たちがくすりとした。
パティはみずからの精神感応について、まだ少しも把握できていない。
なんとなく目を交わすことよって感応する場合が多い気がするが、いずれパティは〈魔導院〉では、動物のお世話係の域をでていない。
修行中の身といえば聞こえはいいが、いつか使いこなせるようになるのかさえ疑問なのである。
「――パティさまは水の国の山岳部で幼少期を過ごされましたが、そこで農場の羊の群れを襲ったヒグマの親子の闘争心を無効化させたそうです。まるで仲裁するようだったとうかがいました。それは思考転移にも近い、とても強い能力です」
もう一人の侍女が急に話した。
「あ、あのときは必死だったので――」
パティはコップでひたいをこする。
「いまおなじふうにやれっていわれても、まったくできないんです」
たしかに精神感応をきわめると、思念をとばしたりできるらしい。
それを思考転移といい、いわゆる導師の位にある魔法使いでもごく一部の者しか使えないそうだ。
行きすぎると共感覚で発狂してしまうケースもあるという。
「それに先だての「内海における船舶失踪および沈没事件」の調査隊としても大活躍されたと聞きました」
となりの侍女がほほえむ。
「それはその……――」
報告書に虚偽の記載があるとはいえない。
「なんにせよ、潜在能力が高いってことじゃない。うらやましいわ」
フィオナが目を細める。
「まァ、自分を棚にあげるんだけど、私には打つ手なしだから、鳥の目でもクマの目でもなんでもいいから、なにかわかったら教えてね」
パティは赤らめた頬をコップにおしつけながら「はい……」とうなずく。




