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銀の風ファンタジア ~孤独な炎の生と死の幻想~  作者: 坂本悠
眠れる森の夢みる妖精たち
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49 霧中の賭け

 木柵に設置されたかがり火に背をむけて歩きだして、そろそろ三時間ぐらい経過しただろうか――。

 ずいぶん長く感じられて、ルイはひたいの汗をぬぐう。


 ディレンツァが手にしているカンテラの火が唯一のあかりだった。

 枝葉をぬうようにして上空には星や月がみえるはずだが、霧がたちこめているせいか真っ暗闇だった。

 そして、蒸し暑かった。


「ねぇ」


 ルイはたちどまって声をはる。

 なんだか自分の声じゃないみたいだった。


 となりのアルバートがたちどまり、数歩ののち、先頭のディレンツァがふりかえる。

 アルバートはかろうじて表情がわかる程度で、ディレンツァはカンテラのあかりに浮かびあがっている。

 いくぶん疲労が顔ににじんでいる。


「地面がでこぼこして歩きづらいからつかれたわ」

 

 ルイはやぶから延びている蔓のようなものを払いのける。


「そろそろ真夜中かしらね」


 とくに提案したいことがあったわけではない。

 時刻を訊ねることが無意味なのは通じているらしく、アルバートも「蒸し暑いし、なんだか息苦しい感じもするね……なにか目印があるといいんだけど、世界樹の根の近くに」とため息する。


「みずうみが目印といえばそうなんだろうな」


 ディレンツァがつぶやく。

 一人だけ遠くにいるみたいにちいさな声だった。


「こんなごつごつした森にみずうみがあるの?」


「そういえば長老のお宅にも、みずうみの絵画があったよ」


 ルイの問いに、アルバートが反応する。


「国の名のとおり、水の国には大小かぞえきれないほどのみずうみや河川がある。みずうみの芸術品はめずらしくないだろう。それより、あまり時間がないかもしれない。さきを急ごう」


 ディレンツァがきびすをかえすと、あかりが一気に遠のいた。

 しかし、ディレンツァが危急をうったえているのだから、剣呑な事態にちがいない。

 ルイとアルバートはひき離されないようにあわてて歩きだす。

 ただでさえディレンツァは歩くのが速い。


「三角標って、そういえばあったの?」


 ルイが思いついて訊ねる。


「――もう通りすぎた」


 ディレンツァが歩きながら簡潔に答えたので、ルイもアルバートも「え?」と声をそろえて一瞬たちどまってしまった。

 ディレンツァがすいすい進んでいくので、ルイとアルバートもあたふた追いかける。


「えっと、だいじょうぶなの?」


「いくさきに見当があるのかな?」


 ディレンツァは半身だけふりかえって二人を一瞥する。


「ない――」


 そして、ふたたび歩きはじめる。

 その勢いに置いていかれまいとして、ルイとアルバートは足早に追従する。

 ぼんやりとしたディレンツァの背中がつぶやく。


「村での調査や採集に参加したとき、私は地理を把握するだけではなく世界樹の根がどこにあるかを調べたいと内心思って行動していた。村の特性を知悉していたわけではないので、だれにも相談していない――」


 そうでなくともディレンツァは余計なことは話さないだろうし、表情からそれを察することは慣れない人には困難だろう。


「仕事自体はしっかりとこなしていたため、周囲の信頼は得ていたと思う。そのうえで、それとなく探っていたのだが、やはりわからなかった。村の周囲について、私の脳裏にはそれなりの地図ができたが、目的の場所がどこなのかはもちろん、どの方角なのかさえ想像すらできない」


 ディレンツァはほんの少しだけたちどまったが、すぐに歩きだす。


「この森が広すぎるように思う」


 ディレンツァの声が遠くからする。


「じっさいの森よりも広いと感じるくらいだ」


 意味がわからないが、ディレンツァの大きな歩幅では息もあがってくるため、ルイもアルバートも返事ができない。


「三角標を無視したのは賭けだ。もうそれ以外に手がないという、それだけの理由だな――」


 ディレンツァは黙々と進み、ルイとアルバートは息をはずませながらつづく。

 右足、左足とくりかえす動作がとてもゆっくりに思えるときがあったり、枯葉を踏む音が耳のなかでやけにひびいたりする。

 

 視界はどんどん霧に覆われてきている。

 そして、その霧は刻一刻と濃くなってきている。

 ディレンツァの低い声がどんどん遠ざかっていくような錯覚がする。


 それにともなって、自分の呼吸や鼓動が大きくなってきた。

 ここが深海だといわれても違和感がないほど奇妙だった。


 すると、ルイはなにかにつまずいてころんでしまった。

 あ、ちょっとまって――ディレンツァの背中に声をかけようとしたが、胸がつまり言葉にならない。


 気づけば、となりのアルバートがみえなくなっていた。

 前かがみに起きてふりかえると、アルバートは数メートルうしろにたおれていた。

 

 ちょっと、起きて――そう声をかけようとしたが、やはり声にならない。

 

 もう一度前方をみて、ディレンツァを呼ぼうとすると――ディレンツァは思いのほかそばにいて、ルイに背中をみせて立っていた。


 ディレンツァは上空をみて、右をみて左をみて、左を向いたまま頸をとめる。

 横顔はあいかわらず無表情だった。


「……まない」


 ディレンツァがつぶやく。

 よく聞こえず、ルイはたちがあろうとしたが、脚にちからが入らなかった。


 え、なに――?


「すまない。賭けに負けたかもしれない……」


 そう応えるディレンツァの横顔が、濃い霧につつまれていく――。


 そのとき、アルバートはふしぎな夢をみていた。

 雨樋を流れる水の音を聞きながら眠っている夢だった。

 みずからが赤ん坊の頃の回想のようにも思えたが、アルバートはベッドにいるのが大人になったいまの自分だと理解していた。

 

 翌日が戴冠式だと聞かされていた。

 そわそわしているのはそのせいだろう。

 しかし、なにか緊張だけではない複雑な感情が胸にいりみだれていた。


 すがすがしい気持ちもあった。

 そして、春の陽のようなあたたかさと、青空のような一抹の淋しさもそこにはある。

 それは決して、いやな気分ではなかった――。

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