45 ふしぎなきのこ
そして、別れを告げて野外にでると――「あ!」と二人同時に叫んでしまった。
アルバートをゆびさしていたのはルイだった。
長老宅まえには、ルイとディレンツァが待機していた。
ルイはいぶかしげな目つきで、ディレンツァは(無表情の)横顔だった。
広場のほうをみているようだ。
アルバートはふいになつかしいような気がして、ほほえんでしまう。
「なにへらへらしてるのよ、王子。首尾はどうなの?」
ルイがかん高い声で詰問してくる。
すると、長老宅の背後のけやきの樹上から「グェキョグェキョグェキョグェキョ!」と、にごった鳴き声がかさなってひびいてきて、ルイが「ひぇっ!」とあたまをかかえる。
「待って待って、なによ、もしかして――」
「ゴイサギだよ、ただの鳥。へんな声で鳴くけどね、だから大丈夫」
アルバートがにっこりすると、ルイはぽかんとし、ディレンツァは一瞬だけアルバートをみた。
「なによ、王子のくせに……」
ルイはおもしろくなさそうに口をとがらせる。
笛や太鼓がやんでいるようだ。
アルバートがそれに気づくと、ディレンツァが「深夜帯に入るまえに休憩があるらしい」と説明してきた。
あいかわらず察しがよすぎる。
ルイがひとしきりむくれてから、腰に手をすえる。
「まァ、いいわ。長老との話はついたのね?」
「うん……とりあえず、森を自由に散策する許可はもらったよ」
「へぇ、すごいじゃない」
ルイが目を大きくする。
「許可っていうか、単純に危険だから制止していたっていうのが長老の主張だったけどね」
アルバートの発言に、ルイもしばらく黙る。
森での生活を回想しているのだろう。
「あんまりそうは感じなかったけど。どちらかといえば、私たちを世界樹の根まで行かせたくないっていう無言の圧力よ」
ルイがうわくちびるをかむ。
アルバートも同感だったので返事に窮する。
「森うんぬんよりも、村にいてほしいという要望は感じたな」
ディレンツァが急に話したので、ルイもアルバートもそちらをみる。
「いずれ……」
ディレンツァも二人をみる。
「ここからさき、危険なことに変わりはない。覚悟が必要だ」
アルバートとルイは目をあわせる。
ディレンツァの目つきがこわかったというのもある。
しかし、それによってアルバートからみるルイの瞳も、ルイからみるアルバートの瞳も、とても澄んでいることに気づいた。
「なんだかこの数週間でいちばんあたまがはっきりしているよ」
アルバートがつぶやくと、「ぼおっとしている感じで、なんていうか思考停止だったような気もするわね」とルイがうなずく。
「そこに仕事が矢継ぎばやにあたえられるから余計に考えないっていう」
「――関係あるかはわからないが、世界樹の根の近くに特殊なきのこが群生しているという」
ディレンツァが会話に入ってきた。
「少し聞いたわよ。胞子が有毒とかいうやつでしょう?」
ルイがディレンツァをみる。
「あ、ぼんやりの原因がきのこってこと?」
アルバートが目をぱちくりする。
ルイは腕組みした。
「診療所の先生が治療薬……じゃなくて麻酔薬だったかな。そんなふうに利用してるとかなんとか」
「麻酔薬?」
アルバートが鳥類のような声をだす。
「ウンブラはそれを使うと、まるで夢の世界の住人になったみたいな気持ちになれるとか話してたわよ」
「夢の世界の住人?」
声のトーンは落ちたが、アルバートには理解不能のようだ。
しかし、ルイにも理解できているとはいえない。
ディレンツァが若干うつむく。
「その特殊なきのこは、水の国の先々代女王の統治下における国土調査のさいに世界樹の根とともに発見され、長年にわたって王都でも研究されている」
「じゃあ、どんなものかよくわかってるの?」
ルイがまばたきする。
「いや、そうでもない。というより、ほとんどの専門家が実物をみたことがないようだ」
「先々代の頃なのに?」
アルバートも驚いて、ゆび折り数える。
「獲得する請負契約をこなせた業者がほとんどなく、研究者みずからが採取できた例もまずないということだろう」
「なんて名まえなの?」
「研究はされているが、公式な見解も少なく、学術的であるとまではいえないので、いわゆる正式名称はないのだが、通称では森の名称をとって〈まぼろし茸〉と呼ばれている。これは水の国の公報に最初に記載されたものだ」
「ふぅむ――いかにもな感じ。でも、なんだかあいまいなのね」
ルイが腕組みする。
森でしばらく暮らしてあまり話題にならなかったのだから、それはそうかもしれないけれど。
そもそも、レムレスたちだって忌避している様子だった。
「関心があったとしても、研究しづらいんじゃ、しょうがないのかな」
アルバートがうなずく。
「まァ、水の国に照会せずここまできてしまったが、〈まぼろしの森〉自体が遭難件数も多く死亡率も高い危険なところという統計的な見解はある――」
ディレンツァがさらにうつむいたため、ルイとアルバートも言葉につまるものの、気をとりなおしてルイが訊ねる。
「つまりその、森が危険っていう認識と、謎のきのこがあるっていう事実がくっついて、きのこがあやしいってなってるわけね?」
「ひとつの要素だけが評価の対象とはかぎらないだろうが、そういう見立てもあるだろうな――」
ディレンツァがルイをみる。
「ただ実物を研究した例が少なくとも、真偽はともかく公式に共有されている知識を通読することはできる」
アルバートののどがごくりと鳴った。
ディレンツァが一瞬アルバートをみる。
「きのことは本来、菌糸のことをさす。糸の集まりなんだな。われわれがよく知るきのこは、もともと菌糸が集まって綿状になったものに温度、湿度といった条件がととのったときに形成される子実体の部分になる。それが要するにみてくれのことだ――」
ディレンツァが目を細める。
「〈まぼろし茸〉の子実体は大きめの開いた傘をもち、斑点があるという」
「傘?」「斑点?」
ルイとアルバ―トで順番におうむがえししてしまう。
「それって……表現が悪いかもしれないけど、童話とかでよくみる毒きのこのイメージそのままだね」
少し想像してから、アルバートが半笑いになる。
ルイも肩をすくめる。
「色とかは?」
「特定の色がないのだという。発見者によって色がちがうし、複数を同時に目撃した場合もほとんどおなじ色がなかったそうだ。これは誇張もありそうな気もするがね。大きさもまちまちだが、傘の直径がちいさくて30センチ、大きくて1メートル半くらいだそうだ」
「ふーむ」
ルイが下くちびるをつきだすと、アルバートがうわくちびるをかむ。
「それでふしぎな胞子をだすと?」
ディレンツァが二人をみる。
「毒性はさほどないらしい。これは麻酔薬として利用されているなら、そのとおりなのかもしれないな」
「診療所の先生はせん妄状態って話していたそうよ」
ルイが思いだす。
ディレンツァがルイをみる。
「せん妄とは突然発生する精神機能障害のことだ。通常は回復可能で、数分の場合もあれば数週間つづくこともある。いわゆる時間や場所がわからなくなる見当識障害からはじまり、注意力や思考力が低下することでさまざまな症状が変動して顕れる」
「ハーマンシュタインの強力なまじないだか魔法だかで、王都の騎士団員たちもそうなったよね……」
アルバートが神妙な顔をする。
「――この村には闇が深いっていう表現があるのよね」
ルイがつぶやき、ディレンツァがうなずく。
「婉曲な表現なのか、そのままの意味なのかはまだわからない。かならずしも危険とはかぎらないのだろうが、死にいたるという部分は虚構ばかりとも思えない。せん妄以上の結果もあり得るということだろう。やはり、闇の精霊は森の危うさを象徴しているのだと思う……」
しばらく、それぞれ黙って考えこむ。
「でも、やっぱり行こう」
アルバートが鼻息を噴いた。
精悍な顔つきとはまったくいえず、むしろ滑稽だったが、ルイも揶揄する気にはならなかった。
「ここまできたんだから、なにがなんでも風の王に逢って、ひっぱたいてでも説得しなきゃいけないわ。どうせ無謀なら昼も夜もないんだし、すぐ出発ね!」
ディレンツァもうなずいた。




