44 愛の盾
まだ独り身であるし、悪い娘ではなかろう。どうだろう、少し落ち着いてみるのは――。
長老のせりふが残響となって心にひびく。
アルバートは目をつぶり、自分をつつみこむ怒涛の感情の波に歯を喰いしばる。
閉じたまぶたには、恋慕の情をかくさないレムレスがいた。
晩熟なアルバートに好意を示してくれる女性はまずいない。
いわゆる異性としての魅力など、自分でもないとあきらめている。
王族という肩書がなければ、だれにも歯牙にもかけられないだろう。
そんな自己評価の低さは自信のなさ、そしてそのまま威厳のなさにつながっていく。
アルバートの人生はその悪循環の積みかさねだった。
「――自己嫌悪っていうより、自己愛のきわみなんじゃないの、それって」
ルイは眉間にしわをよせながら腕をくんだ。
王都で国王陛下に謁見したあとのことである。
粗相をすることも恥をかくこともなく、むしろ王族としての矜持のようなものをもちかえってきたアルバートに、ルイが「そもそも、どうしてそんなにおどおどしているの?」とかみついてきたことに端を発した議論だった。
「ちいさいときからそうなんだよ。自己完結する失敗だって多かったけど、それ以外にもさ、自分のせいでまわりがうまくいっていないとか、余計な問題が起こるっていうことがつづくと、どんどん自信がすり減っていくんだ。自分が災厄の元凶のような気がしてさ」
アルバートが手ぶりをまじえて話すと、ルイは目を細めたのち、前述のようにいぶかった。
ルイの口調がばかにしているところもあり、おもしろくない気持ちがしたが、しばらく考えてそういう見方もできるかもしれないとは思った。
自己愛の盾――。
自分のことはよくわかっているつもりでも、結局だれかに指摘されるまでわからないところもあるのだろう。
まぶたのなかにいた照れ笑いのレムレスの像に、けげんな顔をしたルイの像がかさなり、やがて多様なルイのふきげん顔がつぎつぎにうかんできた。
とても現実的な、厳しいけれど、それはやさしさの裏返しともいえる顔だった。
そして、アルバートはゆっくりと開眼すると――長老の無感情な目をみつめる。
「レムレスが魅力ある女性なのはわかっています。滞在中、とても親身に接していただき、好意をもったことはたしかです。レムレスも親切心だけでなく、私にそのように感じていたのであれば光栄なことです。ですが……私はやはり初志をつらぬき、森の奥へ向かいたいと思います。そして、用事を済ませたら王都へ帰還します」
「客人の連れの女性も、村の丁年とねんごろな間柄になりつつあるそうだな。魔法使い殿には議会が指導者としての地位を用意していると聞く。いずれ、急ぐことはなかろう。ゆっくり考えてみるのはいかがか」
長老はまっすぐとアルバートを見返してくる。
それでも、アルバートは破顔してつづける。
「従者たちをも厚遇していただき、とてもありがたく思います。個々の感情までは把握していませんし、強要できることでもないのかもしれませんが、かれらには私に帯同してもらいたいと考えています。そして、かれらもそれにしたがってくれるのではないかと、勝手ながらに期待しています」
長老は表情ひとつ変えず、アルバートをみている。
アルバートは目をそらさなかった。
なんだか戦っているような気さえしてきていた。
とにかく、流されないようにしなければならない。
濁流のなかで岩にしがみつくようにアルバートはつづける。
「私は祖国の復興をこころみ、それを成し遂げなくてはなりません。誇りというよりも、それが義務なのです。逆賊を懲らしめることが目的なのではなく、私は私をはぐくんだ土壌をとりもどしたい。うしなってしまった愛する人や愛してくれた人たちのことを、叶うならもう一度この手のとどくところに。これは……私の王族としての大義です」
口べたはあいかわらずで、結局おなじことをくりかえしているだけだった。
「黙っていれば国王陛下が解決してくれるのはそのとおりでしょう。しかし、私は自分でこの問題に決着をつけたいと思っています。この旅のなかで学んだのは、変化することをおそれてはいけないということなのです」
それでも、それ以上のことを話せる気がしなかった。
「そして――私には個人としての希望もあります。とても情けない話ですが、私は幼少期より不出来がすぎていたため、両親に対しても自責の念があり、別れのそのときまで距離をもったまま過ごしてしまいました。それをずっと孤独であったとかんちがいし、過日、国王陛下に指摘されるまで、私はそのあやまちに気づけませんでした。だから私は……私は父母と、ふたたび顔をあわせることができたなら、なんでもいいから会話をしてみたいのです。うまく話せないかもしれませんし、あるいは目をあわせることさえできないかもしれません。それでも、私はうしなってから、そうしてみたいと望むような生きかたをしてしまったのです――だから、だから私は……」
そこで息が切れた。
しばらく建物内が物音ひとつしなくなる。
なにもない平原にたたずんでいるような気持ちがした。
長老はまばたきさえせずアルバートをみていたが、やがて若干あごをさげて吐息した。
「客人の思うところの多くは私には理解できぬ。私は感想をもたぬし、あっても言葉にはすまい。私は村の長の意見として、ここにとどまるのが最良だということはつたえた。それでも望むのであれば、私も異論ははさまぬし、議会も同様であろう。危険をかえりみぬのであれば、森の奥に向かうがよい。古木であれ、精霊王であれ、私にも計りしれぬこと。客人らの運次第でどうにでもなろう」
「あ、ありがとうございます――」
アルバートが顔をあげても、長老はずっとおなじ表情のままだった。
「感謝されるようなことではない。ただ……」
長老は、じっとアルバートをみる。
「いつだったかここにきた新興国の王女にも似たような口ぶりで説得された。もっと開かれた機構をもつべきだとな。村の者たちは多く影響をうけたようだったな」
「はぁ……」
新興国の王女――フィオナ王女のことだろうか。
「いつ出立なさるつもりか。森に入るにあたって、護衛をつけるのであれば村議会に話を通さねばならぬので明朝になるが……」
「いえ、必要ありません。勝手に押しかけたのですから、その無作法を通します。従者たちとの打ち合わせもありますが、許可がいただけるなら即刻赴きたいと思います」
「自由になされよ。運試しとは神頼み。神頼みとはだれにもわからないということを学ぶことだと私は思っている――」
アルバートはそのあと適当に歓談し、最後にへこへこと杓子定規の礼をのべて辞去した。
長老は終始そのままの姿勢で、ときどきわずかにうなずいたり、目を細めたりするだけだった。
アルバートは足がしびれてしまったこともあり、それをかくすため饒舌になり調子にのって「いつか悲願を達成することができたなら、私の街とこの村で姉妹都市の提携をするのはいかがでしょうか?」などと問いかけたりしたが、長老の表情は変わらなかった。
「――闇の精霊はかならず客人らの近くにいる。心せよ」
去りぎわのアルバートの背中に、長老がそう話したのが印象的だった。
廊下には長老の姪が控えていた。
アルバートの独白も聞かれていたのかもしれないが、姪はにこにこと「ご用は足りたでしょうか?」と訊ねてきて、アルバートは「はい」と微笑して答えた。
仮に聞かれていたとしても、問題はとくにない。
どのみち自分はフィオナやジェラルドのような宙を舞うような生きかたができるわけではないし、寸足らずな性質をかくせているわけでもない。
廊下でしばし、みずうみの絵画やコットンフラワーの水差しなどについて歓談した。
みずうみがじっさいに森の奥にあるものの描写らしいとか、水差しは水の国の女王の風習をとりいれたものなんだとか、そういう他愛もないもので、なんだかみょうに落ち着いて過ごすことができた。




