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頭の中身を取り出して

作者: 尾手メシ

 私が「小説家になろう」に投稿を始めて一ヶ月が過ぎた。そして、私が物を書き始めてからも一ヶ月が過ぎた。




 そもそも物書きを始めたのは、Podcastがきっかけだった。

 イマドキのナウなヒューマンであるところの私はテレビを観ない。Twitterもやっていないし、InstagramとTikTokの違いは踊っているかどうかだと確信している。そんな私が普段触れているメディアは、インターネットを除けば、民放ラジオとPodcastだ。

 あれは今年の正月からいくらか経った頃、Podcastで「島田秀平とオカルトさん」を聞いていた。この番組は島田秀平が毎回違うゲストを呼んでの対談番組である。

 その時のゲストは、占い師のLove Me Doだった。年末から年始にかけて配信された回で、テーマは今年の運勢。その中で言っていたのだ。


「今年は新しいことを始めるのが吉」


 それを聞いて、なぜ物書きを始めようと思ったのか。それが今だに分からない。ただ、確かにあの時の私は考えたのだ。


「よっしゃ、いっちょ書いてみるか」


 とりあえず近所の3coinsで無線キーボードを買い込んで、タブレットと接続。何だかよく分からない文章をこしらえて、何だかよく分からないまま投稿した。物書きというよりも唯のバカが爆誕した瞬間である。




 そうしていくつか短編を書き上げて、頭の中身を陳列してみた。それらを眺めながら、書いていた時の思考を振り返ってみると、おぼろげながら自分の思考のクセが見えてくる。どうやら私はトップダウン型の人間らしい。


 自分が実際に文章を書く前、私は小説の書き方に勝手なイメージを持っていた。

 まずは世界を設計し、その世界の中に登場人物達を配置していく。登場人物達の関わりからストーリーが展開していく。そんなふうに下から積み上げていくボトムアップだと思っていた。


 この思考法で物語を作ろうとしたのだが、どうもしっくりこない。

 設計する世界は大雑把で不安定。そこに配置する登場人物達はピントがぼやけて男女の別すらつかない有様。ストーリーなんて推して知るべしである。早々に諦めてしまった。


 「ボクが考えた最強の小説の書き方」を諦めた私は、とりあえず書きやすいように書いてみることにした。そうして出来上がった成果物がよく分からない文章と、映画の感想文と、短い物語だ。


 書いてみれば、何が間違いだったのかが分かってきた。私が当初想定した思考法と、実際の私自身の思考法は全く逆だったのだ。


 実際の私の思考法はこうだった。

 まずやりたいことを決め、そこから逆算するように登場人物達を配置していく。世界は、登場人物達がうまく収まるように設計していく。ストーリーはその副産物だ。


 うまくいく訳がない。




 トップダウン型の利点は、なんと言っても破綻が少ないことだろうか。最初にゴールを設定して、そこを目指して設計していく為、全てはあるべきところに収まっていく。しかし、物語としての拡張性は無い。RPGでラスボスを倒してしまえば、あとはエンディングだけだ。

 対して、ボトムアップ型は大いに拡張性を持っている。設計した世界観の許す限りにおいて、その拡張性に制限はない。オープンワールドには無限の冒険が待っている。しかし、ともすれば物語はあらぬ方向へ暴走してしまいがちだ。


 「小説家になろう」において主人公の一人称が好まれるのは、実はこの辺が理由かもしれない。ボトムアップ型の拡張していく物語において、視点を主人公だけに固定することで、発散していくストーリーに一定のコントロールを確保しようとしているのではないか。理に適った、なかなか上手い手法だと思う。


 さて、トップダウン型は短編を書くぶんにおいてはよくフィットしそうだ。常に全体を俯瞰しながら書ける短編では、これは大いに機能する。

 では、長編となった場合はどうだろう。常に全体を俯瞰しながら、細部を設計していく。扱う規模は短編の比ではない。今の私ではとても扱いきれるものではない。


 私はこれからどうするべきか。ぱっと思いつくのは二つ。

 自分の思考法をより昇華していく方向。今見ている視点よりも、もっと高い視点を獲得できれば、扱える規模も大きくなるはずだ。

 もう一つは、自分の思考法にパラダイムシフトを起こす方向。思考法を改変してボトムアップ型を身につければ、物語の拡張性を獲得できる。

 さて、どちらがいいのか。


 私の肌感覚では、どうやらこれらは二者択一では無さそうだ。物語を作るにおいては、トップダウン型とボトムアップ型、二つの思考法を同時に回してやる必要があるらしい。対立する二つがどうやったら問題なく機能するのか、今の私にはよく分からないのだが。きっと、私が想定している以上に大きい枠組みでのパラダイムシフトが必要になるのだろう。




 私にとって書くことは頭の中身を取り出すこと。取り出したものをくるくる回して、あっちこっちを弄り回して、そうしてまた頭の中に収めていく。この作業が存外楽しい。楽しいのだが、物語はちっとも書ける気がしない。小説家への道は遥か彼方だ。

プロット?知らない子ですね。


書いている途中で「発散するなろうの物語と多神教神話の類似性」というネタを思いついたのだが、ここは偉大なフェルマー先生に倣うこととする。

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