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裸足の妖精たち 夏風編

作者: VeiledMonet

こんにちは、この小説を見つけてくださって本当にありがとうございます。

私、VeiledMonetは、主に社会問題を織り込んだジャンルを得意としています。そのうえで、恋愛、ファンタジー、コメディ、サスペンスなど様々なテーマを書いていきます。気に入ってくださったら、コメント等お待ちしております。

尚、個人的都合により、この作品は途中までとなっています。随時更新いたしますので、気長にお待ちいただけますと幸いです。

【緊急開催】シャンヌ・ミルトー 今夜限りの舞台復活!!


紳士のみなさま、お待たせいたしました。

数年前、舞踊界に彗星のように現れ、そして消えた、伝説の舞い手シャンヌ・ミルトーが今夜限りで舞台へ復帰いたします。演目は彼女の代表作とも言われる「レイシア五重奏女神の章」。

この招待状をお受け取りになったみなさまは、30000ベルでこの舞台をご観覧いただけます。

まさに天女の召還となる今夜の舞台を是非、お楽しみください。


                         国立劇場支配人

                         泰王暦124年1月12日


                     ー国立劇場書庫保管資料より抜粋ー




今日の離宮は、何やら慌ただしい。

サリネは現在、食堂にて朝食をとっていた。今朝のメニューは、エッグベネディクト、季節の彩野菜のスープ、サベジーヌ地方産高級小麦の白パン、ロイヤルミルクティー、稀少なアジュール黒牛のミニステーキである。デザートはアビラ果実のジェリーだった。

勿論プロである使用人の彼らがバタバタと廊下を走ったり大声を上げたりすることはない。だが、どことなくせわしない様子だった。理由ははっきりしている。客人だ。

今日は、アンネとシルルが初めて人の御前で「ロワ四重奏夏の章」を舞う日だった。

サリネは、すっかり慣れたフォークとナイフを扱い、すっとステーキに刃を入れる。レアに焼き上げられた肉は、しっかり歯ごたえがありつつも柔らかい。今日も、顔も知らない有名シェフの料理は絶品だ。サリネが蕩けそうな感覚を味わっていると、扉が開いて、サムとガレスが現れた。

「おはよー、サリネ。」

「あ、サム。ガレスさん。おはよう。」

サムは寝起きらしく、くあぁとあくびをして背伸びをしつつ歩いてきた。ガレスと席につき、サリネの皿を見てうれしそうに笑う。

「今日はステーキか。・・・あ、サリネ。さっき外見てきたんだけどさ、お客、もう来てたよ。」

「ほんと?気づかなかった。どんな方なの?」

サリネは手を止めてサムに尋ねた。

「俺は真っ白な馬車しか見てないんだけどさ。ガレス、見た?お客。」

サムは隣にいたガレスに話を振る。そう言えば、この二人が一緒に行動しているのはかなり珍しい。

「ああ。金髪で長身の男だった。すぐ後ろに女もいた。髪色や仕草がどことなく似ていたし、恐らく兄妹じゃないか。」

「兄妹?それで、ジョン・ドゥーさまとはどんなつながりなんだろう・・・。」

「さあ、そこまではねー。」

サムがのけぞる。メイドがワゴンを押して登場し、ガレスとサムの前にスープを置いた。

「本日は、季節の彩野菜のスープでございます。」

「あ、ねーねーお姉さん。外に来てる客って誰?」

サムがストレートに問いかける。メイドは営業スマイルを浮かべた。

「申し訳ございません、私どもも詳しいことは知らされておらず、お答えいたしかねます。」

「あ、そう。口止めされてるん?」

「滅相もございません。」

すらすらとのたまうメイド。恐らくサムの勘は当たっている。サムは、あんた食えないねえ、と笑い、メイドは一礼して去っていった。

「サリネはあの客人が気になるのか。」

ガレスだ。挨拶以外で滅多に言葉を交わさないので、サリネは若干面食らいつつも答えた。

「う、うん・・・。だってジョン・ドゥーさまのお知り合いとか、ここの使用人のみなさん以外に知らないもん。あのマスクの下のお顔もご存じなのかな。」

「まあそれは気になるよね。あ!じゃああとで聞いてみようか~。・・・うげ。」

サムが突然、卵の殻でも噛んだような顔をした。サリネは振り返る。

執事のアンセムだ。相変わらず鋭い目がこちらをじっと見ている。サリネは付き人のアレンとともに庭園を訪れたときのことを思い出した。一瞬、あの時のような眼をしていた気がする。練習生たちを見張っているのか。

「アンセムさん!食べてるときにじっと見ないでほしいなー。」

サムが不貞腐れたように叫んだ。アンセムは慇懃に礼をする。

「申し訳ございません。ところで、お客様はみなさまとお会いするご予定がございませんので、お目通りはかないません。申し訳ございませんが、お心にお留め置きいただきますよう。」

お前たちはお客人と話すことはない。

丁寧な言葉で伝えているが、真意はそういうことだろう。ガレスとサムも当然気づいている。

「あ、そ。わかったよ。」

サムが乱暴にスープカップを置いた。




今日の午後練習は自習だった。シルルとアンネは、お客人の前で踊るとのことで留守にしている。

オリバーとアグネスが代理で来てくれたが、メニューがそもそも単純な動作の練習だけだったため、たいして手伝うこともなかったようだ。気の毒である。

終了後、サリネはオリバーとアグネスに話しかけた。

「あの、ちょっとお伺いしたいんですけど。」

「いいよー、何?こいつの指導でわからないとこあった?」

オリバーが人の良い笑顔でアグネスを示す。アグネスは「うるさいわ!」と笑った。サリネは口を開く。前々から気になっていたことだ。

「お二人が所属なさっているローズ一座は、ジョン・ドゥーさまのお弟子さんたちの集まりなんですよね。」

「そうだよ。私たちを育ててくれたのは、ジョン・ドゥーさまだよ。」

アグネスがふっと遠い目をした。懐かしむような、慈しむような。舞の師を思うのに、こんな表情をするのか、とサリネは思う。

「失礼ですが、ローズ一座の皆さんも、私たちと同じように、何らかの事情があったんですか?」

サリネは思い切って口にする。いつの間にか、他の練習生たちもこちらに耳を傾けていた。

サリネは亡き親の借金を背負い、弟妹を養うために働いていた。ランファは母親と記憶を失い、東国シナから奴隷として売られかけたところを助けられた。サムは滅びた海賊の直系の子孫で、王国から不当な弾圧を受けてきた。アリアナは貴族であったが、借金によって没落し、身売りをさせられるところだった。スラム出身のアンネは身に多くの傷を負っていた。

ルイス、ガレス、シルルについてはまだわからないが、過半数の者が何らかの問題を抱えているのだ。ローズ一座も、そんな人々なのだろうか。

「・・・そうだよ。」

アグネスが静かに呟く。

「仲間のことを言うわけにはいかないけど、少なくとも私はそうだ。東の民族出身で、人気の踊り子だった私の母は、このアネントルに耳障りの良い話で呼び出されて、一夜で招待した富豪に殺された。東の民族の女の骨を飾ると、金が入ってくるなんていう迷信でね。そいつの手下が夜襲ってきたとき、私は母の言いつけを守って決して寝台の下から外に出なかった。」

アグネスはふ、と悲しい笑みを浮かべた。オリバーはこの話の顛末を知っているのだろう、顔を伏せた。

「どう思うよ。母親が殺されるさまを、只々声を殺して、息を殺して、見ていなければならない、幼い娘をさ。そして、命からがら逃げだした後、深夜に屋敷に忍び込んで盗んだナイフで富豪を殺した娘をね。」

サリネは、ただ黙って聞いていた。

「母の骨だけは持って帰ろうと、私は展示ケースを壊そうとした。でも無駄に頑丈で、何度陶磁器を投げつけても割れなかったんだ。そこで、追ってきた手下に捕まって、法廷に引きずり出された。死刑を言い渡された。これで終わりだと思った、んだけどねー。」

アグネスがこくり、と首を傾げる。柔らかい笑みだ。

「今でも忘れられないよ、あの時の裁判長の呆けた顔。死刑宣告の直後、ジョン・ドゥーさまが私を引き取ると通達したんだ。そして、ここに連れてこられたのさ。おまけに母の骨まで取り戻して、埋葬させてくれた。だから私は誓った、何が何としても当代最高のジョン・ドゥーさま、その一番弟子になるってね。」

サリネは目を瞬かせる。そんなことがあったのか。

オリバーもふんわりとした笑みを浮かべ、語りだした。

「僕もジョン・ドゥーさまに感謝しきれないほどの恩があるよ。僕は以前、ある感染症にかかったんだ。知ってるよね、二十年前の大流行。あれだ。」

「え!?」

サムが驚いたように顔を上げる。ガレスは渋い顔で口をはさんだ。

「失礼。二十年前の大流行以来、その感染はなかったはずでは?」

「そりゃ、公にはね。だって、あれはあのときの執政者たちが収めた、はず、なんだから。実際には、ぼちぼち感染者が出てたりしてたんだよ。僕は、運悪くそれに罹ってしまった。しかも家族まで。感染を隠すために役所の使者は僕たちを牢獄に隔離した。でも衛生状況が悪すぎて、死ぬ寸前だった。そこを救ってくださったのが、ジョン・ドゥーさまだ。僕たちにいい医者を紹介してくださって、治療費もすべて払ってくださった。」

アグネスとオリバーが顔を見合わせて、微笑む。サリネを振り返った瞳には、強い尊敬の思いがあった。

アグネスが胸に手を当てる。

「私たちは、ジョン・ドゥーさまに救われた。返しても返しきれないご恩だ。私たちは、ジョン・ドゥーさまのご期待に応えるためなら何でもするよ。」

練習生たちは黙っていた。ランファがぽつりと言う。

「あの方って、ほんとはすごく優しい方なんでしょうか。」

「ああまあ、最初は悪役にしか見えないよね、あのマスクだもん。私、最初見たとき、これが死刑執行人かと思ったよ、東出身だから感染症用の防護マスクだなんて知らなかったし。」

アグネスがけらけらと笑う。カラスマスクは世代間で共通の衝撃らしい。

「あの、お二人はあのマスクの下の素顔をご存じなのですか?」

オリバーが困ったように笑った。

「知らないよ、だってずっと取らないんだもん。他のメンバーもじゃないかな。」

「んーいや、シャナは知ってるかも。」

シャナというと、以前練習に果実水を差し入れてくれたローズ一座の黒髪美女だ。ふもとで薬師をしていると言っていた。オリバーがぱんと手を叩く。

「シャナ・・・?あ、そういやそんな感じだったね。」

サリネが口を挟む。

「シャナさんはジョン・ドゥーさまの素顔を知ってるんですか?」

「いや、わかんないんだけど。私たちローズ一座の代の首席はシャナだったんだよ。それで国立劇場で公演を終えて帰ってきたんだけど、まあ大変でさ。泣きながらジョン・ドゥーさまのお名前を繰り返してたの。」

「『どうして、どうして』とか『何で話してくださらなかったの』とか、泣きわめいてもう皆訳が分からなかったよね。なだめすかしてアグネスたち女子が部屋で寝かせたんだけど、翌日、けろっと朝食をとっててさ。尋ねても何も覚えてないみたいな感じだった。」

オリバーが首を傾げ、アグネスは腕を組む。

「離宮を離れたあとの一座の間でもっぱらの噂になったんだよ、シャナは国立劇場に行ったときに、何かジョン・ドゥーさまの秘密を知ってしまったんじゃないかって。だって、普段はあんなに我を忘れて泣き叫ぶような子じゃなかったし。」

それはサリネの印象としても同感だった。冷静で優雅。それがシャナの雰囲気だ。彼女が我を忘れて泣き叫ぶほどの衝撃とは、一体何だったのか。

だが、質問はまだある。

「お二人は、今日いらっしゃっているお客様をご存じですか?」

「あー、ワルトシュタインさまか。」

オリバーが思い出したように言う。

「僕たちも詳しいことは知らないんだけど、時々この離宮にいらっしゃってはジョン・ドゥーさまと面会なさって、数日で帰られる方たちだよ。ご兄妹なんだけど、どうやらジョン・ドゥーさまとは古い知り合いみたいだね・・・って。」

オリバーが卵の殻を噛んだような顔をした。今朝のサムと同じだ。ということは。

サリネは恐る恐る振り返る。入口に、背筋を伸ばしたまま直立しているアンセムがいた。練習生たちもさあっと青ざめる。

「ご夕食の支度ができておりますが。」

お前らは何をしているのか。とでも言いたげだ。

練習生と卒業生2人は、我先にとアンセムの横を通り抜けた。出遅れたサリネは苦笑いをする。

「サリネさま。」

「え、あ、はいっ。アンセムさん。」

「向学心がお高くていらっしゃると伺っております。ただ、好奇心はほどほどになさいますよう。」

サリネはぶるりと肩を震わせた。

相当怖かった。




アンネとシルルは夕食と座学にも来なかった。客人の前で舞うにしても、随分と長く時間がかかっている。

「サリネ、どうしたの?」

サムがヒュードを抱えて首を傾げる。ヒュードはアネントル王国付近一帯の地域に伝わる伝統的な楽器の一つで、弦を弾くと柔らかく響きの良い音が出るのが特徴だ。今日の授業は雅楽である。

「あ、何でもない。えーと、中指は・・・」

「違う違う。中指はこうやって、軽く添えるだけでいいんだよ。」

サムはヒュードが弾けるらしい。

「すごいね、サムは楽器にも造詣が深いのね。」

と、二人に影がかかる。

「サム殿はヒュードの経験者なのですか?」

座学教師ロトワールだ。今日も隙のない物腰である。

「え、ああ、じゃなかった、はい。」

「・・・一曲弾いてみてはくれませんか?」

「へ?」

サムは目をぱちくりとさせる。しかしすぐ調子に乗った。「そーですか、そーですか、俺の演奏を?いやまあ先生の頼みなら・・・」などと言っているうちに「早く弾きなさい」と鋭い声が飛び、おとなしく指をかける。

軽く日焼けした少年の細い指が、軽やかに弦に触れた。

それは、とても美しい音色だった。ヒュードの心得がないサリネでも聞き惚れるほどの。

サムの指が撫でるように弦の上を滑るたび、柔らかく優雅な音色が響き、余韻が重なる。そして、どこか物悲しい曲を奏でていた。

演奏を終えると、ロトワールは何か考え込んでいる。サリネはすっとサムの傍に寄った。

「すごい!何でそんなに弾けるの?」

「似た楽器をガキの頃から弾かされてたんだ。酔ったおっさんたちの踊りにしか使わなかったけどさ。俺、一度聞くとその音を覚えられるんだよね。」

サムが照れたように笑う。かつて近海を騒がせ、アネントル含めた数々の国々を震え上がらせた海賊集団ですら、酔ったおっさん扱いである。

「・・・意外とできるじゃないの。」

アリアナが呟く。サムは面食らったようにアリアナを見た。

「おや、お嬢さん?今何と?」

「うっさいわね、庶民が調子に乗らないでよ!」

アリアナは真っ赤になってそっぽを向いてしまう。サムは対照的ににやにやと笑っていた。




その晩、サリネは夢を見た。

夜の離宮のなかを歩き、どこかへと向かう夢。

ひたひたと歩くなか、頼りになるのは月明かりだけだ。その月明かりも、時折雲に遮られそうになって危うい。

サリネは、庭園に来ていた。アンセムに咎められた、あの庭園だ。アレンの案内なしに、どうやって来たのか、それすらも自分でわかっていない。

ふと、美しい音色が耳を掠めた。

ヒュードの音色だ。サムかと思ったが、こんな深夜に庭園に忍び込んでやるわけがない。

何という曲だろう。悲しくて切なくて、どこか、この世のものとは思えない。

サリネは、そっと回廊を回った。そこで、大きな木扉を見つける。押してみると、静かに開いた。中は霞みがかっていてよく見えない。それでも何とか進んでいくと、急に視界が開けた。

噴水である。古ぼけ、蔦が這った噴水に、一人の若い男が腰かけていた。手にはヒュードを持っている。

その傍らに、彼を見つめる少女が立っていた。純白のきらびやかな衣装と、腰まで伸びる長い黒髪が月明かりを反射している。と、彼女は急に駆け出し、霞のなかへ消えていった。

残された男は、ふっと顔を上げる。月明かりがゆっくりとその男を照らす。しかし、それが顎を映そうかというときーーー。




サリネは目を覚ました。

同時に、頬を滑り落ちるものに気付いた。

泣いていたのだ。

「どうして・・・?」

取り敢えず起き上がり、カーテンを開く。もう真夏なので、寝起きと言えどガウンを羽織る気にもならない。高原にほど近いので、それでもまだましな涼しさだが。そろそろ、スラムでも最高気温に達していそうだ。

夢で聞いた曲を反芻しようと、鼻歌を歌ってみる。あまり再現できている自信はなかったが、何とかメロディーを思い出せた。

「何て曲なのかな・・・。」

と、ノック音が響き、サリネは驚いた。アレンである。

「おはようございます、サリネさま。」

「あ、おはよう。」

相変わらず優雅な動きで、サイドテーブルにティーカップとポットを置いた。今日は薬草ではなく、フルーツティーだそうだ。甘い香りがふんわりと漂ってくる。

「サリネさま。どうかなさいましたか?」

アレンが心配そうにこちらを見てくる。何かと思えば。

「失礼ながら、お顔に涙の跡が・・・。」

「あ、ああ、大丈夫。ちょっと怖い夢を見ただけだから。」

そう、夢だ。ただの夢。しかしーーー。

「ねえ、夢に意味ってあるんだっけ。」

「ええ。古来より夢には何かしらの意味が込められていると考えられてきました。深層の願望。己が気づかない事実。未来予知。様々言われておりますが、とにかく、何かを告げるものであると。」

「じゃあ、図書室にその本、あるかな。」

「あるかもしれませんね。ここは魔法や不可思議に関する本も多く取り揃えておりますから。」

アレンが今夜、連れて行ってくれるらしい。サリネはできるだけ思い出そうと、また夢を一から思い出していた。

噴水に腰かけ、ヒュードを奏でる若い男。美しい黒髪に純白の衣装を纏った少女。月明かりの差す庭園。

一体、何を意味しているのか。




実に2日振りに、朝食にシルルとアンネが顔を出した。

2人とも疲れ切った顔をしている。それでも、シルルは微笑んで挨拶をしてくれた。

「おはよう、サリネさん、ルイスさん、ランファさん。」

食堂での朝食はバラバラに取るので、今日は違うメンバーだ。アリアナだけは朝が苦手なのか、朝食を自室で取っているらしい。

「昨日、大丈夫だった?」

「何とか。結構緊張したけど、踊り切ったよ。アンネさんが上手でほんとに助かった。」

「どういたしまして。」

アンネが素直に言った。しかし仏頂面なので、顔と台詞が全く似合っていない。

「あ、そういえばお客の顔は見られたの?」

「ん、一応見られたよ。金髪の、ちょっと陽気な印象をした男性と、その妹らしき大人しい女性だ。何重かになったベール越しだったしよくわからなかったけど。ジョン・ドゥーさまはここに際してもマスクを取らなかったけどね。」

苦笑するシルル。

「でも優しそうな方々だった。舞が終わった時、ジョン・ドゥーさまは何も仰らなかったけど、お二人は拍手してくださったから。それに、こんなの貰った。」

シルルはごそごそと何かを取り出す。見れば小さな黒い布袋で、金色の紋章が縫い込まれている。そのなかから出てきたのは、小さなピンバッジだった。鷲を象っている。

「それって、貴族の?」

「うん。僕も驚いたんだけど、これ、ワルトシュタイン家の紋章だね。トリアノン地方を治める公爵一家だ。すごい高貴な方々なんだよ。」

王族貴族と言えば都にと思われがちだが、地方や離島を統治するために王都を離れる者も珍しくない。そしてそれは左遷などでは決してなく、反乱や不正を起こすことなく遠く離れた地を治めてほしいという、国王の意思の現れなのだ。

トリアノン地方は、肥沃な土壌と小麦生産が有名な食糧供給の要地である。そこを任されるとは即ち、国王からの絶対の信頼を意味していた。

「何か下衆な勘繰りですけど・・・会話は聞こえました?」

ランファが恐る恐る尋ねる。

「いえいえ、気になりますよね。残念ながら僕らは結構離れたところで舞っていて、お三方は小声で会話していらっしゃったので、全くと言っていいほど聞こえなかったんですよ。」

「ちょっとは聞こえたよ。」

アンネが口を挟んだ。白パンをつまみながら、ちらりとこちらを見る。

「帰ってこい、って言ってた。あと、いつまで隠してるのかって。」

シルルが驚いた表情になる。アンネは随分と耳が良いらしい。

「帰ってこいってどこに?隠してるって何を?」

ついつい矢継ぎ早に質問してしまうサリネ。再びサリネを横目で見たアンネは、白パンの残りを皿に置くと、ふうとため息を吐いた。

「さあね。当代最高の舞い手なら、国立劇場にじゃない?隠してるのは、顔、か。それにしてもあんた、随分とあの方にご執心なんだね。」

アンネの視線はサリネに向かっている。サリネは「え、」と言葉に詰まった。

「いやあの、単純にどんな方なのか気になって。でも好奇心じゃないんです。」

「わかってるよ、どうせお世話になった方のことをもっと知りたいみたいな感じでしょ。あんたらしい。」

アンネがふっと笑った。どことなく乾いた笑いだが、口角を上げて流し目にすると、妖艶で大人びた印象だ。サリネはふと、彼女が客人の前で舞ったという「ロワ四重奏夏の章」の内容を思い出した。富裕層の息子を翻弄する謎の美しき舞い手。ぴったりだ。

「何、じろじろ見て。何か付いてる?」

「いえいえ。アンネさんって、素敵な方ですね。」

「は?」

アンネが呆気に取られている。サリネはにこりと笑って見せると、メイドが置いたデザートに取り掛かることにした。

その後、朝食を終えたサリネがアレンとともに食堂を退出しようとすると、後ろから呼び止められた。

「ねえちょっと。今夜、私の部屋で話せない?」

アンネだ。サリネは驚いた。驚きすぎて頷いてしまったが、彼女が去った後のアレンに「図書室は宜しいのですか」と尋ねられ、時すでに遅しという言葉をよく理解した。仕方がないので、何冊か夢に関する資料を見繕って借りてきてもらうことにした。




座学を終えたサリネは、速足のアンネについて居室に案内してもらった。

アンネの足さばきは美しい。背筋もぴんとしていて、背中のラインも綺麗だ。それに見惚れていると、いつの間にか居室のなかまで来ていた。

アンネの居室は全体的にドレスと揃いの真紅である。

高級そうなシングルソファが向かい合って佇んでいて、サリネはその一つに座るよう促された。掛けるとすぐに、アンネの付き人が紅茶と菓子を出してくれた。ふわふわとした白金の髪が印象的な、小柄な男性だ。にこにこと微笑んでいて人が好さそうである。彼とアレンが並んで控えると、アンネはじっとサリネを見た。

「先日は済まなかったね、見苦しいものを見せてしまって。」

サリネは記憶を辿り、「あっ」と声を上げる。

先日、大浴場で遭遇した時の、背中の傷のことらしい。

「見苦しいだなんて。あの・・・大丈夫なんですか?」

「重傷に見えるだろうけど、古傷なんでね。薬さえ塗ればどうにかなる。スラムに居た頃はディル草を直接塗り込んでたけど。」

「え、ディル草を直接!?」

サリネは素っ頓狂な声を上げる。

ディル草は痛み止め、麻酔薬としては優秀だが、それはあくまでも薬師が精製した場合である。直接塗り込んでしまえば、痛みはなくなるが、その代わりに幻覚を見たり眠気が襲ってきたりという副作用がある。最悪、中毒になって痛覚を失ったり、昏睡状態に陥ることも珍しくない。

「スラムに居た頃は、ね。今は流石にやってないよ。でも、当時は中毒だった。」

アンネが窓の外を見つめた。木々の隙間から、遠い下町が見える。エルビアも、この風景のどこかにあるに違いない。しかしアンネの瞳は、懐かしさを含んでいなかった。むしろ、冷めた目線で眺めている。

「ちょっと昔語りしてもいい?」

サリネが頷く。アンネはそれを横目で確認し、形の良い唇を湿らせた。

「私はエルビア出身だって話はしたよね。でも、私自身はあの街が嫌いだよ。私にとって、あの街での記憶は、両親からの虐待と住民からの無視しかない。」

「・・・・・・。」

サリネは何も言えなかった。借金苦があったとはいえ、サリネは弟妹や近隣とは友好を保っていた。

「その原因は、これだよ。」

アンネは、豊かな髪をかき上げた。その生え際に現れたモノに、サリネは驚愕する。

若干右寄りの眉上に、白い突起があった。何かを切り取ったような。

「私には、生まれつき真っ白な角が生えていた。悪魔の子だよ。」

アンネは手を離した。ふあさっと赤髪が降りて、角跡を隠してしまう。

「なぜかはわからない。医者も不吉がって避けたそうだ。母親は、自分の子だということを認めたがらず、私を遠ざけるために暗い部屋へ閉じ込めた。父親は、母親を毎日罵って、私には暴力を振るった。スラムの情報網はすごい。あっという間に私は住民からも無視された。背中には何でもされた。でも段々と意識を飛ばすのが上手くなったんだ。」

アンネは肩をなぞるように触った。その仕草は、気持ちを落ち着かせるためのものか。それとも、かつて強く掴まれたのであろうか。

「家族と同じだったこの赤髪も刈り取られて、私はほんとに悪魔みたいな見た目だった。でも、悪魔であるからこそ、生かされていた。殺したら呪われるなんて言い伝えが始まって、いつの間にか両親すら手を出してこなくなった。食事は一日2回、粗末な生焼けのパンと傷んだ野菜を茹でただけのスープ。私はそのまま死ぬんだと思っていた。」

アンネがふっと顔を上げる。その視線の先には、彼女の付き人がいた。

「私を助けてくれたのは、そこにいるアデルだ。牢獄に居た私に、毛布と野菜スープと、白パンと、そして、たくさんのものをくれた。」

アデルは頬を赤くして、真剣な目つきで主人を見つめている。

「私は・・・何もしておりません。ただ、ジョン・ドゥーさまのご指示に従ったまでです。」

「それでも、私の父親を突き飛ばして私に触れた者は、アデルが初めてだったよ。あいつは盗賊の一員だったんだ、自分よりずっと大きな相手に、並大抵の度胸でできることじゃないだろ。」

アンネは微笑み、紅茶を一口飲んだ。

「それから、知らない屋敷に連れていかれて、そこで2年間療養することになった。アデルとはその間離れていたけど、こうしてまた会えて嬉しい。わがままな主人でごめんな。」

「とんでもございませんっ。」

サリネは涙ぐむアデルを見つめた。と、そこで引っかかるものがあった。

「アンネさんは、そのお話をするために、私をここへ?」

そんな回りくどいことをする人だろうか。アンネがソファにもたれ、にやりと笑う。

「勿論、それだけじゃないよ。サリネ、あんたは借金苦と、弟妹のことがあるからここへ連れてこられたと思ってるんだろ?」

「え、違うんですか?」

「いや、多分違わないよ。私が言いたいのは、それが、あんただけの特殊事例だったのか、ということだ。」

サリネははっとした。確かに、借金苦や弟妹の世話なんて、スラムのどこでも聞く、いわばありふれた話。ならば、そこで疑問が出てくる。

「どうして、私だったんでしょう・・・。」

サリネは考え込んだ。と、知っていそうな人物を思い出し振り返る。

「ねえ、アレン。私はどうして選ばれたの?」

「私どもはジョン・ドゥーさまのご指示に従うまでです。それ以上のことは存じ上げません。」

アンネが「付き人に訊いても無駄だよ」とけだるげな声を出した。

「いつも何かしらやらかしてるアデルですら、これに関しては何も。」

流石はアンセム仕込みの付き人たちである。口は固いようだ。

「私はさ、ジョン・ドゥーさまに感謝はしてる。あのまま放っとかれてたら、私はひっそりと悪魔の子として死んで行って、墓さえないまま忘れ去られてただろう。でも、問いたいことはある。どうして、私たちが選ばれたのか。世の中には、まだ困っている人がいる筈なのに、どうして私たちなのか。」

アンネは宙に手を伸ばした。

「それを知るために、私は首席を目指すんだ。」




深夜、アレンとアデルは連れたってアンセムのもとへ向かっていた。

「アデル、お前のご主人さまはなかなか勘が鋭くていらっしゃるな。」

「アレン先輩のご主人さまもですよ。」

アデルはにこにこと笑っている。だが、月明かりが照らすその顔に、昼間のようなあどけない穏やかさはない。そこには、冷徹で、忠実な、しもべの姿があった。

「・・・お前のその変化には未だに慣れないんだが。どうにか一方だけにできないのか?」

「ははは。僕だけで良いんじゃないんですかね、あの役立たずは放っといて。」

「・・・・・・。」

「やだなあ、冗談じゃないですか。引かないでくださいよ。」

アデルは多重人格だった。長年アンセムの下でともに指導を受けてきたアレンも、そのうち2人の人格しか知らない。頭の切れる優秀かつ冷徹なサイコパスと、優しく暖かい好青年と。主な人格は好青年の方らしいが、何故分裂したのか、アレンは知らなかった。

「しかし、あまり勘が鋭いのも考え物ですよ。万が一ジョン・ドゥーさまのことが知られてしまったらどうするんですか。」

アデルはすっと真剣な顔をするが、アレンはそれを睨んだ。

「鎌をかけても無駄だ。私は何も知らない。」

「ありゃあ、流石はアンセムさまのーーー」

「無駄口は終わりだ。」

アレンが大扉をノックして入室する。アンセムが蝋燭の前で書き物をしていた。

「報告しろ。」

「はい。アンネさまは古傷がかなり回復して参りました。毎日の薬湯が効いているようですね。それから、最近ではますます舞の練習に精を出しておられます。やはりお客人の前で踊ったことが転機のようです。座学では、政治経済に関心をお持ちです。ただーーー。」

アデルがアレンをちらりと見た。

「先刻サリネさまとお話していた時には、何故アンネさまたちが選ばれたのかと大変不思議がっておられました。少々不穏です。」

「失礼ながら、お嬢さま方は好奇心ではなく、感謝や疑問からジョン・ドゥーさまのお素顔を拝見したいと思っていらっしゃるようです。」

アレンが続ける。

「ランファさまもアンネさまも、そしてサリネさまも、邪な気持ちではございません。」

アンセムがペンを置いた。

「練習生たちのお気持ちが乱れていらっしゃるようだな。サリネさまは。」

「サリネさまは、先日悪夢をご覧になったとかで、夢占いや心理学の資料を数冊お借りしました。最近ではますますご勉学に励まれ、喜ばしく思います。それから、禍に関しては医学の本をお探しです。」

「医学ですか?スラム出身の平民にわかるんでしょうかね。」

「口を慎め、アデル。身分差別は、ジョン・ドゥーさまの最も嫌われるところだ。」

アレンが吐き捨てるように言った。睨んだその目は、殺意すら帯びている。

「・・・すみません。けど、サリネさまは確か学校へ行かれていないのでは?」

「ああ。だがそれで勉学ができないというのは早計だ。」

2人の間にぴりついた空気が漂う。と、アンセムがカンっという高い音とともにペンの柄を机へ打ち付けた。

「お前たち、付き人として何を学んできた。」

即座に2人が姿勢を正す。

「再度寄宿学校へ戻りたいか?」

アンセムの目は氷のようだった。アレンがふと横を見ると、アデルは姑息にも本人格と入れ替わったらしい。恐怖で顔が青ざめ、手足が震えている。

「ジョン・ドゥーさまはお優しい方だ・・・。お前たちのような者の首、一瞬で飛ばせるお力をお持ちながら、慈悲で生かしておいてくださる。私もそうだ。だが、次ジョン・ドゥーさまのご心情に反する行為があれば・・・。」

アンセムは大きく目を見開いた。闇夜に獲物を捕らえた鷹のように。

「私が、この手でお前たちを葬ってやろう。」

アレンはふと、幼い頃に聞いたアンセムの異名を思い出した。教えてくれたのは、母、だったか。

戦場においても、王宮においても、闇夜に潜み、獲物を決して逃さない。その身は何度刺され撃たれようと、必ず帰還した伝説の暗部兵。

"レイヴン"

大鴉の名である。




翌々日の夜、サリネはアレンとともに図書室へ来ていた。

「この前は夢の本借りてきてくれてありがとう。」

「滅相もございません。」

数日かけて本を読んでみたサリネだったが、特に収穫はなかった。やはり夢は夢、意味のないものと割り切るべきだろうか。

そうこうしているうちに、図書室へついた。アレンに扉を開けてもらい、中へ踏み込んだ、のだが。

サリネは驚いた。金髪の見知らぬ女性が山と本を積んでいた。彼女が振り返る。

「「え・・・どなた?」」

声が重なる。真っ先に動いたのはアレンだった。サリネの前に立ちはだかる。

「ワルトシュタインさま!」

サリネはどきりとする。客人の名前だ。数日滞在すると聞いていたが、ここで出会うとは。

アレンを押しのけてその顔をよく見ようとするが、その腕に無理矢理押し戻された。小鳥のような女性の声だけが燕尾服の向こうから聞こえてくる。

「あら、アレン。お久しぶりね。そちらの方は練習生の?」

「ワルトシュタインさま。こちらの棟へは立ち入りをご遠慮いただきますよう、アンセム殿から申し上げておりませぬか。」

「言われてますわ、ごめんあそばせ。でも私、懐かしくって。」

女性がいたずらっぽく言う。アレンがはあっとため息を吐いた。

「兎に角、今すぐお帰り願えますか。練習生とお客様との会話は固く禁じられております。」

「そんな他人行儀な。・・・アレン、その方をお通ししなさい。これは命令です。」

女性の声が明朗なものに変わる。

「・・・・・・申し訳ございません、ワルトシュタインさま。」

「私はワルトシュタインではなくて、イリスです。お兄さまと被るからファーストネームで呼びなさいと、何度も言っている筈でしょう。良いからお通し。女性を押しのけるなんて、紳士のすることではなくてよ。」

アレンはしぶしぶといった感じで、ゆっくりとサリネを通してくれた。

サリネは金髪の女性を目にする。見事な縦巻きの金髪はゆらゆらと揺れて、宝石のように光を反射し、陶器のような顔には、アーモンド形の目が輝いている。外出仕様の紺色のドレスは、繊細な刺繍とレースがふんだんにあしらわれていた。理知的な美貌だが、雰囲気はどこか純真な少女のようである。

「初めまして、私はイリス・ディール・アネット・ワルトシュタイン。ええと・・・ジョン・ドゥーさま、の友人よ。」

「は、お初にお目にかかります。サリネと申します。この離宮にて練習生をしております。」

何とか失礼なく言えただろうか、とサリネが不安がっていると、イリスはふわっとした笑みを浮かべた。そのまま流れるように椅子を手で示す。

「大丈夫よ、緊張しないで。ゆっくり話しましょ。」

貴族令嬢の雰囲気をまとう美女に招かれ、緊張しきりのサリネ。その瞬間積み上げられた本が傾き、3人は慌てて手を伸ばした。はしっと掴み、何とか安定させる。

サリネは積みあがった本のタイトルを見た。「アネントル政治史Ⅳーロレート王朝時代ー」「東国政治と西国政治 比較分類分析」「地方統治論考」政治学の本が多い。

「あ、これ?」

サリネの視線に、イリスは照れたように笑った。

「私は妹だからお兄さまの補佐しかできないけど、せめて学んでおこうかなと思ってるの。」

イリスが微笑む。

「お兄さまというのは、一緒にいらっしゃっているという・・・」

「あら、知ってるの?」

「はい。友人から聞きました。」

イリスはうっとりした目で本の山を見上げた。

「兄のアリウスは地方を統治しているんだけど、素晴らしい方なの。領民にも慕われていて、国王陛下の信頼も大変厚い。その補佐ができることを誇りに思うわ。」

「すごい方なんですね・・・。」

「ええ、それはもう。ねえ、サリネさんのことも教えて頂戴よ。」

アレンの張り詰めた空気を感じながらも、ぽつぽつ話した。借金のこと、弟妹のこと。突然アレンが現れて、契約を結んだこと。しかし、未だ恩人であるジョン・ドゥーの素顔を見れていないこと。

イリスは時折頷きながら、微笑んでその話を聞いていた。

「イリスさんは、ジョン・ドゥーさまのお顔をご覧になったことがおありですか?」


「ありますよ。」


サリネは驚きの余りがたたっと音を立てた。イリスが苦笑する。

「見たんですか・・・!?」

「どうしたんです?そんなに驚いて。まさか生まれた時からあのマスクをつけていたわけでもないでしょうに。ただ、私もお兄さまも滅多に目にすることはありません。最近ではますます頑なになられてしまって。」

サリネは恐る恐るといった感じで尋ねた。

「どんなお顔で・・・?」

「どうでしょうねえ?」

からかわれているのだろうか。サリネが真意を測りかねていると、その表情をどう取ったのか、イリスは「ごめんあそばせ」と素直に謝った。

「ただ、昔から憧れの君だった方が初恋の君に変わるくらいは。」

素敵だったかしらね、と。サリネは目をぱちぱちさせた。

「・・・初恋?」

「そうよ。元々、幼馴染だったお兄さまの妹だからだろうけど、いつも構ってくださってたの。幼い頃はあまり顔なんてじろじろ見てなかったけど、あのことがあってから・・・あら、これは範囲外?」

アレンがイリスを黙らせる圧を発している。イリスはいたずらっぽく笑った。

「因みに、今でもそうよ。私は、ジョン・ドゥーさまを愛してるわ。」

初対面の少女相手に堂々と言い切る。ふうと息を吐きながら頬杖をつき、金髪が優雅に揺らぐ。そのなかに輝く紺碧の双眸は、どこか切なく見えた。

「だからマスクを取っていただきたいのに・・・」

柔らかな紅を引いた唇から、少女の呟きが漏れる。

それは、見ているサリネすら恥ずかしくなってくるほどの、純粋な響きの想いだった。

しかし、それだけではない。サリネは考えた。

一体、二十年前に何があったのか。

それはアレンが見張っている限り尋ねられないだろうし、たとえ尋ねられてもイリスは有耶無耶にして話してくれない気がする。しかし、そこにジョン・ドゥーの秘密が隠されているのだ。

(秘密?)

サリネはふと思った。

(私は、人の秘密を暴こうとしてる?)

それは、誰かと何かを傷つける行為の筈だ。母が最も嫌った行為。

(でも・・・自分勝手だけど・・・知りたい。私をわざわざ選んで助けてくださった方、そこに何か意味があるなら。だって、黙って支援を受けてるだけなんて、私は嫌だ。)

サリネは深く考え込む。と、イリスが顔を上げた。

「ジョン・ドゥーさまは本当にお優しい方よ。幼い頃に、木に登って降りられなくなった私を助けてくれたの。少年の細腕で無理するから、傷を負ってしまわれて。まあ、怒られはしたけど、怪我はないかと気にかけてくださって自分のことは最後まで後回しだったから、使用人に傷がばれたときは怒られたわねえ。懐かしい。」

サリネは現実感のないまま聞いていた。以前から耳にしているジョン・ドゥーの評価と実際の印象はまるで別物だ。

(本当に別物だったりして。でも、双子なら兎も角、幼馴染まで騙せるものかな。)

「あ、いけない。もうこんな時間だったのね。」

時刻は入浴時間20分前だ。イリスが優雅に立ち上がる。ドレスの裾をつまみ、サリネを振り返った。

「あなたたち、あと一年強はこの離宮にいるのよね。またお話しましょ。・・・アレン、貴方そんな顔しないの。端正な顔立ちが勿体ないわよ、皺が増える」

見ると、アレンは相当渋い顔をしていた。イリスとサリネが話すのは、余程都合が悪いらしい。

「この度のことは、アンセム殿にご報告させていただきます。」

「はぁい、わかったわ。」

全く反省していない声だ。アレンは呆れたようにはあっとため息を吐き、軽く首を振った。

サリネはどきどきする胸を押さえる。イリスが手を振って図書室から去っていったあとも、その動悸は止まらなかった。




一か月後、コスチュームが届いた。

真っ白な箱にそれぞれの色のリボンがかけられたプレゼントが渡され、練習生たちは恐る恐る開けてみる。

「可愛い……!」

真っ先に歓声を上げたのはランファだ。持ち上げたドレスは東洋風の刺繍がふんだんに施され、小柄な彼女を引き立ててくれそうなベールを袖や裾に縫い付けた、妖精のような意匠だった。

アリアナは片手でつまみ上げるようにドレスを掲げる。夜闇に入りかけた空を思わせる深紫の布地に、細かい宝石が編み込まれ、ボディコンシャスなラインが大人っぽい彼女に似合う。

特に何も言わないアリアナだったが、ちらちらとドレスに目を遣るあたり、気に入ったらしい。

「ふぅん」と言いつつ口角を上げたアンネが広げたのは、薔薇のような鮮やかな赤のバックシャンドレス。素材や濃淡を違えたリボンが布地の上で何度となく交差し、美しい模様を描いている。

(私のは……。)

サリネは箱を開けた。しゅるるっとリボンがうねり、秘められていた品をあらわにする。

サリネには、霞みのように柔らかな青のローブデコルテだった。首元はすっきり、金色に縁取られたドレープがグラデーションとなって輝き、どことなく波打ち際を印象付けるシンプルなドレスだ。

「良いじゃん、サリネの。可愛いねー。」

サムが覗き込んでくる。

「ありがとう。着るのがほんと楽しみ。」

と、低い声が響いた。

「本日の練習は以上。」

練習生たちがぽかんとする。練習も何も、まだあのステップ練習すらしていない。厳しいジョン・ドゥーにしては相当に異様なことだ。サリネは聞き間違いかと周囲を見回すが、男子も女子も不思議そうな顔をしている。

「…………。」

おかしい。ジョン・ドゥーは練習終了のあとはさっと立ち上がってどこかへ行ってしまうのが常である。それが、今は椅子から全く動かない。練習生たちが顔を見合わせる。

と、突然誰かが叫んだ。

「危ないっ!」

飛び出したのは、ルイスだった。サリネも思わず腰を上げる。

ジョン・ドゥーが、前のめりに倒れた。声も上げず、身体を傾けて手をマスクに当て、横向きに倒れる。どさっ、と音が響き、彼はルイスの腕のなかに身体を預けた。一瞬で練習生たちが大騒ぎになる。

「ジョン・ドゥーさま!」

「何、どういうこと!?」

「ど、どどっ、どうすれば……。」

そんななか、ルイスは険しい表情でマスクに手をかける。呼吸と表情を確かめるためだろう。ところが、だらりと垂れていたジョン・ドゥーの手がゆっくりと動き、白手袋がそのルイスの手首を掴んだ。ルイスがはっとしたようにマスクから手を離す。

「シルル。アンセム殿を。」

「わかった!」

シルルが出入り口へ駆け出す。ところが、その必要はなかった。アンセムとシャナが駆け込んできたのだ。

シャナは倒れているジョン・ドゥーを見るなり、小さく悲鳴を上げた。彼女の白い顔から更に血の気が引く。アンセムは眉間に皺を寄せ、ルイスに目で退くよう合図した。

「アンセムさん!ジョン・ドゥーさまは!?お願いです、ジョン・ドゥーさまを助けて!!」

シャナが喚き続ける。黒真珠のような瞳からは、大粒の涙が流れ出ていた。その手はジョン・ドゥーを抱えるアンセムのジャケットの肘を強く掴み、全身で彼に詰め寄っている。

(普段はあんなに我を忘れて泣き叫ぶような子じゃなかった)

サリネは、アグネスの言葉を反芻した。

「ジョン・ドゥーさまにもしものことがあったら、私はーーー」

「どうか落ち着いてくださいませ、シャナさま。ジョン・ドゥーさまはご無事です。」

アンセムがジョン・ドゥーの身を抱え起こす。

「練習生のみなさまはお部屋へお帰りください。今夜はこれまでと致します。」

正直、この状況で帰れと言われることの方が困るが、アンセムの言葉には有無を言わせない響きがあった。練習生たちは互いを見て、すごすごと下がり出す。

サリネもちらちらとジョン・ドゥーの様子を気にしていたが、アンセムと目が合いかけ、慌てて箱を抱えて退出した。

外では付き人たちが待機しており、戸惑う主人たちを自室へと連れて行く。サリネもアレンに箱を持ってもらい、自室へ引き取った。

入室してすぐサイドテーブルに箱を置き、ベッドに腰かける。

「アレン、ジョン・ドゥーさまは大丈夫なの?」

「大丈夫です。アンセム殿がいらっしゃいますから。」

アレンは静かにフットライトをつけ、カーテンを閉じた。

「本当に?心配……。」

「申し訳ございませんが、私は詳しいことは知らされておりませんので。ただ、アンセム殿は医師免許をお持ちです。私ども使用人のなかでも一番、ジョン・ドゥーさまのことをよくご存じですから、きっと大丈夫でしょう。」

「……何者なの?アンセムさん。本当にただの元兵士?」

「はい。元は一兵卒でいらっしゃいますよ。」

アレンの答えはいまいち要領を得ない。どことなく寒気を覚えたサリネは、肩を震わせて深呼吸をした。考えを巡らせ、ふと思いつく。

「ねえ、ジョン・ドゥーさまにお見舞いの品を渡してはいけないかしら。」

「お見舞いの品、と、申しますと。クッキーなどでしょうか?」

「そう。いや、でも、ううん……クッキーじゃありきたりかな。薬草茶とか大丈夫なのかな?」

アレンが目を点にする。

「薬草茶を、サリネさまがお作りになるので?」

サリネは少し赤くなった。貴族令嬢っぽい振る舞いからは程遠いだろう。だが、サリネの得意分野はそこである。弟妹のために色々作ってきたのだ。

「薬草の取り寄せをお願いしたいの。それさえ揃えて貰えれば、あとは作れる。」

「かしこまりました。」

アレンは表情を戻し、サリネの注文を聞いていた。メモは取っていない。聞けば一発で覚えてしまうのだそうだ。



翌朝、アンセムからジョン・ドゥーの言伝を知らされた。珍しく、アリアナも同席している。

「近日、この離宮から最も近い交易都市ジュリスのルウォン大街道にてお使いをしていただきます。」

遂に来た。このエゼフ離宮に住み込んで、初の外出許可である。

「目的は、社交界の要人が多く訪れる街道にて上流階級の雰囲気に慣れること。そこで各々が何でも一つ、好きなものを買って構いません。また、買い物をしつつ、大街道のなかを自由に巡ります。ただし、条件があります。

その一、ジョン・ドゥーさまに指導を受ける練習生であることは何としても隠すこと。

その二、外出当日、大街道から外へは出ないように。

その三、外出できるのはポイント制で決まった7名まで。」

場がどよめいた。

「7名……?」

「全員じゃないの!?」

アリアナが眉をひそめる横で、サムが派手に机を叩いて立ち上がる。

「ジョン・ドゥーさまのご方針です。」

「方針て……やっぱあいつ冷血。」

サムが小さく呟いた。それをシルルが視線で窘める。

「これより一週間、練習生のみなさまの様子を我々が評価します。」

(我々……?)

「評価するのは私と、付き人です。」

一気に気温が下がる。

「付き人……?ルディもということ?」

アリアナが自らの付き人らしき長髪の青年を一瞥した。

動揺するのも無理はなかった。付き人は、練習生の味方である筈なのに。サリネもまた、アレンのことを思う。

「ご心配なく。真の舞い手であれば、室内でも雅な振る舞いで当たり前でございます。皆さまは、その当たり前をなされば良いだけなのですよ。」

練習生の反応は様々だった。諦めた表情の者。唇を噛む者。無表情なままの者。動揺しきりの者。

「それでは皆様、励まれますよう。」

アンセムが一礼をし、去ろうとする。サリネはその背中に呼びかけた。

「待ってください。あの……ジョン・ドゥーさまの具合はいかがでしょうか?」

アンセムが振り返った。相変わらず鷹のような眼だが、サリネは何故かそれを恐れなかった。どこか、アンセムも目線が定まっていない。

「ご心配なく。本日もレッスンをお続けになる予定です。」

「あ…ありがとうございます!」

「それとサリネさま。お気持ちはありがたいのですが、ジョン・ドゥーさまはシェフの作ったもの以外口になさらないのですよ。」

サリネははっとした。薬草茶のことを、アレンが話したのか。

「いえ……こちらこそ、すみません。迷惑ですよね。」

「いえ、そういうわけではーーー」

サリネはアンセムの横を通り過ぎた。そのまま食堂を出ていく。かつかつと男性物の僅かなヒール音が追いかけてくる。サリネはぐっと拳を握り、立ち止まった。

「来ないでください。」

ヒール音が止まる。かつっ……と遠慮がちな音が響き、そのまま音が遠くなっていった。

サリネは駆け出した。ドレスの裾が絡まり、何度も足を取られそうになる。それにも構わずがむしゃらに走り、自室に戻った。駆け込むや否や、ベッドに飛び込む。

(アレンはやっぱり……ジョン・ドゥーさまの使用人だから……仕方がない。)

薬草茶のこともその日のうちに漏らされたのだろうか。

忘れていた。

付き人は、練習生の味方ではない。

(でも……ああ、食堂を飛び出してきちゃった。貴族令嬢なんて、やっぱり私には務まらないかも。

やっぱり無理があったんだよ。だって私は、貧民だもの。)

立ち上がり、クローゼットを開けた。飴色の扉が滑らかに開き、サリネに与えられたドレスが全て顔を出す。そのなかで一際美しいドレス。昨日貰ったばかりの品だ。

(私には。このドレスが似合わない。)

ばんっ、と乱暴に扉を閉める。そんな仕草すらサリネを練習生に相応しくないと刻み付けるようだった。

「もう良いや。……あれ?」

部屋に入ってすぐベッドに飛び込んだので気づかなかったが、部屋の扉のすぐ横に小さな木箱が置いてあった。その上には、一冊の分厚い本が置いてある。

サリネは箱に近づき、本を手に取った。

『薬草茶大辞典』

「……まさか。」

サリネは木箱の蓋を持ち上げ、中を覗いた。すうと鼻を通り抜ける爽やかで彩りのある香りの数々。

そこには、いくつもの袋詰めの乾燥薬草が入っていた。一つ一つに名前が書かれており、中にはアネントルでは稀少な薬草も含まれている。

サリネはばっと顔を上げた。本と木箱を抱え、片手でバランスを取りながら扉を開ける。そのまま、先ほどまでいた食堂に駆けだした。

行く途中、サムとガレス、そしてアンネとその付き人たちに出会う。

「うわっ、あっぶね!サリネ、どうしたの!?」

「ごめんねっ、急ぎなの!」

食堂に入ると、そのまま奥の扉をノックして開け放った。

中にいたメイドたちが驚きの表情を浮かべる。そして、奥にいた男性が一人、振り返った。

「これはこれは。練習生のお方でしたか。」

やや銀色がかった白髪とは相対的に、うっすらと謎めいた笑みを浮かべたその顔は若々しい。そして、この調理場を仕切る雰囲気。

「あなたがティシモ・アルベール殿ですか。」

「いかにも。」

「私はサリネと申します。あの・・・お願いがあります。私にほんの数時間、調理場の隅を貸していただけませんか。」

「調理場を?」

アルベールの目が細くなる。サリネはどくどくと緊張する心臓を必死に落ち着かせながら、アルベールに向かって深々と頭を下げた。

「料理人の皆様にとって調理場がどれほど神聖な場か想像しようもございません。ですが、私の部屋で薬草茶を沸かすには道具や場所が足りなさすぎるんです。どうか、調理場の隅でさせていただければと。勝手なお願いだと、承知してはおりますが。」

短文を吐き出すように一気にまくし立てた。怖くて頭を上げられない。

しかし、事実だ。サリネがあの薬草を生かして薬草茶を作り上げるにはそれなりに道具と場所と時間が要る。以前は弟妹たちが寝静まったあと、キッチンとダイニングを使えば良かったが、今では自分の持ち部屋とこの調理場しかないのだ。その持ち部屋も、料理には向かない。換気が良く、設備が揃い、料理が出来る場所。

「調理場は貸せません。」

アルベールの深い、沈むような声が答えた。

サリネは唇を噛む。しかし、アルベールは次の瞬間、意外なことを口にした。

「調合場なら、お貸しできますよ。」

サリネはぽかんとして顔を上げた。

「調合場?」

「鮮度が第一の材料を混ぜる場合、無菌無臭の状態で混ぜたり作ったりしなければなりません。しかし、調理場では他の食材の匂いが移ったりすることがある。そのため、調理場より狭くはありますがより管理に気を使った専用の部屋が調合場です。スパイスの味見や調合にも利用しています。」

アルベールが歩き出した。若手の料理人たちがさっと道を空ける。

「こちらの部屋です。普段はあまり開けないのでお見せ出来ませんが、調合場はこの調理場の半分程の広さです。それでいかがですか?」

閉ざされた扉を見ながら、サリネはぱっと想像した。調理場の半分でもまだかなりの広さがある。薬草茶を作るには十分だ。

「ありがとうございます!」

アルベールが頷いた。表情は幾分か和らいだように見えた。

「では、今から作りますか?」

「あ、いえ、すみません……昼食を少し早めに済ませるようにします」

このあとの練習のことをさっぱり忘れてしまっていた。先走ったことを恥じつつ、サリネはじりじりと下がる。今になって羞恥心が沸き上がってきたのだった。



サリネがぱたぱたと部屋へ戻っていると、曲がり角で誰かとぶつかりかけた。

「うわっ」

「あ、ごめんな……ごめんあそばせ!」

揺らいだ白金の髪。紅色の紋章。アンネの付き人アデルだ。胸元に木箱を抱えている。そのなかにはワインらしきボトルが入っていた。サリネには読めない、美しい文字が筆記体でラベルに踊っている。

「これはサリネさま!大変失礼いたしました!」

アデルはあわあわしている。荷物を下に置けず、そうと言ってそのまま一礼で済ませていいものか迷っている様子だ。

「いえ、私が注意散漫だったので……重そうですね、お手伝いしましょうか?」

「とんでもございません!お気にかけていただきまして誠にありがとうございます!」

サリネは大人しく頷いた。しかし港で雑用をしていたサリネの経験からすれば、ワインボトルをわざわざ詰め物をして木箱に入れて運ぶのは相当な重労働である。

サリネはじっとアデルを見つめた。歩き出そうとしたアデルはぱちぱちと瞬きしながらサリネを見つめる。

「どうかされましたか?」

「あの、アデルさん。アデルさんは、アンネにどのような気持ちで接していますか?」

「気持ちですか。……お美しく聡明なアンネさまにお仕えできることは私の誇りです。」

テンプレートのようにすらすらと言葉を発する。

「あの、そうではなくて。それでは、使用人としての気持ちだけでしょう。もっと、こう……」

「私は使用人ですので、誠心誠意、ご主人様にお仕えするのみでございます。それ以上の気持ちは、私には、ございません。」

ふっとアデルの瞳が愁いを帯びたものになる。

「サリネさまにはご心配をおかけして申し訳ございません。」

「心配?」

「ええ、私が頻繁にアンネさまの前で醜態を晒してしまうものですから。忠誠心を疑われても仕方ない前例が」

「いえ、そういうつもりではありません、……のよ。ただ、私たちの使用人として接しつつ、試験官にもなる。あなた方の立場は一体何なのかしら、と。」

「私は、誠心誠意、ご主人様にお仕えするのみでございます。」

ふっとサリネの目の前が暗くなった。アデルの立つ廊下のずっと向こう、西日が差し込む窓からの逆光で、アデルの表情は暗く陰っている。そのなかで、ルビーのような鮮紅の瞳がきらりと輝いた。

「そうね。ありがとう。長く立たせて済まなかったわね。」

「いいえ。失礼いたします。」

サリネは少し速足でその場を立ち去った。なぜだろう。あの場にいたアデルは、普段のアデルとはまるで別人だった。

「ご主人、か」

きっと、アンネのことではないのだろう。













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