登場!SF研!
エックスは魔法を使って人気のない場所に出た。スーパー小枝の裏だ。待ち合わせ場所である喫茶店は県道を挟んで小枝の向かい側にある。
交差点を渡る信号を待ちながら、公平は何の気なしに喫茶店を見た。
「ん?」
「どうかした?」
「あれ田母神さんだと思うんだけど……。あれ?どう見ても三人いるよね?」
「三人?……あ。ホントだ」
田母神の他に二人、合計で三人が店の前で待っている。彼女が所属するSF研の仲間だろうか。
「まあいいんじゃない?何人でも……って。ちょっと待って。え?あの人たちなんでお店の中入ってないの?今日って結構寒いはずだよね」
厚着をしている公平に目を向けながら言う。ついこの間新年を迎えたばかり。季節は冬である。まだ雪も僅かに振っている。自分は平気だが、人間にはそうではないはずだ。なのに外でずうっと待っているなんて。
「い、急いだほうがいいかな?」
「あ……そうだな。うん。もしかして俺の話し方がマズかったかなあ」
なにか勘違いして外にいるのかもしれない。だとしたら悪いことをした。歩行者信号は未だ赤である。県道は車の通りが多く、それ横切るための信号はなかなか変わらない。まだ暫くは合流できないだろう。
「……あ。そうだよ」
公平は携帯を取り出した。何も直接会って話をしなくてもいいのだ。携帯電話という便利なツールがあるのだから。メッセージアプリを起動させて、田母神に送る文章を入力する。
「えーっと。『もうすぐ着きます。先に店の中に入っていてください』と」
送信がしてからもう一度田母神たちに目を向ける。何故か三人して空を見上げている。何をしているんだろうと不思議に思った時、公平の携帯が震えた。返信が来たのだ。
「『今どこにいらっしゃいますか?』だって?」
いいから早く店に入ればいいのにと思いながら次のメッセージを作成する。『すぐそばの交差点の横断歩道で信号待ってます』と送信をすると、田母神たちは交差点の向こう側で信号を待っている二人に気付いたようだった。
「ありゃ?」
その時エックスが首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや、あの子たちの様子を見てたんだけど、なんか三人してがっかりしてる」
魔女の視力であれば、これくらいの距離なら相手の表情まではっきり見ることが出来る。明らかに落胆したような顔がそこに在った。
「がっかりってなんでだよ……」
「そんなのボクが聞きたい。……まあ行くけどさっ!」
そう言って一歩前へ踏み出して横断歩道を渡っていく。先を歩いていくエックスの足取りは軽快だ。公平は意気揚々と進んで行く彼女の隣へと駆け寄った。
思っていた反応ではなかったはずである。もっと歓迎されるのを期待していたのではなかろうか。全然真逆の態度なのにエックスは変わらずにわくわくした表情である。
「てっきり怒っているのかと思った」
言うとエックスはにっこり笑った顔を向ける。
「ふふっ。まあちょっと残念ではある。でもがっかりされた理由も分からないしね。勘違いかもしれないし?それなら楽しんでいた方が得じゃないか!」
「そんなもん?」
「そんなもん!」
自分に会いたいと言ってくれた人に会いに行くというのは、エックスとってはとても新鮮なイベントだった。それだけで嬉しくてわくわくするような出来事だった。
横断歩道を渡ってから県道沿いの歩道を少し歩く。喫茶店はもうすぐそこだ。公平の視力でも待っている三人の顔がはっきりと分かる。一人は田母神。その両隣に二人。右側には背の高いメガネの堅物そうな男。左側にいるのは背の低い、中性的な人物。
「どーも田母神さん。お疲れ様です」
公平は手を挙げて田母神に挨拶しながら、『別に疲れちゃあいないけど』と心の中で呟く。こういう大学生的ノリは嫌いではない。
挨拶された田母神は一瞬だけ公平と目を合わせてぺこりと会釈する。その後すぐにエックスの方へ目を向けた。目と目が合って、エックスはこんこんと咳払いして小さく息を吸って喋りはじめる。
「こんにちは!……じゃなくて。初めまして!ですね!エックスです。よろしく!」
エックスは笑顔で朗らかに言いながら自分の成長に感動していた。胸の奥がじぃんと熱くなる。昔は小さくなっている時に知らない人と会うと人見知りが発動したものだ。今ではもうそんなことはない。
一方で挨拶された方の田母神は緊張している様子だ。はにかみながら口を開く。
「は、初めまして。SF研部長をやっています、田母神です。こっちのメガネの方が峰崎クンで、こっちの女の子みたいな男の子が朱音クン」
紹介された二人はそれぞれペコっと会釈する。エックスはそれに合わせるように頭を下げて『よろしくっ!』と挨拶した。
(……ん?)
その時公平は気付いた。峰崎と朱音の二人が何やら鋭い目つきで自分を睨んでいる。背筋に寒気が走るのを感じた。何か悪いことをしただろうか。もしかしたら彼らががっかりした原因は自分にあるのではなかろうか。
そんなこととは露知らず。エックスはにこにこしながら切り出した。
「それじゃあ寒いし、取り敢えず中に入ろうか?」
「え……?」
SF研の三人を気遣っての提案である。それに対する田母神の反応はエックスの予想と反するものであった。
「入るんですか?」
まるで入っちゃいけないダメでしょと言っているかのような。エックスはきょとんとした。
「うん。そりゃあ。だって寒いでしょ?」
「あ、いや。寒いですけど……」
「あのっ」
と。田母神とエックスの会話にメガネの男、峰崎が割り込んできた。
「つかぬことをお聞きしますが」
「うん……。いいけど。先に中に入らない?」
「中ではダメなんです」
「あ、そうなんだ……」
釈然としないエックスと公平だが、峰崎は気にせずにすうと息を吸った。
「ちょ、ちょっと待った!」
が、峰崎が発話する一瞬手前で田母神と朱音が止めに入る。
「なにをするんだ二人とも!」
「いや気持ちは分かるよ?峰崎の気持ちはよく分かる。でも今はまだ早くないか?」
「そう!もうちょっとタイミングを待つべきよ!ここはもっと慎重に……」
「ここを逃したら次のチャンスがいつになるか分からん!それに後になればなるほど言いづらくなる」
「それも分かるけど!」
「分かっているなら!」
エックスと公平は見知らぬ三人のやり取りをぽかんとした表情で見つめている。何が何だかさっぱり分からない。分からないが分からないなりに考えてみる。もしかすると。言葉にしにくい何かのっぴきならない事情で呼ばれたのではないだろうか。で、あれば力になってあげないと。
「どうしたの?ボクにも手伝えること?話なら聞くよ?」
「ではっ!」
「待ってって峰崎!」
「エックスさん!貴女はどうして小さくなっているんですか!?」
「はい?」
意味が分からなかった。それとこれと一体何が関係あるのだろう。エックスの頭の中で疑問符が浮かび、ぱちんとはじけて消えていく。鳩が豆鉄砲を食ったような彼女の顔を見て、田母神と朱音は茫然とした。どちらかが『やっちまった』と小さく呟く。
「自分の目測では本当は100mくらいの身長のはずだ!ウチの県の県庁よりちょっと大きいはずでしょう!?」
「うん。そうだけど。そんな身体で出歩いたら危ないじゃない?それにお店の人の迷惑だしさ」
「それもおかしい!巨大娘がそんな常識的なことを言うなんて非常識だ!」
「アンタさっきから何言ってんだ?」
理解不能が積み重なってミルフィーユみたいになっているのはエックスだけではない。我慢できなくなった公平が口を挿むも、峰崎は一瞥もせずに切り捨てた。
「キミは黙っていてくれ。自分は今エックスさんと大事な話をしているんだ」
「な、なんだよ……」
「うーん……。よく分からないけど元の大きさに戻ればいいのね」
「そう!そういう事です!」
「もー……。しょうがないなあ」
エックスは困ったように頬を掻いて、喫茶店の中に入って行く。峰崎の後ろで田母神と朱音がそわそわしている。エックスが店から戻ってきたのは十分くらいしてからである。
「大きくなってもいいって」
開口一番の言葉に田母神と朱音は嬉しそうに笑顔で向き合う。『テレビなんですけどカメラ入れてもいいですか?』とアポなしで地方の飲食店に突撃して取材の許可をもらった瞬間みたいだ。
「あ、でも……」
「許可なんかとらんといて下さいよ!」
峰崎の悲痛な叫びが響く。エックスは突然のことにびくっとした。田母神がパシンと彼の頭を叩いく。
「峰崎!」
「いい加減にしろ峰崎!」
「お前らいいのかあ!?『大きくなってもいいですか?』なんて聞く巨大娘でいいのかよォ!」
「コイツ酔ってんのかな……?」
或いは変な薬でもやっているんじゃなかろうか。公平は関わってはいけない連中と関わっているのではないかと恐くなった。一方でエックスはあまり気にしていない。
「まあ公平もお酒飲んだらこれくらいおかしくなるし」
「えっ!?嘘だろ!もうちょっと落ち着いていると思うよ!?」
「似たようなモンだけどなあ……」
いつだったか、新潟で友達と飲み会していた時の公平を思い出す。言っていることが理解できるかどうかの違いくらいで殆ど同じである。
「まあいいや。とにかく大きくなればいいのね?」
田母神と朱音の二人は期待に満ちた目でブンブンと首を縦に振る。二人に口を塞がれた峰崎がもがもが言いながら藻掻いていた。
「よおしっ!……と、言っても。ここの駐車場はそんなに広くないから」
『よ、っと!』という掛け声と共に。エックスはその場でぴょんと跳びあがる。公平とSF研の三人は思わず彼女を追いかけるように顔を上げた。十メートルほどの高さ。彼女の身体が太陽のように輝く。その光は徐々に膨れ上がっていって、遂に地上で待っている四人を包み込んだ。
その時エックスは元の大きさに戻る真っ最中だった。ある程度大きくなったところで光の中から手を伸ばし、三人を軽く握って手に載せてあげる。それから公平を肩の上に。やがて完全に元に戻ったところで光も少しずつ消えていった。眩しさに目を閉じていたSF研のメンバーが恐る恐るといった感じで目を開ける。
「わっ……!」
「おお……!」
「ふっふーん。どう?これでいい?」
田母神の視界一杯にエックスの得意げな顔が広がっていた。腰を落としている場所の柔らかさと暖かさが。桜のような彼女の甘い香りが。そしてそれらとは裏腹に全身を包み込む冷たい空の空気が。ありとあらゆる情報が、100mにまで巨大化したエックスの手のひらに乗せられていることを告げている。頭よりも先に身体が理解をした。
「ああ……」
田母神がきゅっと目を閉じる。もしかしたら高所恐怖症なのだろうかとエックスは心配になる。
「大丈夫?恐いなら降ろしてあげようか?」
「あ、いや。そうじゃなくて。その……」
「あのっ!」
田母神がまごついている隙に朱音が声を上げる。「なあに?」とエックスが目を向けると、彼は小さく深呼吸して更に続けた。
「僕と、結婚を前提にお付き合いしてください!」
「はっはっはっ。ごめんなさいっ」
奇襲攻撃のような恋の告白。エックスは全く動じることなくそれをばっさりと切り捨てた。朱音はその場で崩れ落ちる。
「だってボクもう相手がいるから。ねー?」
肩の上に座っている公平をつんつんと突っつきながら言う。
「や、やめろって」
「照れちゃってー」
巨大指先攻撃に抗っている時、朱音が『やっぱりソイツか……』と小さく呟いた。公平の耳にも確かに届いて何だか恐ろしくなる。
「あ、もしかして今日ボクを呼んだのってそういうお話?」
「いえ。自分は違います」
峰崎が一歩前に出た。さっきの酔っ払いだ、と公平はエックスの指に攻められながら思う。
「自分、実はエックスさんにお願いがありまして」
「お願い?」
「はい。街をうん──」
そこから先を言う前に、田母神と復活した朱音が峰崎を取り押さえた。手の上で突然起こった乱闘にエックスはぎょっとする。
「峰崎!このバカ野郎!」
「今なにを言おうとしたの!?この異常性癖!」
「バカはお前らだ!こんなチャンスもうないんだぞ!」
田母神が峰崎の頭をパシンと叩く。
「アンタがそのチャンスをふいにしようとしているから止めたんでしょうが!?」
「万に一つくらいの確率で叶うかもしれんだろうに!」
「ほぼほぼ叩き潰されてアウトってコトだろ!?そんなギャンブルを勝手にやるな!」
「叩き潰されるなら本望だろうが!」
「そ、それは……。確かにそうだけども!」
「いや、僕はイヤだよ!?」
「というか。ボクそんなことしないんだけどなあ……」
エックスはぽつりと呟いた。どんなに怒ったって見ず知らずの相手を叩き潰すようなことはしない。そんな残酷な巨人ではないのだ。
……と、エックスは思っているが。この考えは彼女が峰崎の言葉の破壊力を知らないからである。もしも本当に聞いていたら、残念ながら反射的に叩き潰している。
ギリギリのところで命を拾ったSF研の喧嘩は続いていた。
「そもそも異常性癖はお前らもだろうが!」
「だからってお前程は壊れてないよ!」
「ならせめて!」
峰崎がエックスに向かって手を伸ばす。その瞬間、エックスは全身を駆け抜ける何かおぞましい感覚に襲われた。これ以上聞いたらよくない気がする。
「エックスさんはボクっ娘なんだから、ち──」
「朱音!早くコイツ黙らせて!」
きゃあきゃあと手の上で大騒ぎである。エックスは困ってしまった。この騒ぎはいつになったら収まるのだろうか。
彼らの言っていることは全くもって意味不明である。何と言って止めればいいのかすら分からない。かといって彼らを力尽くで捻じ伏せて黙らせる、なんて手段を選びたくもない。
助けを求めるかのように肩の上の公平に目を向ける。彼は首を傾げるという行為で返事をした。『俺もよく分からないよ』ということだろう。そうだよね、とエックスは思った。
(……あ、そういえば。今日の晩御飯は何にしようかな。冷蔵庫の中ってなにがあったっけ)
仕方がないので。厚い雲に包まれた灰色の空を見上げながら現実逃避をしてみる。




