最後と最初の境目
大晦日。その年の最後となる一日。エックスは。
「えーっと。あとはあとは。お蕎麦買って。お野菜買って。……あっ!天ぷら粉忘れてた!」
スーパー小枝にいた。晩御飯の準備に大忙しである。
年越し蕎麦を食べたいと思った。公平と二人でのんびりと年越しをしたかった。去年には出来なかったことを一つでも多くやりたかった。
クリスマスのことが無ければもっと楽しい気分だったのだろうか。ある程度元気は戻ってきたけれども。
「えーっと。薬味のネギだろ。ワサビはあるし。あとはニンジンと。タマネギと。……えーっと。ねえ公平?かき揚げって他になに入っているかな」
エックスは服の胸ポケットに視線を落とした。
「ゴボウと、小エビかな?」
そこから公平の声が返ってくる。『ありがと』と答えてゴボウを買い物カゴに放り込む。
「一つ聞いてもいいかな?」
今度は公平の方からエックスに話しかける。
「なあに?」
ニンジンを二本手に取って、どっちがいいかなと考えながら返事をする。
「なんで俺を縮めたの?」
「そりゃあ。この体格差になるべく早く慣れてもらいたいからだよ」
嘘だ、と公平は思った。百パーセント嘘、ということではないのだろうが、全部が本当ではないのだろう。一番大きな理由はきっと『その方が面白いから』とかではなかろうか。要するにエックスの趣味である。そうでなければこんな、彼女がどたばた走る度に揺れる場所に放り込まれてはいない。
「まあ、いいけどさ」
この程度の理不尽はそろそろ慣れてきた。一緒に暮らす中でエックスの性格はある程度掴めるようになった。これは彼女なりのスキンシップである。決して悪意があるわけではない。単に遊んでいるだけだ。怪我しないようにとちゃんと注意はしてくれているので、怒っても仕方がない。
エックスが野菜コーナーで物色している間は彼女の動きも大人しい。ふと興味がわいて、ポケットの内側を登って、ぬっと顔を出す。
「わっ……」
最初に目に飛び込んできたのは大きな野菜の山。首を振ってみると相対的な巨人があちらこちら行きかっている。若い母親に手を引かれた小学生くらいの女の子がじっとこちらを見ているのに気付いた。どうしたらいいか分からずに、取り敢えず手を振ってみる。女の子は目を丸くした。
「こら」
そっと手が近付いてきて公平を摘まむと、そのままポケットの奥へと連れて行く。
「危ないでしょ。落ちたらどうすんのさ」
「そう思うなら元の大きさに戻してほしいなあ……」
「それはダメ」
エックスはくすくす笑いながら言った。ちぇっ、と舌打ちする。外から『ねえ、今小人さんいたよー』なんて声が聞こえた。
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それから夕食。ウィッチはフォークを雑にかき揚げに突き刺して、くんくんと匂いを嗅ぎ、まじまじと見つめる。
「これ何を揚げたの?」
「ニンジンとタマネギとゴボウ。あと小エビ」
「人間は?」
「入ってるわけないだろバカ!」
ふん、と鼻を鳴らしてかき揚げを齧る。
「あ、おいし」
ほっぺに手を当てて微笑む。こういう素直なところは嫌いではないのだが。暖かいつゆの中にフォークを入れ、くるくると回して、スパゲッティみたいに巻き取った蕎麦も口に運ぶ。
「あ、ほんとだ。コレうまっ」
魔女用の巨大なテーブルの上に用意された人間用のテーブルに座る公平はかき揚げを食べながら言った。箸で掴んでいる間はしっかりしているのに、口の中にいれたらほろほろと崩れ、野菜や小エビの味が口中に広がる。
「ふふん。そうだろうそうだろう。ボクも料理上手になったもんだ。お蕎麦も食べてね」
「うん」
公平とエックスは一緒に蕎麦を啜った。ずるずるという音にウィッチは顔をしかめる。
「行儀わるっ……」
「え?」
「普通さ。音立ててもの食べる?」
「お蕎麦はこうやって食べるモンなんだよ!」
「はぁ?なに言ってんの?ほら、よおく見てなさい。こっちの方がずっと静かでいいじゃない」
さっきと同じようにして蕎麦をフォークで食べ進める。二口食べた辺りで顔を上げて、ドヤ顔を見せる。
「ほら!ちょー静か!」
「あー……。分かった分かった。好きに食べればいいじゃないか」
「そういう事を言ってるんじゃないの。そっちの食べ方が不快だって言ってんの」
「でもこれがお蕎麦の正しい食べ方なんだって。ボクたちは好きに食べるからキミも好きに食べなよ」
「えっ?好きに食べていいの?じゃあ……」
ウィッチのフォークが公平に向かって伸びる。
「ちょ、ちょっと!?」
近付いてくるフォークは、公平には巨大な三つ又の槍にしか見えない。反射的に目を閉じた。暗闇の中で『カキン』という音が聞こえて、恐る恐る目を開ける。
「うっ……!」
胸に突き刺さるギリギリのところ。エックスの箸がウィッチのフォークを阻んでいた。公平は思わず生唾を飲み込んだ。どうやら間一髪で助かったらしい。
「……ウィッチ?」
エックスの呼びかけにギクッとする。逡巡しながら目を背ける。
「次同じことをやったら。1cmくらいに縮めるからね」
「は、ははは。お行儀悪いわよエックスちゃん?」
ウィッチがフォークを離すとエックスも箸をひっこめた。目の前で巨大な食器のぶつかり合いを見せつけられると、自分の方が小さくなったように錯覚してしまう。
「……ったく。油断も隙もあったもんじゃない」
言うとエックスは手を伸ばして、テーブルごと公平を自分の傍に寄せる。
「わっ!?ちょっと!?」
「ご、ごめんごめん。でもこっちの方が安全だからさ」
「そりゃそうだろうけど一言くらい声かけてくれよ!」
「ご、ごめんって!」
じいっと公平の様子をウィッチは見つめた。
(コイツ本当に記憶喪失なの?)
それにしてはエックスに対する恐怖が薄い。相手は自分より遥かに巨大な魔女だ。意識して見つめられるだけでも心の奥が冷たくなるくらい恐ろしいはずなのだ。仮にそれが、人間に対して友好的なエックスであっても。
「あ、でもホラ!おつゆは零れてないじゃん?どこも汚れてないでしょ?だからセーフ!」
「そういう問題かなあ!?」
五十倍以上のサイズ差でずっと一緒に暮らすというエックスの作戦が上手くいっているためだ。なんだかこの二人が楽しそうにしていると面白くない。ウィッチは残りの蕎麦をさっさと平らげて立ち上がった。
「ごちそうさま。明日は魚が食べたいわ」
そう言い残すと彼女は部屋へと戻っていった。
「……それじゃあ明日はチキンステーキにしよう」
「そこは魚にしてあげれば!?」
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晩御飯を終えて暫くのんびりした後。日付が変わる頃にエックスと公平は外出した。二年参りである。今回ばかりはエックスは人間大の大きさになって、公平は元々の大きさだ。二人で並んで歩いていく。ちらちらと雪が降っていた。地面はほんの少し白く染まっている。公平はきょろきょろ周囲を見回した。
「ここなんて神社?」
「さあ?」
「さあって……」
エックスはくすくす笑った。
「去年の夏にお祭りやってたから来たんだ。だからここがどこなのか正直よく分かってないんだよねえ」
「へえ……」
寂れた神社だった。他に参拝客もいない。
「もしかして俺も来た事あるのかな」
「うん」
「やっぱりかあ」
「よく分かったね」
「なんとなく」
覚えはないが。自分という人間は彼女とずっと一緒だったようなので。
賽銭箱に十円を入れて鈴を鳴らす。がらがらという音が静かな暗闇に響いた。エックスはスマートフォンを取り出して時間を確認している。
「あと十秒だよ。もうすぐ年越しだね」
「そうだね」
パンパンと二回柏手を打ち、目を閉じる。二年参りなんて初めてだから、正直やり方は分かっていない。
(まあでも。年を跨いでお参りすればいいんだから。このまま十秒やっとけばいいんだろ)
幸い他に人もいないし。なんて思っていると隣から深いため息が聞こえた。エックスのものである。丁度十秒経った頃だった。
「どうし……」
言い切る前にエックスは公平の手を引いて駆けだした。
「ああもうっ!冬のイベントって良いことないっ!」
「えっ!?えっ!?なんの事!?」
「こういう事っ!」
エックスは空間の裂け目を開いて、公平と一緒に飛び込んだ。
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次に公平が最初に知覚のは爆発音。続いて真っ赤な光だった。一瞬光にやられて目がくらむ。徐々に視界がはっきりしていって、やがて自分が元の大きさに巨大化して宙に浮いているエックスの肩の上にいることに気付いた。
下を見下ろすと、深夜だというのにまだ少し灯りがあった。12月31日と1月1日の境目だったからだろう。さっきの神社のあった場所とは違って街中である。こちらを見上げる人の姿もちらほら見えた。顔を上げると、エックスはなにやら右の拳を前に突き出している。
「……ん?なにしてんの?」
「うん?ああ。これだよ」
そう言うとエックスは左手を開き、その中を見せてきた。黒くて仰々しい服を着て、ヘルメットを被った誰かが倒れている。
「この人誰?」
「さっき殴り潰した戦闘機のパイロット」
言いながら左手を上着のポケットに突っ込む。
「へえ。戦闘機。……せんとうき?」
「そ。まだまだ飛んでるよ。上に逃げちゃった。鬱陶しいよね」
エックスは顔を上げて言った。公平もつられて空を見上げる。見えるのは星だけで他のものが飛んでいるようには見えない。
「真っ暗だから公平には見えないかもね。三角みたいな形の黒い戦闘機がびゅんびゅん飛んでるよ。他所の世界から来たみたいだ」
「……他所の世界?え?なんで?」
「さあ?」
あっけらかんと言ってのける。公平は言葉を失って、目をぱちくりさせることしか出来なかった。
「とにかく。攻撃してきているのは確かだ。何が目的か知らないけど、ボクの大事なこの世界を襲うなんて許せないな」
公平を右側のポケットに入れると更に上昇していった。どんな強力な兵器だろうとエックスにとっては羽虫同然だ。気を遣わなければいけないのは、そんな羽虫の中にいる人を殺さないようにすることだけだ。




