エックスとウィッチ
「これ忘れ物」
エックスの部屋にやってきたヴィクトリーが手渡したのは鳥かごのような檻。その中にいるのは人間大の大きさに縮められたウィッチであった。
「あーっ!エックス!早くこの檻から出しなさいよ!大体アンタ、アタシのことすっかり忘れて帰っていくなんて一体どういう」
この喧しい檻を受け取って最初に思った事は『公平が病院に出かけていてよかった』である。昨日はヴィクトリーの家で一日中ずっとこんな調子で喚いていたのだとか。
「ちょっと虐めて黙らせてやろうとも思ったんだけどさ」
エックスの作った檻は内から出られない代わりに外側から破壊することも出来ないくらいに頑丈だったので、中にいるウィッチは安心して思いっきり騒ぎ続けることが出来たらしい。
「と、言うわけで。私じゃあ手に負えないから引き取って」
「はい……」
エックスはヴィクトリーから檻を受け取る。その間もずっとウィッチは喚き続けていた。魔法や魔力は使えず人間大にまで縮められ、能力のほぼ全てを失ったとは言っても魔女は魔女。それくらいの体力は有り余っているというわけだ。
「それじゃあ。うるさいからもう二度と持ってこないでね」
ヴィクトリーはそそくさと魔女の世界に戻っていった。一刻も早くウィッチの騒音から離れたいのだろう。代わりにエックスの手元にトラブルが返ってきたことになる。他にも悩みのタネは残っているというのに。例えば、帰省の件だ。
「ああ……まだお義父さんとお義母さんに公平の記憶喪失のことをなんて言うかも考えてないのに……」
「出せ!今すぐ出せ!この胸ナシ女!痛いボクっ娘!ムシケラフェチの変態」
「あー!もうっ!うるさいうるさい!」
エックスは檻を思いっきり上下に振った。そうやって無理やり黙らせようとする。だがウィッチの方が一枚上手だった。一瞬早く格子を掴んで揺れに備えていた。思わぬ展開にエックスは目を丸くする。
「な……!」
「バーカバーカ!このアタシが一回受けた攻撃を対処しないわけないじゃん!悔しかったら今すぐ出して勝負しろっ!」
エックスは檻の中で騒ぐウィッチを静かに見つめた。
--------------〇--------------
「……分かったよ。出せばいいんだろ。出せばさ」
ウィッチのほくそ笑む顔を見ながら指を鳴らす。手の中の檻が光になって、次の瞬間消える。
「やった!これで魔法が……」
うきうきした表情でウィッチは元の大きさに戻ろうとする。が、彼女の魔力もキャンバスも動かない。当然魔法は発動しない。
「え?え?なんで?」
「……ぷっ」
その反応にエックスは耐えきれず噴き出してしまった。ウィッチは咄嗟に顔を上げる
「……まさか」
ローブの袖を捲った。彼女の腕には見覚えのない紋様が刻まれている。ウィッチにはその意味がすぐに理解できた。もう一度顔を上げてエックスを睨む。
「この……!檻を解除するふりして私の身体に刻み付けたのね……!」
「くくく……。まさか本気で開放してもらえると思ったの?」
「ひねくれもの!悪趣味!ネクラ!」
エックスはウィッチの罵倒を気に留めず、静かに膝を落とした。
「このモ……!え?」
「なんて。冗談だよ。ホラ。檻からは出してあげたよ?」
そう言ってエックスはウィッチを床の上に降ろした。ウィッチの目の前には大きな手の平が。その向こうには巨大な素足。顔を上げればにっこりと微笑む大きな顔。
「それじゃあ戦おうか?戦いたいんだよね?」
「ま、待って待って。その前に魔法をさ」
エックスはウィッチの言葉に答えず立ち上がって、彼女のすぐ目の前に思い切り足を踏み下ろした。衝撃でその小さな身体は吹き飛ばされる。
「痛ったぁ……」
ウィッチが立ち上がるより早く。エックスは彼女にもう一歩近付いた。「ひっ」と小さな悲鳴が上がる。
「ほら。かかってきなよ。……でないと。またボクからいくよ?」
「うぅっ……!」
ウィッチはエックスの足に背を向けると慌てて走り出した。このままでは猫に捕まった鼠みたいに弄ばれるだけだと分かっているのだろう。『窮鼠猫を嚙む』などという反撃を期待できるものでもない。足を噛んだところで僅かな痛みを与えることすら不可能な体格差だからだ。
「ん?逃げるの?なら追いかけるけど」
そう言うとエックスは。ウィッチの真上に足をかかげて。勢いよく踏み下ろす──。
--------------〇--------------
と。ここまで想像したところで我に返った。一度冷静になって改めて思う。これは少しよくない。
「壁!絶壁!悔しかったら何か言い返してみなよ!」
相変わらずエックスの手の中の檻に囚われの身であるウィッチは囚われの身だというのに喧しく騒いでいる。だがこれは虚勢だ。圧倒的不利な状況で、辛うじて残った『殺されることはまずない』という僅かな有利に賭けているだけなのだ。
ウィッチの魂胆は分かる。このままではどうにも脱出できないのでエックスを怒らせることで檻を開けるように誘導したいのだろう。檻は檻であると同時に防壁でもある。今のままではエックスの側からも碌な攻撃が出来ないのだ。怒らせて怒らせて。直接攻撃するために檻を解除する瞬間を待っているのである。
その気になれば。ウィッチの策に乗ったように見せかけて、逆に無抵抗のまま攻撃することも出来る。それこそさっきの想像と同じようにして。ここで完膚なきまでに徹底的に叩きのめせば、或いは二度と抵抗しようという気も起こさないかもしれない。
(でも。それをやったら。ボクはすごく嫌な気分になる気がする)
いつだったか。性悪カップルを箱庭に引き入れて恐がらせた時のことを思い返す。あの後に残った感情は晴れやかなものだったか。
『……うーん。スッキリしたのは最初だけ。だんだんモヤモヤの方が大きくなった。もう……。こんなことなら、みんなの言う通りやめておけばよかった』
あの時の自分を思い返し、心の中で頭を振る。結局嫌な思いをしただけだ。今回も同じだろう。
ここでウィッチを捻じ伏せ、黙らせるのは簡単だ。魔法が使えず、人間大の大きさでしかない彼女と万全の状態であるエックスとでは圧倒的に力の差があるのだから。だがそれは弱いもの虐めでしかない。彼女の性に合わない。もしかしたら一瞬スッとするかもしれないが、その後ずっとじめじめした不快感が心にまとわりついて離れないような予感も確かにあった。
「ちょっと!いつまで無視してるの!?言っておくけど魔法さえ使えればアンタなんか」
かと言って。このぴーちくぱーちくうるさい魔女をそのままにしておくつもりもない。こんなに騒がしく常に罵声を浴びせられたのでは心がぐずぐずになってしまう。
エックスは檻をそっとテーブルの上に置いた。それから椅子に腰かけて、ウィッチに顔を近付ける。近付いてきた巨大な瞳に彼女は一瞬たじろいだ。
「話をしよう。ウィッチ」
「は、話?」
「悪いけど、ボクはキミみたいに危ない魔女を自由にするつもりはない。だけどそんなに四六時中うるさくされても困る。だから、適当なところで折り合いを付けようじゃないか」
「は!?なに言ってんの!こっちの要求は最初から……」
エックスの魔法でウィッチの口から声が出なくなる。ウィッチは驚愕の表所を浮かべた。何か言おうとしている様子だが無駄な努力である。今の彼女にはエックスの魔法から逃れることは出来ないのだから。
「こんな風にさ。その気になればボクはキミを無理やり黙らせられる。魔法なんて使わなくても──」
言いながらエックスは椅子から立ち上がって、身体全体でウィッチを見下ろすようにする。深い影が彼女を包み込んだ。
「簡単に。永遠に。口の利けない身体に出来る。……でも。でもね」
ウィッチの瞳に微かに怯えの色が浮かんだ。これ以上はダメだなと思って再び腰を落とす。
「ボクは出来ればそういう乱暴なことはしたくない」
魔法を解除してやる。「あ」という声がウィッチの口から出てくる。
「だから、話し合いだ」
--------------〇--------------
「……話し合い、ね」
ウィッチは心の中で舌打ちした。悔しいがこの状況ではエックスの提案を受け入れるしかない。どうしたってこちらの方が不利な状況。相手に主導権を握られている状態である。それが少しでも好転するならば。
(どうせなら最初にこっちの要求全部ぶつけてやる)
腹をくくったウィッチはエックスを見上げて口を開いた。
「なら檻から出して魔法を使える状態にして。当然も身体も元の大きさに戻してよ。あ、あとついでに、アタシの世界から手を引いてよ。他の世界はどうでもいいからさ」
「まず最後のはダメ」
「ぐ……」
ばっさり切り捨てる。そこは譲れない。人間世界はエックスにとっては公平の次に大切なものだ。失うことなんて考えられない。ウィッチは押し黙った。
「でも他は。条件付きならいいよ」
「……なによ。条件って」
「まず人間を食べたり殺したりしないこと」
「イヤ」
「それから無暗に魔女の身体で出歩かないこと」
「イヤだって」
「あと魔法を使っていいのはボクに協力する時だけで……」
「イヤだって言っているでしょ!」
「じゃあ絶対出さない。ずっとその檻の中で喚き続けるんだね」
「ぐぐぐぐ……!」
「ボクだって譲歩しているんだよ?」
いけしゃあしゃあと言ってのけるエックスを睨み、どうするか考えた。ここでこの、譲歩と言えないような譲歩を受け入れてしまえば今後の行動に相当の制限をかけられることになる。
(でもこの檻の中にいるよりは100倍マシなんだよなあ……)
エックスがあの世界にこだわるのは公平がいるからではないか。だとすれば、彼がいなくなればどうでもよくなるのではないか。流石に殺すことは出来ない。エックスが護っているのだから。だがほっといても100年もすればあの男は勝手に死ぬ。魔女である自分にとっては100年なんてあっという間だ。
「……仕方ない。分かったわよ」
「うんうん。賢いじゃないか」
エックスが指先を向ける。檻が光になって消滅したかと思うと、その光がウィッチの身体に纏わりついて、彼女の身体に浮かび上がる紋様に姿を変えた。
「……なるほどね。さっきの檻の代わりってわけだ」
「そういうこと。キミの力を制限する魔法だ。今後はボクの許可がないとまともに魔法は使えない。敵が現れたら退治するのを手伝ってもらうよ」
「ちぇっ。仕方ないわ」
続いてウィッチの身体が発光し、魔女の大きさへと戻る。
「やった……!ようやくこの身体に……」
「あ。そうそう。その身体のまま人間世界で生活するのは危ないからさ。向こうでは人間大の大きさになるようにしてあるからね」
「なっ……!ちょっとそんなの聞いてな……」
「無暗に魔女の身体で出歩くなとは言ったよ」
「ぐぐ……」
その条件をクリアさせるために強制的に向こうでは縮める、という事ならギリギリ先ほどの条件の範囲内ではあるかもしれない。ツッコミどころが無いとは言わないが、下手なことを言えばまた檻に閉じ込められる可能性もある。主導権を握っているのはまだ向こうなのだ。渋々ながら納得するほかない。
(でも、このままいいようにやられるのもムカツクな……)
「ほらほら。人を傷つけない範囲でなら魔法を使えるようにしたから。もう人間世界に帰ってもいいよ」
「ちっ。分かった分かった。アタシだっていつまでもこんなところにいる気は……」
と、ここでふと思った。
「ところで。あの人間いないのね。何処行ったの?」
「え?公平?……えーっと」
黙っていてもそのうち彼女も知ることになるだろう。ならば今言っても問題はない。どうせ大したことは出来ないように制限をかけているし。
「実は、色々あってボクと会ってからクリスマスまでの記憶を失くしちゃったんだ。今日は病院で定期検診を受けている」
「……ふうん。へえ。記憶を。ふうん」
少し考えて。「あ」とウィッチは閃く。その瞬間、エックスの背筋に寒気が走った。なにか嫌な予感がする。
「ウィッチ?なにを思いついたか知らないけど……」
「やっぱアタシ向こうに帰るの止めるわ。ここに住むことにする」
「何を言おうと認めな……。……はあっ!?ダメ!ダメに決まってるでしょ!ダメだよそんなの!」
「どうして?アタシを檻から出す条件には含まれてないじゃん。人間を食べない・傷つけない。魔女の身体で向こうに行くのは控える。アンタが困ったときには助けてあげる。ほら」
「あ、いや、でも!ほら!部屋が無いし!」
「またまた!思い付きでそんなテキトー言ってもダメよ?エックスちゃん」
ウィッチはエックスの部屋の壁面に指先を向けて魔法を発動させた。以前ローズが使っていたものと同質の空間魔法だ。何もなかった壁に扉が出来て、きいと音を立てながら開く。奥には広々とした部屋が作られていた。
「はい。既存のスペースを一切使わずに新しいお部屋が出来ました」
「い、いやでも……」
それでも同居を許すわけにはいかない。今の公平にとってウィッチは見知らぬ魔女だ。彼を不安にさせる要因を増やしたくない。
「とにかくダメ!絶対ダメ!」
「それはつまり、アタシを解放する条件を増やすってこと?後だしでそういうことやるのはズルくない?」
「うっ……」
当然ウィッチもそういうエックスの気持ちを理解している。だからこそいいのだ。簡単に許可されるよりもずっといい。そうでなければ嫌がらせにならない。
「それなら他の条件を一つ緩和してほしいわ。どれがいいかなー。やっぱこの大きさのまま向こうで生活する権利が欲しいわねー!」
ダメだ、とエックスは思った。これを認めるわけにはいけない。これを認めたらウィッチを野放しにするのと変わらない。『そんな気はなかったんだけど』なんて言って、事故を装って人間を傷つけたりしないとは言い切れない。
「アタシってムシケラサイズで人間と一緒に生活するなんてまっぴらだから……」
「……分かったよ」
「……『分かった』?分かった、ってなにが?」
「……住んでいいよ。ウチに住んでいい」
譲歩するしかない。こちらの都合で人間世界に迷惑をかけるわけにはいかない。
「そう来なくっちゃ」
ウィッチは心の中でガッツポーズした。殆ど無意味ではあるがようやくエックスに一矢報いた。出来ればこの部屋から出て行く代わりに完全に魔女の身体を取り戻したかったが、この際構わない。我が物顔でリビングの椅子に腰かける。
「今日からこの椅子アタシのねー♪」
「でも分かっているよね!人間を傷つけないってことはつまり公平の事もだよ!」
「分かってるって。食べたり虐めたりしないから!この際この前の恨みは忘れてあげる!」
そう言ってウィッチはけらけら笑った。本当に分かっているのかな。これからの生活は大丈夫だろうか。エックスにはなんだか不安だった。




