怖い夢を見た次の朝。
(気持ちいいな……。小さなキミが。こうしてボクの口の中で……!)
ふとした思い付きで公平を口の中に入れて、縮めて、口内に放り込んで歯を磨いてもらっている。下の歯の内側をひいひい言いながら磨き終わると、奥歯の上に登ってブラッシングを再開する。
文句を言いながらもごしごしと頑張ってくれている。小さくて健気な姿を感じる。そして。むくむくと悪戯心が湧いた。
(……そうだ)
上と下の歯を嚙合わせる。公平を間に捕らえて、その存在のくすぐったさに微笑む。少しだけ力を入れてみた。きゅうきゅうと押しつぶしてみる。歯と歯の間の獲物を磨り潰すように擦り合わせてみる。最初は防御していた公平だったが、潰されることはないと理解したのか魔力強化を解除してただ受け入れてくれる。
それが何だか嬉しかった。そこにいる存在をもっともっと感じたい。
(ああ……。最高の気分……!)
無意識に顎に力を籠める。身体は公平を求めていた。そこに在ることを強く強く味わいたい。想いに比例して力は強くなっていき──。数秒後、ぷちっという小さな音が口内に響いた。
「……え?」
胸がドキッとした。心に大きな孔が開いてそこに風が通ったように薄ら寒い。恐る恐る口を開けて、公平のいた奥歯を舐めてみる。
舌が感じ取ったのは、血の味。
「あ……。あ、ごめ……っ」
謝りかける自分を糾弾する自分が居る。お前は一体誰に謝っているんだ。謝らなければならない最愛の人は今しがた噛み砕いて磨り潰して殺してしまったというのに。
「ああああああっ!」
景色が変わる。
彼を握りつぶす姿が見える。踏みつぶす姿が見える。彼を飲み込んで消化する姿が見える。
彼を腋で蒸し殺す自分の姿が。彼を胸に挟んで潰す自分の姿が。
悪戯心で小さな公平を弄んで殺してしまう自分たち。それらはみんな白々しく悲しんでいた。そうやって泣くくらいなら最初から──!
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目を覚ましたエックスは寝る前よりもずっと近くに公平がいることに気づいた。もう少し近づけば唇に触れてしまいそうな距離間。どうしてこんなところにいるんだろう。
上体を起こして目をこする。泣きながら眠ったせいか、または怖い夢を見て泣いたせいか分からないけれど少しだけ痒い。
視線を落として公平を見つめる。すうすう寝息を立てて目を閉じたままだ。さっき見た夢と昨日起こしたことを思い出す。また涙が溢れてくる。
そうだ。昨日だ。昨日公平の事を殺しかけたのだ。
そして、「違う」と自分で自分を否定する。殺しかけるという意味では今までの生活全部がずっとそうだったではないか。自分がどんな存在か忘れて意地悪してみて。それが彼にとっては命がけだって分かっていたはずなのに。偶々受け入れてくれていただけだ。彼のやさしさに甘えていただけなのだ。
悲しくて自分が情けなくて。自嘲するように笑う。
「なんだ。なんだよ。結局みんなの思う通りのボクじゃないか」
甘い夢を見ていた。普通の女の子として大好きな人と一緒に生きていけたらなんて。馬鹿な願望だ。鏡に映る自分の姿をよく見てみればいいのに。この自分は。簡単に公平を殺してしまえる巨人なんだということを忘れてはいけないのに。
「もう……」
思わず呟いた。
「帰ろうかな……」
「どこに?」
「うわあああ!?」
返事が返ってくるなんて思っていなかったのですっとんきょうに悲鳴を上げてしまう。慌てて涙をぬぐってにっこりして見せる。胸がドキドキするのを感じた。
「お、起きてたんだ?なんでもないよ?」
「魔女の世界に帰るの?」
「……っ」
口元を結んで押し黙ってしまう。
それから。迷うようにしながらこくりと頷いた。
「そっか」
公平は言った。そして言葉を続ける。
「そうなったら、俺は寂しいな」
その言葉が押し籠めた感情の扉を叩く。緋色の瞳から大粒の涙が落っこちてきて公平の身体にかかる。全身びしょびしょになってしまった。彼女の涙は海みたいな味がした。
「あう。ご、ごめん!」
「濡れただけだよ。謝ることじゃないって」
エックスは申し訳なさそうにして公平を拾い上げると手のひらから暖かい光を放った。公平の身体が乾いていく。
「離れたいわけじゃあないけれど。一緒にいて、公平を傷つけるんだったらさ。離れた方がいいのかなって」
「それでも俺はエックスと一緒にいたいなあ」
「みんなボクのことを怪獣だって思ってるんだ。そんなのと一緒にいたらさ……」
「悪い奴らだよな。ちょっと背が高いだけなのに」
また目の奥が熱くなる。きゅっと目を閉じて涙をこらえて。泣く代わりに笑った。身体を倒して枕でこちらを見上げていた公平のすぐそばまで近付く。潤んだ瞳が微笑んでいた。
「ずるいな、公平は」
「ずるいかなあ」
「ずるいよ。人のことばっかり悪くいってさ。ボクは覚えているんだぞ。キミがボクのこと『怪獣』呼ばわりしたこと」
「……えっ?そうだっけ?」
「ローズが来た頃」
「あ……」
そういえば、と思い出す。
「キスしようと思っただけなのに」
「だって食べたいとか言うから……」
「そんなことするわけないんだけどなー。公平には分かってほしかったなー」
ふうと息を吹きかける。甘い突風に公平はよろけた。
「ご、ごめんって。あ、そうだ。そうしたらおあいこということにしよう」
「おあいこ?」
「昨日のことと相殺ということで……」
エックスは目を丸くして。それからクスっと笑う。
そして。その大きな唇全部を彼に優しく押し当てた。そのまま時間が過ぎていく。二人の鼓動が早くなる。やがてエックスは惜しむように顔を離していく。
「……ありがと」
顔を真っ赤にしながら言うのだった。
「またキミに。甘えてもいいかな?」
公平は微笑みながら頷いた。
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「思ったんだけどさ」
「んー?」
その後の二人は同じベッドの上でぐうたらしていた。そんな時公平がぽつりと口を開く。
「なあに?」
エックスは彼に目を向けた。
「昨日のことってやっぱ俺が悪かったんじゃ……」
予想外のことを言い出したので思考が固まるエックス。瞳をぱちくりさせることしかできない。
「俺がもっと強ければよかったんだ。エックスが遊んでくるのを受け止められるくらいにさ。取り敢えず酔ってても魔力の運用が出来るくらいにはなっておきたいな」
黙って聞いているだけの現状に我慢できなくなって身体を起こすエックス。公平は彼女を見上げた。
「いやいやいや。それはちょっとおかしい。どう考えても悪いのはボクで──」
「でも俺は世界最強になるって決めたからさ。最強だったらアレくらいならどうにかすると思うんだ」
「……マジで言ってんの?」
公平は頷いた。本気でそう思っているから。自分の強さはエックスのための強さである。それが不足していたから彼女を傷つけた。これは自分の弱さがそもそも悪いのだと。
エックスは戸惑った。こんな形で逆責任転嫁をされるとは。このままでは本当に彼を殺してしまっても「俺がもっと強ければ……」なんて言い出すんじゃなかろうか。言いそうだなと心の中で苦笑いする。同時に彼の不器用な想いを感じて胸がきゅうとなる。
「……分かった」
だから。その気持ちに応えてあげたいと思った。
「そうだったね。ボクはキミを最強の魔法使いにするんだった。うん。いいよ。魔法の特訓。その続きをやろうじゃないか」
行き着くところまで行った気はしたけれど公平はまだ不満足らしい。何よりエックスは彼を世界最強にすると約束したので。とことんまで付き合うことにした。
「そしたら……。さっき言ったように酔ってても魔力が使えるようにっていうのとー。あとは『レベル5』の持続時間を長くしたいから実践訓練。あとは──」
「あ……っと。うん。来月から始めようか」
「なっ……!いきなり逃げようとするな!」
構わずに逃げだす公平を巨大な手の平が捕まえる。うわあと叫び声が響いた。その姿が愛おしくて思わず笑みが零れた。