避難訓練②
「あっ。そういえば明日避難訓練だったっけ」
「あー。そんなのありましたね」
WWの日本支部。宮本という女性職員が、後輩の笹倉と一緒にPCの画面を見ていた。オンプレ環境で構築されたグループウェアの掲示板が表示されている。魔女が街を襲撃してきた場合を想定した避難訓練を行うらしい。
ここで言う避難訓練とは、『職員が避難する』ための訓練ではない。『一般市民を避難させる』ための訓練だ。対象者はWWに所属している魔法使いの職員である。宮本は椅子にもたれかかって大きく背伸びをした。
「だるいなー」
「そっすねー。俺まだ事務処理残ってるのになー」
二人とも魔法使いではあるが、基本的には事務作業を行っている。吾我のようにずば抜けた戦闘力を持っておらず、特殊な魔法が使えるわけでもないからである。一応訓練は行っているが補欠のような立ち位置だった。
「あり?つーか源クンとかいないんスかね」
「えっ、マジ?……あ、ほんとじゃん。つーかエリートチーム全員いないわ」
宮本の言う『エリートチーム』とは源・清水・香澄の三人のことである。最近スカウトされた者の中ではトップクラスの戦闘力を持っていた。
WW
WWに入って暫くの間は尊大な態度だったのだが、数か月前に急に丸くなった。『自分たちが如何にちっぽけな存在か思い知らされました』とは源の談である。とはいえ、未だ彼らに対してやっかみに近い感情を持つ者がいなくなったわけではない。宮本もその一人だった。
「エリート様は避難訓練なんか出なくていいんだってさ。羨ましいねー」
「そっすねー。あんな風になりたいなー」
宮本は机の上にある缶コーヒーを一口飲んだ。念のためより詳しく内容を確認してみる。時間は朝の10時。魔女が街に現れて襲撃してきた想定。襲撃してくる魔女の役はエックスが行う。場所は彼女が用意した『箱庭』という1/1サイズの精巧な街の模型。襲撃される街の住人については彼女が自動で動く人形を用意する、と。
「エックスってアレか。よく吾我さんと協力して戦ってくれてる魔女さんか」
「最近テレビで見ますよね。なんかカンバン持ったり変な歌を歌ったりして。宣伝の真似事もやってたような」
宮本もそれを見たことがあった。『小枝♪小枝♪スーパ小枝♪安くて楽しい小枝だよー♪』なんて変な歌を歌っていた。テレビで見る分には身体が大きいだけで危険な感じは一切しなかった。
こんな事をやる意味があるのだろうかという想いが一層強くなる。街は模型。市民は人形。敵役である魔女は人類に友好的な子。どう考えても形だけのなあなあな訓練になる予感しかしない。
「ま、仕事だからやるけどね」
そう言って元の業務に戻る。宮本の目下の仕事は膨大な量のデータを一つのファイルに纏めることだった。とあるシステムの開発を依頼している業者からの要求である。開発のためにどうしても必要だとか何とか。期限は今週中。本当は避難訓練なんか出ている暇はないのだが、仕方のないことである。
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翌日の9時過ぎ。日本支部の事務所にアリスがやってきた。
「ハァイ。みんな調子はどう?」
彼女は昨年の秋から暫くの間休職していた。復帰したのは先月の初めである。色々あったが、彼女の持つ強力な魔法を喪失するのは惜しいという判断の下、復職が認められたのである。魔女の力を持つ彼女を野放しにしておくことも出来ないというのも理由の一つだった。普段は米国の本部で仕事をしている。
今日、日本へ来たのは訓練の支援をするためだった。吾我からの頼みである。
アリスは訓練に参加する職員に召集をかけた。十人前後の魔法使いが彼女の説明を聞いている。その中には宮本と笹倉もいた。
「一番大事なことは判断を間違えないこと。魔女の襲撃がある時点で一般市民全員を避難させることは非常にハードです。救助できる人と手遅れの人の判断は間違えないでください。今回は味方をしてくれる魔女も居ない想定です。見方によっては現実よりも厳しい訓練ね」
大袈裟だな、と宮本は思っていた。アリスの説明も殆ど頭に入ってこない。手元のメモにペンを走らせて話を聞いているふりをする。実際にはうわの空である。こんな訓練のことよりも今日の晩御飯の方が大事だし、それよりもまだ手付かずの仕事の方が大事だった。
「最後に。今回私は現場までの道を作りますが、実際に同行はしません。そして、レイジは上空で訓練の動向をチェックします。なので、みんなの力で頑張ってください。──以上です。10時になったら事前にお伝えしてあるポジションについてね」
宮本は笹倉の脇をボールペンで突っついた。目だけをそちらに向ける。周りに聞こえないようにと小さな声で話しかける。
「ポジションってなに?そんなのあったっけ?」
「昨日見た掲示板に掲示されてたっスね。確か俺とペアでしたよ」
「ああ、じゃあ笹倉君についていけばいいんだ」
「あーっ。そっスね」
それなら楽でいいや。宮本は心の中でほくそ笑んだ。
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10時になってサイレンが鳴った。魔女が街に現れたことを告げる警報である。アリスが何事か指示を出して、現場に向かう空間の裂け目を開く。訓練の参加者たちは、各自の持ち場へと続く裂け目を通って行った。
宮本はこそっと笹倉に尋ねる。
「ねえ。防護服とかヘルメットとかいいのかな」
「あっても相手が魔女じゃあ無駄だから着けないそうです」
「あ、そうなんだ」
「アリスさんの話全然聞いてないじゃないですか」
「エヘ」
なんて誤魔化しながら笹倉の後ろについていく。やがて裂け目の向こう側である『箱庭』の世界へと足を踏み入れた。同時に背後の裂け目が閉じていく。
「うわっ。めっちゃ燃えてるっスよ」
「えーっ。マジか。めんどくさ──」
ズドン、と音がして。二人のすぐ目の前に巨大な何かが落ちてきた。その風圧で二人は吹き飛ばされる。何が起きたのか、状況を理解しきれない。
「いたた……」
「な、なんスか今の……」
二人が顔を上げる。何が落ちてきたのか理解する。スニーカーだった。巨人が履くための靴だ。当然視線を上げていけば。その主の顔がそこに在る。大きな二つの緋色の瞳は、確かに二人を見つめられていた。
「おやっ。この世界の魔法使いかな?」
エックスはわざとらしく言いながら身体を二人に向ける。一歩近付いて膝を落とした。彼女の端整な顔が近付くのに合わせて、二人を包む影は濃くなる。
「あ……」
頭が真っ白になる。想像していたよりもずっと大きかった。身長100mという数字は知っていた。けれどその大きさを実感できたのは今この瞬間が初めてである。
「ふうん。逃げないんだね」
言うとエックスは手を伸ばしてきた。その瞬間に笹倉が悲鳴を上げて逃げ出す。後についていこうとした宮本だったが、腰が抜けてしまって動けない。その隙に巨大な指先が迫ってくる。
「はい捕まえたー」
「いやああ!」
エックスの指先に摘まみあげられる。そのまま立ち上がって宮本を100mの上空へと連れ去った。
魔力による筋力強化で指先から抜け出そうとした。しかし、宮本の技術では魔女から逃れられるだけの力を発揮することは不可能だった。
「あはは。かわいいなー」
エックスはけらけら笑った。それでもと抜け出そうとするが、脱出する代わりに頭が冷静になっていった。思えばこれはただの避難訓練だ。考えてみれば彼女の指先は抜け出せないけれど苦しくもない。落ち着いてみれば目の前で笑っている巨人はテレビで見たあの優しそうな子そのものである。捕まったからと言ってどうなるということもない。むしろ捕まったおかげでこれ以上何もしなくてもいいんじゃないか。それなら、楽でいい。宮本は魔力強化を解いた。
次にエックスは地上に目を向けた。釣られて見てみると、彼女の視線の先で笹倉が必死に逃げている。
「追いかけっこだね」
そういうとエックスは足を一歩前に出した。笹倉が必死に走って稼いだ距離は彼女のゆったりとした歩みでかき消されていく。歩幅が違うのだから無理もない。やがて巨大なスニーカーは彼のすぐ真後ろにまで迫った。宮本の視線の位置からだと、まるで虫を追いかけまわしているみたいに見えた。
「うわっ!?」
そこで笹倉が転んだ。宮本はクスっと笑った。なんだかカッコ悪い。
「ふふっ。これでおしまいだね」
なるほど、と心の中で思う。この後エックスは自分のように笹倉を捕まえるのだろう。しかし彼女が地上に向かって手を伸ばすことは無かった。代わりに右足を上げて──。
「えいっ」
「うわあああ!?」
ズンと。一際大きな音がした。笹倉が居た場所にはエックスのスニーカーが。その場を踏みにじるようにぐりぐりと動く。
また、宮本の頭が真っ白になった。
「……え?嘘だよね?」
エックスが足をどかした。宮本は魔力で視力を強化して地上をよく見てみる。そこに残されていたのは赤い跡だけだった。
「……嘘」
宮本は呟いた。
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勿論嘘である。踏みつぶす直前に自分の部屋に転送させ、代わりに連れてきたショートケーキ人間を踏みつぶしたのだ。指先に捕らえられている女性の反応を見るとしっかり騙せているらしい。本当はこの後彼女も握りつぶすふりをして自室に転送するつもりだったが、もう少し意地悪してみたい衝動に駆られる。
「むっ。よおく見たら。ボクの玩具を逃がそうとしてるな」
ショートケーキ人間たちをアリスから指定された体育館へと逃がしているWW職員はぎょっとした。エックスが他に気を取られている隙を狙ったのだが、遂に見つかってしまった。
「とおっ」
エックスは思い切り地面を蹴って大きく跳びあがる。そのままショートケーキ人間の軍団を通り越して、WW職員の背後に着地した。ポケットの中の公平は目を回していないかしら、なんてこっそり思う。
「むっふっふー。そういうことならお仕置きしないとねー」
ほぼ同時に。職員たちは慌てて自身の開いた裂け目に逃げようとした。その瞬間にエックスは指を鳴らす。魔法が魔力へと還元され、彼らの裂け目はかき消された。
「残念!ボクに見つかった時点で助かる余地はないのだ!」
そう言ってまず一人目を踏みつぶす……と、見せかけて自室に転送させる。
そこから先は蹂躙であった。何人かは同じように踏みつぶして。何人かは手の平で叩き潰して。何人かは目の前に転送させてそのまま殴り飛ばして。何人かはお尻の真下に転送し、押し潰した。勿論、それらは全て『ふり』だ。ただ彼女の部屋に送っているだけである。実際にケガをさせたり殺したりはしていない。
座った姿勢で足を前に出す。彼女のスニーカーがショートケーキ人間や建物を纏めて粉砕した。WW
WWの職員で生き残っているのは指先で最初に捕まえた女性だけである。顔の前へと連れて行く。
「た、たすけて……」
「……いいよ?」
言うとエックスは指を離した。数十メートルの高さ。女性は悲鳴を上げて落ちていく──。と、そこで裂け目を開き、彼女も自室へと転送させた。
「……ふう。おしまい、と。後は反省会だっけ」
エックスは立ち上がって服についた埃を払い飛ばした。
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宮本は気付いた時には大きな家具だらけの部屋にいた。どうやら自分がいるのも巨大な家具の一つであるテーブルの上らしい。まるで小人になったみたいだ。周りを見ると笹倉や、他の職員が茫然としている。てっきりみんな殺されたと思った。或いは全員死んでいて、ここはあの世なのかもしれない。
と、思っていたら空間の裂け目が開いて、先ほど自分たちを順番に潰していった張本人、エックスがニコニコしながら入ってくる。
宮本たちは悲鳴を上げて逃げ出した。さっき殺したばかりなのにまだ追いかけてくるのかと。エックスは困ったように眉を下げる。
「ちょ、ちょっとちょっと。もう虐めないから」
そんな事言われても信用ならない。宮本たちはテーブルの端まで走っていく。エックスは諦めたように息を吐くと、くるりと指先を回した。テーブルの上を逃げる人々を魔法で浮かび上がらせる。そのままきゃあきゃあ騒ぐ彼らを問答無用で目の前に連れてきた。
「……はい。それではこれから反省会を始めます」
エックスは腰に手を当てて言った。
「まずキミ」
エックスは笹倉を指差す。ビクッと震えあがって、小鼠のようにか細い声で『はい』と返事をする。
「ボクが女の子を捕まえたのにどうして逃げたの?」
「そ、それは……。その。もうダメだと思って……」
宮本は笹倉を睨みつけた。いたたまれないという顔で俯く。そこに『うん。正解』という声が返ってきた。二人はエックスに顔を向ける。
「魔女を相手にしてどうにもならないと思ったら逃げましょう。ボクは誰かが死んだらすごく悲しい。助けに行った時に悲しい気持ちだとパワーが出ない。だから一人でも助かってくれた方がいいのです。勿論捕まった同僚さんを助けにいったら、それはそれでボクはその勇気を称えます」
それからエックスは他の職員の行動一つ一つに対してフィードバックを行った。
「ボクがよそに気を取られているうちに一般人を逃がすのは正しい判断だね。そこはとても良かった。後は魔法のスピードと裂け目の大きさかな。訓練をつめばボクが気付く前に全員逃がせられるようになるよ」
「こっちが気付いた瞬間にさっさと逃げ出さなかったのはいただけない。そうなったらもう全部放り出して逃げた方がいい。でないと死んじゃうからね。一人でも多く逃がそうとするのは良かったけれども」
「魔法で逃げようとするのは判断ミス。魔女は基本的にキミ達より魔法が上手だからね。走って逃げた方がまだ捕まらない可能性があるよ」
「……最後に」
エックスは宮本に目を向けた。何を言われるんだろう。今回の訓練ではおよそ褒められるようなことなんてしていない。自分だけ滅茶苦茶に怒られるんじゃなかろうか。
「ボクに捕まって、最初は抵抗してたけどすぐにやめちゃったね。なんで?」
「……え?だってどうせ抜け出せないですし。そもそも訓練だから潰されることは無いかなって」
「ふうん。その時ボクのことは恐くなかった?」
宮本は少し迷ってコクリと頷いた。先に彼女が人間世界でお手伝いをしている動画とかを見たせいで、一瞬落ち着いてから笹倉を踏みつぶされるまでの僅かな間だが、恐くなかった瞬間は確かにあった。
エックスは宮本に微笑む。
「それは良かった」
「……ん?」
「きっとね。これから人間世界の魔女は増えていくと思う。その子たちはきっとすごく不安なはずだから」
エックスは人差し指を宮本に近づけ、優しく撫でる。
「恐がらないで味方になってあげてほしいな。それがきっと一番いい結果につながるからさ」
「……はあ」
エックスはうんうん頷いて手を叩く。
「以上です。今日はお疲れ様でした。きっと大体の魔女はさっきのボクよりは恐くないだろうからね。それに魔女が出てきてもボクが助けてあげるから。みんなは慌てず騒がず落ち着いて行動してください」
彼らを優しくテーブルの上に降ろし、WWの事務所に通じる裂け目を開いてあげる。それを通って、職員たちは元の場所へと帰っていった。
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「あー生きててよかったっスよー」
「そうだねー」
事務所に戻った宮本は笹倉と雑談していた。丁度その時である。
「どうだった。訓練は」
突然背後から声をかけられた。ドキッとしながら振り返ると吾我が二人のすぐ後ろに立っていた。
「あ、あはは。ど、どうって?」
「魔女が襲ってきた時に落ちついて行動できそうか?」
「え、っと。うーん。正直まだちょっと難しいと、思います」
宮本の言葉に吾我はコクリと頷いた。
「そうだろうな。魔女は実際に見ると思っているより大きい。どうしたって恐怖が込み上げてくる」
「は、はい……」
「それが分かれば十分だ」
そう言い残して吾我は離れていった。ここで恐怖を実感できたのならそれでいい。本当に魔女が襲ってきたときに初めてその恐怖を味わうよりずっとマシだ。これが魔女に慣れる第一歩である。
そんな彼の意図は宮本たちには分からなかった。言葉にしていないのだから当然である。二人で目をぱちくりさせる。
「どういうことかな?」
「……さあ?」
分からないが。取り敢えずそれについて考えるのは止める。もっと先にやらなければならないことがあるのだ。滞っていた仕事を再開することだ。キーボードを叩いて書類を作っていく。
作業中にふと。宮本の心の中でエックスの言葉が蘇った。
「魔女に優しく、か」
燃え上がる街と潰された人形、そしてそれを引き起こした魔女の力を一緒に思い返す。エックスの言った通り、いつか人間世界にも魔女が生まれてくるのならば。突然大きくなって不安を抱えている彼女らに手を差し伸べなければ、あの地獄が待っている。
「……まあ。それが仕事だからやるけどさ」
その時、ディスプレイにグループウェアの通知が表示された。吾我からのショートメールが来ている。メールは現場に出ている者・内勤者問わず一斉送信されていた。宮本はメールの中身を確認してみる。
「……ふうん。この女の子なにかしたのかな」
銀髪で。160cmくらいのやせ形の少女を探しているらしい。メールの文面を見るに、彼女は異世界からやってきた侵略者で、見つけても情報共有するだけで絶対に接触しないようにという注意が書かれている。
「……これも仕事かあ」
胡散臭い仕事の多い職場だと苦笑した。グループウェアのToDoリストに新しい一文を追加する。『銀髪の女の子を探す』と。




