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避難訓練

 エックスの家にある公平の部屋。そこでは三人が同じ机を囲んでいた。エックスと公平、それからもう一人。彼は目の前のカップを手に取って用意されたブラックコーヒーを一口飲んだ。家主の二人はその様子をばつが悪そうにしながら窺った。


「それで」


 客である吾我が口を開いた。


「なんでもっと早く俺に話をしなかったんだ」


 二人は俯いたままだった。答えることが出来なかったのだ。


「『聖技の連鎖』のこととか。ウィッチのこととか」


 淡々と追及してくる。二人が吾我を呼んだのは、WWの組織力で人間世界に入り込んでいる敵──ガンズ・マリアを探し出してもらうためだった。

 マリアは『聖技の連鎖』の女神・ルファーの力を借りて力を感知できないようにしている。一度はエックスからも隠れ切ったほどに強力な目くらましだ。

 今のエックスはマリアの存在を認識している。敵が力を発動させた瞬間にその場所を追いかけることができる状態だった。しかし、恐らくそのことは相手も気付いている。本格的に事を起こすまでは力を決して発動させないだろう。

 敵の本拠地である『聖技の連鎖』を直接叩くことも出来ない。『魔法の連鎖』を離れた瞬間にウィッチやマリアの攻撃を受ける可能性があるからだ。今のままではまた後手に回ることになる。だからWWの力を借りたかったのだ。

 吾我はため息を吐いてコーヒーカップを置いた。


「黙ってないでなんとか言ってくれよ。もっと早く相談してくれればこっちも先手が打てたかもしれないって言っているだけじゃないか」

「あ、いやあ。そうなんだけどさ……」

「……てた」

「なんだって?」

「や、その……忘れてた……」


 エックスがまごつきながら言った。吾我は乾いた声で笑って。嘲るような口調で言う。


「忘れてた、ね」


 そして。すっと立ち上がった。


「帰る」


 彼の言葉にエックスと公平は慌てて引き留めようとした。彼の腕を抑え込み帰らないようにする。


「ちょっ!待て待て待て!」

「お願いだから助けてよ!忘れてたの謝るからさ!」

「ええいっ、うるさい!だからウチの人間に情報共有するために帰るって言ってるんだ!」

「え?」

「は?」


 二人は吾我から手を離した。彼は面倒くさそうにしながら口を開いた。


「ガンズ・マリアの最大の特徴は目を引く銀髪。巨大化していない時は凡そ160cmでやせ型。二重瞼で目はパッチリしている。瞳の色は薄い蒼。他に特徴を思い出したら連絡してくれ」

「……え?助けてくれるのか?」

「いいの?」

「いいも悪いも。俺は人間世界の敵を排除したいだけだ。でも俺たちの力だけじゃあ敵わない。だったら、できる限り協力するしかないだろ」


 そう言って人間世界、WWの事務所に通じる裂け目を開いた。一瞬ぽかんとしたが、WWの協力を得ることに成功したエックスと公平はハイタッチして喜ぶ。吾我はそんな二人を余所に裂け目の向こうへと帰ろうとする。


「あ、そうだ」


 と、裂け目を通る直前で振り返った。


「明日の避難訓練だけど、『箱庭』に行っても大丈夫なんだよな。敵の気配は感知できるな?万が一の時はすぐに人間世界に行けるようにしておいてくれよ」

「……ん?避難訓練ってなんだ?」

「エックスから聞いてないのか?」

「うん。初耳」


 公平は隣のエックスに目を向けた。彼女の顔がさあっと青ざめていく。その表情を見て、何があったのか理解できた。吾我が信じられないという様子で尋ねる。


「お、おい……?だいぶ前から言ってたよな。まさかこれも忘れてたのか?」

「ま、ま、まさかー。ハハハ……」


 エックスは誤魔化そうとした。当然だが、吾我はその事に気付いている。


「お前ら俺のことを何だと思ってるんだ」


 吾我の問いかけに二人は答えることが出来なかった。


--------------〇--------------


 翌日。エックスは公平と吾我と一緒に一足先に箱庭に来ていた。街には彼女の魔法によってショートケーキと同じ材料で作られた自動人形・『ショートケーキ人間』が歩き回っている。

 エックスは既に魔女本来の大きさで箱庭に聳え立っている。模型のスーパー小枝の駐車場では公平と吾我が待機していた。


「それで避難訓練って何やるんだ?」

「魔女が人間世界を襲ってくる場合を想定した訓練だよ。……と、言っても。本当の目的はウチの職員を魔女に慣れさせるってことなんだが」

「……それならローズでも良かったんじゃないか」


 吾我は頭を振った。


「今回の適役はやはりエックスだ。人間の扱いは彼女が一番上手だからな。過剰に手を抜くことも力を入れ過ぎて怪我をさせることもしない。絶妙な力加減ができる」

「……確かに」


 それについては公平も肯定せざるを得なかった。ローズでは優し過ぎる。他の魔女では怪我をさせてしまうかもしれない。その点エックスは上手だった。普段公平の特訓をしているためだろう。箱庭の中に二人の男女を誘い込み、彼らに全く怪我をさせずに街を蹂躙して脅かしたこともある。人間を傷つけずに追い詰めるのは得意なのだ。

 何より彼女には他の魔女にはない力がある。無限の広さを持つキャンバスを用いた事象の操作だ。この力を使えば、人で溢れかえった人間世界の街中であっても、本来の大きさで誰一人傷つけずに無造作に歩き回ったり座ったり横になったりできる。そういう結果を引き寄せるのだ。


「だからエックスが一番いいのさ」

「なるほどね」


--------------〇--------------


 一方で。吾我に太鼓判を押されたエックスはというと。不安げにスマートフォンで時間を確認していた。現在時刻9時45分。予定では10時から『箱庭』への破壊活動を始めることになっていた。5分以内に人間世界からWWの職員がやってきて、一般人役の人形であるショートケーキ人間たちの避難誘導を開始するのである。


「あーあ……」


 どうしてこんなことを引き受けてしまったのだろう。エックスは今になって後悔した。了承したのは確かアルル=キリルを撃退して少しした頃である。上司に命令されたから仕方なくということで吾我が頼んできたのである。彼からの頼み事というのは珍しい。普段から世話になっているし、参加するのはWWの職員だけで街の人に恐がられることもないというので引き受けたのだった。


「でもなあ。魔法の関係者だからって……。恐がらせるのはなあ」


 エックスはその場にしゃがみこんだ。当時は安請け合いした。似たようなことも何度かやっている。だが今はそういう気分ではなかった。

 足元をショートケーキ人間たちが歩いている。彼らはまだエックスを認識していない。だから逃げることもなかった。

 ふと、思い立ち。一つ捕まえて口に運んでみる。イチゴの酸味とクリームの甘味が口の中に広がった。美味しいので気を紛らわせるためにもう一つ食べようと手を伸ばす。


--------------〇--------------


「……何をやっているんだエックスは」


 吾我と公平は小枝の駐車場から、エックスがショートケーキ人間をもくもく食べているのを見つめていた。


「この街の人形はショートケーキと同じ材料で出来ていて美味しいんだって」

「……なんでそんなもの作ったんだ?」

「さあ……?」

「……そうか」


 公平が知らないのであればきっと説明できる人間はいないのだろうなと吾我は理解する。その頃エックスはショートケーキ人間を食べるのにも飽きていて、膝を抱えたままぼうっと上を見上げていた。


「大丈夫かなエックスのやつ」

「心配なら傍についてやったらどうだ」

「いいのかよ」

「どうせお前にやってもらうことなんてないからな」

「……正直に言いやがって」


 しかし吾我の言うことは正しい。公平は空間の裂け目を開いて、エックスの肩の上に移動した。彼女の瞳が彼を見つめる。


「大丈夫か?」

「うーん……。ちょっと不安」

「不安?」

「人を脅かすのってさ。あんまりやりたくないんだよね」

「……え?今更?」

「どういう意味さっ」


 肩にいる公平を捕える。掌の上に載せて人差し指を押し付けた。


「このっこのっ」

「や、やめろよ」


 エックスにとってはちょっとした暇つぶし。普通の人間であれば一大事だ。だが公平は慣れているので、抵抗しつつも心のどこかで彼女の気が済むまで好きにさせてあげようと思った。

 と、そこでエックスのポケットの中のスマートフォンが鳴り響く。公平を肩に載せて画面をチェックする。10時を告げるアラームだ。通知を止めて立ち上がる。


「大丈夫なのか?」


 エックスは公平を摘まみ上げると顔の前に連れて行き、その問いに答えた。


「まあ。もうやるしかないかなって」


 にっと笑ってみせて、上着のポケットの中に入れる。すうと息を吸い、吐いた。ショートケーキ人間に自分を認識させる。彼らにはエックスの姿が目に入った瞬間に逃げ出すように指示を与えている。

 エックスの魔法であれば箱庭の街を丸ごと焼き払うのに五分とかからない。それをしないのは訓練だからではない。他の魔女ならば『魔法で一息に終わらせる』なんてマネはしないからだ。

 手近な建物を蹴り飛ばし、逃げ惑うショートケーキ人間の上に落とす。建物の残骸が彼らを押しつぶした。


「まあ。他の子ならこんな感じかな」


 言いながら一歩前に踏み出し、瓦礫に行く手を阻まれて逃げ場を失くしたショートケーキ人間たちに足を乗せ、ぐりぐりと踏み躙る。足を上げてみると、イチゴソースの痕だけが残っていた。これがショートケーキ人間じゃなかったら大惨事だな、とエックスは苦笑した。

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