初雪の日
寒い日だった。12月。木々の葉はすっかり枯れ落ちていて寂しい。ガラス窓の向こう側で、スーツ姿の男性が寒さに身を縮こませて歩いていくのが見える。そろそろ雪が降りそうな空気だった。昨年の積雪は少なかったので、もしかしたら今年は多いかもしれない。
友人の田中と学生街のファミレスで昼食を食べている。公平はオムライスを頼んでいた。子供っぽい気がするけれども、時々こういうものを食べたくなる。ケチャップで赤いチキンライス。それを覆い隠す黄色い卵。スプーンで掬いあげて口に運ぶ。
「そうだ。この後ヒマ?」
「あン?ヒマっちゃヒマ」
何も物を食べてるときに話しかけなくてもいいだろうに。口には出さなかったが、心の奥底ではそんな事を考えている。
夜はエックスとの魔法の特訓がある。しかしそれ以外の予定はない。その彼女も今は留守である。魔女の世界にいるのだ。向こうの魔女に色々なことを任せているので、様子を見に行っている。
「ヒマならちょっと付き合ってくれよ」
「いいけど何さ」
更にもう一口オムライスを頬張る。
「前に言ってたヤツだよ。ほら。相談したいことがあるって」
「それならもう返事しただろ。まずお前のやるべきことをやってからにしろって」
「いいじゃねーかよ。どうせ暇なんだろ?」
「まあ、暇だけど」
いける。田中は思った公平という男は暇なときは大体付き合ってくれる。『どうせ暇だから』『せっかくだし』、なんて言いながら面倒ごとに巻き込まれる。そして後悔する男なのだ。
「そんな大したことじゃねーんだよ。ちょっと女子高生と会ってほしいだけ」
「え?なんで?」
ドリンクバーで入れてきたオレンジジュースを飲む。甘くて酸っぱい味が口の中に広がった。
「いやなんかさ。俺のダチが家庭教師やってんだけどさ。その生徒の友達の様子が変なんだと」
「変って?」
「人が変わったみたいになったんだってよ。前まで大人しくて優しい子だったのに、急にツンツントゲトゲした感じになったんだってさ」
「思春期特有のアレじゃねーの」
公平は興味なさげにオムライスを食べ進める。
「いや俺もそんなこったろうと思うよ。遅めの中二病だろうって。でもなんかその生徒さんが友達を心配してるみたいでさ。幽霊に憑りつかれたんじゃないかって」
自動ドアが開いて電子音がした。新しい客が外の寒さを少しでも和らげるみたいに手を擦り合わせながら入ってきて、店員の誘導に従って席へと進んでいく。入り込んできた空気が冷たい。店内の温度が若干下がったような気がした。公平は身体を暖めるようにスープバーから持ってきたオニオンスープを口に運ぶ。
「スープ飲んでないでなんか言えよ」
「考えすぎじゃねえかな」
「あ、幽霊見えるお前でもそう思う?」
コクリと頷いた。
「ちなみにどうして?」
「俺、幽霊に憑りつかれた奴なんてみたことねーし」
「ハハハッ。なるほどね」
田中は小さく笑ってソファにもたれかかった。
公平が見ることのできる『幽霊』とは、死の間際に魔力が励起した者が最期の瞬間に発動させる魔法のことである。死者の記憶や感情をそのまま継承して自由に動き回ることはあるが、憑りつかれたという例は知らない。
「じゃあやっぱしその子は遅れてきた中二病ってわけだ」
「めでたしめでたし。ごちそうさま」
オムライスを完食した公平は手を合わせて言う。
「え?奢らないよ?」
「当たり前だろ。いや、メシ食い終わったら『ごちそうさま』って言うでしょ」
「だっせえ……」
「いやいや。そういうもんでしょ」
「いやいや。大学生にもなって『ごちそうさま』なんて言わねーよ」
田中は自分のエビフライにフォークを突き立てて一口齧る。話に集中していた彼は自分の皿に殆ど手を付けていなかった。
「お前のエビが泣くぞ?」
「死んだエビが泣くかよ」
「幽霊になって出てくるんじゃ」
「エビフライが幽霊になるかよ」
くだらないことを言い合っている間に、田中は一つ目のエビフライの尻尾の先まで食べきって、二つ目に手を伸ばす。
「ま、そういうことなら、お前居なくてもいーわ。俺だけでそのJKに会う。中二病のイタイやつにな」
田中はけらけら笑いながら言った。その時、公平は胸の奥で冷たい風が通り抜けたような感覚に襲われた。このまま彼に任せてもいいのだろうか。
「幽霊に憑りつかれたとか……。相談してくるヤツもしてくるヤツだよな」
いやダメだ。このまま田中に任せたら件の女子高生をズタボロにバカにして帰ってくる気がする。相談してきた子までついでみたいに小バカにするかもしれない。
「ま、待った」
「あ?」
「やっぱ俺もその子に会う」
「え?なんで?」
「万が一ってことあるだろ。それに、ほら。幽霊が憑りついている初めての例だったらさ。見ておきたいじゃん?」
デタラメを言った。十中八九その女の子は幽霊に憑りつかれてなんていない。問題はそこではないのだ。ただ田中がおかしなな発言をしないように隣で注視しておきたいだけである。
田中はどうでも良さそうな表情でぶどうジュースを飲んだ。
「まあ。そこまで言うならいいよ」
「おう。悪い悪い」
公平は申し訳なさそうに言った。田中は何でもないような顔をしながら、内心ではほくそ笑んでいた。計画通り。
最初は面倒くさそうにしていた公平が、今では自分から強力すると言っている。こっち側が『しょうがないから会わせてやる』という立場に逆転している。話術だけでここまで持ち込めると気持ちがいいものだ。
「じゃあまあ。ついてくるならくるならしっかりやってくれよ」
「ああうん。任せておけ」
かくして。公平は『田中を手伝わせてもらう』という歪な状況を受け入れることになったのである。
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「待ち合わせ場所もここだったのかよ」
「おう。そうだよ」
もしかしたらハメられたのかもしれないと、公平は思った。待ち合わせ場所であるこのファミレスに誘ってきたのは田中だからである。最初からこの展開に持ち込むために誘導されていたのではないかと思った。
昼食を終えたのは14時半。件の女子高生が現れるのは16時。間の1時間半を二人はドリンクバーと雑談で誤魔化していた。
「なあ?」
「あ?」
「魔法使えるってどんな感じなん?」
「どんなって……別に。普通だよ」
「つまんねー」
「なんだよっ」
田中はけらけら笑いながらぶどうジュースを一口飲む。
「でもまあそんなもんかもな。そのうち、みんな魔法使える時代が来るんだろーかね」
「ああ。かもなー」
いつだったか、吾我がテレビに出て神妙な顔で魔法が云々とか言っていたなと思い出す。最近はあまりテレビは見ていないので世間の動きは詳しくない公平だったが、それでも彼らの働きで少しずつ魔法は一般的なものになっているのだろうなと思っていた。
「その時は絶対免許制だろうな。だるいなー。自動車免許だけでいいって」
「俺もう結構長いこと無免許で魔法使ってるよ」
「今はいいんだよ。法整備されてねえんだから」
「そんなもんかね」
「そんなもんだって。……あっ」
田中は何かに気付いたような顔で入口の方へと手を振った。公平はそれにつられるように顔を向ける。ぽっちゃりとした体形の男が近付いてきている。
「あいつは?」
「加藤。家庭教師してる俺のダチ」
加藤はのそのそと近付いてきて田中に返答するように手を振った。
「ああ、どうも。加藤と言います」
優しそうな笑みで会釈する。公平はそれに返した。加藤は田中に顔を向けた。
「この人が?」
「そ。あっ。三千円な」
「あ、うん」
加藤は財布の中から三千円を取り出して田中に手渡す。『サンキュー』と言いながら自分の財布にしまった。公平は唖然とした表情で二人のやり取りを見ていた。
「お前、友達から金とるの?」
「当たり前だろ。誰がロハで仕事するか」
「仕事って……。お前何もしないじゃん」
「仲介業者はマージン取ってくもんだろ」
「全額取っていく仲介業者なんかねえよ」
「あ、ほしいの?しゃあない。千円やる」
田中が千円札を公平に見せた。ひらひらと上下させている。ここで。このお金を受け取ったら。結局、田中と同じではないだろうか。そんなことを考えてしまった。
「……いや。俺はいい」
「あ、っそ」
千円札を財布にしまう。このやり取りの間、加藤はずっとにこにこしていた。金を取られ慣れている。田中との関係は本当に友達と呼んでいいものなのだろうかと疑ってしまった。
「あ、来た」
加藤が小声で言った。女子高生の一団が入店してきている。昼頃とは違い席はいくらでも空いていた。自由に席を選べる状況である。彼女たちは真っ直ぐに歩いてきた。そして。ある程度近づいたところで。加藤は声を発した。
「お、おお。鈴木さんじゃないか!」
「え、あ、ああ。先生!」
棒読み。ヘタクソな演技だと公平は思った。田中は顔を背けて笑いを堪えている。
「偶然だなあっ。ははは……」
「そ、うですね。あ、この人私の家庭教師の先生なんだー。あはは……」
他の子たちは興味なさげである。『バカだこいつ等』と田中は小声で言った。
公平にはどれが噂の幽霊に憑りつかれたかもしれない子なのか分からなかった。分からないということはおかしいところは何もないということである。だからこれで解決だ。こその旨を加藤に伝えて、彼から生徒の鈴木に心配しなくていいと言えばいい。
そんな風に考えていた公平の目は、いつしか一人の子だけに向けられていた。彼女の髪の色が気になったのである。他の子は黒髪なのに、彼女だけは派手な銀髪だったのだ。
「……ンだよ?」
「あ、いや」
ジッと見ていたことに気付かれたらしい。彼女は非常に不愉快そうな顔である。これが外だったら警察を呼ばれる事案になっていたかもしれない。
「別に……。ごめんなさい」
「ちっ」
銀髪の彼女は舌打ちしてそっぽを向いた。
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「それで。どうだった?」
「……いや?そういう気配はなかったけど。多分勘違いじゃないかな?」
加藤はがくりと肩を落とし、『そうか』と呟いた。田中は肩を震わせている。笑っている。
これ以上この店には用はない。窓から外を見て、店を出るタイミングを窺いながらオレンジジュースをストローで吸う。暫くすると加藤の携帯が鳴った。
「……えっ?」
加藤は携帯の画面を見ながら思わず声を上げる。
「……ん?」
公平は彼に目を向けた。
「……え、っと。幽霊とかそういうのはなかったんだよね」
「うん」
「いや、けど。鈴木さんがさ」
そう言って加藤は携帯電話の画面を見せた。鈴木からのメッセージが表示されている。先ほどの音はメッセージが届いたことを知らせる通知だったらしい。見るとそこには『あの人すごいね!なんで榊さんが変だって分かったのかな!やっぱり幽霊のシワザ!?』と書かれていた。
「多分、公平クンがじっと見てた子のことだと思う。でも幽霊じゃなかったんだよね。どうしてあんなにまじまじと見てたの?」
「えっ。そりゃあ……」
決まっている。一人だけ銀髪で目立ったからだ。それをそのまま言おうとした時、誰かがファミレスの窓を外側から叩く音がした。三人が同時にそちらへ顔を向ける。エックスがニコニコしながら手を振っていた。首元には少し前に買ったマフラーが巻かれている。どうやら用事は終わったらしい。丁度良かった。店を出る理由になる。
「悪い。迎えが来たし俺帰るよ」
「あ、っそ。あ、じゃあ払っとくから金置いていけ」
田中の言葉に公平は首を捻る。
「いや、自分の分は自分で払うよ」
「いーじゃんか。俺ポイント貯めてんだよ。お前はポイントカードなんか持たないだろ」
「……じゃあ」
財布から千円取り出して、テーブルに置く。田中はそれを素早く回収した。
「おっけ。じゃあな」
「……お釣りは?」
「ああわりい。今小銭ないからさ。次のゼミで返すよ」
「……返せよ。絶対返せよ?」
「そこまでせこくねーよ」
田中はにっこり笑って言った。ウソだと思った。ただこれ以上エックスを待たせたくない。公平はわざと聞こえるように舌打ちして席を立つ。
加藤が『ちょっと』と公平を呼び止めた。銀髪の少女をまじまじ見ていた理由を求められているのだと気付く。そんなこと言うまでもないだろう、と思ったが。
「ほら。あの子目立つじゃん。それだけだよ。それじゃあ」
それでも一応答えて店を出る。田中と加藤は怪訝な表情で公平を見送った。
「そうかな。あの子目立つかな」
「そんなことねえよな」
田中と加藤には、彼女が銀髪の目立つ少女としては見えていなかった。彼らには黒髪の女の子に見えていたのである。何故なら、彼女が榊梓に化けた異連鎖の聖女、ガンズ・マリアだからだ。
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「珍しいね。学校じゃなくて街のお店でお昼ご飯?どうかしたの?」
「あー、いや。大した話じゃないんだけどさ……」
ファミレスでのことを話そうとしたとき。公平の鼻に何か冷たいものが当たった。怪訝な表情で空を見上げる。
「げ」
「わあ……!」
雪が降り始めていた。それもみぞれに近いものではなく大粒の雪である。
「こっちの雪って初めてかもっ!あっ。もしかしてコレ、ホワイトクリスマスになるんじゃない!?」
エックスは楽し気に言った。一方で公平は苦虫を噛み締めたような表情である。
「これ積もるヤツじゃん……。最悪。つーか傘ねーし。もう帰ろーぜ」
「えー。この後ちょっとお散歩しながら小枝に行こうと思ってたのに」
「じゃあそこのコンビニで傘買っていこうよ。このままじゃあ冷えちまう」
公平がそう言うとエックスは何事か思いついた顔をした。彼女はコンビニに向かおうとする彼を適当な店の影へと無理やり引っ張っていく。暫くして彼女は一人で店の裏から出てきた。
「ふふふ。そこなら寒くないし、雪も当たらないでしょ?」
独り言のように言った。雪道を傘もささずに楽し気に。歩いて行く。時々マフラーを押さえて。ぽかぽかと喉元が叩かれるのを感じる。そこには60分の1程度の大きさに縮められた公平がいた。彼女の首と一緒にマフラーで巻かれている。
「こういう悪戯は良くないと思う!」
大きく声を出したつもりだが、実際にはエックスにしか届かないほどの小さな声でしかない。そしてそのエックスも『聞こえなーいっ』と知らんぷりする。だからせめてもの抵抗として、公平は彼女の喉元をぽかぽかと叩くのであった。
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「あー。降って来たよ」
「最悪だねー」
周りの女の子が窓から外を眺めながら何事か言っている。ガンズ・マリアも同じように窓に目を向けていた。その理由は他の者とは違う。ただ純粋に、目が離せなかったのだ。
「あれは……」
果てしない力を感じた。間違いなく『魔法の連鎖』の女神であるエックスであると確信できあ。そして、彼女と一緒に歩いていった男。数分前に自分をジッと見つめていた男。あれがアルル=キリルを倒した人間である可能性は十分にある。
「ふふっ……」
マリアは思わず笑みを浮かべた。この世界に潜入したのは女神エックスに関する調査をするため。そしてそれが一歩、前進した。
「調子いいな」
誰にも聞こえないほどの小さな声で、呟く。




