ボウシ再び
「……よし。ついたぞ」
エックスの部屋。巨大な机や家具の足元をこそこそと駆ける緑色の小さな影があった。
「むう。エックス殿はまだ戻っていないのか」
彼はボウシ。緑色のトンガリ帽子と、これまた緑色のびしっとしたタキシードが特徴である。見た目は子供だが正体は『シンキの連鎖』の神である。以前訪れた時に話せなかったことを伝えるために来たのである。
肝心の彼女がいないのでは仕方がない。ボウシは机の脚を背もたれにしてちょこんと座った。懐から包みを取り出す。中に入っているのは金色に輝く球体だった。思わず口元がにやけてしまう。
「おお……。パパロ・ポポロ……」
彼の好物の食べ物だった。仲間であるキリツネやムームーの前では食べない。一人の時でなければ絶対に食べない。万が一にでも他人には絶対に渡したくない。どうしても独り占めしたい大好物なのだ。
「うーん。美しい。今年は出来がいいな」
ボウシはゴクリと唾を飲み込む。小さな口を精一杯に大きく開けてかぶりついた。もちゃもちゃとした食感と甘い味が口いっぱいに広がる。恍惚とした表情で一口目を飲み込んだ。殆ど無意識に息を吐いて。何かを肯定するように何度か頷く。
「素晴らしい……。収穫した者には特別な褒美を与えねばな」
独り言をつぶやきながら食べ進めていく。パパロ・ポポロを食べると母のことを思い出す。貧乏だったにも関わらず、誕生日には必ずこの分不相応な高級品を用意してくれた。感謝してもしきれない。そんな母もボウシが大人になる前に亡くなってしまった。もっと早く『シンキの連鎖』の神になっていれば、おなか一杯食べさせてあげることができたのに。
当然のことだが、食べ物は食べれば無くなる。始めは沢山あった幸せも、一口一口飲み込んでいく毎に小さくなっていく。だからこそいい。一口食べるごとに次の一口の価値が大きくなっていくのだ。最後の一口は最も貴重な一口。ボウシは大事にそれを口に入れると、じっくりと噛み締めた。やがて喉でまで味わうようにして飲み込んだ。
「はあ……。無くなってしまった」
落ち込んだような顔をして、それからくっくっと含み笑いを零す。
「なあんて!もう一個あったりして!」
二つ目の包みを取り出す。当然中身はパパロ・ポポロだ。
「さあまずは口直しだ!感動は常に新鮮でなくてはならない!食前酒を一口……!よしっ!準備は完了である!」
二つ目を手に取り、口を開ける。最後の一口は貴重だが、最初の一口もまた同様に大切である。詰まるところ彼はパパロ・ポポロの全てが好きなのであった。歯が触れるかぎりぎりの瀬戸際。その刹那に空間の裂け目が開いた。
「ただいまー」
誰に言うでもなくエックスは帰宅の挨拶をする。大きな揺れを伴って室内に入りこんできた。
「わわわわっ!?」
突然のことにボウシは慌てたパパロ・ポポロを持つ手が緩む。エックスは更に一歩前へと足を踏み出した。再び襲い来る振動が、ボウシの手の中からパパロ・ボボロを落とす。
「あっ!ああっ!?」
球体のパパロ・ポポロはころころと転がっていく。ボウシは慌てて後を追いかけようとした。だがそれは徒労に終わる。彼のすぐ目の前に黒の靴下を履いた巨大な足が落ちてきたからだ。圧縮された空気により小さな身体は吹き飛ばされる。黄金のパパロ・ポポロはエックスの足の下敷きだ。
「う、うう……」
エックスはすたすたと歩いて台所に入って行ってしまった。痛む身体をどうにか起き上がったボウシの目に入ったのは、踏みつぶされ、見るも無残な末路を遂げたパパロ・ポポロの姿であった。
「あ、ああ……!」
がくりと膝を落とす。今日は二個しか持ってきてないのに。この巨大な女神が踏みつぶしてしまった。ぽたぽたと涙が零れる。
「ちょ、ちょっと強いからって調子に乗りやがって……!」
ボウシはわなわなと震えた。思えば。エックスはついこの間女神になった──言うなれば新米である。そんな彼女に遜って依頼をするだなんて。冷静になって考えてみると馬鹿らしい。力は向こうが上でも神は自分の方が先輩なのだ。
エックスは台所でお湯を沸かしていた。鼻唄を歌いながらココアパウダーをカップに入れている。そんな姿をボウシは睨む。
「そうとも……!私が少し本気を出せば……。あんなのはただ大きいだけの女でしかない。立場の違いを分からせてやる……。私の『シンキ』で!」
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「ふーん。クリスマスってこういうの食べるんだ。へー」
言いながらエックスはココアを一口含む。雑誌のページをまた一つめくった。椅子に座りながら昼下がりののんびりとした時間を楽しんでいる。
エックスはまだクリスマスを経験していない。昨年はちょうどその時期に人間世界を一時離れていたからだ。こんなに面白そうなイベントならば、終わってからいなくなれば良かったな、と思う。去年は出来なかった分だけ今年はいっぱい楽しもう。ウィッチの事は気になるけど。
そんな呑気なことを考えているエックスの足元にボウシはいた。その目はパパロ・ポポロを踏みつした足を睨んでいる。その瞳の向こう側で恨みの炎が燃え盛っていた。
「キサマが悪いんだぞ小娘……!キサマがこの足で私のパパロ・ポポロを踏みつぶしたんだ……!その代償はきっちり払ってもらう……。この足はもう使い物にならないと知れ!」
ボウシが両腕を交差させる。そのまま円を描くように腕を動かしていく。『シンキ』を、発動させようとしていた。
──『シンキ』とは。『シンキの連鎖』の住人の身体を流れる『アラタラ』と呼ばれるエネルギーを用いて現象を引き起こす技術である。踊るような動き。呼吸やまばたき。ありとあらゆる動作が『アラタラ』を活性化させる。
「『シンキ・レイゼン!クルテリア!』」
右手を前に突き出した。エックスの右足が紫色の光を帯びる。
「終わりだ小娘……!その足は一分とせずに腐って使い物にならなくなる。私のパパロ・ポポロを台無しにしたバツだ……!」
クックックッとボウシは笑っていた。
──それから30分経った。
「どうしてうんともすんともしないんだァ!?」
もう何度も何度も『シンキ』の技を使っている。しかし全く効かない。残念ながらエックスとボウシとでは天と地とでは足りないほどに圧倒的な力の差があるのだ。どれだけ巨大な数であっても無限大には及ばないのである。
エックスはボウシの努力など意にも介さずココアを飲みながら雑誌に目を通している。そんな状況でも彼は未だ諦めていない。次こそは。更に力を集中させる。『アラタラ』内部のエネルギーは普段の100倍以上の密度にまで高まった。ただ惜しむらくは。本人も薄々気付いてはいたが、これでもエックスには到底及ばないということだった。
「もっと……。もっと……!もっ……ぎゃっ!?」
そしてその溜めた『アラタラ』も使うことはなかった。エックスがボウシの身体に足を乗せたのである。
「こ、この……!足をどかせ小娘……!ぐああっ!?」
エックスが少しだけ体重をかけた。その少しがボウシには命とりである。途方もない重圧がかかり擦り潰されてしまいそうだった。少し力が抜けたかと思えば今度は足を前へ後ろへと動かして、その下敷きになっているボウシを転がす。そうやって暫く弄んだあとはまた体重をかけられる。
「ゆ、床に転がるゴミだとでも思っているのか……!?」
ボウシはぞっとした。このままでは自分の存在を気付かれることなく踏まれて、甚振られる。彼は神なので死ぬことは無い。だが死なないということはこの責め苦は終わらないということでもある。いっそ死んだ方がマシとも思える苦痛だった。これを続けていたら身体が無事でも精神は壊れてしまうのではないか。
「え、エックス殿!こ、ここ!私はここにいます!どうか気付いて下さい!」
もうなりふり構っていられなかった。先ほどまで小娘などと呼んでいたが、もうそうはしていられない。何としても気付いてもらわなければならない。だがエックスは答えなかった。足にかかる力が強くなる。そのままぐりぐりと踏み躙られた。ボウシは悲鳴を上げた、つもりだったが。身体を襲う重圧が強すぎて空気を吐き出しただけに終わる。
僅かに力が緩んだタイミングでもう一度叫んだ。
「エックス殿!お願いします気付いて!パパロ・ポポロの件はきっと私も悪かった!」
エックスの足が一瞬動きを止めた。だが再び力が乗せられて、ころころと転がされ、両足の間で軽く蹴られる。まるでキャッチボールの球のようだった。かと思うと今度は両側から万力のように挟み潰された。ボウシは逃げられなかった。このまま永遠に玩具にされるような気がした。涙目をきゅっと閉じて一際大きな声を上げる。
「も、も、もうやめっ、ます……!に、どとここには入らないからっ!だから……!」
そこで。ボウシは足の万力から解放された。床にポトリと落とされる。せき込みながら恐る恐る目を開けた。
「あ……」
視界に広がっているのは靴下をはいた足裏だった。それが勢いよく倒れてきて──。
「うああああ!?」
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「……性懲りもなくまた入り込んできて」
エックスは机の上に移動させたボウシを指先で突っつきながら言った。彼は怯えながらされるがままに受け入れている。
「勝手に女の子の家に入ってきちゃダメでしょ」
「す、すみません……」
エックスは帰宅した時点でボウシの存在に気付いていた。勝手に侵入されてムッとしたので知らんぷりして仕返ししたのである。やりすぎたと気付いたエックスは内心で猛省していた。ボウシは恐怖で震えた。
「まあ。もう二度と勝手に入ってこないって言うから許してあげるけど。それで今日は何の用かな?」
「……私は」
ボウシは緑の帽子を深く被りなおした。エックスは微笑みながら首を傾げる。その余裕の表情に彼はある確信を抱いていた。
彼女は魔法すら使わずに神である自分を蹂躙した。その気になれば自分を殺せたに違いない。『神だから死なないはず』なんていうのは当てにならない。自分は今、彼女の慈悲で生かされている。
神ですら目の前の女神にとっては被食者でしかない。いつでも簡単に玩具のように弄び、踏みつぶして殺せる相手だ。だからこそ。同じように神をも蹂躙するあの女神と対等に戦える。
「警告と。協力の依頼に来たのです」
あらゆる連鎖を屈服させ、支配している『聖技の連鎖』。そこに君臨する絶対なる巨神。聖女ア・ルファーと。




