コンビニバイトをもう一度。
岸田のことをローズに任せてから一週間経った。取り敢えずは魔力操作から教えているようである。毎日、夜の九時頃にローズの方から岸田の部屋に続く裂け目を開いて迎えに行き、そこから一時間だけ魔法の練習をやっている。日常生活と両立出来ているようではあった。
最初の三日間はエックスも様子を見に行っていた。二人は思いのほか上手くやっていた。和気あいあいとしながらも、ローズから岸田に触れることは極力しない。これなら事故が起きる心配もない。
「当然じゃない!私だってこれでも二人の人間に魔法を教えていたのよ!」
ローズは得意げに言っていた。岸田の最終的な目標は公平をぎゃふんと言わせることだが、取り敢えずは幽霊が現れて問題なく対処できる程度に魔法が使えるようになるのを目指しているそうである。それならハードな特訓も不要だ。今のローズなら信頼して任せることができるので、エックスも毎日様子を見に行くことはなくなっていた。
そして。そのエックスは今。
「いらっしゃいませー」
コンビニでアルバイトをしていた。
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喫茶店。エックスは公平と共に数学のゼミを終えた田中に誘われていた。せっかくなのでホットココアを頼む。寒くなってきたので暖かい飲み物が美味しい。
「頼んます!」
田中が両手を合わせてエックスに拝む。曰く、今日はコンビニのアルバイトなのだが急用ができたそうだ。手に入らないと思っていたライブのチケットが手に入ってしまって、代わりのバイトを探しているけど見つからないとか。
「ほら、前コンビニでバイトしてたじゃないっすか!今日の分のバイト代は払いますし!」
「コンビニのバイトなら俺が代わってもいいけど……」
「お前は信用ならねえからいい」
「コイツ……!」
エックスはこくこくココアを飲みながら二人の会話を聞いていた。コンビニのアルバイト。確かに田中の言う通り、一年くらい前に一日だけやったことがある。仕事は多いけれども一つ一つは決して難しいことはない。もう一日やるくらいならきっと問題はないだろう。収入印紙が切手のすごいヤツじゃあないことだって覚えたし。
「だってよお公平クン?お前仕事中にエロ本とか読むだろ?」
「読まないよ。お前じゃないんだからさ」
「俺はいいんだよ。あの時はめっちゃ暇だったからさ」
「暇でもやっていいことと悪いことが……」
「いいよ」
え、と公平と田中は同時にエックスの顔に視線を向けた。空になったカップをそっと置いて、もう一度答える。
「いいよ。今日だけ代わってあげる。何時に行けばいいの?」
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「んじゃあ!お願いします!もう少ししたら新入り来るんで!それじゃあ!」
「はいはーい」
エックスは手を振って田中を見送った。時刻は夕方5時前。急いで駅へ向かって新幹線に飛び乗る計画らしい。そういうことなら現地まで魔法で連れて行ってあげても良かったのだが、「こういうのは行き方も大事なんですよ」と断られた。田中が言うには、それが侘び寂びというものらしい。エックスにはよく分からない。公平は絶対に違うと言っていた。
「田中クンにも困ったもんだよ。まあ代わりの子を連れて来てくれたから良かったけどさ」
「あははは。そうですね」
隣のレジに立つメガネのおじさんと談笑する。このコンビニの店長だ。今日は早朝からレジに立っていたので、これから来る新入りのアルバイトの子と交代で帰宅するそうである。
「まあ。今日はあんまり忙しくないと思うから。よろしくお願いします」
「はい」
「それじゃあ。今はお客さんいないんで、商品の前出しお願いしてもいいですか」
「はーい」
エックスはレジを出ておにぎりやお弁当を前に出していく。こういう仕事は楽だから好きだ。それに普段コンビニを使うことが無いエックスには商品を見るだけでも楽しかった。
「ほうほう。オムライスのおにぎりか。美味しそうだなあ。こっちのエビドリアも美味しそう」
帰りに買っていこうと思った。それまで売れ残ってくれればいいけれど。
「ええっと。次はパンでしょ……」
「おおいエックスさん」
店長が呼び掛けてくる。エックスはその声に顔を向けた。
「桑野くん来たから、紹介したいんだけど」
もう一人のバイト。エックスはその姿に目を丸くした。向こうもびっくりしている。
「スタッグくんだ……」
「何故貴女がここに?」
「あれ?二人知り合い?なら丁度いいや。僕はもう帰るからね」
知り合いといえば知り合いだけれど。目の前に立っている桑野と紹介された背の高い青年は、かつて魔人スタッグを名乗り、ソードの部下として公平たちと戦った男である。まさかこんなところでアルバイトしているとは思わなかったが。
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店長は帰ってしまった。エックスはスタッグと並んでレジに立っている。そう言えば、と思った。最初にコンビニでアルバイトした時。あの時は高野と一緒だった。コンビニでアルバイトをしている時には魔人が現れるジンクスでもあるのか。
「あの……」
「はい?何でしょうか」
「あ、敬語なんだ……」
彼のことはよく知らない。無口で。何を考えているのかもよく分からない。そもそも全くと言っていいほど会話をしていなかった。分かりようがない。
「……まずね。スタッグくんか桑野くんか、どっちで呼べばいい?」
「どちらでも好きな方で構いません」
「……じゃあ。スタッグくん?あの後。キミはどうしてたの?」
「まあ……色々ありました……。今は姉と一緒に暮らしています」
姉。高野の事である。教えてくれればいいのにとエックスは思った。
「……いやいや。違う違う。そうじゃなくて。ボクはその色々の部分を……」
そのタイミングで自動ドアが開いた。二人とも同時に笑顔を作って「いらっしゃいませー」とあいさつする。
客が店の奥へ行き、品物を物色している。エックスは思った。彼も接客出来たんだ、と。
やがて客がオムライスのおにぎりとドリアをレジに持ってきた。エックスはごくりと唾を飲み込む。先ほどのの前出しの時点でオムライスは三個・ドリアは二個。それぞれ一個ずつ減ってしまった。バイトが終わるまで残っていないかもしれない。
スタッグは笑顔で丁寧に仕事をして商品を手渡す。『ありがとうございました』の声もハキハキしていた。イメージと違う。
客が帰った後、無意味に張り詰めていた緊張を解いて、改めてエックスはスタッグに向き直る。
「さっきの話だけど。ボクが聞きたいのは戦いが終わった後の『色々』の部分で……」
「いやまあ……色々ですよ。色々」
「だからそれを……!」
そこで再び自動ドアが開いた。エックスとスタッグの二人はにこやかに挨拶する。
「……えっ。なんでお前がこんなとこにいるの」
「……あっ。なんだ公平か」
公平はニッと笑って小さく手を振った。
「おうっ。調子どう?……あ、いや、つーかコイツ……」
「気になるよね!?ボクさっきから聞いてるんだけど教えてくれないんだよ!」
「いや。ですから。色々です。色々」
「色々じゃあ分からないって言ってるんだ!」
「なるほど。そうでしたか」
スタッグは顎に手を当て、どこから話したものかと思案する。
「そうですね。戦いのあと、WWに勾留されて」
エックスと公平は興味深げに頷く。
「ですが、彼らは俺も魔女・ソードの被害者ということで監視付きではありますがすぐに釈放されました。正直なことを言えば全く罪を償えてはいないので納得出来ていないのですが」
「えっ。じゃあ今ボクたちも監視されてるの?」
「は?え?おいおいおい。ウソだろ!?」
二人は急にありもしない視線を感じてきょろきょろしだした。どこかに誰かが隠れていたり、そういう機械が仕掛けられているということはなさそうではある。
「その後は姉と一緒に生活していました。ですが……先週姉から『家で筋トレばっかりしていないでいい加減仕事を探せ』と叱られまして」
「それでコンビニ?」
「絶対向いてねえよ……」
公平はぼそっと呟いた。この身体だったらもっと他にいい仕事があるだろうに。
「この職場はいいですよ。何がいいって仕事が少ない。笑顔でぼーっと立っているだけで金が入る」
「そ、そっか。そうなんだ」
思っていた以上にこの男自堕落である。あまりに素直な発言が帰ってきたのでコメントに困る。
「じゃあ、まあ、頑張って」
「えっ帰るの?」
「あ、うん。じゃあまた後で」
そう言って公平は店を出て行った。これ以上スタッグに聞きたいことはないし監視されるのも嫌だった。エックスは気まずい空間に一人取り残される。彼女の心がほんの少しだけささくれだった。後で仕返ししてやる。明日は学校ではないから一日中服のポケットの中に監禁してやる。もしくはもっともっと小さくして靴の中に閉じ込めてやる。
そして数時間。いつしか監視のことも忘れてしまった。本当に客が来ない。店長の言葉は本当だった。楽だが暇だ。エックスは妙にゆっくり流れる時間を明日の晩御飯や明日の仕返しの計画を考えることでやり過ごしていた。そんな時、塾帰りらしい中学生の三人組が入ってきた。まっすぐにお菓子の棚に向かい、商品を物色し始める。その間エックスは暇だったのでタバコの補充をしていた。すると突然、レジで微笑みながらぼーっと立っていたスタッグの視線が鋭くなる。
「おのれ……」
「……ん?」
スタッグはレジから出ると中学生の元へとすたすた歩いて行く。
「おい」
「え?なん……スか?」
長身の店員に見下ろされて中学生たちは気圧されているようだった。スタッグは静かに言う。
「今カバンに入れたものを出せ」
ああ、と。エックスは気付く。きっと万引きだ。流石はソードに鍛えられた男。万引きの気配もすぐに察知できるらしい。再びタバコのケースに目を落とす。と、そこで急に背筋が凍った。すごく嫌な感じがする。
「す、すみません。金、払いますから」
「お前ら。他にもこういうことやっているだろう」
「え、いや……」
「そういう手付きだった。慣れたモンだな」
「あ、あっと。すみま……」
「許せん……!」
スタッグの魔力が高まるのを感じた。危険だ。エックスは咄嗟にレジから飛び出して駆けていく。
「ちょっとちょっとちょっと!」
エックスはスタッグを羽交い絞めにして取り押さえる。そのまま中学生を睨みつけた。レジの向こうから現れたこれまた長身の女の姿に彼らはぽかんとしていた。エックスは構わずに言い放つ。
「お金!180円に消費税の14円!今すぐ出せ!」
「あ、あああ。はい」
中学生は財布から小銭を取り出す。200円。エックスはそれを奪いとって制服のポケットに突っ込んだ。中で小さな空間の裂け目を作ってレジの中から6円だけ取り出す。
「はい、おつり!今日はこれで勘弁してあげるから帰れ!そんでもう二度と来るなっ!」
「す、すいません!」
そして中学生たちは逃げるように店を出て行く。エックスはほうと息を吐いてスタッグを離した。彼は振り返りエックスを睨む。
「……何をするんです」
「何って……。あのねえ。いくら何でも魔法を使うことないだろ」
「魔法?ああ。魔力を抑えられなかったのですか……」
「何だって?」
スタッグは後頭部をぽりぽりと掻いた。どう言ったものか困っている様子である。
「魔法なんて使うわけがないでしょう。下手したらクビになる。こんないい職場なのに」
「……え?」
「それより何故逃がしたのです。せっかく警察に突き出そうと思ったのに」
「あ、え?それだけ?てっきり魔法で痛めつけるのかと……」
「いくらなんでも、俺はそこまで非常識ではないですよ」
そう言ってスタッグはレジに戻っていった。そしてまた。ぼーっと微笑みながら客の来店を待つ。エックスは目をぱちくりさせた。この男、よく分からない。
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翌日。再び喫茶店。エックスと田中が同じ席で向かい合っている。
「いやあ。昨日は助かりました!これ、昨日のバイト代!」
「えっ、いいの?まだ今月のお給料出てないんじゃない?」
「それくらいの貯金はありますよ!」
更に田中はバンドの会場で買ったおみやげのお菓子やらシャツやらをプレゼントしてくれた。エックスだけではなく公平の分まで。明らかにバイト代よりも多くの報酬をもらってしまっている。
「いやあー。なんか悪いなあ」
「いやいや。ほんの気持ちですって。まあ、公平のヤツにもね。普段ゼミで色々教えてもらってるし?」
「ふうーん?それ聴いたら公平喜ぶかもね」
「そうっすかね?しかしアイツどうしたんです?今日一緒に来るはずじゃあ」
「ん?うん。まあ色々あって」
「色々って?」
「色々は……色々だよ」
エックスは右手でココアのカップを持ち、口元に運ぶ。左手はテーブルの下に隠していた。ポケットに手を入れ、そこに閉じ込めているしている公平を指先で弄んでいる。
「おいっ!ちょっと!出せって!」
公平がポケットの中から叩いてくる。仕返しに服越しに太ももに押し付けてみた。そうやって彼の抵抗を楽しむ。
「あ、そうだ。あのスタッグ……じゃなくて。桑野クンだけど……」
「ああ、アイツ。どうでした?いや、俺意外とね。アイツと気が合うんですよね。心の奥では全然仕事したくねえってのが共感出来て」
「へえ。そうなんだ」
あんな感じでもそれなりに上手くやっているらしい。それはきっといいことなのだろうと思う。暫くの間、田中との会話と公平を虐めることを同時に楽しんでいたエックスであった。




