正体・目的・決戦
「アルル……」
「キリル……だって?」
目の前の女の言っていることの意味が分からなかった。エックスはアルル=キリルを名乗る女を睨み、問いかける。
「どういうことだい。ボクたちの知っているアルル=キリルと、キミとでは見た目も声も体系も、何もかも違うのだけれど」
女はクックッと笑い、エックスを見上げた。
「あれは儂の使途。ライムという名の、ただの『契約者』じゃ。儂の指示で『守護者の連鎖』の神──アルル=キリルとして活動させておった」
『詐欺師』というトルトルの言葉を思い出す。アルル=キリルは最初から何もかも嘘偽りに隠れていたのだ。
「……あの女が今どこにいるのか気になるところだが。この際それはいい。それよりお前の目的は……」
「北井さんに何をしたッ!」
吾我は頭を抱えた。それだって今はどうでもいいことだろうに、と。
アルル=キリルはなおも笑っている。その姿がその態度が公平の心をいらだたせる。
「テメエ……!」
「ああ。すまんすまん。なに。偶然じゃろうが。同じ回答になる質問が来たのでな」
公平と吾我は訝しんだ。この女は何を言っている。
「儂の目的は何か。食事じゃ。この人間はどうなったか。儂に喰われて死んだ。簡潔に言えば、こうなる」
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アルル=キリルは『守護者の連鎖』に住む一体の守護者であった。他の守護者と同様に人間に力を貸し与え、その代償に願い・祈り・感情のエネルギーを受け取っていた。だが、彼女は他の守護者とは決定的に異なる部分があった。疑問を抱えて生きていたのである。
「何故人間と共生しなければいけないのかのお」
「あんな弱い生き物に何故力を与えなければならんのか」
「いっそ。一方的に心ごと奪ってしまえんか」
そんなことを考えつつも、アルルは行動を起こすことはなかった。力が足りなかった。人間と守護者の関係は、彼女の住む連鎖に於ける絶対のルールである。彼女は強い守護者であったが、それをひっくり返すだけの力はなかったのである。
それでも『仕方ない』と納得することは出来なかった。いつか力を手に入れて。世界をひっくり返してやると。
気の遠くなるような時間が過ぎた。アルルの『契約者』も何度か変わった。無事に天寿を全うした者もいれば事故のような形で死んだ者もいる。やがて、彼女はある『契約者』に出会った。その名はライム。単独で十体以上の守護者と同時に契約できる器を持つ少女だった。
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「ライムには才があった。儂の力を引き出す才。儂を強くする才。ヤツを利用し儂は神に成った。その力で、連鎖の人間まるごと喰らったわ。契約の都合で殺せぬライム以外は全員。うむ。アレはよかった。永い永い生の中で初めて満腹になったのお」
聞いている方は絶句するしかない。アルル=キリルは神を名乗りながら、自分の連鎖の人間を丸ごと喰いつくしたのだ。それを楽しそうにいい思い出のように語っている姿は気味が悪かった。
「じゃがのお。困ったことにのお。全部喰ったからのお。そのうちまた腹が減ってのお。しかしもう『守護者の連鎖』に人間はおらん。どうしたものかと考えて。そのうちいいことを思いついた。『守護者の連鎖』は駄目でも、他の連鎖にはまだ人間がいる。今度はそれらを喰えばいい」
アルル=キリルが言うには──。彼女と契約していたライムは『守護者の連鎖』の人間が全滅した時からずっと心神喪失状態であったらしい。そのおかげで何を喋らせても嘘のようにも本当のようにも聞こえた。『守護者の連鎖の神、アルル=キリル』を偽装する存在としては適役だった。
「弱い神では連鎖の管理はしきれんからの。儂が代行しようと言えば簡単に管理権を得られた。それさえ手に入れれば後は心を喰らうのみ。いくつも連鎖を滅ぼした。いくつもの心を喰らった」
アルル=キリルはあらゆる連鎖を騙してきた。あらゆる連鎖の命を奪ってきた。
「なによりこのやり方が一番愉快でな。神を騙し、全てを奪い、全てを潰す。これ以上に愉しいことはこの世にはない。最高の遊びじゃ」
ライムという『守護者の連鎖』の人間。彼女も被害者だ。公平は沸騰しそうな感情を黙らせるように拳を握りしめた。
「一つ連鎖を呑み込むごとに心も体も満ち満ちて。儂は大きく強くなった」
「その割には。随分弱っているじゃないか」
エックスが口を開いた。目の前にいるアルル=キリルは、神と名乗るだけあって人間とは次元が違う存在である。だがそれでも、トルトルと同等クラスの強さは感じない。いくつもの連鎖を滅ぼしてきた存在だとは思えなかった。
アルル=キリルは自嘲するような笑みを浮かべた。
「うむ。少し派手にやりすぎたのでな。他の神と戦い、敗れた。儂はヤツの目が届かない連鎖を喰らって、傷を癒そうと思った。その為に一番新しく神が生まれた連鎖を探しておった」
「それが『魔法の連鎖』。ボクたちの連鎖、か」
エックスは倒れている北井に目を向ける。
「彼はもう。助からないんだね」
「さっきからそう言っておろうに」
アルル=キリルが右手を倒れこんでいる北井に向けた。その手が光り輝いて、彼の身体が爆発する。
公平と吾我は小さく声を上げた。北井に奪われた高野の指輪が吹き飛ばされてくる。
「これくらい分かりやすくした方がよいか?」
次の瞬間、エックスの全身からとてつもない力が迸った。公平と吾我は空間が丸ごと歪んだようにすら錯覚した。
一歩。ずんと前に出る。巨大な足痕が残って。アルル=キリルのすぐ目の前にそれを作った足が鎮座した。
「ああ。ボクは甘い。この期に及んで。お前をズタズタにして。動けないくらいにボロボロにして。元の連鎖に叩き返してやるくらいで許してやるつもりでいる」
「おお怖い怖い。クク……。じゃが、分かっとらんようだのお。何故。ここまで貴様らに儂の目的を明かしたか。最早儂の目的はほぼ完遂したからじゃ」
アルル=キリルはニタリと笑って、指輪を嵌めた手を見せつける。
「これより儂は北井善の代理として参戦する」
「なんだって?」
「この勝負のルールは儂が設定した。ルールを書き換えるのも儂の自由。北井善はもう戦えん。確かに貴様の言う通り、今の儂は極限まで弱っておる。じゃが、それ故に儂は人間に近いスケールで存在できる。北井善の代理として戦える。その儂を貴様が攻撃するということは即ち勝負を放棄するということじゃ」
「……なるほどね。『契約者』が勝とうと負けようとどうでもよかったわけだ。いざとなれば自分が表に出ればいい、か」
「殺されてしまって勝負も何もないがな。しかし貴様はそこまで出来ない。と、なれば。一瞬でも生き残ることができるのならば。貴様が儂を攻撃した瞬間にルール違反で自動的に儂の勝ちじゃ。その瞬間にこの連鎖の管理権は儂に移行する。そうすればこの連鎖は丸ごと儂の食事になる。この勝負の定義には儂の権能を最大限行使した。如何に相手が神でも逃れることは出来ん強度での」
「神様を名乗る割にはせこいヤツだな」
公平が前に出る。エックスが足元にいる彼に目を向ける。公平は顔を上げて彼女に微笑んだ。『大丈夫だ』と言うように。彼女はどこか安堵したように微笑む。そしてもう一度。アルル=キリルを睨む。
「ようはアレだろ。俺が。お前を。ぶっ飛ばして指輪を奪えばいいってことだろ?」
アルル=キリルは嬉しそうに手を叩いた。
「おう。そうじゃそうじゃ。戦おう戦おう。全力で叩き潰してやるからの」
「やってみろよ。詐欺師の蛇女」
「待て」
吾我が声をかける。公平が足を止めた。
「なんだよ」
「……俺たちだ。俺たちでヤツを仕留める」
アルル=キリルはニタリと笑った。
「来い。虫けら」
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「『バララ・ジ・ガガガ・オレガアロー』!」
雨のように降り注ぐ吾我の矢。アルル=キリルは避けようともしなかった。迫りくる矢の雨に向かって、ただ手を振る。そこから発生する衝撃波が、吾我の攻撃ごと二人を吹き飛ばす。
「うああああっ!?」
「くっ……!『アレ』は!?いけるか公平!?」
「……ああっ!」
吾我の攻撃のおかげで一瞬時間を稼げた。これで。あの魔法が使える。公平は思い切り手を伸ばした。
「『最強の刃・レベル5』!」
緋色の刃を握りしめる。公平のキャンバスが現実世界にまで広がる。吹き飛ばされながらも剣を振り、反撃に転じる。
「ほう」
アルル=キリルは興味深げに周囲を見回した。公平の魔法がいくつも同時に展開される。
『勝利の剣・完全開放』・『断罪の剣・完全開放』・『荒神の引き金・完全開放』・『星の剣・完全開放』。公平の知る強力な魔法の全てである。
「吹き飛ばせえ!」
その号令と共に五つの魔法が同時に攻撃を放った。キャンバスから現実に出力する際の劣化を起こしていない完全な魔法の一撃である。人間どころか魔女でさえも、この攻撃を受ければひとたまりもない。
「なるほど。悪くない。いや悪いのか?何にせよ人間の領域で使っていい力ではないな。キサマ寿命を削るぞ」
──だが。
「そこまでやっても」
アルル=キリルは手を掲げた。攻撃が当たる直前で止まる。公平と吾我は言葉を失った。
「儂には勝てんわけだが」
手を握り締める。公平の魔法が丸ごとひび割れて、砕け散った。
「なにィ!?」
「ぐああっ!」
吾我の声に振り返る。いつの間にかアルル=キリルは彼の懐に入って、掌底を叩きこんでいた。かと思えば。
「……うっ!?」
公平のすぐ目の前に来ていて。
「ほれ」
肘打ち。公平の腹部に打ち込まれた一撃が、彼の身体を数m吹っ飛ばした。
「……くっ」
公平は痛みを堪えて顔を上げようとした。剣を握る手に力を込める。けれど。
「うぁ……」
剣が光を失った。立ち上がることも出来ず倒れこむ。エックスは口元に手を当てた。
「公平!」
「クハハハハハッ!弱い!弱い!ああっ!所詮人間よな!」
言いながら公平の元へと歩み寄る。
「さあ。まずは貴様から……」
「待て!」
「しつこいぞ。魔法の連鎖の女神。引っ込んでおれ」
アルル=キリルは駆け寄ろうとするエックスに手を向けた。彼女の身体を光が包んで動きを止める。
「うっ……!」
「おや?拍子抜けじゃのお。貴様これを破れない程度の力しかないのか」
足下に倒れこむ公平を見下ろす。アルル=キリルは笑みを浮かべた。
「コレで」
手を振りかざす。
「儂の」
力を込めるように拳を握る。
「か──」
この瞬間を待っていた。公平は顔を上げる。
「なっ!?」
「おりゃあ!」
『レベル5』が再び緋色に輝いた。その一閃がアルル=キリルの身体を斬りつける。
「う、ぐ……?」
「うおおおお!」
逃げようとするアルル=キリルを追いかけて、『レベル5』で徹底的に斬りまくる。公平は知っていた。他のどの魔法よりも、無理やりキャンバスを広げてしまうだけの力を秘めた『レベル5』こそが一番強いのだと。その斬撃を一つ受ける度にアルル=キリルの身体から力が失われていく。
「な、なに。なにが……!?貴様、力尽きたのでは」
「おおっ!?そう見えたか!くたばったように見えたか!それは良かった!詐欺師を騙してぶっ潰す!最高だ!」
「質問に答えろ虫けらァ!」
「死んだふりだよ!バアァァァカ!」
公平は幾度となく魔女と戦ってきた。自分よりずっと強大な相手、人間を虫けらか何かと思っている相手との戦いの経験値は多い。次元の違う強者は、その強さ故に常に余裕で、常に油断している。人間如きに負けるわけがないと思っているのだ。そしてそういう存在は、勝利を確信した瞬間に最も大きな隙を見せる。
「貴様ああっ!」
「だああああ!」
公平の全力の一撃がアルル=キリルを吹き飛ばした。傷ついた身体を起こそうとする彼女に向かって走り出す。
「む、しけらがああああ!」
アルル=キリルは公平に向けて手をかざす。高エネルギーを秘めた光。まともに受ければ、如何に公平が『レベル5』を使っていようとひとたまりもない。攻撃に専念している公平ではもう避けることは不可能だ。
「『ワーグイド』!」
だから吾我が動いた。アルル=キリルの攻撃が当たるより早く吾我の魔法が発動した。『移動』の魔法。公平のすぐ目の前に魔法陣が出現する。走るのを止めずにそれに飛び込んで、その場から離れることで攻撃を避ける。
「……なにっ?うっ!?」
アルル=キリルは咄嗟に振り返る。移動先は自分の背後。もうすぐそこに公平はいた。
「うおおおおおっ!」
「くっ!?」
再び公平に手を向けて。攻撃を──。
「遅い!」
公平は全力で『レベル5』を振り抜いた。アルル=キリルの腹部に光の線が走る。『レベル5』の軌跡である。彼の手には既に『レベル5』はなかった。その力の全ては、目の前の敵を斬るために使った。そのエネルギーは彼女の内部で暴れ回って。そして。
「ぐああああああっ!?」
アルル=キリルの身体が、爆炎に包み込まれた。
公平はぜいぜいと肩で息をしながら、その場で片膝をついた。
「俺たちの。勝ちだ」
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「う、ああ」
アルル=キリルは目を覚ました。咄嗟に手を見る。指輪が、ない。
「ああ。起きたねえ」
すぐ目の前に巨大な顔が広がっている。
「きさっ」
「いやあ負けちゃったねえ。それも。詐欺師のくせに騙されちゃって」
エックスは堪え切れないようにクックッと笑う。アルル=キリルは顔を赤くして奥歯を噛み締めた。
「このっ!」
「おっ?」
エックスに向かって手を伸ばす。彼女の身体が光に包まれる。
「ならば。貴様を直接仕留めるまでよ!あの程度で拘束される貴様なら……」
エックスはアルル=キリルの言葉を鼻で笑った。あっさりと身体を動かして彼女の光による拘束を吹き飛ばす。
「……なっ」
「まあそういう事だ。この程度でボクは止められない」
言いながらアルル=キリルに手を伸ばす。傷ついた身体に鞭打って逃げようとするも、あっさりとその手の中に捕らえられてしまう。
騙されていた。アルル=キリルは気付いた。この女神は自分の力を偽っていたのだ。
「こ、の。詐欺師どもめ!」
「詐欺師はキミの方だろ。……ああ。公平も言ってたね。詐欺師を騙して陥れるのは確かに最高だ。それが沢山の人を傷つけてきた相手ならなおさら」
戦いが始まった瞬間にエックスと公平と吾我の三人は念話を行った。誰かを騙し続けてきたアルル=キリルを、一番屈辱的に倒すために、こちらも嘘と偽りをぶつける。その上で倒すと決めた。
死んだふりも拘束されたふりも。全部アルル=キリルの身体も心も打ち砕くための戦略である。
「さて。最後に警告だ。自分の連鎖のことを精いっぱい全力で考えるといい」
エックスは立ち上がった。手の中にいるアルル=キリルを軽く放り投げて掴む。そして、大きく振りかぶって。
「でないと。どこに飛ぶか分からないよ?」
思いっきり全力で、放り投げた。
「くあああああっ!?」
『白紙の世界』の果てまで飛んでいく。やがて空間の裂け目が開いた。アルル=キリルの悲鳴がその向こう側へ消える。
エックスはぱんぱんと手を叩いた。
「これで。終わりっ!」
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「……カカッ。アルル=キリルを仕留めたか」
トルトルは空を見上げた。連鎖の空を流れる光の軌跡。あそこからよく知っている力を感じる。あんなに無様にやられるとはちょっと思っていなかった。
「それも。俺の千里眼が間違っていなければ。アイツを倒したのは人間だ。弱っていたとはいえ。あのアルル=キリルを人間がねえ。クックッ。これは。奴らが動くなあ」
これはこれで悪い展開ではない。少なくともトルトルにとっては。『聖技の連鎖』が動き出す。『聖女』どもが動き出す。あの小娘も大変だな。そんなことを想って目を閉じた。




