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運動

 もやもやする。

 どうしてあの場にローズがいたんだろう。

 偶然だったらいい。だけどそんな偶然、普通はないよ。

 普段ボクがいる日本ではない国で、相沢サンが予知をした槍が落ちてくる時間と場所で、偶然散歩しているなんて、考えにくい。

 なにか隠している気がする。けれど何を隠しているのか分からない。


「うーん……」


 じゅうじゅうとお肉の焼ける音が耳を通り抜けた。生姜と醤油の香りが流れてくる。美味しそうだけれど、匂いがこもるのは困る。上空百mの位置へ続く空間の裂け目を開けて、風の魔法で立ち込めた煙を追い出す。換気扇よりよっぽど信頼できる換気だ。

 ぐつぐつ。鍋が沸騰し始める。味噌汁にかけていた魔法の火を消してやる。

 うん。これで夕ご飯の準備はできたぞ。

 ……なんか忘れているような気もするけど。まあいいや。そろそろ公平も帰って来る頃のはず……


「ただいまー……」


 なんて考えていたら、玄関から公平の声が聞こえてきた。スリッパを履いた足で、ボクはぱたぱた駆けていく。……公平にとってはどしんどしんかな?ふふふ。


「おかえりー!」

「……あれ?怒ってないの?」

「怒る?なんで」

「ほら……昼過ぎの……」

「ひるすぎ……」


 ……!


「あーっ!そうだ!そうだった!ボク怒ってたんだった!」

「なんだそれ……。怒ってること忘れるって……」

「そうだしいたけ……!しいたけ買ってない!」

「ああよかった……」


 公平のやつめ。ほっと一安心みたいな顔をしている。くそう。せっかく仕返ししてやろうと思ったのにい。

 だって普段しいたけなんて常備してないもん。公平食べないから。だから買うのを忘れたら、もう晩御飯に入れられないんだ。

 悔しい……悔しい!

 敗北感を覚えながら、ボクはしゃがみこんで公平を摘まみ上げた。


「ぐぬぬぬ……相沢サンとローズのせいだ……!」

「?なんかあったの?」

「ふんっ!公平なんかに教えるもんか!」

「昼は悪かったよ……。埋め合わせじゃないけど、せめてエックスが何で悩んでいるのかくらい教えてくれない?」

「……。なるほど。そうか。それもそうだね。公平にはちょっとくらい埋め合わせしてもらわないと!うん。そういうことなら教えてあげよう」


 公平が安心した様子で一息ついた。ボクも怒っていたことはこれでなかったことにする。だって、元々忘れちゃうくらいの話だし。そんなことでいつまでも喧嘩してる方が損だもんね。


「……じゃあ。先にお風呂入ってきて。その後、ご飯にしよう。その時に、今日あったことを話すからさ」


--------------〇--------------


「……それって、ローズに直接聞いたらダメなの?」


 ボクの話を聞いた公平は不思議そうな顔でそう言った。

 ……話聞いてたのかな?またボクを怒らせたいの?それとも怒られたいの?そういうのに覚醒してしまった?……もしもそうだったらボクのせいだな。

 色々考えている間に、公平が更に続ける。


「だって相手はローズだろ。これがワールドとかだったらおっかないけどさ。ローズだったら聞いたら答えてくれると思うし……教えてくれないんだったら、それはそれで事情があるってことだと思うな」

「その事情がなんだか分からないから困るんだよっ」

「でもローズはいい奴だから。事情があるにしても、それはしょうがないことだと思う」

「まあそれは……そうだろうけど」

「隠し事を無理に聞き出すことはないよ。ローズは変なことを考えられる魔女じゃないだろ」

「……」


 公平は楽観的だ。もう終わったみたいな顔をして、呑気にごはんをかきこんでいる。

 公平の言っていることはボクも少なからず同意できた。ローズは悪だくみができる魔女じゃない。誰かを傷つけるような魔女じゃない。そんなことはボクだって分かってる。ボクの方が公平よりずっとローズとの付き合いは長いんだ。

 ローズは人間のことが大好きな魔女だ。本当に純粋な意味で人間の存在や、その営みを愛している。そんなローズが大勢の人がいる地上に向けて東京タワーをぶつけるなんてことはあるはずがないし、何かしらの──ボクにも話せないような理由でそのことを知っていたとしても、当然止めに来るはずだ。そして彼女はその通りに行動した。何も問題はないじゃないか。

 何かを隠しているローズが心配だったのだけれど……。もしかするとボクの方が大事なことが見えなくなっていたのかもしれない。


「……それもそうか。ローズは、いい子だしね。……うん、公平の言うとおりだ」

「そうそう」

「決めたっ。明日ローズに会ってくるよ」


 それとなく今日のことを聞いてみよう。教えてくれなかったら、その時はローズのことを信じてみることにしよう。きっとそれが一番いい。


「その方がいいと思うよ、俺も。あっ、おかわりいいかな?」

「……」

「ダメ?」

「いや、いいけど」


 魔法を使って台所に飛んでいく公平を目で追いかける。……ボクが油断していると公平は太るかもしれないな。それはボクの作るご飯が美味しすぎることにも責任がある。今日は食べた分以上にカロリーを燃やしてもらわないと。


「まあそれより気になるのはそっちじゃないよな」


 台所から戻ってきた公平は、更に続けて言った。


「ボロボロの東京タワーが落ちてきたってやつ?その方が俺は気になるよ」


 それは、ボクもそうだけどさ。


--------------〇--------------


 でも、取り敢えず今、気になっているのはそっちじゃあない。

 ご飯を食べ終えた後、ボクはあーだこーだと騒ぐ公平を摘まみ上げて『箱庭』に連れてきた。手の中で公平が暴れている。文句を言っている。ご飯を食べたばっかりなのに、死にかけるようなハードな運動はしたくないって。死ななくても吐いちゃうんだって。


「だいたいエックスだってご飯おかわりしたじゃないか!」

「ボクがご飯おかわりするのと公平が運動した方がいいのは別の話だよ!」


 というかボクは幾らご飯おわかりしてもいいんだよっ。太らないんだからっ。魔女はそういうものなの!でも公平は一応まだ普通の人間の肉体である。余計なカロリーは燃やさないと、身体に溜まって太ってしまう。

 別に太っていることが悪いとは言わないけどさ。でも健康に悪いことは間違いないわけだから、運動して食べた分のエネルギーは消費してもらわないと。


「別に大したことはしなくていいよ。普段から魔法の特訓はちゃんとやってるわけだし、いつもみたいな無茶はしない」


 魔法の修行もボクが見ているんだ。問題がないことくらい分かってるよ。それに公平は時間を見つけて、魔女のミサに魔法を教えている。ヒトに教えることが出来るのは十分に身についている証だ。

主観的に見ても客観的に見ても魔法の熟練度に問題がないのは明らかだ。


「あくまで運動。ふつーの有酸素運動。『箱庭』の街を走ってくれればそれでいいんだよ」

「ホント?ホントにそれだけ?」

「な、なんて疑り深い……」


 呆れたもんだ。ボクは妻として夫の健康を心配しているというのに。そんな我儘言うヤツはボクの手から落としちゃおうか。

 ……なんて考えつつ、「ホントにそれだけだよ」と言いながら、ボクは公平を地面に降ろした。


「……怪しいなあ」

「いいから走れっ!」


 つま先で軽く公平を蹴とばす。数m吹っ飛んだ公平は、釈然としない表情で首を傾げながら走り出した。


「にしても……ホントは夜なのに『箱庭』は昼間だ。なんだか時間感覚バグるなあ……」


 ……よし。狙い通りの展開だ。十分に公平は離れた。ボクの歩幅で一歩くらい。そして魔法は使えない。ボクが封印しているから。


「あー……でもなあ……」

「っ!?」


 おっと、何かを察知したな公平のヤツ。走りながらなかなかいい勘をしている。でも残念。キミは既に走り出している。そうなるともう止められないのだ。


「確かにボクもご飯おかわりしたし?一緒に走ろうかなー?」

「待ってよお前別に運動なんかしなくても太らな」

「待たなーい!」


 そうして一歩前に踏み出す。足がついたのは公平のすぐ真後ろだ。「ちょっと!」と公平が抗議の声を上げるが、構わずに第二歩目を前に出した。今度も公平のすぐ後ろ。そうなると公平は必死になって逃げるしかなくなる。

 足を出す度に『箱庭』が揺れる。建物が崩れる。地面が砕ける。ボクが動くたびに、公平はこの街で走りにくくなる。それでも頑張って走らないと踏んづけられる……いい運動になるんじゃない?


「あははは!ほらほら!公平がんばろー!一緒に走ろー!」

「お前は走ってないじゃないかー!」


 まあ、ボクは運動とかしなくても太らないから。


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