リベンジ
「と、言うわけで。集束定理が成立するので……あ、時間っすね」
公平はチョークを置いた。殆ど同時にチャイムが鳴る。田中と一緒に参加している数学のゼミ。今日の分も終わりである。
「はいお疲れ様。次回は田中クンですね。それじゃあ」
必要最低限のことだけ言って教授は出て行った。外で「うおっ」と声がする。開いた扉の奥に人影が見えた。げんなりする。
「吾我のやつ律儀に待ってんだな」
「吾我さん?あの人まだいるの?」
公平はさっさと荷物をリュックに詰めて背負う。今日は吾我と一緒に大学に来た。その後ゼミが終わるまでずっと外で待機していたらしい。
「今色々あってさ」
「色々あるのはいいけどよお」
公平は田中と会話しながら実習室の扉を開ける。果たして、腕組みしながら壁に寄り掛かって待っている吾我の姿がそこにあった。
「終わったか」
「うん。悪いな田中。俺先帰るわ」
「おん。いいけど」
真っ直ぐ前だけ見てすたすた歩いて行く吾我。公平はその後ろを小走りで追いかける。
「……気持ちわるっ」
田中は呟いた。
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公平と吾我はスーパー小枝に来ていた。今二人はエックスの部屋で一緒に生活をしている。極力バラバラに行動しないようにしていた。
「今日は大根が安いな」
「お前意外と料理できるからありがたいよ」
エックスが不機嫌になるくらいに。『なんでボクより美味しいもの作れるんだ』ってふてくされている。
前回の戦闘から一週間経った。『契約者』の三人は次の動きを未だに見せていない。そして今彼らがどこにいるかも分かっていない。追いかけようと思えばエックスの力で追いかけることができる。ただ反則扱いされそうなのでやっていない。
WWの力で、北井が引っ越してきたという家を見つけることができた。しかしというか当然というか、実際に彼が現在進行形で生活している様子はなかった。
一馬もまた消息不明である。大学にすら通っていないらしい。いい加減に顔を出さないと授業の履修登録ができないのではないか。
そして。最後に。
「アリスさんどうしてるんだろうな……」
「さあな」
吾我は彼女が住んでいた家を知っている。だがここ暫く帰っていなようだった。
大根を手に取る吾我の横顔を見る。公平は吾我はアリスがアルル=キリルの味方をしている理由を知っているのではないかと思っている。ただ触れないでほしいという雰囲気を感じたので、突っ込んではいないだけだった。
吾我は大根を買い物かごに放り込んだ。真っ直ぐに魚のコーナーへ歩いて行く。
「今日はぶり大根にするか」
「あんまり手の込んだもん作んなって」
エックスがしょんぼりするから。
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「まあ。よかったよ」
「何が?」
買い物を終えた二人は、小枝で購入した缶コーヒーを店先で飲んでいた。ちょっとした休憩である。
吾我は一口コーヒーを飲むと小さく息を吐いた。
「お前は北井善のことを知った。それでも引きずっていなくて、さ」
ああ、と。公平は呟いた。ホットの缶コーヒーが手を熱くさせる。
北井の事情を知ったのは最初の戦いが終わってすぐのこと。公平は北井が自分の事情を話そうとしたことを報告した。エックスも吾我もすぐに理解した。彼の狙いは公平を動揺させることであると。そうでなければ自分で口止めしたことを自分で明かす理由はない。不本意ではあった。だがいつまでも黙っているわけにはいかない。二人はその場で公平に北井の本当の目的──。それがマアズへの復讐であることを話したのだった。
「いやまあ。うん。ショックではあったよ。でもいつまでも気にしててもしょうがないしさ」
そう言って公平は残りのコーヒーを一気に飲み干した。
「……そうかもな」
吾我も後に続く。コーヒーを全部飲んで。店先の自販機の横にあるゴミ箱に捨てる。
「そろそろ帰るか」
「だな。エックスもきっと待って……」
そこまで言って。二人は殆ど同時に同じ方向に顔を向けた。一馬とアリスが、そこに立っている。
「ハイ、レイジ」
「よお。公平」
二人は笑顔だった。その表情の裏側にある敵意を隠すつもりはなさそうである。
「北井善はどうした」
「前の戦いで怪我したからね。休んでいるわ」
「ハンデみたいなもんだ。二対二で戦ってやるよ」
「へえ。それはいいや」
向こうが笑顔ならこちらも笑顔。態度では負けないと公平は不敵に笑って見せる。空気を読まない吾我は不愛想に言った。
「待っていた。さあ続きをやろうか」
「ええ。前回と同じように場所はこちらで用意を……」
そこで公平が口をはさむ。
「あ、いや。大丈夫っすよ」
「え?」
そして。ぱちんと指を鳴らす。次の瞬間、四人の身体が小枝の店の前から消える。魔法で作られた異世界に移動したのだった。公平と一馬・吾我とアリス。それぞれのペアがそれぞれ別の世界で。
白い世界。殺風景な世界。一馬は小さく舌打ちした。公平はクスっと笑う。
「わりいな。今回はこっちの都合に合わせてもらうぞ」
公平も吾我も『契約者』の言うことを信用していない。ついて行った先に北井が待ち受けていて、三対二になる可能性もある。それでも負ける気はないが、念には念を入れて、だ。
得意げに笑って見せる公平の顔に、一馬は強く奥歯を噛み締めた。
「いい気に……!なるんじゃねぇ!」
一馬が鉤爪を発動させる。公平は『裁きの剣』を作り出し、迎え撃つ。
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公平と吾我が戦闘に入ったのを感じた。
「タイミング悪いなあ……」
エックスはぽつりと呟いた。せめて一日ずらしてくれればいいのに。なんて思いながら足元に生い茂る木々を踏みつぶす。彼女の巨大な足に追い立てられて、竜が飛び立った。
「ふうん。確かに人間の気配は殆どないね。絶滅危惧種だ」
彼女は飛竜の世界に来ていた。公平から聞いていたとおり、中世以前の世界といった雰囲気だ。人気のない街中には、腰より高い建物もない。いいとこ膝くらい。可愛らしい世界である。
この世界の人間はキャンバスも魔力も持たない。普通にやったら気配を察知することは出来ない。しかし、そこは全能の魔女のエックスである。彼女にはどこに人がいるか正確に把握できていた。その場所へ向かって真っすぐに進んで行く。道中にうち捨てられた街があった。人がいないのは分かっているので、平気で家々を蹴り飛ばし、踏みつぶして進んでいく。
時々竜に攻撃された。虫でも払うみたいに手で叩き落す。竜がかしこい生き物だというのは知っている。だがそれでも。エックスにとっては所詮羽の生えたトカゲだ。殺さない程度に加減はするけれど、敢えて優しくふるまうつもりもなかった。
たどり着いたのはまた別の街。多くの竜が一か所に集まっているのが進む最中で分かった。ずんずん進んで行く。
エックスが近付いてくるのに気付いた何匹かの竜は、彼女の顔あたりまで飛んで炎を吐いてきた。
「うっとおしいなあ」
雑に掴んで背後に放り投げる。足元で集まっている竜たちは軽く蹴り飛ばしてどかした。そうして、そこに居た生き残りのすぐ目の前でしゃがみこむ。怯えた表情。有無を言わさず手を伸ばす。指先で軽く摘まみ、顔の前まで連れてくる。
男の子だった。涙目でひいひい言っている。恐がるのも無理はない。彼にとっては、魔女は自分たちを襲う飛竜の進化した姿である。
不安を少しでも取り払おうと微笑んでみせた。それが却ってよくなかったのだろうか。男の子は大きく悲鳴を上げる。エックスは少ししゅんとした。
「あ、っと。ごめんね。ちょっと聞きたいことがあるんだけど?」
もうこうなったら手短に用件を済ませるのが一番いい。
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「……全く」
何匹もの飛竜が倒れて。
「ボクに勝てないことくらい一目で分かりそうなもんだけど」
何人もの角付きの魔女が倒れて。
「それで?話す気になった?」
そしてエックスの手の上で、ころころ転がされる角付きの女性が一人。
彼女は飛竜の世界の、魔女の首魁であった。力もないのに自分たちを道具として使う人間に反旗を翻した飛竜の世界における最初の魔女、その意思を継いだ二人目である。
突然現れて聞きたいことがあると宣うエックスを、仲間と一緒に追い返そうとした。だが相手が悪かった。一分足らずで全滅し自分自身は縮められて玩具にされている。
「ずっとさ。不思議だったんだよね。いくら何でも。飛竜が人間を追い詰めるのがちょっと早すぎるなって」
指先で手のひらに押し付けてみる。きゅうと声が聞こえた。小さくなっても魔女は魔女。ちょっとくらい強くしても大丈夫だと分かっている。
「それにタイミングが良すぎるよね。キミの仲間が人間世界を襲って、ちょうどそのタイミングで活動していたアルル=キリルが迎撃した。……まるでアイツが自分の力を見せようとしていたみたいだ」
もう少し力を込めてみる。
「ねえ。もう一度聞くよ。キミたちさ。アルル=キリルと手を組んでるんだよね?首を縦に振るか横に振るかくらいはできるだろ。答えなさい」
『アルル=キリルは詐欺師である』。トルトルの言葉だった。その意味をエックスなりに考えて出した予想である。そして、これが合っているのならば。
「アイツは『魔法の連鎖』の管理権限が欲しいのは本当なんだろうね。でも、管理する気は全くないんだろ?」
ここで問い詰めた情報が今すぐ戦局を変えたりはしない。だがアルル=キリルという存在を深く知る第一歩にはなる。きっと必要なことだとエックスは思っていた。




