鋼鉄
「こんなところでやるんですか」
「悪くないと思うんだけどなあ」
北井が待ち受けていたのはどこかの学校の体育館だった。窓の向こうの景色は人気が無い。枯れ木と風だけ。だだっ広い中にたった二人だけがいる。
「一馬クンじゃなくて、悪かったね」
バツが悪そうに笑った。公平は苦笑いする。
「いいです。誰が相手でも、やることは同じだ」
「そうかい」
北井は天井を見上げた。公平は思わず釣られてしまう。天井の隙間に挟まっているバレーボールが見えた。
「ここは僕と、ミリの母校なんだ」
「……なおさら。ここでやっていいんですか」
「いいんだ。どうせ廃校だ」
北井は微笑みながら答えた。その表情に公平は何か危うさを感じた。深く息を吐く。相手はきっと全力でくる。だから自分も全力で答えなければいけない。
「俺は貴方の目的が金だとは思っていない。本当は、本当のことを聞きたい。だけど……今はそういう事は忘れます」
北井は嬉しく思った。心の底から。吾我は自分の頼みを守ってくれたのだ。
「公平クン」
──だから。
「なんです?」
「本当のことを、聞きたいかい」
だから話せる。真実を。今このタイミングで。北井は公平の瞳が僅かに見開かれたのを見逃さなかった。やはり知りたがっている。そして知れば少なからず動揺する。北井善という人間が味わった絶望。嘆き。悲しみ。怒り。恨み。まだ触れたことのない人間の感情。復讐心。
どんな手も使うと決めた。何をしてでも勝つと。そして、ミリの仇を取ると。その為なら自分の痛みをぶつけたって構わない。
「僕は──」
公平がごくりと唾を呑んだ。まさにその瞬間だった。
「……なに。おい。冗談じゃないぞ」
北井がぽつりと呟いた。公平は怪訝な表情で彼を見つめる。
「どうかしたんですか。北井さん」
「すまない。状況が変わった」
その手が巨大な鎚を握る。北井はそれを思い切り床に叩きつけた。振動が体育館全体を襲う。亀裂が床から壁面へ、そして天井へと走っていく。
「なにぃ!?」
「悪いね」
天井が崩れていく。瓦礫が落ちて、北井の姿が見えなくなった。
「アンタ……!何を……!」
公平は手を伸ばして叫んだ。その声も崩壊の音に飲み込まれて、かき消されていく。
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「……さて、と。上手いことやっつけたし」
高野はてくてくと歩いて行く。一撃。殆ど不意打ちのようなものだったが、なんにせよ敵を倒したことには変わりない。後は指輪を回収するだけだ。小さく呻く一馬に近づいていく。
「……ん?」
「待った」
突然現れたキャンバスの気配。同時に聞こえた声。高野は後ろに振り向いた。
「悪いね。助太刀させてもらう。まだここで彼を倒されるわけにはいかない」
「貴方が北井善ですか」
北井はニッと笑った。
「ああ。そうだ」
そして手をメガホン代わりにしながら大声を出す。
「おうい一馬クン!助けに来たよ!選手交代だ!あ、僕のところにキミのお兄さんがいるから、譲ってあげるよ!」
一馬の手がピクリと動いた。砂浜を握り締め、よろよろと立ち上がる。
「公……平……!ううっ!」
高野の背後。一馬のキャンバスの気配が消える。ほぼ確実に奪えた指輪を逃した。惜しいが、仕方がない。魔人の姿のままで構える。
「同じことです。彼は手負い。公平さんなら負けません。そして──貴方も私には勝てません」
「どうかな。まあ、やってみようよ」
高野は砂浜を蹴った。魔人の超人的身体能力で一気に距離を詰める。北井は防御も回避もしなかった。ただ、手に持つ大鎚を振りかぶる。
「たあ!」
「はあ!」
拳と鎚とがぶつかり合った。互いの身体を強大な衝撃が襲う。
「……くっ!?」
「おおっ!?」
電流を受けたような痺れ。力比べは互角。衝撃で二人の身体は殆ど同時に吹き飛ばされる。
「……やれやれ。とんだバカ力ですね」
「そっちこそ。でも、まあ。そっちは素手だものな」
北井の鎚は健在。一方で高野の拳は砕けてしまった。流れる血が止まらない。
「これで少しはこっちが有利になったかな」
「──果たしてそうでしょうか?」
だが高野には、魔人スタッグには固有の能力がある。超速再生。例え拳が砕けようとも関係ない。その傷すら瞬時に再生するのだ。
「おお。これはびっくりだ」
「さて。これでこっちが有利になったのでは?」
力比べでは完全に互角。その衝撃は魔人の拳を砕くほど。しかしそれは北井の方も同じことである。彼の身体もただでは済んでいないはずだ。回復能力がある自分の方が有利である。
北井は困ったような表情で後頭部を掻いた。
「仕方ないな。まだ使いたくないんだけど」
鎚を回転させ、すぐ目の前に突き立てる。その柄を両手で握りしめる。
「『満る殺意。鋼鉄の意志。業火の執念』」
なにか来る。何か悪い予感がする。絶対に邪魔しなくてはならない。
魔人への変身・及びその維持はキャンバスのリソースを大きく消費する。この状態では強い魔法は使えない。それでも牽制くらいならできる。
「『炎の雨』!」
高野は炎の矢を天に向かって撃った。矢は雨のようになって北井の周囲に降り注ぐ。
その身体が炎に貫かれ、血が流れた。痛みが無いはずがない。火傷しないはずもない。それでも北井は詠唱を止めなかった
「『アルル・キリル・ディオルドラド』!」
北井の影から白い大蛇が飛び出した。炎の矢を振り払いながら天に昇り、落ちてくる。真下にいる契約者に向かって大口を開けながら。
「えっ!?」
彼の身体が大蛇に飲み込まれた。と、思うと。蛇は解けるように消えていく。最後に北井の姿だけが残った。先ほどの蛇を思わせる上下真っ白な服を身に纏って。
「さて」
北井は高野に向かって真っすぐに歩き出した。服が徐々に赤くなっていく。炎の雨のダメージが。矢に貫かれた傷が。そこから流れる血が。その白を赤く染めていく。
「くっ……!」
高野は再び炎の矢を放った。北井の腕に、脚に、確かに命中している。傷の数も増えていく。それでも。
「止まらない……!」
北井はただただ無言で真っ直ぐ進んでくる。自分とは違う。彼には回復能力はないはずだ。そんなものがあればとっくに使っている。それでも止まらない。傷なんて気にせずに。痛みなんて感じないかのような顔で。
「僕はこれ以上の痛みを知っている。この程度は、止まる理由にならない」
「……仕方ない!」
これ以上の半端な攻撃は北井善の身体に致命的な後遺症を残しかねない。ならば一撃だ。一撃で意識を飛ばす。それで終わらせるしかない。背後の羽が開いて羽ばたく。
「はああっ!」
一気に急上昇して。頂点で一瞬静止し、滑空する。速度が上がっていく。この一撃で終わらせなければならない。
拳を大きく振りかぶる。真っ直ぐに進んでくる北井に答えるように。高野も真っ直ぐに向かっていく。拳を強く握りしめて。次の瞬間には攻撃を放てるという瞬間で。
「……っ!?」
そこで気付いた。北井は防御も回避もしていない。脱力している。これは高野にとっては想定外であった。こんな状態で、この一撃を受ければ。
(死──)
全身に力を込めて。全力で身体を止める。反動で骨が砕けるような痛みが走る。それを無理やり回復させようとする魔人の身体。強制的な回復が却って痛みを与える。
だが。そんな決死の行動の甲斐あって、北井への攻撃は直前で止まった。
「ああ。ありがとう。やっぱり公平クンの仲間は優しいね」
言いながら北井は鎚を振りかぶった。
無理やり攻撃を止めた跳ね返り。高野は全身を包む痛みにも負けずに防御の姿勢を取る。
「無駄だよ」
鎚の先が燃え上がった。その鉄槌が高野の腕──防御の上から殴りつける。
黒い身体が吹き飛ばされた。砂浜に転がって、光を放ちながら崩れ落ちる。高野は人間の身体に戻っていた。
「奇しくも、同じ作戦だったらしいね」
北井は高野の元へと歩み寄った。強烈な回復能力を持つ彼女を倒すには、一撃で鎮めるより他ない。
「……おや。キミの意志もなかなか」
高野には既に意識は無い。それでも彼女は指輪を奪わせまいと右手を左手で覆い隠していた。
「だが」
北井はその手も振りほどき、右手の中指に着けられた指輪に触れる。
「勝負を分けたのも意志だ。僕は、どんなことをしてでも勝つよ」
そう言って指輪を外す。
「まず一つ」
手の中で放り投げて、転がしてみる。
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「……!」
高野が、負けた。エックスはそれを感じ取った。危険な状態だ。すぐに助けに行かなければ命が危ない。
公平は弟の一馬との戦闘に入っている。出来ることなら見届けたい。だがそんな余裕はない。空間の裂け目を開いて高野の元へと向かう。
「高野さん!」
そこには既に北井はいなかった。エックスは地面を揺らしながら砂浜を進んでいく。その先で血だらけで倒れている高野を見つける。
彼女の小さな身体は、触れれば壊れてしまいそうなくらいの大怪我をしていた。膝立ちになって靴のすぐそばにある身体に指先を近づける。暖かな光が彼女を包んで傷を癒す。
「よし……!」
慎重に慎重に、と。傷の癒えた高野の身体を摘まみ上げる。
「高野さん!?高野さん!?」
声をかけるも意識は戻らない。ただ呼吸がしているのは分かって、どうにか一命はとりとめたことが分かった。
「高野!」
「大丈夫か!?」
公平と吾我が駆け寄ってくる。戦っていた相手が突然撤退したこと。そして、戦いの最中高野の力を感じ取れなくなったことで、何かがあったと勘付いたのだ。
エックスは二人に小さく微笑む。
「うん。大丈夫。傷は治したから。もう大丈夫だよ」
公平は安堵したように息を吐いた。吾我はエックスに頷くと、公平に向き直る。
「今回の目的はきっと指輪を一つ奪うことだけ。そうじゃなければあんな簡単に撤退しない。相手は思っていた以上にクレバーだ」
「……そうかもな」
「それが分かった。三人目の敵が誰かも分かった。今回の戦いは無駄じゃあない。失っただけでもない」
公平は頷いた。次は、こちらのターンだ。




