悩みのタネ
悩みのタネ。ワールドから預かったのはいいけれど、これは一体どうしたらいいの?エックスは頭を抱えた。
机の上には小さなガラス瓶。エックスの感覚では相対的に5cmほどの──実際には2mの大きさの小瓶が置いてある。中身は極小サイズに縮められたヒトたちが10万人ほど。内部は魔法で時間を止めているらしく、閉じ込められたヒトたちは動くこともないし死ぬこともない。瓶を振っても少しも動くことはない。小瓶はコルクで蓋がしてある。蓋を開けると中身の時間が動き出す仕組みだった。
エックスが悩んでいるのはこの小瓶の扱いである。
これを放置するのはよくないことだ。どう好意的に考えても、彼らは何らかの魔法で瓶詰にされてしまっている。許されることではない。控えめに言っても拉致監禁である。助けなくてはいけないのは間違いないことだ。
ではこれを開ければいいのかと言うと、コトはそう簡単ではない。彼らがどこから連れてこられたのか分からないからだ。話を聞いてやって元の場所に帰してやりたいけれど、10万人の小人全員とお話できるわけがないので、一人だけ外に出して残りには瓶の中で待ってもらう必要がある。その間、自分の巨大な姿をさらして怯えさせるのは忍びない。
少なくとも蓋を開けずに放置しておけば、これ以上瓶の中のヒトたちには不利益なことは起こらないというのも、エックスを悩ませる理由になっていた。
「ううん……まあ、でもいっか……」
開けることの問題点はある。だが開けないで閉じ込めておく方が酷いだろうという判断。これ以上ごちゃごちゃ悩むのが面倒であった、というのもある。
瓶を横に倒して出てきやすいようにし、コルクの蓋に手をかける……と言ったところで、「はて」とエックスの手が止まった。
ここで蓋を開けるのは簡単だ。だが開けた瞬間に内部の時間が動くことになる。
緋色の瞳が瓶の中を覗きこむ。10万人超のヒトは積み重なる形でそこにいる。上の方にいるグループはともかく、下層は蓋を開けた瞬間に潰れてしまうのではなかろうか。そうなると助けようとすることで彼らを殺めてしまうことになる。
……それを狙っているのだとしたら、瓶の製作者は相当根性がひねくれている。ムカつく。なんてイジワル。
とはいえ、こんな瓶を作った性悪な相手に幾ら怒っても仕方がないので、対策を考える。
瓶を開けた瞬間に内部の重力を弱くすれば、上にいるヒトたちの重さで下のヒトたちが潰れるようなことは起こらないはずだ。重力操作のタイミングはシビアだが、エックスにとってはそう難しいことではない。他でもない彼女自身がそれを自覚していた。
「……よし」
すう。
はあ。
しかしエックスは深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。それは重力操作のミスを防止するためではなかった。
恐らく瓶を開けた瞬間に中は大騒ぎになる。ガラスの向こう側で山のように大きな超巨人……つまりエックスの姿が目に入るのだから当然のことである。まずは瓶に閉じ込められているヒトたちに落ち着いてもらわなくてはならない。
(……ええと。ボクは皆さんに危害を加えません。ボクは皆さんを元いた場所に帰したいんです)
恐がらせてはいけない。まずはこちらに敵意がないことを理解してもらう。その上で彼らに起こった出来事を聞かせてもらう。最後に彼らがやってきた世界を探し出して、元の大きさに戻して帰してやる。
「……よし。開けるぞっ!」
頭の中でプランを思い描くと、コルクの蓋を摘まんで、引っこ抜いた。気の抜けた音がする。果たして、瓶の中の時間が動き出す。閉じ込められていた人たちは、ガラスの壁の外側から自分たちを見つめているエックスに気付いて、騒ぎ出した。微細な絶叫が集まって、微かな叫びとしてエックスの耳に入って来る。
「うわあ」
予想通りのパニックである。重力操作のせいで思うように動けていないようだが、みなエックスから逃げようとしているように見えた。少なくとも瓶の口周辺に寄り着く人は一人としていない。
「お、追いついて……ボクは皆さんを助けたくて……」
瓶の中の狂騒に変化はない。むしろ一層激しくなったようにも見える。「危害は加えない」だとか「元居た場所に帰したいのだ」とか言っても、それは変わらなかった。むしろエックスが一つ声を出す度に瓶の内部の恐怖は増していく。
パニックのせいで声が届いていないのだ。……これでは埒が明かない。エックスは穏便に会話するのを諦めた。多少強引に瓶の中から出てきてもらうことにする。
瓶の中にいる一人に魔法をかけて、ふわりと浮かび上がらせて、瓶の外側へと運ぶ。
相手は非常に小さい。運んでいる間のGの影響で潰れてしまうことのないようにゆっくり慎重に外へ出してやって、最終的に人差し指の先に乗せた。
それから、目を離した間に脱走しないようにと、再び瓶にコルクの蓋をする。これで中にいるヒトたちは出られなくなったわけだ。
「さて。ちょっと話を聞かせてもらうよ?」
と言っても、指先にくっついている塩粒みたいなサイズのコビトと会話するのは流石に難しいので、元の人間サイズへと戻してやる。これくらいのサイズ差がエックスにとってはちょうどいい。大きくしてみればそれは若い女性であった。胸をエックスの親指と人差し指で挟まれる形になっている。
「改めてこんにちは。ボクはエックス。少しお話を……」
「わあああああ!」
「えーっと……落ち着いて。ボクは貴女に危害を加えるつもりはなくて。話がしたいだけで」
「わ、わ、ああ、ああああ!」
「……おーい」
「わいらあふあありい!」
「……ん?」
「れるとますれったみりんてりむますりおんん!」
「……え?」
ここでエックスは翻訳の魔法が、効果を発揮していないことに気付いた。
気付いてから「そんなわけないじゃん」と思いなおして、じっと指先のヒトを見つめる。その視線が怖かったのか、彼女は小さく声を上げて涙目になったが、そこに気をかける余裕がエックスにはなかった。
(翻訳魔法は正しく動いている。でも、これじゃあ話が通じるわけがない。意思疎通の機能が破壊されている……!)
翻訳魔法が効果を為すわけがない。同じ言語で話したとしても出鱈目に聞こえるようになっているのだ。翻訳で言葉を合わせたとしてもそれすら意味を失ってしまう。英語を日本語に翻訳したあと、翻訳された日本語をアナグラムでバラバラにされたようなものである。
「しかも、機能はもう壊れちゃってるから、魔法を解除しても戻らない……?
壊された意思疎通機能を直す自信もエックスには無かった。この破壊は自分と同じ技量を持った魔女が強烈な悪意で実行した最大級の嫌がらせだ。下手に手を出すと却ってとんでもない拗れ方をして、ますます元に戻せなくなる。
エックスは横目で机の上の瓶を見た。「まさかこの中のヒト全員が」と悪い想像をしてしまう。恐らくそれは正しいのだろう。
「……破壊か」
エックスはいつかの稲妻を思い出していた。この瓶を作った犯人は、あの稲妻を落とした張本人ではないかと、考える。
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それはそれとして、エックスは瓶の中のヒトを元の世界に帰すことは諦めた。
本来の予定では彼らに自分たちの住んでいた街をイメージしてもらい、それを辿りようにして空間の裂け目を開けることでそこまでの道を作ることが出来るが、そのお願いをすることすらできない。意思疎通が取れないのだから仕方がない。
「はあ……しょうがないや」
エックスは、止む無く新しい『箱庭』を作った。世界と世界の狭間に浮かぶ、一つの街を再現して作られた世界である。彼女も知っている人間の街を再現している。都市機能を動かすエネルギー用にエックスは自身の魔力を地下に流し込んでいる。100年くらいはもつ計算である。食べ物や飲料についても魔法で自動的に生成されるようになっている。瓶の中にいる5cmサイズの人類であれば生活には困らないはずだ。
「……あっ。しまった」
後は瓶の中の人たちを『箱庭』の中に入れてあげるだけ……なのだが、ちょっとしたミスにエックスは気付く。『箱庭』を作ったはいいが、自分の足の踏み場を用意するのを忘れていたのだ。
「……まあいいや!」
とはいえエックスは気にしないことにした。この新しい『箱庭』にはまだ誰もいない。それに住居は瓶の中のヒトたちが、全員一人で十個の家屋を独占したとしてもまだ余るくらいには用意したのだ。それなら、ちょっとくらい踏み潰しても整地しても問題はない。
瓶を手に取って空間の裂け目を開ける。新しい『箱庭』に通じる道だ。足を踏み入れた先には『箱庭』の街の一画がある。
相対的に1kmくらいの大きさになるのかな?などと考えながら、無造作にそれを踏み潰し、ぐりぐりと足を動かして、綺麗な更地へと変えた。
瓶の中の人々はその光景に震えあがる。10万人の人間を閉じ込めているガラス瓶を、まるでピーナッツみたいに摘まみ上げてしまえるくらいに巨大な女が、にこにこしながら街を踏み荒らしているのだから当然である。次は自分たちが遊びで磨り潰されるのではないかと気が気でない。エックスにはそんな気は毛頭ないのだが、それを伝える術はここにはない。
「よしっ。こんなもんでしょ」
足の踏み場を作って、その上に立つ。少々狭いが、転ぶということはない。エックスはその場にしゃがみこむと、左右の靴の間に瓶を置いて、蓋を開ける。暫く出てくるのを待ってみるが、いつまで経っても外に出てくる気配はない。
「出ておいで~。怖くないよ~」
痺れを切らしたエックスは、そんなことを言いながらガラス瓶を軽く叩く。潰されると思ったのか、中のヒトたちがわっと飛び出してきた。少々強引な手にはなったが、結果オーライである。
「よろしい。えーっと後は……」
意思疎通機能の修復は急務だが、それより先にやるべきことがある。彼らはエックスとだけではなく、お互いに会話もできない状態である。トラブルが起こる可能性は非常に高い。ならば用意するのは、警察的な役割をする存在だ。そいつに意思疎通機能の修理もやらせれば一石二鳥である。
「そうしようそうしよう!」
ぱちんと指を鳴らす。街の中心部に5mくらいの大きさをしたエックスと瓜二つの人形が出来上がった。人形は目を開けると、にこりと微笑んで「あーあー。マイクテストマイクテスト」と喋る。
「……うん。成功だよ、ボク!」
「よろしい!頼んだぞ、ボク!」
エックスと小さいエックスが手を振り合った。
奇妙な光景に人々は困惑し、同時に怯える。「みんなー。これからよろしくねー!」小さいほうの巨人がにこにこして何か言っているが、意味が分からなくて恐ろしい。
言葉が通じないのは承知の上だ。とにかく彼らを死なせるわけにはいかないのだ。かなり無理やりなのは分かっているが──というか見る人が見れば拉致監禁の疑いがあることは分かっているのだが、それでも取り敢えず生活環境を作る必要がある。意思疎通さえできるようになれば、事態は解決する。それまではどうにかこの『箱庭』で生活してもらうしかない。
「……じゃあ、また来るから!」
本当に大変なことになっちゃったな。エックスは思いながら、自宅へ帰るのであった。




