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追いかけっこ

 エックスは時々、酷く退屈することがある。

 永い時を生きる魔女である以上は仕方のないことだった。

 他の魔女は長命種であるが故の退屈を紛らわせるために、商売をしたり物を作ったり学問に没頭したり、或いは他所の世界から人間を攫って弄んだりする。巨人に弄ばれた人間は往々にして碌な末路を遂げることはない。少なくとも生きて帰ることは不可能だ。

 さて、それではエックスは退屈しのぎに何をするかと言うと、大体一つの事柄に行き着くのであった。


「……ねー公平。ねー。あそぼーよー」


 つまりは公平で遊ぶことである。


--------------〇--------------


 常日頃、理知的風な顔をしている巨人の恋人が、普段とは打って変わって甘えてくる時、彼女は酷く退屈をしているのだということを公平は幾つかの経験に基づいて理解していた。


「ねー。ねええー」


 普段は公平が次回のゼミの準備をしている時は邪魔をしてこないのだが、今日は違った。相手の事情を無視して大きな緋色の目を近付け、巨大な指先でつんつんと彼の頭を軽く叩く。間違いない。エックスは酷く退屈している。

 こういう時にエックスを邪険にすると却って酷い目に遭う。そのことも公平は知っていた。

 そもそも身体も力もまるで違う。その気になったエックスに公平は絶対に敵わない。そして退屈のラインがある一線を越えてしまったエックスは、その巨大な身体と絶大な力を振るうことに躊躇いがない。「今忙しいから」と断ったところで、散々駄々を捏ねられた挙句に無理やりエックスとの遊びに付き合わされてしまうのだ。嫌がってもお構いなしである。

 無理やり玩具にされるくらいならば大人しく従っておいた方が後々楽である。ゼミの準備も切羽詰まっているわけではないし、エックスと遊ぶ余裕がないわけではない。

 ……ただ。その日の公平は少しスリルを求めたい気分であった。今にも崩れそうなつり橋があれば敢えて渡ってみたい。断崖絶壁に挑戦してみたい。そして、退屈をしている巨人の恋人の要求を敢えて断り、逃げ切ってみたい。


「いや。ごめん。今忙しいからさ」

「……ふーん。そっかー。じゃあ、仕方ないな。無理やり!」


 深い影が公平を覆った。エックスが手を伸ばしてきたことを背中で察知した公平は、魔力で強化された身体能力を生かしてその魔の手から逃れる。

 公平のいなくなった机。そこに伸びかけていたエックスの左手がぴたりと止まった。少し口角を挙げて、彼女から逃げ出した公平に視線を向ける。


「……へえ」

「いや忙しいからさ。悪いけど逃げるな?」


 小さな身体で公平は家具から家具へと飛び移って逃げて行った。


「なあんだ。公平ってば分かってるじゃん」


 エックスはポツリと呟く。これはそういう遊びだ。つまりは巨人対人間の鬼ごっこ。今までにない趣向だ。小さく『ふふふ……』と笑い声をこぼしながら、わざとらしく大袈裟に動いて、公平の後を追いかけ始める。

 公平はというといつの間にか床に降りていた。魔法も使わずに開きっぱなしのドアに向かって走っていく不自然な姿がそこにあった。


「おっ。来たな。ならさっさと部屋の外に」

「ふふん。逃がすかっ」


 言いながらエックスは手を開けて、虚空を軽く叩くみたいに手首を動かした。それに連動して、台所と廊下へ続く引戸が音もなく閉じてしまう。「おっと」という公平の声がエックスの耳に入った。焦った様子はないけれど焦ったような言葉は言ってくれている。公平のノリの良さに、エックスの口角は無意識に上がっていた。


「さあっ!これでもう部屋の外には逃げられないぞお!」


 そう宣言すると、エックスはまるで猫のように四つん這いになり、公平の高さに顔を近付ける。ゆっくりと持ち上げた手を少しだけ強く畳の上に叩きつけて音を出し、彼を煽る。


「ふふふ……。大人しくボクに捕まってもらおうか!」

「くそ~。こうなったら何が何でも逃げ切ってやる!」


 公平はエックスに向かって走り出した。


「おおっと!ボクに向かってくるなんて!」


 驚いたような口ぶりをしてみるけれど、実のところエックスは公平のこの動きを想定の内に入れていた。

 さっきまで公平がいたのは既に閉じられた台所に続くドアの前である。前方にはエックスがいる。逃げられる方向は公平から見て前方、右方、左方。或いは上だ。

 このうち上に逃げるのは一番あり得ない。逃げることにならないからだ。ただエックスが立ち上がり、前に出るだけで、彼女の身体とドアに挟み込んで捕まえることが出来る。長い付き合いなのだからこれくらいの動きは想定しているはずだ。

 では左右はどうか。悪くない逃げ道ではある。ただこちらに逃げた場合はエックスが立ち上がる可能性が高い。

 メインで攻撃してくるのが両足だけになる。踏みつけてくるということだ。

 多少動作の精密性は下がるが、機動力は四つん這いになっているよりも高い。それに全体重を乗せた踏みつけ攻撃は、裂けることが出来たとしても少なからず揺れの影響を受けることになる。エックスにとっては僅かな揺れだとしても、公平にとってはそうではない。転んでしまって、捕まるかもしれない。

 だから真っすぐ前に向かって走るのだ。わざわざ立ち上がるまでもなく、腕を持ち上げて振り下ろすだけで、エックスは公平を捕らえることが出来るようになる。


「くらえー!」

「くらうか!」


 公平は魔力で身体を強化して、前方に思い切り跳んだ。次の瞬間、一瞬前まで公平がいた位置にエックスの手が叩きつけられた。

 この一撃を避けることが出来れば、公平のいる場所は四つん這いになっているエックスの身体の下になる。そこはエックスに最も近い場所であり、先に進めば進むほどにエックスから覗き込むことも手を伸ばして獲物を捕らえることも困難になっていく領域だ。このまま走っていってエックスの脚を超えてしまえば手を伸ばすことも難しくなる。


「……くくく。このボクがキミの作戦に気付かなかったとでも?」

「なに?」

「今度はこうだ!」

「うわああっ!?」


 脚を真っすぐに伸ばし、公平を身体の下敷きにする。勿論潰すことはしないが逃がすこともしないギリギリの塩梅で、だ。


「さあ捕まえた……。どうやって玩具にしてやろうか……」


 エックスはほんの少し身体を揺すった。へそより少し上の部分が微かに叩かれているのを感じ取る。


「なるほど、公平はそこにいるのか。なら……手に取ってあげようか」


 少しだけ身体を浮かせる。そこから身体の下に手を入れれば公平を捕らえることが出来る。

 だが手を動かすよりも先に、公平がこのわずかな隙間から飛び出してきた。


「……しまったこの先ドアか!逃げられねえじゃん!」


 叫びながら走る公平が顔の下辺りを通過しようとした、ので、エックスはその小さな身体に向かって開けた口を近付けて、そのまま口の中に閉じ込める。


「うわーっ!出せ!」

「んふふ。ださなーい」

「このエックス!床に落ちているもん口の中に入れるな!」

「それ自分で言う?」


 おかしくなってエックスは思わず笑いそうになった。だが我慢した。笑えば口が開く。そこから逃げられてしまうかもしれないからだ。エックスは油断しない。

 エックスの口の中は暗く、湿度の高い洞窟である。その上彼女の意思で中に入った獲物を喉の奥へと送り込むことも出来るのだ。だからそれをやった。公平を脅かすつもりで喉の手前にまで公平を運んでいく。


「吞み込むなよ!絶対呑むなよ!」

「どうしよっかなー?」

「喋るな!揺れる!落ちる!というか出せ!」

「はいはい」


 雑な感じで答えて、エックスは口を開けた。

 口の中全体が傾く。エックスが顔を下に向けたのだ。舌が滑り台のようになって、公平は口の外へと滑り落ちていく。

 そして、だ液にまみれながら、公平はエックスの手の上に落ちた。


「はい捕まえた」

「……取り敢えず風呂に入りたい」

「そう?お風呂で遊ぶんだね?」

「違う!」

「分かった分かった」

「おい!」


 エックスは公平の言葉を受け流して、彼を手に乗せたまま風呂場へと向かう。

 公平は彼女の手の上に横たわった。

 鬼ごっこでは満足してくれなかったか。

 もう少し粘れば変わっただろうか。

 そんなことを考えながら、流れるままを受け入れることにする。


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