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エックスと公平と温泉旅行

 『機巧』との戦いが終わってからひと月が経った。

 『機巧』上の世界の殆どが『魔法の連鎖』へと移ることになった。けれど連鎖のスケールはあまりに大きくて、人間には認識が追い付かない。殆どの人にとっては何も変わらない日常がただ続くばかりである。

 一方で完全シミュレータのあった『機巧』の中心ともいえる世界はクロスの手で消滅した。

 『機巧』の末路をヴィクトリーに話したら『流石にやりすぎじゃない?仕返ししてとは言ったけどさ』なんて言ってきたのでやったのはボクじゃあないとエックスは言い返した。

 浅沼やソラは自分たちの世界へ帰って行った。「今度はこっちの世界に来てくれよ」と浅沼は言っていた。いつかその言葉に甘えて、遊びに行きたいなとエックスは考えている。

 『魔女の世界』で流行していた魔女風邪は終息し、エックスもあちらへ行けるようになった。本当にタイミングが悪かった。あちらの協力を得られていたらきっともっと楽に終わっていただろうに。

 ローズには何度か会いに行っている。明るくふるまうように努めているのは分かるのだけれど、やはりその表情はどこか暗い。吾我が死んでしまったことが未だに彼女の心に影を落としているのが分かった。彼女が立ち直るにはもう少し時間がかかりそうで、定期的にローズを訪れようとエックスは考えている。

 『機巧』が滅んだことで、彼らの持つシステムは殆ど全て停止した。『人間世界』の空を飛んでいた機械天使はその時点で機能停止し、武装魔女も彼女らを制御する鎧が壊れてしまった。エックスがやったことと言えば機械天使が地上に落ちてこないようにバラバラに粉砕することと武装魔女を人間に戻してやることくらいである。

 停止したシステムの中には魔法を封じる結晶もある。結晶化された魔法の殆どすべては元の形に戻って、本来の持ち主の元へ戻っていた。指輪にされたユートピアの魔法も同様。例外は還る場所の無い吾我の魔法。こちらはトポロジアと一緒に相沢一が管理している。

 『人間世界』は元の平穏を取り戻していた。最後の戦いのときに相沢が使った『UTOPIA』の効果で戦いがあった事そのものが認識されていないおかげだ。それでいい。戦いの記憶も記録も存在しないことが一番いい。

 

「……ううむ。この梨美味しそうだなあ……」


 こうして、スーパー小枝で梨を買うかどうかを悩むくらいでいい。エックスはそう思いながら、袋詰めにされた梨をじっと見つめている。


--------------〇--------------


「あれから随分平和だなあ」

「そうだねえ」


 結局買ってしまった梨は食後のデザートになった。袋詰めされた梨は全部で5つ。今日は2個食べて、残りの3つは冷蔵庫の中で眠っている。

 ゆったりとした時間が食後に流れている。こんなにも落ち着いた夜は久しぶりなように思う。戦いの事を考えなくてもいい、ただ静かなだけの夜。

 ようやく日常が帰ってきたような気持ちだけれど、よくよく考えてみると自分たちはずーっと戦いっぱなしで、平穏な日常というものはそれ自体がもはや日常ではないということに気付いて、苦笑する。

 ……これからだ。これからそういう日常の時間を増やしていけばいい。


「そうそう。これからこれから」

「これからって何が?」

「んー?こっちの話」

「はあ」

「そうだ。ボクまた旅行行きたいな。温泉とか。いいだろ?もう『機巧』との戦いも終わったわけだしさ」

「えー……温泉……?」


 公平は少しだけ嫌そうな顔をした。思い出していたのは以前宿泊した温泉宿での怪奇現象である。

 あの時泊まったホテルはビジネスホテルとかではない。結構いいところだったはずだ。それなのに普通におばけが出た。今ではどこの温泉宿に行っても怪奇現象に出くわしそうな予感がある。


「……まあ、いずれね……」

「いずれっていつだよ」

「いつかね」

「だからいつなんだって」


--------------〇--------------


 エックスの温泉に行きたい欲はとどまることを知らず、それからことあるごとに公平に「温泉行きたいなー。一緒に行きたいなー」と言うようになった。

 一緒にお風呂に入っている時は「これが温泉だったらきっともっと気持ちいいよねー。いいなー。温泉行きたいなー。一緒に行きたいなー」と言ってくる。

 ご飯を食べている時は「いい旅館のご飯ってきっと美味しいんだろうねー。いいなー。温泉行きたいなー。一緒に行きたいなー」と言ってくる。

 エックスが「いいなー」と言えばその後温泉どうこうの話が始まることを公平は嫌というほど理解した。

 繰り返し同じことを言ってくる圧に物理的な大きさの圧が合わさって、常人の数倍要求の圧が強い。

 エックスの前で「いやあ今日は疲れたなあ」というだけで、巨大な顔をずいと近付けてきて「疲労回復と言えば温泉だよね!いいなー。温泉行きたいなー。一緒に行きたいなー」が始まるのだ。休まる時がない。

そして、圧をかけてきてから三日後に、公平は白旗を挙げたのであった。


「分かったよ。行く。一緒に行くよ……」


 別に宗教上の理由とかで温泉に行けないわけではない。温泉に行ったら死ぬというわけでもない。それならもういいやという諦めである。


「イエーイ!」

「でも安いところは嫌だぞ。おばけに出くわしたくないからな。エックスはお金持ってんだからいいところに予約しておくからな」

「おっけいおっけい」


 エックスは嬉しそうに言う。そんな彼女の顔を見て、「まあいいか」と思いながら、公平は予約サイトを開くのであった。


--------------〇--------------


 温泉旅行の計画をエックスは考えていた。

 公平はこういうモノをあまり考えない。一方でエックスは気ままに旅行するのも好きだが、しっかり計画を立てるのも好きなのであった。

 日程は一泊二日。あまり長すぎても退屈になるだけ。こういうのは短くて名残惜しいくらいがちょうどいい。

 宿には入る前に、温泉街周辺を歩いて回る。その土地にしかないような民芸品だったり食べ物だったり、色々見て回りたい。

 宿には夕方頃に到着。予約した部屋で公平と話をしたりテレビを見たりする。他所の地域のテレビは全然知らない番組を流していることをエックスは最近知った。地方限定の番組も見てみたい。

 夕食は部屋で一緒に食べる。今回は山に近い温泉街である。川魚であったり山菜であったり、それからジビエなんかも楽しめるんじゃないだろうかと期待していた。

 温泉に入るのはその後だった。この際女湯には他の誰も入ってこないようにする。他の宿泊客が別の用事を優先して温泉を後回しにするように魔法で細工をするのだ。これは勿論小人サイズに縮めた公平を持ち込んだことを万が一にも知られないようにするためである。他の女の子の裸を公平に見せないという目的も当然ある。

 公平の身体を洗ってあげたり。公平で身体を洗ったり。一緒に露天風呂に入って、星空を眺めるのもいい。プールよりも広大な温泉を公平に泳いでもらうのも楽しそうだ。

 温泉を上がってからも公平を元の大きさに戻すことはない。当然牛乳くらいは飲ませてあげるけれども。一緒に部屋に帰って、夜を楽しむのだ。浴衣の中を探検させてやろうかな、なんて考える。

 公平を元に戻すのは翌朝。朝ごはんを食べて、朝風呂に入って、しっかり楽しんでから帰宅。


「……うん!いい計画じゃないか!?」


 旅行前日の夜である。

 ただ予定は予定であって確定ではない。往々にして、予定とは守られないものなのである。


--------------〇--------------


「……!」

「え、エックスどうかしたか……」


 エックスの手の中で、ぜいぜい言いながら公平は尋ねた。温泉でひとしきり玩具にされた後なので疲労困憊である。疲れを癒すための温泉で却って疲れているのは意味が分からない。

 疲れた原因であるエックスは、公平を乗せているのとは逆の手に持つスマホの画面をじっと見つめている。何やら真剣な表情である。


「エックス……?」

「浅沼零とメッセージのやり取りができるようにしてるんだよね、このスマホ」

「ほう」

「あの子たち今、『魔法の連鎖』の中にいるじゃない?」

「うん。そうだね」

「他所の……『邪苦の連鎖』?ってところに襲われてるんだって」

「え?じゃ……じゃく……?」

「大した強さの連鎖じゃあないけど手に余るから助けてくれって。……ついでにセキュリティどうなってるんだとか色々書いてある」


 そこまで話を聞いて、公平は「ふっ」と噴き出した。


「行くしかないんじゃないか?」

「行くしかないかあ……」


 仕方ないなと呟いて、脱衣所のロッカーに浴衣を残して、魔法で普段着に着替える。公平にも服を着せる。


「そうだ。終わったらまた温泉入ろうぜ」

「うん!そうしよう!」


 そうして、魔法の力で世界を超えていく。

 平穏な日常ではないけれどこれはこれでボクたちらしい日常だな、とエックスは思うのであった。

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