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完全シミュレータ

 始まりがいつだったのか、彼女はもう覚えていない。

 覚えているのは大勢の人が死んだということだけ。沢山あった大切なものの殆どが失われたということだけであった。

 遠い昔、『機巧』に神が現れる前のこと。超常の力を持った人々が現れ、その力を思うがままに振るい始めた。ある者は他者から奪うために。ある者は他者を守るために。ある者は他者をただ殺めるために。

 どういう用途であれ、力を持たない人間には彼らの行動は脅威でしかなかった。彼らの一挙手一投足に怯え、彼らの気まぐれに脅威するしかなかった。

 最初の明石四恩は、そういう時代に生まれた、普通の人間である。

 異能を持った人間とそうでない人間とが共存できる未来を望み。それが叶わないことを多くの経験と別れによって知り。己の非才を呪いながら、それでも仲間と一緒に戦い続けるしかなかった。


『四恩。お前は死ぬなよ』


 たくさんの言葉をもらってしまった。


『四恩。あとは、任せたからね』


 たくさんの想いを背負ってしまった。


『四恩、すまない。キミに任せるしかない俺を許してくれ』


 それらはある種の呪いになって彼女にのしかかった。

 そして、彼女は禁忌に手を出した。

 非才な自分に出来ること。それは努力だけ。けれど自分一代の努力ではたかが知れている。自分は天才ではないから。

 だから彼女は新しい自分を造り、今の自分が持つ知識を次の自分に託すことにした。幸いにして技術の基盤は仲間が用意してくれている。

 クローン人間の作製。

 脳内の記憶のデータ化。

 そしてそれの移行処理。

 生き残ってしまった自分は最後まで戦い続けなくてはいけない。異能と人間は共存できなかった。ならば、もう、全てを滅ぼし尽くすまで戦うしかない。

 代を重ねるごとに明石四恩という人間は完成されていく。あらゆる学問・分野における最高峰の知識を明石四恩は手にする。

 一方で最初の明石四恩の人格とそれに依存する知識以外の記憶は、43人目のころには殆ど消失していた。

 脳の容量にはどうしても限界がある。どうしても不要な記憶は消す必要があった。天才的頭脳と非才な人間の人格とがミスマッチを起こしていたので、ちょうどよかった。

 残っているのは異能を駆逐するという使命だけである。

 そして85人目の明石四恩が遂に最終兵器を完成させた。世界の定義とさえ言っていい、完全なる世界のシミュレータ。シミュレータは完全であるがゆえに、シミュレータ側を操作すれば現実に影響を及ぼす。シミュレータの内部には自らの脳を演算装置として組み込み、自らを最高権限ユーザとして設定し、表向きは86人目によって開発・管理されていることにすることで本質をカモフラージュさせた。

 この完成によって明石四恩の世界に於ける異能は完全に駆逐されることになった。異能の持ち主の存在をシミュレータ上から消してしまえば、現実の世界からも消えるのだから。

 けれど戦いは終わらない。己の世界の平穏を手に入れた後は、別の世界からの侵攻が始まる。

 この時のシミュレータは自分の世界をシミュレートするのみ。外の世界への反撃には使えなかった。この不都合は97人目によって解消される。彼女を含めて3人の明石四恩を追加で組み込むことにより、シミュレートの範囲を広げたのだ。

 これにより連鎖の規模でシミュレートが可能になる。シミュレート出来る範囲ならば、異能を全て駆逐できる。

 けれどまだ、足りない。もっと遠くのシミュレート不可能な世界には、まだ多くの異能がある。

 あれも駆逐しなくては。駆逐しなくては自分たちが滅ぼされる。だから駆逐しなくては。

 ……これが『機巧』の神話。明石四恩という神が生まれた経緯。

 最初の明石四恩から数えて数千年後に辿り着いた浅沼零の中に入り込み、彼女の人格を上書きしようとする、世界を救えという呪いから生まれた女神である。


--------------〇--------------


 そうかい。

 そちらも大変だったらしいな。

 そうか。私の大本は天才でもなんでもないフツーの人だったってわけか。

 そうかそうか。それでも世界を救えって追い詰められた結果がこれか。

 ……ならやっぱり間違っている。

 世界を救う手段として、アンタは世界を傷つけているじゃないか。だって世界はヒトだろう?

 自分も他人もただの道具に貶めて、それで何を救うって?

 私は救うぞ。私の教え子の生きている世界を救う。私のお兄ちゃんが待っている世界を救う。その為なら、数千年の重たい感情も弾き飛ばしてやろうじゃあないか!


--------------〇--------------


 ……浅沼零の言葉は、シミュレータの内部にある明石四恩の意識を少なからず揺らした。

 それは彼女たちのルーツである最初の明石四恩の抱いていた想いだったからだ。

 ヒトを救うことが世界を守るということになる。

 『機巧』の神は忘れていた当たり前のコト。けれど忘れなければ彼女は自己矛盾に陥る。

 思い出してはならない。思い出したのならば忘れなくてはならない。思い出させるものは、排除しなくてはならない。


--------------〇--------------


「くっ!?」

「先生!?」


 浅沼零がシミュレータから弾かれた。ソラが彼女に駆け寄る。

 浅沼の人格を上書きする時、シミュレータはどうしても彼女の意識に触れてしまう。

 それはシミュレータ内部の明石四恩にとっては自らを崩壊させるほどにクリティカルなウイルスソフト。感染を防ぐためには物理的に切断するより他なかった。


「もう一度!」


 浅沼は再度シミュレータに入り込もうとするが、上手くいかない。


「……ちっ。BANされたか!?」

「シミュレータを乗っ取るのは無理、ってこと?」

「そうなるな。……となると」


 出来れば選びたくなかった選択肢。もう一つのプランを実行するしかない。が、止むを得ない事態だ。

 浅沼零には守らなければいけないものがある。その為にならば、他の誰かを犠牲にする覚悟はできていた。


「ソラ。公平クンと合流するよ」

「……はい」


 ソラにも浅沼の言葉の意味が分かった。自分たちは『機巧』の女神たるシミュレータに弓を引いた。彼女たちはエックスの魔法で守られているので、シミュレータに消されることはない。

 けれど今後、彼女たちが故郷の世界に帰った時、世界の方を攻撃される恐れがある。今は浅沼の細工で免れているだけだ。シミュレータはいずれその細工を突破する。シミュレータがある限り、彼女らに安息の時は訪れない。

 それを防ぐためにシミュレータの権限を乗っ取りたかった。それが失敗した今、するべきことは一つだけ。


「プランBだ。シミュレータを破壊する」


--------------〇--------------


「……浅沼零はもうすぐ戻って来る。明石四恩に上書きされてな。ふふっ。そうなりゃあキミらの計画もご破算、だろう?」

「ああもう、うるせえな」


 効力の消えかけた『杭』を再び突き刺す。


「リブラのことが聞きたいから話をしてやっただけだ。それが終わったらお前と話すことなんかないんだよ」

「酷いなあ」

「……ん」


 ソラの走って行った方から、人の影が戻って来る。二人分の人影だ。ソラと、浅沼零だ。


「公平クン!無事かい!?」

「……ほら。全然平気そうじゃないか」

「……ンなバカな。シミュレータを乗っ取られたのか!?」


 公平は一会の疑問と同じことを目で問いかける。浅沼はそれに対して首を横に振った。


「だから。悪いがプランBだ。それ以外の手はもう、ない」

「……そっか。それなら俺には判断できないな。エックスと合流しよう」


 公平はエックスがどこにいようと彼女のいる場所にまでたどり着く道を作ることが出来る。プランBに移行する場合は、四の五の言わずに道を作る予定だった。

 だが、今はそうはいかない。最後に一会を封じる形で大量の『杭』を刺して、それから天井に空いた大穴を見上げる。もう一人、一緒に行かないといけない者がいるのだ。


「戻ろう。リブラとも合流しないと」


--------------〇--------------


 魔女に兵器による攻撃は効かない。明石四恩もそれを理解している。だからシミュレータを用いた攻撃もエックスの気を惹いたり、足元の地面を破壊して転ばしたり、間接的な妨害が主目的だった。

 目論見は上手くいっているように思える。エックスは思うように攻撃が出来ず、一方で四恩は魔法による攻撃で一方的にエックスへダメージを与えることが出来ていた。

 想定通りの展開に思える。実際、エックスに蓄積されたダメージは大きい。服はぼろぼろ。ところどころ破れている。血がにじんでいて、出血があることも確認できる。


(……なのに。なんだ。この感じ)


 想定通りにコトが運んでいるのに。四恩の焦燥は加速する。


「……一気に追い詰める!喰らえ!」


 焦りを誤魔化すように、四恩はエックスに手を向けた。空が輝いて、次元を超えてやってくる隕石が、『箱庭』の街を破壊しながらエックスへと降り注ぐ。


「うわあっ!」

「……さあ、諦めたか!いいや諦めろ!お前は私に手も足も出ない!もうお前は私には勝てない……」


 しかし。煙の奥で揺らめく影は健在であった。


「そうか……」

「馬鹿な。あれをモロに受けてまだ……」

「そういうことになったんだね」


 ずんと音を響かせて、エックスが一歩足を前に出す。次の瞬間彼女の姿が消えて、かと四恩が思った次の瞬間には、その懐に入り込んでいた。


「っ!?」

「ふっ!」


 思い切り四恩の腹部をエックスは蹴る。ふわりと浮かんだ四恩の身体。その腕を掴み取ると、その巨体を軽々と投げて、『箱庭』の大地に叩きつけた。


「が……!」


 四恩が反撃するより先に、エックスは四恩に手を向けていた。


「『メダヒード』」


 下級の火球魔法。それですらエックスが使えば街を灼く厄災の如き理不尽な業火に変わる。


「『メダヒード』『メダヒード』『メダヒード』」

「おのれ……!」


 そして下級魔法であるが故に連射が可能。四恩は防御に徹することしかできない。攻撃を受けながら四恩は今までの違和感の正体に気付いた。


「お前、手を抜いていたな……!」

「……シミュレータを掌握するか、或いは壊すか。あの子たちがどういうやり方を選ぶのか待っていたんだ。壊すと決めたなら、もうお前はただの障害物でしかないよ」

「……いいのか。シミュレータは『機巧』を完全に再現したものだぞ。あれを壊せば」

「シミュレートできなくなったならそれはシミュレートしている連鎖が消えたことを意味する。『機巧』も消えるってことだろ」

「それを分かっていて……!?」

「抜け道はある。そして、それをする覚悟も、ボクは出来ているんだよ。……『メダヒード』!」


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