ひらひら落ちる挑戦状。
その日が来た。エックスが選んだ『魔法使い』とアルル=キリルが見定めた『契約者』とが戦い合う日。
エックスの部屋の机の上には三人の魔法使いたちがいる。彼らの姿を見つめると心から誇らしくなる。
殺してしまわない程度に全力で殴ったりけったり蹴ったり踏みつけたりしたおかげで身体は以前より強くなった。魔法は元々三人とも十分以上に使いこなせているが、その威力も増したように感じる。それに加えて連携が上手になったのが嬉しいところだ。今回は三対三の勝負である。協力して戦わなければいけない場面もあるだろう。
「すごく強くなった!みんなになら全部を任せられるよ!」
エックスはにっこりして言った。これにて彼女の主催する魔法特訓合宿は終了である。吾我と高野は感慨深そうである。よくよく見たら二人とも瞳が潤んでいる。何だかもらい泣きしてしまいそうにだ。
「ふふ……。二人ともそんなに嬉しいの?」
「勿論……。ようやく解放される……」
「ああ……。死ななくてよかった……」
どうやら思っていたのとは少し違う感情だったらしい。ただ無事にこの日々を生き延びることができたことに感動しているだけみたいだ。エックスとしては複雑な気持ちである。眉をひそめて、ほんの少ししょんぼりした。違う意味で涙が流れそうだ。彼女の様子に公平は小さく笑う。
「なんだよお」
「別に?」
「公平は普通だね」
「俺は解放されてはいないから」
「解放って……」
公平だけは今後もエックスとずっと一緒だ。当然魔法の特訓も変わらず行う。だから他の二人とは気持ちにズレが生じているのだ。
「そんなにボクと魔法の特訓するのイヤ?」
「もうちょっと優しくしてほしいかな……」
むうとエックスはむくれる。
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一時間経った頃。天井から一枚の紙が落ちてきた。最初に気付いたのはエックスである。彼女に続いて他の三人も顔を上げた。ひらひらと舞うように近づいてくるそれを、じいっと見つめる。
「挑戦状だ」
「ああ」
吾我が手を伸ばして、紙をつかみ取った。開いて中を確認する。公平と高野が顔を近づけてきた。
「住所、か?」
「みたいだな」
三つの住所が書かれている。三人は察した。この場所に敵が待っているのだろう。
「……このうちの一つに三人で行くのもありだな。三対一でやっちゃあいけないとは言われていない」
吾我が言った。悪い顔だ。確かに作戦としてはアリだ。ほぼ確実に指輪を一つ奪えるだろう。
「私はどっちでもいいです。公平サンは?」
「そうだな。俺なら……」
公平は口元を歪ませて続ける。
「当然三人バラバラで行くね」
「ほう。何故?」
「相手も同じことを考えていたら。このうちの一つに三人纏めて待っているかもしれない」
吾我と高野はコクリと頷いた。それも十分にあり得る展開だ。
「その時。俺なら三対一でも勝てるからな」
その宣言に。二人は言葉を失った。だが、すぐに吹きだす。遠巻きで見ていたエックスも笑いを堪えきれないようだった。
「何だよ」
「自信満々ですね。ふふっ。まあでも。それくらいじゃないと」
「ついこの前。北井善が敵だと分かって落ち込んでいたくせに」
「ああ。それ。俺はもう考えないことにしたんだ」
エックスの顔を見つめる。彼女は微笑みで返した。
北井と再会した後。エックスとマンツーマンで修業をした。その時に、二人で決めたのだった。考えても分からないことなら考えない。やるべきことをやるだけだと。公平のやるべきこととは、つまり、エックスのために戦うことである。
「北井さんの目的が金だとは思えねえよ。出来たら本当のことを聞きたい。でもそれは後回しだ」
エックスと吾我は後ろめたさを覚えた。二人は公平に北井の目的がマアズの殺害であることは話していない。北井の言っていたとおりだ。彼にはまだ、そういう人間の業には触れないでいてほしい。
空気を変えるかのように、エックスは大きく手を叩いた。そうして必要以上に明るく言う。
「それじゃあっ!結局どうする?一緒に行く?バラバラで行く?」
「俺は、お前の意見に賛成だ」
吾我が公平に向き合った。
「バラバラで行こう。俺だって三人相手にしても勝つからな。いっそ纏まってくれていた方が都合がいい」
「さっきも言った通り。私はどっちでもいいです。私だって三対一でも負けないですし」
「よしっ!決定!」
その後三人はじゃんけんして、それぞれどこに行くかを決めた。各々空間の裂け目を開いて人間世界へ赴く。
残されたエックスはちょっと考えた。出来れば三人全員の後をついていきたい。だが身体は一つだ。誰のところへ行こうか。
「……まあ。いいや」
あんまり悩んでいても仕方がない。不公平だけど、一番見守っていたい公平のところへ行くことにする。
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吾我の行先はどこかの廃墟である。中からキャンバスの気配が一つ。恐らくその持ち主がこの場にいる相手だ。
キャンバスの位置に向かって真っすぐに進んで行く。キャンバスが一つだけということは、一網打尽にする理想的展開にはならなかったようだ。それでも構わない。相手が誰であっても、何人であろうとも、ただ勝つだけだ。
音がしない。冷たい廃墟の内部は静寂に包まれていた。まだ昼前だが、廃虚の奥は日の光が通らず、暗い。カビの匂いに朽ちた家具。崩れたコンクリート。幽霊でも出そうな雰囲気だ。
「……ん?」
進むにつれて。敵に近づくにつれて。キャンバスの気配をはっきり感知できるようになっていく。違和感を覚えた。このキャンバスを自分は知っている。持ち主に会ったことがある。だが北井のキャンバスではない。それよりももっと馴染み深い相手だった。
心臓の鼓動が早くなる。廃墟の一室。ボロボロの扉。この向こう側にいる。ここまで来れば分かる。ここにいるのは誰なのか。
(いや……きっと何かの間違いだ)
震える手でドアノブを握る。これを回して、扉を引けばその奥にいる人物を確認できる。
誰であろうと倒すだけ。そういうつもりだった。だというのに、ここに来て躊躇している。自分が情けなくて。滑稽で。自嘲するように小さく笑った。
「開けないの?」
奥から声がした。もう疑いの余地はない。扉を開けるまでもない。本当は声を聞く前から、そこにいるのが誰かなんて分かっていたのだ。
「いいや。今開けるよ」
ドアノブを回す。同時に公平の言葉を思い出す。俺ももう、余計な事は考えないことにする。
その部屋で待っていたのはブロンドの女性だった。青い目が空みたいに綺麗な彼女。ずっと黙っていたけれど、初めて会った時は彼女の瞳から目が離せなかったのだ。
「待たせたな。アリス」
「ううん。私もついさっき来たのよ」
まるでデートの待ち合わせみたいだなと、二人は苦笑した。
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高野が行き着いた先は海岸である。秋が深くなってきた今の季節は、海の向こうから感じる風はどこか冷たい。
砂浜には足跡が出来ていた。それを追いかけて走っていく。一人の男が海を見ていた。自分と同じか少し年上に見える。公平や吾我から聞いていた北井という男は30代前後だったはず。即ち。彼はそれ以外の他の誰か。
男は高野に向き直り口を開いた。
「アンタ。魔法使いか」
「はい。アナタは、一馬サンですか?それともそれ以外」
男はニッと笑った。その表情に見知った男の面影を見た。
「ああ。俺は一馬。なんだよ。公平じゃないのか」
「ええ。残念でした。アナタは公平サンと戦うことはありません。ここで終わります」
「へえ」
一馬は右腕を前に突き出す。
「ならやってみろ!『黒い焔。深淵の向こう側。影すら裂く爪痕。──アレルバ・キリルグ・リバル』!」
その身体を影が覆いつくす。獣のような叫び。影の向こう側から鉤爪を携えて黒い装束を纏った一馬が現れた。
「ではこちらも。『変われ、LEON』」
高野の身体を光が包みこんだ。その光の中で、彼女はクワガタムシを思わせる黒い怪人に変貌していた。その名はスタッグ。かつて吾我たちを苦しめた魔人の一人である。その能力は──。
「そんなのもあるのか。魔法ってのは何でもできるんだな。けどなんでもいい。アンタをぶっ倒して、指輪を貰う!」
鉤爪を構えて攻撃態勢を整える一馬。一方でスタッグに変身した高野はきょとんとした様子で右手に着けた指輪を彼に見せつける。
「指輪?これですか?これが欲しいんですか?」
「そういうルールだろうが」
「欲しいならどうぞ?」
「は?降参か?……あ、いや指輪は──」
自分では取れないだろ、と言う前に。高野は自らの右腕を引っこ抜いた。結果的に指輪も離れたことになる。
唖然とする一馬。高野は彼に向かってもぎ取った右腕を高く放り投げた。あまりのことに、彼の視線は放り投げられた黒い腕を追いかける。
その隙を高野は見逃さなかった。思い切り砂浜を蹴って懐に入りこむ。一瞬遅れて距離を詰められたことに気付いた一馬は咄嗟に防御に切り替える。だが、もう遅い。
「やぁ!」
「ぐふっ」
右腕に殴り飛ばされる。その身体が砂浜で二回か三回バウンドする。高野は落ちてきた右腕を、再生した右腕でキャッチした。指輪を回収して着けなおす。
魔人スタッグの能力は超速再生。死なない程度の欠損は一瞬で再生できる。腕だろうが脚だろうが関係ない。高野の変身はコピーなので、再生速度はオリジナルに劣る。痛みもないわけではない。それでも実践に使うには十分なレベルである。特にこうして意表を突くには最適だ。
「まずは一人、と」
ぱんっぱんっと手を叩きながら独り言を言う。魔人に変身しているので分かりにくいが、得意げな表情であった。




