不安定形生命体
公平は走りながら、ちらっと来た道を振り返った。ぜいぜい言いながら浅沼零が追いかけてきている。エックスの気配が、消えた。一緒に明石四恩の気配も。
あれほど続いていた揺れはなくなっていた。絶えず聞こえていた派手な音も今はない。
「アイツ……大丈夫かな……」
「心配ですよね……彼……」
「彼……。あっ。うん」
口ではソラに同意したが、実際のところ公平が心配しているのは、自分たちを先に行かせるために一会と交戦しているリブラではなく、エックスの方だった。何しろ敵はランク100。エックスが全能であるのならば相手も全能の魔女である。どうしたって彼女の安否は気になる。
一方でリブラの方はあまり心配していない。彼は言わばもう一人の自分自身。『レベル5』に匹敵する魔法まで使えるのだ。相手が異様な雰囲気を放つ科学者だと言っても、負けるとは思えなかった。
「……まあ大丈夫だろ。多分。それより俺たちは早くシミュレーターを見つけないと」
「そうだね。でもその為には僕を倒してもらわないと」
声がした。公平とソラは咄嗟に足を止めて、背中合わせになって周囲を警戒する。
いる。何かがいる。
「どこだ……。出て来いよ。俺をとっ捕まえたいんだろ?」
「おっとこれは失礼」
公平の目前で、足が現れた。その先が徐々に徐々にと構成されていく。3Dプリンターの印刷を想像した。層を積み上げるように人間が作られていく。やがて頭の先まで印刷が終わった時、そこに立っていたのは一人の白衣を着込んだ赤毛の子どもだった。
「初めまして。僕は三途。キミを捕まえに来た、四恩の同士だよ」
「俺を捕まえに……?本気で言ってるのか?」
「勿論」
少年はひとさし指をピンと立てて、『だって』と続ける。
「四恩を除けば、この連鎖で一番強いのは僕だもの」
「……へえ」
ハッタリではないことは分かった。誰が一番強いのかなんて知らないけれど、目の前の少年が強いことは、自信に溢れた所作から分かる。
公平はそっとソラに耳打ちする。「浅沼と一緒に先に行け」
ソラは無言で頷いて、浅沼の手を引いて走り出す。三途が彼女らに何かをする気配はなかった。
これでいいと心の中で呟く。
「うん。結構考えているんだね」
「まさか、一番強いっていうお前と戦いたかっただけだよ」
嘘である。こちらの浅知恵を見抜かれたくなくて咄嗟に出てきたでまかせだ。
だが三途はあっさり嘘を見抜いてしまった。「そういうことにしておくよ」とクスクス笑いながら言う。
明石四恩のクローン体である浅沼零であれば、シミュレーターに直接接触すればその権限を奪える。外ならぬ浅沼自身が言ったことだ。彼女はこの作戦のキーマンであり、彼女がシミュレーターにたどり着くことが一つの勝利条件だった。
(一方でこいつらの目的は俺。なら俺が残ってソラたちを先に行かせた方がいい。俺がこいつを倒して先に行くか、粘りに粘って浅沼がシミュレーターを奪うまで耐えるか。どっちかだ)
魔法の剣を、構える。
一方で三途は、ただにやにや笑って立っているだけである。
戦おうという意思すら感じなかった。ただ悠然と立っているだけ。それが却って不気味だった。だからなのか一歩前に足を踏み出すことに躊躇いがある。油断をすれば一瞬でやられるという予感があった。
そんな公平の様子に、三途は呆れたような顔をする。
「ただの子ども相手に随分と臆病な……」
「『メダヒード』!」
はあ、と息を吐き出す。剣から離した左手が放った炎は三途に命中し、深い煙を上げた。
何をしてくるか分からない子ども。ただならぬ雰囲気。そんなものを相手にした経験はない。だがどんな相手であれ、会話の途中で不意打ちされれば動転するものではないか。
煙が晴れる。思い付きで放った火炎弾は三途に命中した。そして。その身体に抉られたような円形の孔が空けている。
「……いや。そんな致命傷にするつもりの攻撃じゃないが?」
「ああ。やっぱりそうなんだ。思ったより大したことないと思ったら」
三途の身体に空いた孔は、上から下へゆっくりと強い粘性を持った液体が流れ落ちている。周りに飛び散った血……ではない青い液体は、自分の意思を持っている生き物がごとく、三途の方へと向かっていった。
「まあでも。どんな攻撃も効かないんだけど」
「なんだそのスライムみたいなの……」
「見ての通り。僕だよ」
三途が『僕』と呼んだ液体は、彼の身体に空いた孔へと飛び込んでいって、瞬く間に塞いでしまう。傷どころか炎に焦げた後すらない。攻撃する前後で何も変化がない、綺麗な状態の三途がそこに立っていた。
公平はそれを、ただ愕然として見つめていた。三途がにやりと頬を緩ませる。
「見ての通り。キミがスライムと呼んだあれは僕自身。僕の身体は不安定なんだ。だから固体・液体・気体と自由に行き来できる。そういうカタチに改造されていてね」
「ず……随分親切だなあ。そんな秘密を教えてくれるなんて……」
「分からないことがあるままやられるのって最悪の気分だろ?解決できる疑問は解決してやりたいのさ。どっちにしても勝敗に影響はないのだから」
「そりゃどうも」
言いながら再び剣を構えなおす。炎も効かない。あの身体にはきっと剣での攻撃も効かないだろう。ではどうやって、戦えばいいのか。
「では改めて自己紹介。僕は三途。不安定形生命体の三途。以後お見知りおきを?」
飄々と言う少年の姿に公平は「どうも」と返した。
三途が手を前に出す。と、思うとその肉体が溶けた。青い液体がウォーターカッターの如きスピードで飛び出してきて、目にも止まらぬ速さで公平の右脚・左肩・わき腹を貫いた。
「か……ぐ。……『ゲアリア』!」
咄嗟に回復魔法で受けたダメージを回復させる。振り返ると人間の身体へと戻った三途の姿があった。
「ほー。回復も出来るのか。便利だね。倒すのに骨が折れそうだ」
「お前ほどじゃないよ……。『メダヒードの灼炎鎧』!」
超高温の業火を鎧として身に纏う。三途の表情が僅かに曇ったように見えた。
液体であろうと固体であろうと関係ない。金属さえも溶かしてしまう熱量を放つことの出来るこの魔法であれば、あのウォーターカッターも避けるまでもなく蒸発するはずだ。
「こいよ……!」
「じゃあ。お言葉に甘えて、っと!」
三途が思い切り右腕をあげた。液体化した右手が切り離されて、斬撃のような恰好で飛んでくる。
魔力を一気に注ぎ込む。その一撃を蒸発させるつもりで熱量を一気に押し上げる。肉体を包む炎が一層火力をあげた。自分の魔法で焼かれることはないが、それでも見ている景色が熱い。周囲の空気さえ赤く灼けて、研究所内の壁が溶け始めていた。
これが鉄や銀による攻撃であれば、公平の思惑通り当たる前に蒸発してしまって回避するまでもなかったかもしれない。
だが切り離された三途の右手は、この超高熱環境下で、蒸発するどころか金属のような硬度の固体に凍結して、公平の左腕を斬り落としたのだった。
「……な」
「ふっ」
悲鳴がこだました。魔法の維持が出来なくなって、『メダヒードの灼炎鎧』が解除される。
(……それでも右手じゃなくてよかった。魔法の結晶が手から離れていたら、どうなっていたか)
辛うじて肉体強化だけは維持していた。身体と結晶が物理的に離れていたら、それすらできなくなっていたところである。そうなれば自らが引き起こした超高熱に耐えられなくなって、燃えていたところだ。
再びゲアリアを発動させる。切り離れた腕が元の形に戻って、公平の身体にくっついた。
「おっと。そうなるのか。切断しても戻っちゃうわけ」
「戻っちゃうんだなこれが……」
『右腕だったら戻っていなかったけど』と心の中で呟く。そして、「あれ?」と無意識に呟いていた。
右腕が落とされなかったのは果たして幸運だろうか。結晶を握っていることは三途の目からも明らかなはず。なのに右腕を落とさなかったのか。
思わず頬が緩んだ。攻略の糸口が、見えた。




