連鎖を超えて。
「明日はお休みにしましょう」
エックスによる合宿が始まって四日目の夜。彼女は突然に言った。
彼女の言葉に公平たちは狂ったように喜びを表現した。ガッツポーズしたり感涙が落ちたり。やった。よかった。助かった。三人は口々に言う。
「俺は明日は、もう一日中寝るよ!」
「あ、公平はダメ」
「え」
絶望的な表情でエックスを見上げる。彼女は眉をひそめて公平を見下ろした。
「そんな悲しい顔をしないでよ。別に痛いことするわけじゃあないんだから」
「なんで俺だけ」
「ふふっ。ちょっと付き合ってほしいんだよね」
「付き合う?何に」
「異連鎖旅行っ」
彼女はにんまりとしながら答えた。
--------------〇--------------
翌日。公平はエックスと二人で朝食をとった。吾我と高野は眠っている。羨ましい。自分ももうあと二時間くらい眠りたかった。
「何時に出かけるの」
「んー。朝ごはん食べたらすぐの予定だよ」
エックスは大きな口を開けてトーストをむしゃりむしゃりと齧っていく。半ば寝ぼけた頭の公平は自分のトーストにバターを塗りながらその光景をぼんやり見ていた。
「食パンってどれくらいの面積なのかな」
「んー?そうね。公平が食べているのは……。一片が10cm──つまり0.1mの正方形だと仮定すると、その二乗。0.01㎡かな」
「エックスが食べてるのは、そのおおよそ3600倍の面積だよね。36㎡か」
「それが何か?」
「そんなもんかーって。俺はてっきり体育館くらいあるのかと」
エックスは公平を指先で軽く小突く。ムッとした顔である。
「人のことなんだと思ってるんだ」
「怪獣?」
「このっ」
もう一度小突いてやる。そしてクスクス笑いあった。こういうやり取りも何だか久しぶりな気がする。たくさんの人と一緒に居るのもいいけど、二人きりなのもやっぱり好きだな、と思った。
--------------〇--------------
二人分の朝食を用意して、エックスと公平は身支度を整えた。準備は万端である。
「よし。それじゃあ行こうか」
エックスは公平を摘まみ上げると何かの魔法をかける。透明な球体が公平を覆う。その球ごと服のポケットにしまう。
「おっけい!」
「この中にいてもエックスの声は聞こえるんだな」
「会話だってできるよー?あ、そうそう。大事なことを言い忘れてた」
「大事なこと?」
ポケットの外側から公平の入った魔法の球を撫でる。
「今から、ボクは滅茶苦茶に大きくなる。きっとキミの理解が追い付かないくらいに。でもその中に入っていれば大丈夫だからね。恐かったら目を瞑っていてくれても構わない」
「いやいや。大きくなるだけだろ。別に大丈夫だよ」
「ふうん。じゃあいいけど。……それじゃあ、行くよ」
部屋の天井に裂け目が開いた。その向こう側は魔法の連鎖の中にある世界と世界の狭間である。暗闇の中に光がぽつぽつと。それが魔法の連鎖が内包する世界だ。まるで星空のようで、実際にはその光の一つ一つが宇宙より巨大である。あの光を目印にして裂け目を開けばその世界に行ける。だが今の目的はそれではない。
床を蹴って裂け目を跳び超えた。徐々に。徐々にと身体を大きくしていく。同時に上昇する速度が増していく。
あるラインを越えた時、彼女の目に光を放つ球が映った。今までは彼女の身体が小さすぎて認識しきれなかった。これはどこかの世界である。相対的に星くらいの大きさに見えた。
(そろそろ世界より大きくなりそうだな)
壊さないように気を付けないといけない。すいすいと避けてもっともっと上へと。彼女の身体ももっともっと大きくなっていく。
ポケットの中の球は、普通ならもうどこにあるのかも分からなくなっていた。中に入っているのが公平でなかったらきっと見失っている。それだけ大きさが違う。星と原子の比率よりも差があるくらいに。恐いかなとエックスは不安になった。目を閉じていてくれればいいのだけれど。
世界である球体は星の大きさだった。それがガスタンクくらいの大きさになって。バランスボールくらいの大きさになって。スイカくらいの大きさになって。リンゴくらいの大きさになって。地球から見る星の光くらいの大きさになって。そして、その瞬間に最後の一線を越えた。
「よおし。抜けた!」
エックスは振り返った。暗闇の中できらきら輝くいくつもの光がある。手をかざして壊してしまった世界はないかチェックする。
「……うん。大丈夫だ」
ほうと胸を撫でおろした。あんまり連鎖を渡ることはしたくない。エックスのやり方ではこれだけ巨大にならなくてはいけないからだ。
魔法の連鎖を抜け出す過程でどこかの世界にぶつかってしまったら。自分の身体で、世界ごとそこに住むものをまるごと粉砕してしまう。気付かないうちに口の中に入ったら。彼らを生きたまま飲み込んで吸収されてしまう。そんなことを思うとぞっとする。
連鎖に顔を近づけて、その光をじいっと観察してみる。悪いな、と思った。こんなに美しく輝く世界たちだけれど、自分はそのほとんど至るところを守るつもりがないのだ。
「ごめんね」
そう呟いてエックスは踵を返した。まだ半分だ。行くべき場所はこの先である。
--------------〇--------------
「よおっと!とうちゃーく!」
ずうんと異連鎖の地面に着陸する。土煙が上がって世界がまるごと揺れた。ポケットの中に手を突っ込む。出かける時は野球ボールくらいの大きさだった魔法の球。今は指先でどうにか摘まめるくらいの大きさだ。エックスは完全に元の大きさに戻っていないのである。
「どう?どんな感じだった?」
「……いや。すごかった」
「語彙少なっ」
「うるさいな」
実際すごいとしか言えなかったのだ。彼女のポケットが一気に広がって、ポケットの中に地平線が出来た。空には果てが無くて。地面は見えないくらいに遠かった。それでもなおポケットの中の世界は広がっていった。少し不安になった。エックスはすぐ傍にいるはずなのにそうと思えなくて。普段より大きくとも彼女の姿が見えるだけで安心できる。
「つーか。なんでそんな大きさなんだよ」
「ん?これから会う相手が相手だからね。準備しておかないと」
「相手って……。何だあれ」
空の果てが暗くなる。闇が近付いてくる。エックスがニッと笑った。
「来たみたいだね」
『テメエー!何しに来やがった!?』
羽ばたく漆黒。巨大な闇の神鳥。血走る瞳。かぎ爪を構えて向かってくる。エックスは振り返りもせずにその一撃を片手で受け止めた。
「うん。今日はこの鳥さんに会いに来たんだ。ちょっと聞きたいことがあってね」
「鳥さんって……。会いに来た相手ってトルトルかよ」
「そうだよ?」
エックスはあっけらかんと言った。当のトルトルは羽を大きく羽ばたかせて必死にもがく。脚を掴まれて身動きが取れなくなっているのだ。
『離せっ!このっ!小娘がよおっ!』
「ボクのことを小娘なんて呼ぶのはキミくらいだ。でもあんまりいい気分じゃないね」
ようやくエックスはトルトルに目を向けた。
「話をしに来ただけだよ?攻撃を止めてほしいな」
『帰れっ!』
「つれないなー」
エックスは地面を蹴って跳びあがる。魔法で身体を浮遊させ、トルトルを大きく投げ飛ばした。
『カアアアア!?』
「話をしたら帰るって。ボクの連鎖を侵略した迷惑料代わりにさ」
『テ、メエ……!俺はこの神秘の連鎖の神だぞ。俺を。テメエが攻撃するってこたあよお。これも立派な侵略行為じゃねえか!?』
「いやいや。そんなつもりじゃないよ。でも話をしてくれないなら。そういう行為をして、無理やり聞き出すのもやぶさかではないね」
『ぐ、ぐぐぐ……!』
トルトルは既に一度エックスに敗れている。ここでもう一戦交えたところで勝機はない。
『……チッ。仕方ねえ。聞いてやろうじゃねえか』
彼には要求を呑む以外の選択肢はなかった。羽ばたきながらその場に留まり、エックスを見つめる。
「ありがとう。早速だけどさ。アルル=キリルって知ってる?」
『あン?アルル=キリル?アイツお前の連鎖に来ているのか?』
エックスの指先で公平は気付いた。敵の情報を集めるのが目的なのだ。
『……そうかよ。あの詐欺師まだくたばってなかったのか』
「詐欺師?」
『ああそうさ。ヤツの語る言葉の9割はウソ。更に残った部分の9割はデタラメ。本当のことは残りの部分しか語らない。稀代の詐欺師さ』
「……彼女はこんなことを言ってきたんだけど」
エックスはアルル=キリルの目的をそっくりそのまま伝えた。トルトルは小さく笑った。
『まーだ同じ手口を使ってんのか。アイツも懲りないねえ。それであんな目に遭ったってのに』
「あんな目って」
エックスが身を乗り出す。いよいよ確信に触れる予感がした。
『……これ以上は言えねえな』
がくっと。空中で崩れ落ちる。トルトルがかあかあ笑った。
「このカラスー!そこまで言うなら全部言えよっ!」
『カラスじゃねえよっ!これ以上聞きてえならもう一度俺をぶちのめして本当にこの連鎖を支配者になるしかねえな!』
大きく羽を羽ばたかせる。
『困ったなあ。俺は神として君臨しているからよお。この世界を支配するからにはお前も神にならねえとなあ』
「この鳥は……!ボクが神さまなんかやりたくないって分かってて……!」
トルトルが不敵に笑う。エックスはぐぬぬと拳を握りしめる。指先に摘まむ球に罅が入った。
「あ、ごめんっ!」
球の傷を治し、心を落ち着かせる。ハッタリで聞き出せるところまで聞き出そうと思っていたが、これ以上は難しそうだ。
『ここから先はヤツの不利になる情報だ。あの女は知らない相手じゃない。話すわけにはいかねえよ』
「……むう。仕方ないな」
『まあ。でも。覚えておけよ。ヤツの言葉は殆どが嘘とデタラメだ。さっきの話で言うなら……。魔法の連鎖を管理したいってのは本当だろう。だがそれ以外は全部嘘だろうな』
「それじゃあ何も分からないよ!」
『ヤツを信じるなってこったよ!じゃあな!』
そう言ってトルトルは空の彼方へ去って行った。ぽつんと残されたエックスはその場で大きく息を吐く。
「肝心なことは聞けなかったあ……」
「まあ。しょうがないじゃんか。取り敢えずアルル=キリルには別の目的があるって分かっただけいいじゃないか」
「……そうだね」
エックスは公平に微笑む。
「ところで、なんで俺を連れてきたのさ」
「久々に二人でお出かけしたいなーって」
「お出かけ、ね」
「うん」
そういう規模じゃあない気がするけど。
「まあいいか」
そういう事にしておく。




