負い目
「そういえば」とエックスが言った。
公平はカレーライスを運ぶ手を止めて彼女に目を向けると、「なにが?」と尋ねる。
「いや、ふと思ったんだけどさ。今日、ボクはこの魔女のサイズで外に出たわけじゃない?」
胸に手を当ててエックスは言った。
「そうだな」と公平は頷く。頷いてカレーを口に運ぶ。元の大きさに戻って、指輪の持ち主を懲らしめるとかなんとか言って、靴の中に閉じ込めてあれこれ遊んでいたはずである。
「おかげで帰ってくるのが遅くなった」
「まあそこはそれ。そんなことより気になることがあるんだよ」
「そんなこと」の一言で己の暴挙をなかったことにし、先ほどから彼女が口にしている「気になること」について説明をする。
「ほら。ボクが元の大きさになったっていうのにさ、相沢サンから何も連絡なかったじゃない?なんでかなーって」
「ああ……そう言えば」
「ムジュンしてる!これはきっと何か秘密があるよ!」
「……そんな風に言うってことはそこまで気にしてないな」
「……あれ?分かる?」
エックスは何故か嬉しそうに言った。「そりゃ分かるよ」と公平はカレーライスを食べながら答える。
彼女は本当に気にしていることをあんなに大げさに言わない。もっと静かに言う。付き合いが長いから、それくらいは分かる。
「まあ大体予想がつくからね」
「へえ。どういう理由だと思うんだよ」
「場所のせいだ。多分、ある程度大きな都市じゃないと自動予知が機能しないんだろう。今日のは田舎だったから」
「……ああ。なるほどね」
相沢が自動で予知できるのは、彼の基準で、ある一定以上の被害が出る災厄に限るということらしい。その中には被害が発生する場所の情報も含まれているのだろうとエックスは予想した。
アメリカのニューヨークで魔女が現れたら一大事であり、事前の対処が必要だが、日本の田舎町に魔女が現れるくらいなら事後での対応で十分ということだ。
「他にも気になることはあるけど、少なくともこの辺りで、この大きさで何かするくらいなら予知は反応しないってことさ。一安心一安心」
エックスは嬉しそうにカレーを食べ進めた。
彼女を見つめながら、ふと公平も一つの疑問を覚える。
「ところでさ」
「ん?」
食べ終わったカレー皿を、魔法でシンクに運び、公平は更に続けて言った。
「この間のアメリカの件、エックスも予知すればよかったんじゃないか?」
「うっ」
「エックスならもっと正確に予知ができるだろうし……ってなんだよその『うっ』って」
「いや、ははっ。イヤなところを突かれたなって」
「どういうこと?」
エックスは申し訳なさそうに視線を落とし、説明をする。
「予知は、できないんだよね」
「……ほう」
「予知の力は、ボクの中から切り離したんだ。未来を見るなんてできてもいいことないからね、公平に呼ばれて、帰ってきたときにその力は捨てたんだよ」
「他にも切り捨てた力はあるんだけどね」とエックスは続ける。
全能の魔女であるエックスは、その全能によって己の全能性を否定した。
彼女が捨てたのは「知」を司る力である。未来に起こることを知る力。過去に起きていたことを知る力。遠く離れた場所で起きたことを知る力。そういうものを彼女は捨てた。
「力の察知はできるのに」
「うーん……ボクの中の基準があるんだよね。力の察知はできないと困るじゃん?公平の居場所が分からなくなるし。でも未来とか、今見えてない光景を見る力って、なくても別に困らないでしょ。むしろ知らなくてもいいことを知っちゃって、色々悩まないといけなくなるじゃない?」
「……そうかなあ」
「そうなんだって!」
理解してもらうのが難しい話だ。エックスにもそれは分かっている。これは彼女自身の哲学でしかない。
魔力やそれに類する力の察知は彼女にとっては五感に近い。視覚や聴覚の仲間で知っているのだから残していても問題はないし、それで人助けすることに抵抗はない。
だが未来視や千里眼は通常の視覚を遥かに超えている。これを使わなくては救えない命は本来救うことのできない命だ。そんなことをしていいのは神様だけで、彼女は神様にはなりたくないので、力そのものを捨てたのだ。
分かってもらおうとは思っていない。理解を願うこと自体が、烏滸がましい考えだと、彼女が一番よく分かっていた。
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「あの人ちょっと苦手なんだよね」
食後、テレビを見ながらエックスが言う。バラエティ番組のMCをやっている芸人のことを言っているのかと思い、公平は「この人?」と指さした。エックスは首を横に振る。
「この人に興味はない」
「酷い」
短い公平の言葉に、エックスはくっくと笑った。
「だってこの人の名前も知らないし。そうじゃなくて、相沢さん」
「……?なんで?」
「どう接したらいいのか、分からないから」
「……なんで?」
「えーっと」
これまた説明が難しい話だった。感覚的なことを説明するのはとても難しい。前提となる公理系や定義を全部無視して、難解な数学の概念を説明しているようなものである。
理解を求めること自体が間違っていて、「そういうものだから!」と納得してもらうよりほかない事柄だ。
とはいえそれで逃げるのも、癪だった。
「例えば、これは宇宙だと思ってください」
両手を公平のすぐ前に降ろして、ろくろを回すような格好にする。左右の手の間に黒いボールを、魔法で構築した。彼女の手の間で浮かんでいて、ところどころがきらきらと輝いている。
自身の背丈よりも大きな直径を持つ球体を公平はまじまじと見つめる。確かに宇宙のように見えた。あちこちで瞬く光はきっと星のつもりなのだろう。この時点でも宇宙(仮)くらいには認識できた。
「これが宇宙ね。はい」
「ただの宇宙じゃないよ。今まさにボクや公平がいる宇宙」
「ほら」と言いながらエックスは一つの光を指さした。公平は、彼女の指した光に顔を近付ける。
「これが太陽系の太陽で、光ってはいないけどこの周りに地球があって……。あっ、ちょっと離れて。危ないから」
「えっ。これ危険物なの」
「そういうわけじゃないけど、危ないの」
「はあ」
言われるがままに公平は二歩下がる。「もうちょっと下がって」とエックスが言うので、更に三歩後ずさった。
「とにかくこの辺りに今ボクたちのいる地球があるの。さあ。そこで生活している自分を想像してごらん。ここに貴方がいます」
「はあ……」
じっと見つめる。エックスが指さす小さな光よりも更に小さな目にも見えない空間。そこに自分がいる。自分がいるということは他の人もいるということだ。家族だったり友だちだったり、当然エックスも。認識が深くなっていく。本当に、そこに自分がいるような気がしてくる。
次の瞬間、ぱちんっ!と音が響いた。突然のことに、「おおっ!?」と思わず声を上げる。エックスが両手を思い切り叩いたのだ。当然、手と手の間にあった宇宙(仮)は、彼女の手で蚊のように叩き潰されて、消えてなくなる。
「こういうことなんだよ」
「どういうことなんだよ」
まるで禅問答だ。意味が分からないので公平は聞き返してしまう。
「相沢サンみたいに、戦ったりできないのに予知だけはできるってのは、こういうどうしようもない悲劇をずーっと見続けるってことなの!イヤでしょ!それでもそんなことをやり続けてる人にさ、ボクみたいに予知から逃げたヤツがどう接したらいいんだよ!?」
「……ああ。負い目があるってこと?」
「……オイメ?」
負い目がある。人に負担をかけたり迷惑をかけたりするなどして、申し訳ないと思う心持ちという意味。
スマートフォンで意味を調べて、「おいめおいめ」と繰り返し呟く。
「……そうか。そう言えばいいのか。負い目。負い目がある。うん。確かにそうかも!そうかそうか!なんだ、公平も意外と頭いいじゃないか!」
嬉しそうにエックスは言った。自分の気持ちを言語化できたことが、実際嬉しかった。
ただ、それを公平が理解できているわけではないので。
「……だからどういうことなの?」
ただ、彼女に知らないことはまだあるのだな、と。嬉しそうにしているエックスを見つめることしかできないのだった。




