合宿
人気のない街並み。何棟ものビルが砕けて崩れる。歩くことすらままならないほどに地面が揺れていた。そんな中に、少しでも前へと必死に逃げる三人の姿がある。公平と、アルル=キリル対策の『合宿』と称して強制的に連れてこられた吾我と高野だ。
エックスはため息を吐いた。逃げてばかりでは特訓にならないというのに。始めは勇ましくしていた吾我も今ではこんな調子だ。ちょっとパンチしたり踏みつけたりしただけなのにな。
眼下をバラバラの方向に逃げ回る三人。そうやってこちらを攪乱させて掴まりにくくするのが目的なのだろう。つまらない小細工だ。手近なビルをへし折り、それぞれの目の前に順番に放り投げていく。
「おあああああ!?」
「うおおおおお!?」
「いやああああ!」
ちょっと面白い。思わずにやけてしまう。こうやって逃走経路を少しずつ潰していくのだ。どうせこの『箱庭』はエックスの魔法で作ったものなのでビルだって次から次へと生成できる。
「ほら。そろそろ休憩はおしまーい。いい加減ボクに向かってきてくれないと終わらないよー?」
これは一日の特訓の締めとしての組手である。『威力は無視して一回でも攻撃当てたら合格、終了とする』という条件である。更にエックスは回復以外の魔法を使わないという制限まで課している。
あっけらかんと言い放つ巨人を三人は殆ど同時に見上げた。休んでいたんじゃあない。逃げていたんだ。畏怖のような怒りのような感情が心を満たす。
『同時攻撃だ……!』
公平の頭の中で吾我の声がした。魔法による念話である。
『逃げてばかりだといつまでも終わらないですしね……。もういやっ』
高野の半分泣いているような声が聞こえた。こっちだって泣きたい。
『よ、よし。じゃあせーので行こう。行くぞ……』
『せーのっ』と三人が同時に言った。それを合図に動き出す。エックスから見て右側に公平、左側に吾我、背後には高野が就いた。
「『変われ、LEON』!」
高野の魔法が発動しその全身が輝く。
彼女は『魔人』という人間と動物が混ざり合った異形に変身する魔法が使える。得意とするのはカメレオンの特性をもつ『レオン』という魔人だ。その能力は変幻自在。ありとあらゆる魔人に二段変身が出来る。今回選んだのは、隼の魔人『ファルコ』の姿。翼を羽ばたかせ一気に空へと上がっていく。
「『ギラマ・ジ・オレガアーマー』!」
「『星の剣・完全開放』!」
エックスの見える範囲にいる二人は囮役である。わざと強力な魔法を発動し、こちらに目を向けさせる。二人の攻撃でもまともなダメージにはならない。だがそれでもいい。もう何でもいいから当たればそれでいいのだ。だから高野に攻撃を当ててもらえばそれでいい。
「うおおおおお!」
「はあああああ!」
全身全霊の気迫でエックスに目がけて飛んでいく二人。演技ではなく本気だ。そうでもしないと背後にいる高野から意識を逸らすことは出来ない。
「……くすっ。だめだめっ」
エックスはスッと身体を逸らした。そのすぐ横を『ファルコ』に変身した高野が通り抜ける。
時間が狂ったように錯覚した。スローモーションで世界が流れていく。攻撃を仕掛けたはずの巨人がにっこりと笑う。
「やあっ!」
「きゃあああ!?」
突然下から上へととんでもない衝撃が襲った。膝蹴りを受けて上空へ飛ばされたのだ。こうして一時的に高野を無力化したエックスは公平と吾我に向き直った。二人ともこの世の終わりみたいな顔をしていて愉快である。
まず吾我を裏拳で殴り飛ばした。全身を覆う鎧が砕けながら上空へ飛んでいく。続いて剣を振りかぶった公平を握りしめる。
「ぐっ……ぐう」
「残念でした」
エックスは公平に向かってウインクした。それから足元に向かって彼を投げつける。
自分が地面に叩きつけられる音が公平の耳に届いた。混乱する頭で何とか目を開ける。上空を黒い壁が覆っていた。
「……ははっ」
エックスの靴の裏側だ。もう笑うしかない。
「えいっ」
可愛らしい声と、それとは裏腹な地面の揺れと土煙が同時に起きた。公平を右足で踏みつけて体重をかける。魔力を送って彼の身体を頑丈にしていなければとうに潰れていただろう。
「おっと。そうだった」
そう言って左脚を上げる。エックスの体重の全部が公平の小さな身体にかかってくる。足の下で悲鳴が聞こえる。この程度で潰れるようにはしていないから大丈夫だ。彼を踏んでいる右足を軸にしてぐるりと回る。その勢いで吾我に回し蹴りを喰らわせる。叫び声と共に吹き飛んで行った。
「最後にっと」
更に右足に体重をかける。公平を苦しめつつ、片足だけで跳躍する。
「や、ばい……!」
高野が蹴り飛ばされてから姿勢を整えるまで数秒間しかなかった。たったそれだけの時間で二人が容易くやられた。やっぱり逃げないと危険だ。死んでしまう。
そうして踵を返して逃げようとした時。すぐ目の前にエックスが跳びあがってきた。
「おっと。逃がさないよっ!」
「ひっ」
エックスは軽く手を振った。巨大な平手にはたき落されて高野も地面に落ちていく。こうして三人が地に堕ちた。
三人をあっさりやっつけたエックスは悠々と着地する。大きく地面が揺れて、公平たちの身体が一瞬浮き上がる。彼女はぱちんと指を鳴らして彼らに回復魔法をかける。
「さあさあ。もっときなさーい。出ないと終わらないからねー」
両腕を大きく広げて言うエックス。公平たちは汗一つかいてない元気な巨人を見上げた。ダメだ。勝てない。勝てるビジョンが浮かばない。再び立ちあがった三人は、先ほどと同様、彼女に背を向けて逃げ出した。
「……またかあ」
さっきからこの繰り返しである。逃げ回るところをギリギリまで追い詰める。このままではどうにもならないので勇気を振り絞って立ち向かいに来る。容易くあしらわれズタズタにされる。倒れたままでは修業にならないから回復させる。傷は治ったのだが勝てる見込みがないので逃げる。この繰り返し。
エックスは困り顔で頬を掻いた。また怪我しない程度に追い詰めてあげないと。
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「はーい、しゅうりょー」
エックスは手を叩きながら言った。何度か彼女に立ち向かってみた公平たちだったが、その度にズタズタにされた。最終的に吾我が苦し紛れに撃った攻撃がたまたま当たって──というよりも恐らくわざと当たってくれたので、『今日の』組手は終了となった。これを明日もやるのかと思うと眩暈がしてくる。
「疲れただろうから今日はゆっくり休むように。お風呂に入ってご飯を食べたら後はぐっすり眠りましょー。じゃあボク先に帰ってるねー」
エックスは手を振って自分の部屋に戻った。三人は震える身体をどうにか起こし、その場に座り込む。肉体的な疲労は彼女の魔法で癒えた。精神的な疲労はそれでは消えない。
暫く言葉が出なかった。ただこうしてずうっと座っていたい気分だった。その状態で数分経った頃、吾我が口を開いた。
「いつもこんな無茶苦茶やってるのか?師匠だってここまでしないぞ」
「ローズはほら。優しいから」
「ソードもここまで酷くはなかったですけど」
「ソードはさ。魔人を強くする気はなかったらしいから」
うすら笑いを浮かべながらぽつぽつと呟く公平。吾我と高野は心配になった。この調子だとこの男は特訓の過程で間違って殺されてしまうのではなかろうか。
「逃げませんか?」
高野が言った。今ならエックスも見ていない。人間世界に戻って一週間雲隠れしたっていい。それに対して公平は失笑した。
「なにがおかしいんですか……!」
「逃げられるもんか。なんで俺たちだけを残したと思う?」
「え?」
「逃げようとしたところを捕まえて、罰と称して追加の修業をするためだ」
二人は絶句した。確かに。あの女ならやる。今だってこの場にいないだけで監視されているのかもしれない。そうやって希望を持たせ、それを踏みつぶすのを嬉々としてやりそうだ。ただ一つ気になることがある。吾我は恐る恐る公平に聞いてみた。
「因みに」
「うん?」
「いや、お前の言い方が。何か確信めいたものがあるような気がして。気になったんだが」
「ああ。だって前に逃げたことあるし。その時の経験だよ」
公平のことが何だか可哀想に思えた。修業がキツくて逃げ出して、その結果掴まって更なる地獄に叩き落された経験者なのだ。
二人は彼の強さの秘密をようやく理解した。どうして素人が、一年足らずの修業でこれだけ強くなれたのか。何のことはない。ただ限界を超えた密度の修業をやらされて、強くなる以外の道が無かったのである。
「少し休んだら戻ろう。その方が結果的に一番楽なんだ」
エックスの修業を受けるプロの言葉に二人はこくりと頷いた。
--------------〇--------------
一休みした公平たちはエックスに戻ってくる。いい匂いがした。エックスはエプロンを着けて忙しそうである。晩御飯の用意の途中なのだ。机の上にいる三人に気付いて目をぱちくりさせる。
「あれ?逃げなかったんだ」
「あ、ああ……」
「と、当然じゃないですか……」
「ちっ」
舌打ちした。吾我と高野はゾッとした。公平の言っていることは本当の本当らしい。
「なっ?」
何がおかしいのか公平は笑みを浮かべて言ってくる。これは一週間逃げられないぞ。二人は来週から始まる戦いより、今週を無事に生き延びることが出来るのか不安になった。
--------------〇--------------
「はあ……はあ……」
「もうダウンかい。一馬くん?」
膝をついた一馬は顔を上げた。その先で自分を見下ろす北井善を睨む。
「まだまだァ!」
足りない。今のままでは兄には勝てない。もっと。もっと研ぎ澄ませなくては。かぎ爪を構えて立ち上がる。
北井は嬉しそうに笑った。こうでなくてはならない。これくらいでないと練習にならない。
少し離れた場所で、アルル=キリルが二人のぶつかり合いを見守っていた。二人の『契約者』の出来は上々である。座り込んで脚を片方ずつ上げたり下ろしたりして見る。
隣に立つ『三人目』が声をかけてきた。
「ねえアルル」
「なあに?」
「前から思っていたのだけれど。私たちは『守護者』と契約した『契約者』なのよね」
「そうね」
「でも、私たち契約に対する対価を何も払っていないわよね」
「……そうね」
「それでいいの?」
アルルは『三人目』に顔を上げる。
「いいのよ。今のところは」
「今のところは?」
「今のところはお試し版みたいなものだから。でももっともっと強い力を使いたいならそれではダメね。それなりの対価がいる。アナタの言ったとおりに」
「……そう」
『三人目』は一馬と北井の元へと歩いて行く。長いブロンドを風に揺らし、そろそろ交代してよ、なんて言いながら。アルルは『三人目』の後ろ姿を笑顔で見つめた。今の話を聞いて彼女はどちらを選ぶのか。対価を払わずに今の力で満足するのか。或いは『何か』を捨て去る覚悟を決めて更なる力に手を伸ばすのか。
「そのうち教えてね。アリス?」
アルルの選んだ三人目。かつて吾我と共にWWで戦っていた女性。アリス。




