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カレーライスと全力の夜。

 無事三人目のスカウトを終えたエックス。部屋で留守番をしていた公平にそのことを報告した。

机の上でホッと胸を撫でおろす。彼としても一安心である。高野の強さはよく知っている。味方をしてくれるならこれ以上なく頼もしい。何よりWWの三人から選ばなくてよくなったのが一番ありがたい。


「それからもう一つ大事な連絡!」

「え?大事な連絡?」

「今日の特訓はお休みにします!」

「やった!」


 毎日殆ど休みなくやっていた魔法の特訓。その度に公平は疲弊し、死にかけ、魔法で無理やり回復させられる。身体にダメージが残ることはないのだが、精神的には全然休まらない。


「あ。でもいいのかな。こんな時期なのに……」

「こんな時期だからだよ。明日から普段の三倍厳しくやるんだもん」

「……三倍?」

「うん。明日からは吾我クンと高野サンも呼んでー、三人を纏めて相手する。三対一なんだから普段より三倍激しくしても問題ないでしょ?……おや?」


 机の上に居たはずの公平の姿がいつの間にか消えている。部屋の中にも気配はない。エックスは小さくため息を吐いた。人間世界に逃げたな。


「ボクから逃げられると思ってんのかな」


 一指し指でくるりと円を描く。その軌跡は人間世界にいる公平の元へと通じる穴となった。向こう側で「ひっ」と声が聞こえる。エックスは穴に腕を突っ込んだ。


「えーっと」


 ごそごそと手を動かし公平を探す。魔力探知を行えば一瞬で見つけることが出来るが、敢えてしない。わざと焦らして怖い想いをさせてやれと悪戯心が湧いた。

 なにかに触れた。人間の身体ではない。冷たくて硬い。不思議に思いながら力を加えてみる。彼女の手の中でそれは容易く砕けた。


「んー?」


 手を引き抜いて握りつぶしたものを観察してみる。木の破片だった。黒く塗られていて加工されていたのが分かる。これなんだろうと思いつつ穴を覗いてみる。

 見たことがある場所だった。公平と一緒に来たことのある場所だ。黒板があって机があって、先ほど握りつぶした物も机だったらしい。


「……なんで大学なんかに来たのさ!」

「いや、今日のこの時間なら誰もいないから……」

「ばかっ!」


 もう一度手を突っ込む。パーの形に開き指先を手招くように動かす。


「ボクから逃げられないのは分かっているだろ。ここで大人しく自分から帰ってきて五倍ハードな特訓を受けるか、それともボクに無理やり捕まった上で十倍苦しい特訓を受けるかどっちがいい?」

「うう……。三倍はもうダメ?」

「ダメ!」


 怒らせてしまった。公平はとぼとぼと巨大な手に近づき、身を委ねる。彼が乗ったのを確認したエックスは満足げに頷くと軽く手を握った。

 暖かい。優しい。もしかしたら。今ならいけるんじゃないか。公平は試しに聞いてみた。


「せめて四倍くらいにならない?」

「ならない」


 手の暖かさとは裏腹に彼女の返答は冷たかった。吾我と高野に心の奥で謝罪する。死にかけるだろうけど許してほしい。


--------------〇--------------


「逃げ出したバツだ。晩御飯の支度を手伝ってもらうよ」


 エックスはそう言って公平を肩に乗せた。バツと言いながらも彼女は楽しげである。鼻唄を歌いながら台所へ向かう。

 棚からまな板を取り出して、彼女と同じスケールのニンジンとタマネギとジャガイモをその上に載せる。最後に公平を下した。巨大な野菜に見下ろされている気分である。冗談交じりにエックスに言う。


「俺は食材か?」

「違うっ!下ごしらえしてほしいの!」


 思ったよりも強い声の返事だった。エックスは『人間を食べる』とかそういう事を言われるのは冗談でも嫌いである。これ以上茶化すのはやめた方がいい。


「じゃあじゃがいもかニンジンがいいなあ。タマネギは絶対泣いちゃうもんなあ」

「それじゃあニンジンを任せようかなー?」

「はいよー」


 公平は魔法で剣を発動させニンジンと対峙する。その背後でエックスはタマネギの両端を包丁で切り落として皮をむき始めた。ぼんやりと彼女を見つめる。公平の視線に気付いたエックスは何だか気恥ずかしくなって赤面した。


「な、なに?見てないでニンジンやっつけてよ」

「……エックスがやった方が効率いい気が……」

「いいのっ!ボクだってたまには公平と一緒に料理がしたいのっ!」

「それなら別にこのサイズじゃなくても……」

「いいからやれっー!」

「うわぁ!ごめんごめん!」


 慌てて剣を振りまわす。ニンジンの皮を剥いて適当なサイズに切り分けた。丁度エックスの口で一口サイズである。


「おー。早いじゃん。じゃあじゃがいももやってもらおうかな」


 エックスは普通に包丁を使って普通にタマネギを切り分けている。彼女は公平よりずっと魔法の扱いが上手なので、その気になれば彼よりも早く下ごしらえが出来る。彼女がそれをしないのは、要するに魔法を使わない方が好きだからだ。少なくとも料理に関しては。

 楽しそうに嬉しそうにタマネギを切っていく。公平はじゃがいもの皮を剥いている間ずっとその音を聞いていた。その刃が自分に向けられることが無いのは分かっているが、少しだけドキドキした。


「これって恋かな」

「何が?」

「別に」

「変なの」


 エックスはくすくす笑った。


--------------〇--------------


 出来上がったカレーライス。エックスはスプーンでニンジンを掬い取った。


「公平が切ってくれたニンジンだあ」


 大事そうに見つめて愛おし気に口に運び、噛み締めるように味わう。

 公平は苦笑いした。ニンジン切るくらいならいつでもやるし、そもそもカレーくらいなら作ってあげてもいい。普通に作って最後にエックスの魔法で彼女の分だけ大きくすればいいのだ。


「大袈裟だよ」

「そんなことないよ。二人で作ったんだから特別だ」


 その言葉にハッとした。言われてみれば。これは初めて二人で一緒に作った料理だ。皿に目を落とす。一口。口に運んで、彼女がそうしたように大事に味わってみる。

 ごくりと飲み込んだ時、エックスがにんまりと自分を見つめていることに気付いた。


「なんだよ」

「別にぃ?」


 そう言って、またスプーンでカレーを掬い上げる。それを公平に近づける。彼女のサイズの白米や具材の欠片の乗った、人ひとり分の量を優に超えるだけのカレーライス。スプーン一杯でこれだ。その迫力に圧倒されそうである。


「はい。あーん」

「じゃ、じゃあ……」


 自分のスプーンを近づける。上から「行儀悪いなー」と聞こえてきた。


「じゃあどうするんだよ」

「あーんって言っているんだからあーんってしなさい」


 もう一度カレーを見つめる。明らかに一口サイズではない。チラリとエックスの顔を見てみる。期待した表情でこちらを見下ろしてくる。公平は腹をくくった。


「あーん」


 大口を開けて、巨人の一口に挑戦する。食べきれる量ではないのは承知の上だ。それでも自分の全力をぶつけるのだ。

 公平がカレーと戦っている間、エックスは嬉しそうに彼を見つめていた。

 こっちの方が行儀悪くないかな。公平はふとそう思った。


--------------〇--------------


 その後の事。灯りを消して眠りにつく時間。公平がエックスの顔のすぐ隣でうとうとした頃である。


「ううん……」


 彼女の声。巨大な身体を動かす音。それによって布団が動く音。自分を見つめる視線。そういうものが睡眠を阻害する。

 公平は恐る恐る目を開けた。ずっと目を閉じていたから暗闇でもエックスの表情を読み取ることが出来た。切ないような申し訳ないような顔で彼を見つめている。


「……どうしたの?こわい夢でもみた?」


 エックスは頭を振った。よく分からない。公平は横になったまま首を傾げる。


「どうしたんだよ」

「あのさ。実はさ」


 言っていいのかな。迷いながらも続ける。


「今日、魔法使い三人と戦ったじゃない?」

「うん」

「物足りないんだ」

「え?」

「もっと戦いたい……」


 暗闇の中でも分かる。エックスの顔は恥ずかしさで真っ赤だ。

 今日の模擬戦は力を相当抑えていた。そのせいでスッキリしないのだ。どうせならもっと思い切り力を使いたかった。もっと全で暴れたかった。欲求不満である。胸が昂って、身体が熱くなって眠れない。

 公平は小さく笑った。エックスが全力を出しても問題のない相手なんて、彼以外にはそうそういない。そして彼女が望むのであれば相手をするのもやぶさかではない。


「俺で良ければ、相手しようか?」


 エックスは少し考えて、コクリと頷く。その微妙な間に「今日はおやすみにしたのに悪いなあ」という気持ちが窺える。敢えてそこには触れないことにした。忘れたふりして話を進めてしまえ。


「じゃあ『箱庭』行くか」

「……うんっ!」


--------------〇--------------


 人間世界の繁華街を再現した『箱庭』にはいくつものビルが立ち並んでいる。それらはエックスの準備運動代わりの跳躍が引き起こす地震でぐらぐら揺れていた。。彼女は普段よりも本気だ。公平は思わず唾を飲みこんだ。安請け合いしたけれど、油断したら怪我では済まない予感がある。

 エックスは公平ににっこりと笑いかけた。始まる前からもう楽しそうだ。


「おっけー。行くよー」

「お、おうっ!」


 と、返事をした直後。エックスの巨体が視界から消えた。


(やばい)


 咄嗟に全力で身体を強化した。魔法では逃げきれない可能性がある。空間の裂け目を開いたところで、相手がエックスでは行先を操られるかもしれないからだ。思い切り地面を蹴って前に逃げる。そして、音が響いた。模型の建物が。箱庭の大地が。空間全部が砕けたかと錯覚するような大きな音だた。


「うおおおお!?」


 爆音と一緒に巨大なエックスの足が落ちてくる。全力で逃げたにも関わらず、彼女の飛び蹴りの衝撃は公平の身体を更に吹き飛ばす。なんなら彼女に吹き飛ばされた距離の方が大きい。

 後ろを振り返ってみる。見なければよかったと冷や汗が流れた。ついさっきまで自分が居た場所はあまりの破壊力に溶けていた。壊れるとか砕けるとかそういう段階を大幅に超えてしまっている。

 そんな惨状を起こした張本人のエックスは目を爛々とさせながら公平に微笑んだ。


「やるねっ!」

「あ、ははは……」


 回れ右して全力で逃げる。戦略的撤退だ。今この状況で攻めるようではエックスの相手は出来ない。ここは距離を取って反撃のチャンスを窺い──。

 次の瞬間、目の前に立ち並ぶビルたちがまるごとエックスに変わった。あまりの急激な変化にそう錯覚してしまった。実際には彼女が超高速で移動し、公平の目の前にあるビルを全部なぎ倒して現れただけである。そして。既に攻撃は始まっていた。大きく振りかぶられた足が、振り子のような動きで迫ってくる。


「くっ!」


 魔力の強化を切り替える。速度ではなく硬度に。更に鎧を纏う。更に剣の魔法をいくつも展開させる。自分の持てる力の全てを彼女の攻撃に対する防御に回す。


「キーック!」


 そして。それらはエックスのキックの前にはあまりにも無力だった。魔法の剣は紙飛行機よりも簡単に弾かれた。魔法の鎧は段ボールよりも脆く感じた。最後に残った身体は彼女の蹴りに大きく吹き飛ばされた。


「うああああ!?」


 辛うじて意識はあった。何の役にも立たないように感じた魔法だったが、それでもある程度この身を守ってくれたらしい。しかし。これならいっそのこと意識が飛んだ方がよかったのではないかと考えてしまう。その一秒後。そんなことを考える余裕があるのなら逃げればよかったと後悔した。エックスはもう目の前に来ていて、拳を構えている。


「パーンチ!」


 防御ではダメだ。ならばと強化の矛先を更に切り替える。次に強化するのは眼の力。彼女の動きを、自分の限界を超えて見極める。


「う、おおおおっ!」


 空中で吹き飛んで行く身体を魔法で無理やり動かして、紙一重で彼女の拳を躱す。そうして服の袖を掴み、右腕を駆け上がる。


「『星の剣・完全開放』!」


 これなら。右腕では自分の右腕に攻撃できない。注意するのは左手だけでいい。実質攻撃の勢いが半減したのと同じだ。その隙に今使える最大火力の魔法で反撃する。

 エックスはニッと笑った。こちらの考えなんてお見通しだとでも言うかの如く。かと思ったら、彼女はぐるぐると右腕を回し始めた。咄嗟に服に捕まる。遠心力に振り落とされる。


「うわああああああ!?ずるいぞおおおお!?」


 エックスの腕から何かが落ちた。地面で、ずどんと音がする。腕を回すのを止めてその落下地点を見る。


「ん?」


 そこに在ったのは『星の剣』。公平ではない。剣は力を失って消滅していく。


(ブラフだ)


 ハッとして右腕を見る。しかし一瞬遅かった。何かが腕から飛びあがってくる。エックスは目を丸くした。再び『星の剣』を発動させて、輝く刃を構えて。公平がエックスを射程圏内に捕らえた。


「おおっ……!」

「やああああ!」


 魔力を送り、刃を巨大にさせる。思い切り振り下ろして全力の一撃を叩きこむ。ばちばちと力を流し込む音が響いた。


「むっ……!」

「だあああ!」


 そうして全力で剣を振りぬいた。刃は砕けた。だがかなりの力をぶつけたはずだ。勢いで空中で一回転する。一瞬不安になった。エックスは怪我してないだろうかと。空中で姿勢を戻して彼女の方を向く。


「エッ!……クス?」


 当然のように無傷。両手が自分を挟み込むように構えられている。まるで自分が前を向くのを待っていたみたいだ。

 公平は苦笑いした。エックスも笑顔で返してくれる。その直後、彼女の両手がパチンと音を立ててぶつかり合った。間にいた公平は『ぶぎゃ』と声を上げて気絶した。

 手を開いて、伸びている公平を見つめる。強くなった。まさか一撃もらうとは思わなかった。彼女を倒すだけの威力はなかったが、それでも相当戦いが上手になった。お陰である程度全力で身体を動かせ。スッキリである。


「やっぱり、もうちょっと特訓を激しくしてもいいかもね」


 手のひらの上の公平をつんつん突っつきながら呟く。彼の強さは対巨人に特化したものである。だから通常サイズの人間が相手では本気が出せない。どうしても加減してしまう。

 ならば。加減したうえでも必殺の威力となるレベルにまで火力を引き上げればいい。それが彼女の特訓のプランだった。


「ふふふ。さあ大変だ。でも公平なら大丈夫だよね」


 そう言って意識のない公平にキスする。反応はないが気にしない。彼を外敵から守るように胸元に抱き寄せた。そのままの状態で、炎と瓦礫と彼女が引き起こした破壊の痕だけが残った『箱庭』に横たわり目を閉じる。

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