弔い
帰ってきて、公平は何も言わず部屋に閉じこもった。
正体不明の死体。何も言わない公平。どこにもいない吾我。イヤな予感にエックスは気が気でなかった。
公平が部屋から出てきたのは翌日のことである。妙に落ち着いた表情で、彼はエックスに事態を説明した。
話を聞いてすぐには全てを納得することはできなかった。
明石四恩の襲撃のあった日、既に吾我が死んでいたということ。今日まで吾我だと思っていたものが、吾我のクローンだったということ。
理解が追いつかなかった。どう反応していいのか分からなかった。実感が全く湧かなかったのだ。吾我はもうどこにもいないのだという実感が。
ただ、涙は流れた。落ち着いた様子で説明をする公平の姿があまりに痛々しく見えたからだ。
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そして一週間が経った。
「じゃあ行ってくるよ」
「う、うん」
以前と変わらないような顔をして、公平は家を出た。魔法を奪われた彼はただの人間。魔女サイズに作られた巨人の家で生きるには小さすぎる。彼の魔法が封じ込められた結晶も消えてしまって、公平は日常のあらゆる部分でエックスの助けが必要になっていた。
見送った公平の顔はやはり笑顔であった。作り笑いの仮面をかぶっている。心の奥で蠢いているものを見せてくれない。本心を見せてくれないから、エックスも一歩踏み込むことが出来ない。
俯きながらリビングに戻る。
「どうしたらいいんだろうね。吾我クン」
箪笥を開けて、中にあるものに話しかける。そこにあったのは吾我の魔法が封じ込められた結晶だった。エックスが公平から没収したものだ。
「ボクはなんて声をかければいいんだろうね」
当然のこととして、結晶は答えてくれない。
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「はあ……」
「あら。どうしたのえっちゃん」
野菜の売り場で大根を手にため息をついていると、小枝の店長が声をかけてきた。
「……本当にどうしたの?なんだか顔色が悪いみたいだけど……」
「あ、アハハ。そう?そんなつもりじゃないんだけどなボク。アハハ」
小枝の店長はじっとエックスを見つめている。その視線に押し負けて、無理やり押し出した作り笑いがどんどん弱くなっていった。
「……聞いてくれます?ちょっと重い話なんだけど」
「いいよ。友だちのことだもの。ほらついてきて」
言われるがままにエックスは店長の後ろをついていく。以前バイトをした時にも入った事務室に案内された。
促されるままにエックスは椅子に座り、店長はその前に暖かい緑茶の入った湯呑と、軽く摘まめるお菓子が盛りつけられた菓子盆を置いた。
「さ。食べて」
こくんとエックスは頷いて、袋に包まれたバウムクーヘンを手に取った。手のひらサイズのバウムクーヘンを口に運ぶ。優しい甘さが一噛みするごとに口の中に広がっていった。
バウムクーヘンを呑み込む。口の中に残った甘さを、お茶の苦みが洗い流してくれる。ほうっと一息つくと不思議と心のどこかがすっきりしたような気持ちになった。
「……ええと。どこから話せばいいかな」
「うん」
「まず……。そうだ。ボクと公平には友だちがいて」
どこから何を話していいのか分からないけれど、最初から話をすることにする。そうしたいと心が言っている。きっとそれは意味のあることのはずだ。
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スマートフォンの通知音が鳴った。公平からのショートメッセージが入っている。『ただいま』とのこと。今の公平には魔法がない。その気配を察知する術がない。こういう手段に頼らざるを得ない。
エックスは味噌汁の鍋にかけていた火を止めた。味噌の匂いが付いているような気がしたので軽く手を洗い、エプロンで濡れた手を拭きながら玄関まで駆け足で向かう。
「おかえり」
「うん。ただいま」
玄関の扉は内と外でサイズが違う。外から見ると人間サイズの扉である。故に外から家の中に入ることは今の公平でもできる。
だが問題なのはその先だ。土間とその先との境目には段差がある。巨人サイズの段差は人間にとっては聳え立つ壁だ。魔力を持たず、身体能力の強化ができない公平では飛び越えることはできない。
しゃがみこんで手を差し出した。公平はその手の上に飛び乗る。
「ありがと。……しっかし。やっぱ魔法がないと不便だな」
「ふふ。まあ仕方ないって。呼んでくれたら迎えに行くよ。気にしないで」
「……やっぱりさ。吾我の魔法、俺が預かってていい?そうすれば手間も省けるというか……」
「……手間?手間なんてないよ。公平が魔法を取られちゃう前から、ずっとボクが迎えに行っていたじゃないか」
「あー……うん。そうなんだけど、さ」
公平はバツが悪そうに頬をかいた。エックスは呆れた表情で手のひらの公平にため息を吹きかける。その風圧で、公平は彼女の手の上で転がされてしまう。
「いてて……」
「ったくもう。だいたいボクを呼ぶのに死にかけるような魔法を使うのコスパ悪すぎでしょ。その度に激痛で絶叫するつもり?」
「い、いや……」
「……戦う力がほしいならそう言ってほしい」
「え……」
エックスは回れ右をしてリビングへと向かった。団欒のテーブルの上に公平を降ろし、椅子に腰かけて、机に突っ伏す形で公平に顔を近付ける。
じっと自分を見つめる巨人の瞳に、思わず公平はたじろいでしまった。
「な、なんだよ」
「戦いたいなら言ってよ。やりたいことがあるなら、それを教えてよ」
「……」
「……思っていることがあるなら、ボクにぶつけてきてよ」
「いや……俺は」
「今日、ボクは泣いたんだ」
「えっ」
その言葉を聞いて、公平は逸らしていた瞳を再びエックスに向ける。彼女の緋色の瞳は、少しだけ潤んでいるように見えた。
「スーパー小枝に行って。店長さんに様子がおかしいって心配されて。それで、吾我クンのことを話して。それで」
「……」
「でも。本当は、公平と一緒に泣きたかった」
その言葉の語尾は上擦って聞こえた。ずきんと胸の奥が痛む。
「小枝の店長さんじゃなくて。公平と一緒に吾我クンを想って泣いてあげたかったよ」
「……ごめん」
公平はそう言うことしかできなかった。自分の失態を思い知った時、謝る以外の選択肢が発生したいことが時々ある。今回はそういう時だった。
エックスを余計に悲しませたくなかった。だから明るく、何でもないように振舞った。それが余計に彼女を悲しませていることを、きっと自分は見ないようにしていたのだと思い知った。
それに何より。吾我のことを話したら、彼の死がこれ以上なく本当になってしまう気がして怖かったのだ。
「……けど。吾我はもう、いないんだよな」
「……」
「結局俺はさ。受け止め切れてないんだよ。アイツがいなくなったこと」
「うん」
「イヤなやつだったのにな。最初は。エックスのことを敵視してさ。負けるもんかって必死こいてさ」
「うん」
「なのにな。一緒に戦うことになって。一緒に飯も食ったりして。なんか、憎めないやつになって」
「うん」
エックスはただ黙って相槌を打ってくれる。おかげで心の中で無理に整理していた感情が、ばらばらに砕けていく。
「……ああ、くそ」
そしてそれは大粒の涙になって、公平の目から流れ落ちた。
「なんで気付いてやれなかったんだ。なんで、いなくなったんだよ。吾我……!」
「うん」
そっとエックスが顔を近付ける。彼女の鼻先が公平の胸に軽く当たった。顔を上げると、彼女の涙が公平の顔にかかって、彼の涙を洗い流す。
「うん」
「……エックス」
「公平は、どうしたい?」
優しく彼女は言葉を投げかけてきた。手で涙を無理やり拭いて、絞り出すように彼女の問いかけに答える。
「仇を取る。明石四恩を絶対に倒す。その為に、俺には力がいる」
「うん」
公平はエックスの目を見つめて、続けて言った。
「吾我の魔法を、もう一度俺に預けてくれないか。エックス」




