タイミングの話
「えっ。じゃあお前一足先にカニ食ってたの?いいなー」
「今の話でカニ食べたコトだけに着目することあるんだ」
小さすぎて味なんか分からなかったよ。エックスがぼやくように言うと公平は小さく笑った。
鍋がぐつぐつと煮えている。カニの匂いが食欲を誘う。思わずごくりと唾を呑み込んでしまった。WWの寮のご飯は美味しかったけれど、公平はやはりエックスの料理が好きなのだ。
そろそろかなーと言いながらエックスが菜箸で鍋を突っつく。今回はエックスも人間サイズに縮んで、同じ食卓を囲んでいる。なんだか公平には逆に新鮮に感じられた。
「野菜もしんなりしてきたし、そろそろいいんじゃないかな」
「かもね。じゃあ早速……いただきまーす」
エックスと公平は同時にカニの脚を箸で掴み取り、取り皿に置く。殻は剥かれていない。
まだ熱いカニの脚をエックスは平気な顔で折って身を美味しそうに頬張った。
一方で公平は脚が帯びる熱に手が出ない。その隙をついてエックスは二本目に箸を伸ばす。
「あっ。お前まさかそういうつもりで……」
「んふふふ。気付くのがおそーい」
「なんてセコイやつ……!負けるかっ!」
こんなことで魔力を使いたくないがやむをえない。両手に魔力を纏い、耐熱状態にして、カニの脚を折った。が、エックスのように上手に剥けない。身は折れた殻の中にとどまっている。
「くっそお。俺これ苦手なんだよなあ」
ぶつぶつと言いながら専用のスプーンでカニの身を取り出して、食べる。口の中にカニの旨味がいっぱいに広がった。
「……うま」
「そういえばさ、公平」
「ん?」
「結局WWに行って何か分かったの?」
「……ん」
そこで、公平は神妙な顔をして箸をおいた。思わずエックスも野菜に伸ばした箸を止めてしまう。
「え。なに。ボクそんな変なこと言ってないよ」
「いや……実はさ……」
「……うん」
「……ごめん。なーんも分からんかった」
ぱちぱちとエックスは公平の顔を見て瞬きを繰り返す。
「あそこいい人しかいないんだもん」
仕事で分からないことがあっても聞けば教えてくれる。こっちから聞かなくても気配りをしてくれる。かといって干渉しすぎることはない。フレンドリーで話もしやすい。
公平は少しの間一緒に働かせてもらっただけである、だがそれだけでも、いい人間が集まったいい職場のようにしか思えなかったのだ。
「だから……話しても怪しい人なんか見つからなかったというか……」
「……ああ、やっぱりね」
「え?」
熱い鍋をつついているはずなのに肝が冷えるような感覚がした。『やっぱり』の意味が分からない。今度は公平が瞬きをする番だった。カニの味のしみ込んだ野菜を美味しそうに食べるエックスをじっと見つめて、『え?どういうこと?』と尋ねる。
「いやだってほら。そんな簡単に見抜けたら苦労しないって。たかがインターンの期間で」
「え、ええ!?お前そんな感じだったの?え?じゃあ俺がインターンに行くって言った時どう思ってたの?」
「んー?なんか空回りしてるなーって」
開いた口がふさがらない。美味しーというエックスの声が妙に遠くに聞こえる。ぐつぐつと沸騰する音がうるさい。
「そう思っているなら言ってよ……」
「言っても聞く耳持たないって感じだったし。舞い上がっているなって言うか」
空回りだの舞い上がっているだの。次々と放たれる容赦のない言葉が公平の胸を刺す。取り皿にある野菜を頬張る。少しだけ冷めている野菜の味は、しかし美味しかった。
「舌は正直だな……」
「なんて?」
「いや別に……」
そう言いながらカニの脚と格闘する。こういう時の食べ物がカニなのはいい。殻が残っているのもありがたい。殻を剥くのに集中すれば喋らなくていいから。
「まあそもそもの話だけど。ボクはWWの中に裏切り者が本当にいるのかアヤシイって思ってるんだよね」
「え。そこから?」
「うん。吾我クンちょっと神経質すぎるんじゃないかなって。WWのヒトが敵にしては、組織からの横やりも少ないし……。それに情報が流れたって感じもないじゃない?」
「え……。あれ……そうだっけ」
エックスはこくりと頷いた。
そんなバカな話があるかと、公平はカニの脚を折りながらこれまでのコトを思い返してみる。
「……あれ。械人の時は特になにもなかった?機械天使の時は?」
「ない。ボクの覚えている限りだとなんにも」
「……あっでもほら。妙に──」
タイミングが悪かったことはあるじゃないか。
そこまで言いかけて、公平は思わず言葉を呑み込んでいた。エックスが不思議そうな顔で彼を見つめる。
「妙に?」
「いや……。なんでも、ない。かな?」
「?」
エックスが不思議そうに首を傾げた。
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「よお」
「ああ。帰ってきてたんだな。昨日は美味かったよ。カニ」
「ああそう。それはなにより」
吾我は微笑みながら公平を出迎えた。二杯淹れたコーヒーのうち片方を机に座る公平に、もう片方を向かいの席に置く。そうして、その椅子に座りながら、吾我は『それで?』と尋ねた。
「やっぱそれだよなあ」
「成果はあったのかよ」
「なかった。俺ポンコツだ」
「……まあ。仕方ないさ」
苦笑しながら吾我はコーヒーを飲んだ。公平はそんな彼の姿をじっと見つめて、それからブラックコーヒーの漆黒の水面に目を落とす。
「WWって、思ってたよりはいい職場みたいだな。就職はしないつもりだったけど、ちょっと心が揺らいだよ」
「そうか。なんというか……よかったのかな?俺はお前をWWにスカウトしたいと思っているわけだし」
「いやでも就職するつもりはやっぱりないんだよね」
「なんだよそれ……」
顔を上げずに『お前は』と口を開いた。
「ん?」
「お前は、誰が怪しいって思うんだ。あれから随分経つだろ。その間に誰が裏切り者なのかって、色々考えたりしたんじゃないか」
「……いや。検討もつかないな。上長の杉尾さんか明海さんか……或いは……。いや。ずっと内側にいた俺では分からないんだと思う」
「杉尾さんも明海さんもいい人だったぜ。昼飯にウナギとか奢ってくれてさ」
「そんなんで誤魔化されるなよ」
吾我は笑いながら言った。そして『冷めるぞ?』と口をつけていないコーヒーを指さす。『うん』と言いながら、公平はスティックシュガーに手を伸ばした。
「そうだ。昨日エックスと話して一個気付いたことがあったよ」
「なんだ?」
「タイミングが悪かった時はあったなって」
「タイミング?」
「機械天使の時さ」
吾我はそれには返事をしない。公平は構わずに続ける。
「お前に会いに行ったのと同じタイミングで機械天使が現れて、エックスが中の部品ごと破壊せざるを得なかったり、俺がようやく機械天使をぶっ壊せるかもってタイミングで、それまでの性能を大きく超える機械天使が出てきたり」
「……ああ。確かに妙にタイミングは悪いな。偶然が二回重なるなんて、ツイてない」
「俺さ」
カニの脚みたいにスティックシュガーの中心を折る。そこから流れ出す白い砂糖が、コーヒーの黒へと溶けていく。
「お前がWWを疑ってるっていうからさ。そこの人間には、ほとんど何もしゃべってないんだよ。機械天使の秘密も。それを倒すための準備を俺がしてるってことも。言ってないんだ」
「……そうか」
スプーンでコーヒーをかき混ぜる。砂糖がしっかりと溶けるように。なんどもなんども。
「話したのは、大学で協力してもらっている友達と、お前くらいだよ」
「……」
「吾我」
スプーンから手を離す。コーヒーカップには手を付けない。代わりとして吾我の目を睨む。
「お前だな?」




