『DOLL』
エックスの家の近くにある喫茶店『シャロン』。この日エックスはここで岸田と待ち合わせをしていた。
「はい、これ。頼まれていたやつです」
「ありがとう」
お礼を言って岸田から資料を受け取る。用意してもらったのは昨日のホテルの宿泊記録だった。
恐らく今回の指輪に封じられた魔法は『GRAVITY』。回収できなければまた別の場所で事件が起こる。どうあっても犯人を捕まえなくてはならない。
「あの部屋に泊っていたのは、『宮地卓夫』って人か」
もちろんだが昨日壊した部屋に泊っていたのは人間ではない。魔法で創った人形である。
では、この個人情報はどこから来たのか。
名前。
年齢。
住所。
電話番号。
「一応宮地についてはWWでも調べましたよ。家も確認済みです。事件が起きるちょっと前から行方不明らしくて……」
「……ってことは実在する人物ではあるの?」
「はい。そうみたいです。フロントにも聞き込みをしています。宮地本人の免許証で本人確認をしたそうです」
犯人はあくまでも魔法の指輪でユートピアの魔法を使っているにすぎない。自分で魔法を使えない。だから書類や顔の偽装はできない。
「実在の人物の姿を再現した人形を使ってホテルに入るしかなかったのか……。ってことはその宮地って人はもう亡くなってるかも……」
「ちょ、ちょっと待って。でも相手の持っている指輪は重力操作でしょう?重力操作で人形は作れないでしょ」
「それは簡単。もう一個指輪を持ってるんだよ。人形を作る魔法を持った指輪を」
『あっ』と岸田が声をあげた。人形を作る魔法──『DOLL』の存在は、既にユートピアに確認してある。
「……けどなんでそんなまだるっこしいことを?人形なんか使わないで自分でやればいいのに」
「うーん……ボクに見つかりたくなかったのか。……若しくは。単に『DOLL』で創った人形に『GRAVITY』の力を預けて運用する練習をしてた、とか?」
「……あー。なるほど。あれってそういうことか」
「ん?」
「いや。あとで見てもらおうと思って持ってきたんですけど」
岸田が鞄に手を入れて、追加の資料を取り出した。エックスはそれを手に取る。
「なにこれ」
「あるダークウェブ上で見かけた書き込みです。近々調査に行くつもりですけど……先に伝えておこうかなって」
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「WWがダークウェブ?を探して出てきたのがこれ」
「指輪争奪ゲーム……」
魔法の指輪の存在は、一部のダークウェブの中では常識のようなものになっている、らしい。指輪を奪い合うゲームまで開催されている始末だ。
公平が見せてもらった資料は書き込みのスクリーンショットだった。ゲーム会場、日程と称して場所と日時が書かれている。
「『GRAVITY』の持ち主はこのゲームで勝って、別の指輪を手に入れたのか」
「一つの可能性だけどね。ここには持っている指輪についての情報はないから……」
『けれど』とエックスは付け加える。
「今回の事件の犯人は魔法で作った人形に『GRAVITY』の魔法の力だけを預けるっていう実践的な運用の試験をしていたように見える。……まるで対人戦を想定していたみたいだ。こういうゲームが秘密裏に開催されていて、犯人がその参加者だっていうならスジが通るよね」
「……こんな下らないことのために何人も殺しやがって」
圧殺事件の被害者は十人。
エックスと公平が圧殺事件の調査に行った翌日から、人が圧し潰されて死ぬという事案は聞こえてきていない。だがそれは事件が解決したという意味ではない。殺人鬼はまだ捕まっていないのだから。
「行ってみるか。この場所」
資料に書き込まれていたゲームは、今夜開催する予定だった。
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「ぐあああっ!」
ぐしゃりと音がした。目の前にいた男は、指輪をつけた右手だけを残して、踏み潰されたトマトのような血だまりに変わる。超重力によって、自重で圧し潰されたのだ。
残った右手を拾って、指輪を回収する。それから右手も潰して、ゲーム会場を後にした。
男の持っていた指輪は『SICK』。病を撒く魔法。使いこなせればとても強力な指輪だ。きっと今よりも楽しいことが出来る。
自分でもラッキーだったと思う。
最初に手に入れた『GRAVITY』は攻撃的でありながら応用も効く魔法だった。
宮地と言う男を殺して手にした二つ目の指輪は自分の存在を隠すことのできる『DOLL』。これのおかげで巨人の魔女にも捕まらずに今日まで来られた。
人形との五感リンクを解除する。本体の耳に扉の開く音が入ってくる。
「おかえり」
人形に言ってやる。宮地の顔をした人形は、無表情に『SICK』を手渡してきた。
「よしっ。三つ目ゲット……!」
魔法を解除すると同時に人形が崩れる。
『DOLL』と『GRAVITY』を組み合わせるのには苦労したが、そのおかげで現地に赴くことなくゲームに参戦し、安全に指輪を奪うという戦法がとれるようになった。
「あーはははは……。最っ高。人生チョロいなー」
『SICK』を指に嵌める。きらりと輝く宝石をうっとりと見つめる。
「次はこいつの実験だ。不治の病をばらまいて……」
「やーっぱり人形か」
「……え?」
窓の外から声がした。慌ててカーテンと窓を開ける。
「お、お前。殺したのに……」
ベランダには先ほど『GRAVITY』で潰した大学生くらいの男が立っていた。冷ややかな目で自分を見つめている。
「俺はさ。お前みたいなのとは違うんだよ。そんな指輪がなくても魔法が使える。お前が指輪使って出してた人形も、俺は何もなくても出せる。残念だったな。家がバレて。お前終わりだよ」
「くっ……!」
それならと、指輪をはめた手を向けた。
「『GRAVITY』!」
もう一度圧し潰せばいいだけの話。今度こそ殺せばいいだけのこと。家がバレたところで、コイツさえ殺せば問題ない。問題ない、のに。
「な、なんで潰れな……」
「普段から慣れっこだよ」
男は風を身にまとって、宙に浮かんだ状態で部屋の中に入ってくる。
「ほら。指輪を寄越せ。お前の負けだよ」
「……うう」
その横柄な態度が、癇に障った。
「……キャーッ!」
「……」
「助けてー!誰かー!知らない男がー!」
目の前の男は呆れた表情でため息をついた。
「お姉さんさあ。みっともないと思わないの」
「は、はは……。さっさと殺せばいいのに、呑気してたのが悪いのよ!」
一人暮らしの女の部屋。そこにいる見知らぬ男。第三者視点ではどちらが悪か明白である。
「すぐに人が来るわ。警察も来る。捕まりたくないなら逃げるしかない」
「この街に、他の住人がいりゃあな」
「は?」
その直後。『そりゃーっ!』という呑気な声が響いた。天井から下の階へと、巨大な何かがすぐ真横を通り抜けていく。
「……な」
恐る恐る横に視線を向けた。本来ならベッドや本棚のあった空間を、紺色の巨大な柱が支配している。
ゆっくりと視線を上げる。目の前に立つ男が小さく鼻で笑ったのが聞こえた。
「あ」
巨大な緋色の瞳と、目が合った。
「女の子の悲鳴が聞こえたから助けに来たよ!ふふっ。この間はどうも?」
「ま……っ」
「お姉さん」
男が口を開く。反射的にそちらに顔を向ける。或いは頭上の巨人の目を見ていたくなかったのかもしれない。
「これって……」
「アンタが公園で『俺』を殺した時にさ。アイツはアンタを魔法で作った模造品の街に転送したんだ」
『アイツ』と呼びながら、男は上を指さした。アパートを踏み潰している巨人のことだろうとすぐに理解する。
「だからこの街には俺とアイツと、それからアンタ以外に誰もいない。助けを求めても無駄だよ」
「……」
「分かったらさっさと」
「はーあっ。つまんないの。チートすぎでしょ」
男の言葉が止まる。呆けている間抜け面を無視しながら、三つの指輪をさっさと外して、男の胸へと投げつけた。ころんと音を立てながら、指輪は床に転がる。
「ほら。もういいでしょ。早く私を元の家に帰してよ」
「……てめ」
「公平」
男の振り上げた拳が、巨人の声で止まる。
「落ち着きなって。キミの気持ちも分かるけど、殴ったって意味ないだろ?」
「……ああ。そうだな。分かったよ」
そう言って男は指輪を拾った。ちらっとこちらを見たかと思うと、『ご愁傷様』とだけ吐き捨てて、ベランダから飛び降りる。外を見るともう男の姿はなかった。
「なにあれ。きも。っていうか早く」
顔を上げると。
「家に」
靴底が視界いっぱいに広がっていた。
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三日後。
「で?あの女あれからどうしてるの?」
「え?ああ。あの人。なんか見ててすごくイライラしたからさ。ちょっと潰されて死ぬっていうのを味わってもらおうと思って。死なない身体にして、『箱庭』全部で追いかけっこしたくらいだよ」
何回くらい踏み潰したかなあとエックスはぼんやり呟いた。
本当にご愁傷様だ。嘘でも反省したような顔をしていればWW経由で警察に突き出してやるだけで済んだものを。余計なことをしたせいでエックスを敵に回し、余計に苦しむことになったわけだ。
「それで反省したの?」
「さあ?もうすっきりしたからWWに引き渡したよ」
容赦ないな、と公平は苦笑いした。




