『契約者』
駆ける。数メートル先にいる一馬に向かって駆ける。剣を構えて前へ前へ。木々に隠れて攪乱しながら進んで行く。
そうしながらも、公平に弟を斬るつもりはなかった。刃の腹の部分で思い切り殴りつけて気を失わせるか、或いは剣をブラフにして殴るか蹴るかして気絶させるか。
一馬はその場から一歩も動かない。代わりに人形を繰るみたいに手だけを動かす。背後から獅子が走ってくる音が聞こえた。
公平は強化を足に集中させた。そのまま思い切り地面を蹴る。宙を舞って、邪魔な木の枝は斬り捨てて、更に前へ。一馬を通り越し、その背後に着地する。相手が振り返るより早く腹部を蹴り抜いた。
「……ッ!?」
魔力によって強化された脚力。その力を丸ごとぶつけた蹴り。しかし一馬の腕はそれを容易く受け止めてしまった。想定外の出来事。困惑と戸惑いが思考を真っ白にした。そのせいで公平の動きは一瞬止まってしまう。一馬はその隙を見逃さなかった。受けとめた足を掴む。
「……!?やべっ」
「オオッ!ラァ!」
そのまま投げ飛ばされる。受け身を取ることも出来ずに木に激突した。身体を強化していなければ意識が飛んでいた。全身を走る激痛に顔が歪む。
咆哮が聞こえた。黒い獅子がすぐ近くまで来ている。慌てて身体を起こし、剣を構え直した。
一馬の身体能力は、普通の人間のそれではなかった。魔力による強化を使ったような力である。しかし彼が魔力を使ったような気配はなかった。となれば。変化をもたらしたのは。
「このライオンかっ!」
両手の『裁きの剣』に魔力を送る。そのエネルギーが魔法のギアを一つ上げた。剣が形を変えていく。先ほどは獅子の攻撃を受け止めるのがやっとだった。だがこの魔法であれば話は変わる。
「『断罪の剣』!」
輝く二つの剣が獅子の前足の一つを斬り飛ばす。苦しむような叫びが響いた。構いはしない。倒れこむ腹を足蹴にして、右手に持った剣を突き立てた。
「これでコイツは動けない。さっきは油断したけどよ、次はない。多少身体が強くしたって関係ない。俺はお前には負けない」
一馬は苛立ったような表情で舌打ちした。
「むかつく。むかつくなあ。その余裕マジでむかつくよ」
公平は奥歯を噛んだ。左手の剣も獅子の二本の後ろ脚に突き刺す。地面に磔にされた獅子が、痛みに苦しむように吼えた。
「こっちのセリフだ、バカヤロウ!そりゃ悪いのは俺だよ!けどたかがコーラのことでここまでやるか!?」
「は?コーラ?」
「どんだけむかついてんだ!みみっちい野郎だな!コーラ飲まれたくらいでよお!ライオンけしかけるとか……」
「ハッ」
「あ?」
「ハッハッハッハッハッ……」
呆れたような諦めたような笑い声。一馬の口から漏れ出した。一息ついて公平をまっすぐに見つめて言う。
「何がおかしい!」
「お前ってホントどうしようもねえなって」
「なっ……」
一馬は胸の前で腕を交差させ、更なる詠唱を行う。
「『黒い焔。深淵の向こう側。影すら裂く爪痕』」
足蹴にしていた獅子が影に変わる。地面を這うようにして一馬の元へと向かう。
「なんだ?」
「そういうところがむかつくって言ってんだよ!『アレルバ・キリルグ・リバル』!」
「うっ!?」
影が一馬の身体を覆う。黒い光──矛盾した何かが彼を包む。その向こう側から獣の叫び声がした。一歩一歩と歩いてくる。一馬の服装は全身真っ黒になっていた。両手には巨大な鉤爪が装備されている。
「着替えただけかよ」
「着替えただけかな」
言うや否や、一馬の姿が消えた。ザッザッと地面を蹴るような音だけが聞こえる。と、思っていると、突然腕に激痛が走った。魔力で強化された身体に爪痕が刻み込まれ血が流れだした。
(一馬か!?)
公平は目の力を限界まで強化した。黒い影があっちこっち飛び回っているのが見える。その動きを完全に追いきることは出来ない。一瞬見えたかと思うと消えている。単純に速すぎるのだ。
公平は、一馬はこのスピードを完全に使いこなせていないと読んだ。使いこなせていれば初撃で仕留めている。
「──だったら!」
公平は右手に持った『断罪の剣』を思い切り放り投げた。くるくると回転しながら、天へと昇っていき、頂点で一瞬静止する。
「『完全開放』!」
その瞬間、『断罪の剣』は13本へと数を増やした。それぞれが魔力で結び合って、公平を中心とした巨大な球体上のネットワークを構築する。
「それがどうしたっ!」
一馬は構わずネットワーク内部に侵入した。次の一撃で公平を仕留めるために。
──そして、捕らえられる。
「ぐあっ!?」
高速移動が突然止まる。その跳ね返りに激痛が走った。
「魔力場のネットワークは敵の動きを止める」
蜘蛛の巣にかかった蝶のようだ。一馬は全身を縛り付ける魔力場のせいで、身体を動かすことが出来なかった。
「き、ったねえ、ぞ……!」
「そうかもな。でも俺、勝つためなら何でもするからよお」
もう一本の『断罪の剣』をバットのように構える。予定通りの決着だ。斬りはしない。刃の腹で殴りつけて気絶させるだけ。そのつもりで思い切り『剣』を振り切る。
「おりゃあ!……あれ?」
しかしその一撃は空を切るのみであった。刃が突然折れた。同時に一馬の姿も消えた。それらの現象が起こる直前に何かが通った。その先に顔を向ける。『断罪の剣』の刃を持ち、一馬を抱きかかえたスーツ姿の誰かが居た。
「何だお前」
「私の名はアルル=キリル。彼に『守護者』を与え、『契約者』としての力を授けた者。簡単に言えば、異連鎖の神」
その言葉に背筋が凍った。咄嗟に『完全開放』を解き、剣を構え直す。異連鎖の神。自分一人ではまともにやったらまず勝てない。『レベル5』で立ち向かうか、或いはエックスの元へ通じる裂け目を開いて助けを呼ぶか。
警戒心を強める公平に、アルルは微笑んだ。
「まあ、そう構えないで。今日はここで退散するから」
「なに!?」
「ふ、ざけんな……。アルル!俺はまだ……!」
「いやいや。無理ですよ。相手は幸運にも女神にも愛された男。今の貴方ではまだ力不足だわ」
アルルは手に持った刃を握りつぶした。同時に一馬の身体が足先から消えていく。
「まだだ!まだ俺は!まだだあああ!」
「一馬っ!」
咄嗟に公平は手を伸ばした。しかし手は届かない。間に合うことなく完全に消滅する。茫然自失。伸ばした手を強く握りしめアルルを睨む。
「て、めえ!」
カッとなった頭で剣をめちゃくちゃに振り下ろす。アルルは慌てた様子で公平の攻撃を躱す。
「ちょっとちょっと。落ち着いてって。帰しただけよ!」
「なにぃ!?」
「嘘だと思うなら後で電話してみればいいわ。一馬クンは無事だから」
「信用できるか!」
「……彼は貴重な『契約者』。むざむざ消すようなことはしません」
アルルは真っ直ぐに公平の目を見つめていた。その視線の訴えに、いつの間にか剣を下ろしていた。完全に信じたわけではない。それでも彼女の言うことはスジが通っているように思えた。
「ふふ。貴方はこの連鎖の神さまより話が分かるみたいね」
「お前の目的はなんだ。どうして一馬に力をやったんだ」
「そうね。それはこの連鎖の神さまが知っているんじゃないかな」
「俺たちの連鎖には神なんかいない。エックスはそんなんじゃない」
アルルはクスっと笑った。
「なら、ただの大きい女の子のエックスちゃんが知っているわ。彼女の元に帰ったら聞いてみなさい」
アルルは指先をパチンと鳴らした。先ほどの一馬と同様。足の先から順番に身体が消えていく。やがて公平一人になった。後に残ったのは静寂だけである。
緊張が解けた公平はその場で膝をついた。肉体的・精神的な疲労が全身を包む。大きく息を吸いこんでは吐き出す。
分かったことはたった一つ。再び戦いが始まったということだけ。
「負けるもんかよ」
誰かではなく、自分に言うように呟いてみる。




