見落とし
「さて、と」
『鬼牙の連鎖』はエックスの力の前に白旗を上げ、撤退した。恐らく彼らがこの世界を襲うことはもうない。
奪われた土地はすっかり綺麗に片付いた。鬼たちが築いた家も城も綺麗に叩き潰し、整地し、後に残ったものは何もない。少しやりすぎだったような気もするが、これくらい片付いた方が後から開発するのに都合がいいだろうと自分に言い聞かせる。
エックスにとっての問題は、むしろこの後だ。
お城まで戻るために魔法を使おうとしたときに、自分が今箒を持っていることに気が付く。
「……ふふっ。それはそれで面白いか」
箒に跨ってから飛行の魔法を使う。軽く地面を蹴ると、箒ごと巨大な身体がふわりと浮き上がった。そのまま垂直に上昇して雲を超える。
高所を飛ぶ大型の鳥たちが浮かび上がってきた巨人の姿に驚いて、慌てて方向転換するのが見えた。小さな彼らが慌てふためく姿は可愛らしくて面白い。
本当は箒なんて必要ない。もっと言えば飛ぶ必要だってない。空間操作の魔法で好きなところに行けるのだ。
けれど今日は箒で飛んでいきたい気分だった。まるでステレオタイプの魔女のよう。『いけー!』と叫ぶと箒は猛スピードで空を駆け抜けていく。このまま一直線にお城までひとっ飛びだ。
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扉の向こうが騒がしい。如何にしてアリーダの力を借りて、魔族を攻略するか思案していたリーディスは、その喧騒に思わず舌打ちしてしまった。軍隊長や司祭たちが不安げな顔をしながら、主と扉とを交互に見ているのが分かる。
勢いよく扉が開いた。会議中であることも、その会議に王が参加していることに対しても気が届いていない乱暴な開け方である。
「た、大変です!そ、外に……!」
入ってきたのは『赤』の新兵だった。思わず、リーディスはため息を吐いてしまう。
「な、なんのつもりだ!貴様!『赤』の分際で一体……!」
「も、申し訳ありません……。で、ですが一大事なのです!」
軍隊長の叱責に対して、新兵はカエルのような姿勢で平伏しつつも話を続ける。
「きょ、巨人が現れました!城よりも大きな巨人です!魔族を打倒し、次は我が国を滅ぼすなどと言っています!すぐにお逃げください!」
「何を莫迦なことを……。軍隊長。この者の首を斬れ。『赤』の分際で私に指図をした罪は重い」
「はっ!」
軍隊長が剣を抜く。顔を上げた新兵は一歩一歩近づいてくる上官の姿に震えあがっていた。
「し、信じてください!本当……本当に……!」
「黙れ!」
振り上げられた剣。冷ややかな目でそれを見つめながらリーディスは思った。外でやらせればよかった。『赤』の血で城が汚れてしまう。
剣が新兵の首を切り落とさんとする。それが実際に起きる一秒前、扉の向かい側にある壁が轟音と共に爆ぜた。衝撃に軍隊長は吹き飛ばされて気絶した。新兵は頭を抱えてがたがたと震えている。濛々と立ち込める土煙が晴れると、巨大な拳がそこにあった。
「……は?」
「ここか?」
声と共に拳が壁から抜ける。大穴から青空が覗いたかと思うと、それを遮るように赤い大きな瞳が城の中を覗き込んできた。
「あっ。いた。王様だ」
「な、なんだ……?『赤』?これは一体……」
鼻歌が聞こえる。『赤』の瞳が離れていき、再び巨人の手が穴から場内に進入してくる。手は会議室の中にまで入ってきて、リーディスに向かって伸びてきた。
「む、迎え撃て!追い払うのだ!」
「は、はい!」
司祭や兵士たちが慌てて巨人の手に向かっていった。
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「んー?」
なんだかちくちくする。手を攻撃する不届き者がいるらしい。
「無駄な努力がお好きだこと」
中の様子は全く見えないけれど、軽く手をぱたぱたと動かして払いのけてやる。何度か繰り返したら反撃は一切なくなった。
「さて。王様はどれだー?どいつもこいつも力が弱すぎて印象にないんだよなー……。ん?」
無駄な努力が好きなのは城の中の者だけではなかったらしい。飛べるものは膝立ちになっているエックスの顔に向かって何やら攻撃をしてきている。少し視線を落とせば、無遠慮に鎮座する太ももに対して槍を突いたり斬りかかる兵隊の姿が見えた。
「……。えいっ」
軽く脚を動かして兵隊たちを薙ぎ払う。何人かは脚の下敷きにした。神ではない異連鎖の者なので死にはしないし傷つくこともないだろう。びっくりして気絶するくらいだ。
空から攻撃してくる者は、空いている方の手で叩き落とした。自らの身体の上に落ちるように調整して。これで地面に叩きつけられて死ぬことはない。
「ったくもう……邪魔しないでよね……。えーっと。これかな?」
どんぐりの背比べだが、それでも比較的力の強い者を握りしめて腕を引っこ抜く。唯一手に握りこまれずに露出している顔は、リーディスのものであった。
「おっ。当たりだ」
「は、離せ、バケモノ!」
「んー?そんなこと言っていいのかなー?」
そう言いながらリーディスのすぐ目の前でデコピンをしてやる。ギリギリ鼻先を掠めない程度の距離。『ひっ』と小さな悲鳴が上がるのが聞こえた。なかなかいい反応だ。
「ふふん。ボクのことを散々『赤』だとかなんだとか罵ったバツだ」
「お、お前……まさか……。いやしかしその顔……」
「そ。キミらに勝手に召喚された『赤』のメイドさんだ。散々バカにされてムカムカしている。望みどおりに敵を倒してやったから、次はこの国もお城もまっ平らにして、代わりにボクのお城を建てようと思うのさ」
「な、な、な……!そ、そんなことは……」
リーディスが何か言おうとしているので、無言でもう一度デコピンをしてみる。当てていないのにそれだけで彼は完全に黙ってしまった。
「こういうのには正当な手続きがいる。王様であるキミが正式にこの国をボクにくれればいい。それができないならその首を吹っ飛ばして侵略するだけ。さあ、どうする?」
「く、くくくくく……」
「ここで国も城もボクに渡すなら、命だけは助けてやってもいい。特別だぞ?」
「ぐうううう……」
悔し気な声を上げ、やがて諦めたかのような表情でリーディスが口を開く。彼を握りしめているエックスの手が攻撃を受けたのはまさにその瞬間だった。
「っ!?」
「おおっ。来たな……」
城のバルコニーにはアリーダがいた。宛がわれた部屋から急いで走ってきたのだろう。着せられたドレスは動きやすいように切り裂かれ、息は上がり、肩で呼吸をしている状態だ。
彼女が来るのを待っていたのだ。エックスは彼女の力になりたかった。彼女がこの世界を救うことで、彼女も救われるのであればそうしてあげたかった。一方で早くにコトを終えてしまいたい気持ちもあった。それならば、自分が最大の敵となって立ちはだかればいい。
「キミはボクの相手じゃあない。優しくしてくれたしね。見逃してあげるからどこかへ行くといい。キミだってこんな国は嫌いだろ?」
「……そんなことは関係ありません!こんな非道なこと、許してなるものですか!」
「ふうん……!面白いじゃないか。ボクに勝てるわけがないってことは理解できているだろうに!」
後は適当に戦って、適当なところで負けてやって、如何にも負けたという雰囲気を出して消えていけばいい。それから先のことは知らない。それはアリーダの物語であって、エックスには関係のないことだ。
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「助かりました……。ありがとうございますエックス様」
光に溢れる世界の外側の空間でミドラーシュと対話をする。予定通りにアリーダに負けてやって、事態を終わらせた後のことだった。他人の身体を借りていないミドラーシュ本来の姿は翼の生えた女神。背丈は人間サイズ。エックスにとっては手のひらの上に乗る大きさだ。
「まあいいけど。もうボクのことは呼ばないように。他所の連鎖に関わっているほど暇じゃないんだボクは」
「あ、えっと。は、はい……。あ、でもその……」
「?なに。その煮え切らない感じは」
「実はもう一件お願いしたくて……」
「は?」
「あの……うちの連鎖の子なんですけど……。ちょっともう私でも手に負えなくなったというか……」
「……はあ」
意外と図々しいやつだ。エックスは思った。
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「ってなわけで。今日は色々あった。だから今日のご飯は簡単にしたよ!」
「ヤキソバね。まあエックスのヤキソバは美味いからいいけど」
「ふふん。それは何より」
エックスの作ったヤキソバを食べながら公平は彼女に問いかける。
「そういえば『鬼牙の連鎖』ってあれだろ?」
「あれ?」
「ほら。『天拳の連鎖』を襲ったところだろ」
「あー!そっかそっか。それか。なんか聞き覚えがあると思ったらそういう……。そっか。『天拳』……」
そこで。気が付いた。おかしなことに。
「あれ?」
「?どうした」
「ま、まさか……!」
エックスは思わず立ち上がった。その勢いで机の上にいた公平は転がってしまう。
「な、なんだよいきなり」
「『天拳』は『魔法の連鎖』を守る鍵の役目をしている連鎖だ!鍵が効いている限り他所の連鎖から干渉されたりしない!」
「あ……」
「急がないと!」
そう言ってエックスは『天拳の連鎖』へと向かった。結論を言えば『天拳』は無事に運営されていた。『心錬』も『神秘』も問題はなかった。
ただ、鍵だけは外されていた。原因は分かっている。三つの連鎖を巡ることなく『魔法の連鎖』への道を開けられる方法は一つしかない。システムを構築した、『機巧の連鎖』の仕業である。
「くっそー……」
面倒なことになった。これでまた他所の連鎖が『魔法の連鎖』を攻撃できるということだ。また鍵を構築するにも時間が必要だ。それに鍵の再構築ができたところでまた外されるのが目に見えている。もう鍵は意味をなさない。
それに加えて奪われたユートピアの魔法というトラブル。頭を悩ませる事態が次から次にのしかかってくる。




