アルル=キリル
「私の名前はアルル=キリル。一言で言うと、異連鎖の神というやつです」
『異連鎖』・『神』。そのキーワードがトリガーになって、反射的に弓に装飾された刃を向ける。
身体よりもずっと巨大な刃物が突き付けられる。そんな状況下であってもアルル=キリルは冷静だった。両手を軽く挙げて不敵に笑う。
「落ち着いてくださいな。いきなり戦う必要はないと思うの。ところで、降参のジェスチャーってコレでいいのかしら」
エックスの鋭い眼差しは、依然としてアルルに突き刺さっていた。信用してはいけない。降参したようなポーズをして見せても油断してはいけない。神であるという申告だって本当かどうか分からない。
「変だね。神さまは異連鎖の生き物を攻撃できないはずだろう?」
「そこはそれ。ギリギリまで出力を落としたのよ。私は貴女ほど強い神ではないから。なんなら試してみる?私を斬ってみなさい。何が来ようと受け入れましょう。それで攻撃が届くかどうかで判断したら?」
あっけらかんと言い放つ。エックスの瞳は依然として相手をまっすぐに見つめていた。アルルの方も変わらずである。脱力して呑気な様子で微笑みを浮かべている。
刃は下ろさない。ただし、攻撃も出来なかった。代わりにぶつけたのは言葉である。
「何を企んでいるんだ」
「うーん。そうね。お話してもいいけど……」
言いながらアルルは視線を下に向ける。その様子にエックスは目を丸くした。こっちは一瞬だって油断せず、まばたき一つするものかと気を張り詰めていたのに、相手はそんなことを気にも留めない。余裕だ。危険だなんて思ってすらいないように感じる。
「この状況はちょっと騒ぎになるんじゃないかな」
「は?」
ほんの少しだけ地上に意識を向けてみる。ざわめきがした。恐怖や困惑の感情の入り混じった雰囲気。そしてそれは、悲しいことに自分に向けられているような。
「私、これでも一応脅威を撃退したのよ。こんな風に刃物を向けていたら、下の人間に悪く見られるかも」
なんて言いながら上目遣いでエックスに視線を向ける。
うぐっ、と小さく呻いて。一瞬悩んで。上ずった声で『開けっ』と叫ぶ。アルルの背後に巨大な空間の裂け目が開いた。小さな自称神さまを握りしめて眼前の裂け目に飛び込む。
地上の喧騒は収まらない。この数十分でおかしなことが立て続けに起こっている。不安と恐怖、それから混乱が人ごみを包みこんだ。そんな騒ぎに背を向けて離れていく人影が一つ。北井善は無言で去って行く。
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魔女の気配が消えた。エックスの気配も消えた。侵略者をサクッと撃退して自分の部屋に戻ったのだろうと公平は予想する。
(別にアイツが行かなくたっていいのにな)
公平は帰り支度をしながら考えた。敵が来たのはゼミの最中だった。かと言って全く抜け出せないわけでもない。トイレとかの理由で一瞬だけ教室を出て、その間に戦ってもよかったのだ。エックスが出張る必要なんてない。ただ妙に気合が入っていたので、きっと何か理由があるのだろうと思う。
そんな公平を余所に田中は机に突っ伏しながら唸る。
「ああ~。だりい~。めんどくせー。もうよお。教本読むのもお前だけでいいんじゃねえかなあ」
「もう既にそういう状態だろうが」
リュックサックをかつぎながら言ってやった。田中は随分前からゼミの内容についてこられなくなっていた。仕方がないので公平が彼の担当の部分まで教本を読み、内容を教えている。
「いいよなあ。お前は。ラッキーマンがよお。エックスさんがいるからさ。勉強も教えてもらえるし。その気になれば働かなくても生きていけるだろ」
田中は机から動かない。くだを巻いて文句を垂れるばかりである。ゼミに置いて行かれた彼の気持ちも分からないではないが、この『お前は運がよかっただけ』とでも言いたげな口ぶりにはムッとしてしまう。
「……いやいや。俺だって一応頑張っているよ?」
「みんな頑張っているわい!生きていくのに必死じゃい!でもお前はよお!そのレベルはもう考えなくてもいいだろ!生存は間違いなく保証されているだろ!その段階からのスタートって時点で恵まれてんだよ!たまたまエックスさんに最初に出会ったってだけでよお!どれだけ頑張っているって口で言ってもよお、コレは誰がどっからどう見ても!ただ運がよかっただけだろうが!ハイ論破!」
「な、な、な」
どうして親からの仕送りで大学生やっているこの男にここまで言われなければならないのか。どうしてこんなことを臆面もなく言えるのか。多々あったツッコミも、田中の言葉の勢いに飲み込まれていく。
「わ、悪かったよ。確かに俺はツイてただけだ……。ただのラッキーマンかもしれない……」
「本当だよ。ああ、むかつくな」
「俺もむかつく!……ん?」
「もう勘弁して……あれ?」
誰かの声が混ざった。『本当だよ。ああ、むかつくな』は公平の発言でも田中の発言でもない。じゃあ誰だ?考える間もなく実習室の扉が開いた。咄嗟に顔を向ける。
「え?」
そこには。新潟にいるはずの一馬が立っていた。
「お前なんで」
公平が言葉を言い切るよりも一馬は早かった。思い切り踏み込んでその顔面を掴む。次の瞬間二人の姿が消えた。
「え、ええ~!?」
残ったのは田中の驚嘆だけである。
アイツはまた面倒ごとに巻き込まれている。もしかしたら自分が思っていたよりラッキーマンではないのかもしれない。田中は思った。
--------------〇--------------
吾我は戻ってきたエックスに顔を向けた。彼女の手に握りしめられた誰かの姿が目に飛びこんでくる。呆れが混じったような深いため息が零れた。
「おい……。誰なんだその人。また問題起こしたのか?」
「ち、ちがっ。コイツはその」
「よっと」
アルルはエックスの手の牢獄からするりと抜け出した。拳から飛び降りて机の上に着地する。
吾我は目を丸くした。魔力を行使した気配はない。魔法使いでもなさそうだ。だというのに、この人物はエックスの胸元あたりの高さから机の上まで、おおよそ50m程度の高さを平気な顔で飛び降りたことになる。
「……おい。何だコイツは」
先ほどとほぼ同じ発言。だが意味合いが違う。言葉の裏側に秘められているのは目の前にいる女性に対する警戒心だった。
彼女はにっこり笑いながら吾我に向き直る。それから帽子を取って深々と頭を下げた。
「どうぞ初めまして。私アルル=キリルと申します。端的に言えば、こことは異なる連鎖の神をやっている女です」
異連鎖の神。吾我は思わず唾を飲みこんだ。それがハッタリではないのならば、目の前にいるこの女は下手をすればエックスと同格の可能性すらある。
吾我の緊張に気付いたエックスは、アルルの代わりのように彼を摘まみ上げると守るように握りこんだ。
「一体なんのつもりでこの連鎖に来た?返答次第じゃボクは怒る」
エックスの言葉にアルルは失笑した。
「怒ったぞ!ボクはもう怒ったからな!」
「私まだ何も答えていないけど?」
「ぐぐぐ……!」
何をやっているのかと吾我はエックスの手の中で想う。そんなどうでもいいトンチ合戦はいいから早く本題に入ってくれ。アルルはコホンと咳払いする。
「目的、ね。結論から言うと宣戦布告かしら。この連鎖の管理権限を明け渡してもらいます。悪いけど貴女には任せておけない」
「なっ……!」
いきなり失礼な口ぶりである。聞き捨てならないのは宣戦布告という目的。そんなことを許してはおけない。やはり彼女は敵だった。『星の剣』を発動させる。相手は神を名乗る者。強力な一撃で無力化するのが一番スマートだ。思い切り剣を振りおろす。巨大な刃が届く直前、アルルはもう一度口を開いた。
「だって、貴女は神であろうとしていない。特定の人間・特定の世界しか見ていない。それは神の在り方ではない。だって、それってあまりにも不公平じゃない」
思わず「うっ」と声が漏れた。攻撃が止まる。図星だった。エックスは連鎖の管理なんてしていない。ただ人間の世界と魔女の世界、それからそこの住人──中でも特に仲のいい数人を気にかけているだけだ。
「さっきだってそう。あの龍も巨人も、元を糺せば貴女が庇護するべき世界の住人でしょう。不公平だと思わない?貴女に愛された世界は無条件で救われて、そうでない世界は淘汰される。そんなの酷いって。自分でもそう思わないですか?」
エックスは何も言えなかった。アルルの言うことは決して間違っていない。
「貴女がただの人間ならそれでもいいわ。でも貴女は神。ならばもっと責任を持って管理するべきです。それが出来ないと言うのなら私が貴女に代わって……」
「待て」
アルルの首筋に大斧が突き付けられる。彼女は表情一つ変えずに担い手に視線を向けた。吾我はいつの間にかエックスの手の中から脱出していた。
「その権利はその世界を生きる住人たちのものだ。エックスのものでも、当然お前のものでもない!」
「いいえ。私のものでもいいわ。だってそれが出来るくらい私たちは強いんだもの」
「強さが全ての価値か。お前のところはそうなのかもしれないな。……だがッ!」
吾我は大きく斧を振った。標的のアルルは倒れるように彼の一撃を躱す。そのまま後方に回転飛びして姿勢を直した。
「俺たちの連鎖には神なんていない。神のような強さを持った魔女が一人いるだけだ。それでいい」
そうだろ、とエックスに声をかける。最大限に肯定するように何度も何度も首を縦に振った。それでいい。それがいい。神さまになんてなりたくない。そんなものになったら公平と一緒に居られなくなる。
アルルは呆れた顔である。
「それで力の大半に制限をかけているのね。その気になれば連鎖全部を手の中に収めて纏めて庇護することだって出来るのに。未来視も千里眼も封じて、知らない場所で起こる不幸を知らんぷりしている」
エックスは目を逸らした。流石に神を名乗るだけのことはある相手だ。見抜かれている。でもしょうがないじゃないか。それらの力を自由に使えるようになったら、どこに誰が居ていつどんな事件が起きても助けに飛んでいきたくなってしまう。そうしたら、公平と一緒に居られなくなる。
吾我は小さく笑った。
「それでいい。俺たちの連鎖はそういう在り方でいい。運命も未来も分からなくていい。それが普通なんだ」
「アルル=キリルは違う。特定の者だけ愛したりしない。全ての命を平等に扱うわ」
アルルはエックスを見上げた。相川らず呆れたような表情。一瞬口元が歪んだようにも見えた。
「まあ。いいです。言いたいことは概ね言えたもの」
彼女の身体がその場で浮かび上がる。足の先からその姿が消えていく。
「今日はこれで帰ります。あ、でも最後に一つだけ」
ピンと立てた人差し指。更に中指・薬指と順番に起こしていく。
「三人。私が力を授けた人間が三人、あの世界にいる」
「はぁ!?」
この自称神は勝手に何をしているのか。一番連鎖の管理体制を乱しているのはそっちじゃないかと抗議したくなる。アルルはそんなエックスには構わずに続けた。
「貴女が特別に愛した幸運な魔法使いを三人選びなさい。私が育てあげた、貴女の指先に拾われることはなかった人間をその者たちにぶつけるわ。どちらがより強いかでこの連鎖の管理権限を誰が持つのか決めましょう」
「……なんでそうなるの?」
「私が勝てば。貴女が愛した者の価値を否定できる。貴女が勝てば。私に負けない強さがある事を証明できる。どうです?」
「どうって……。え?これでいいの?」
エックスは戸惑った。正しいような正しくないような。上手く丸め込まれているようにも感じる。彼女の提案を受けるべきか悩む。そして、その答えはすぐに出た。決断を後押ししたのは吾我である。
「いいじゃないか。分かりやすい。要は勝てばいいんだろ」
自信満々の笑顔で言ってのける吾我。それを聞いて。その姿を見て。なんだか難しく考えるのが馬鹿らしくなった。
「そっか。うん。そうだね。いいよ。受ける。どうせ負けないし!」
勝手に決めた。公平を参加させることはもう決めた。もしかしたら怒るかもしれない。勝手に決めんなって。その時は大人しく怒られることにする。それに吾我ともう一人だ。
アルルはエックスの決断にニッと笑みを浮かべる。
「よろしい。それではこちらを」
アルルはスーツのポケットから何かを取り出し放り投げた。人間の手の平に収まるそれをエックスは器用にキャッチする。手の中にあったのは三つの指輪だった。
「来週までに三人を選んで付けさせなさい。それが目印。時間も場所も指定しない。指輪を奪い合って六個集めた陣営の勝利、ということでどう?」
「えっ?どこかで集まってやるんじゃ……」
「じゃあ。そういうことで」
微笑みながら手を振る。アルルの姿が完全に消失する。最後の質問には答えてもらえなかった。無言で見送る事しかできずに終わった。
手の中にある小さな指輪を見つめる。おかしな力が込められていないか確認してみる。取り敢えずエックスの調べる限りでは着けても問題なさそうではあった。続けて吾我に目を向ける。
「じゃあまず一人……」
その言葉に吾我は手を伸ばした。エックスも指輪を渡そうと彼の目の前に手を広げる。彼が手を伸ばし、指輪を手にしようとしたとき。
「待った」
咄嗟に手を閉じた。指輪を渡すのを拒否した形である。
「なんだ。俺は三人のメンバーに入れてもらえないのか」
「いれるよ。いれるけど。
言っていいのか悪いのか。まあいいか。そんな風に考えて口を開く。
「最初に指輪を渡すのは公平がいいから……」
吾我はクスっと笑った。
「好きにしろよ」
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「いったぁ!?」
突然一馬に顔を掴まれ、突然放り出された。尻もち着いた先はどこか柔らかかった。教室の床ではない。木々に囲まれた空間。暗くてジメジメしている。
「……って!?冷たっ!?」
ズボンが地面の湿気でぬれてしまった。反射的に立ち上がった。もう何だか最悪の気分である。
「一馬!お前一体何を……。……あれ?なんで俺外にいるんだ?おい一馬説明……」
その一馬は、腕を大きく天に伸ばして俯いている。背筋がぞくりとした。なにか嫌なものを感じる。
「『叫ぶ身体。吼える魂。漆黒の爪痕』」
「……は?」
意味の分からないことを口走る弟に心がざわついた。馬鹿にできるような雰囲気ではない。笑えるような様子でもない。異質な力が一馬を中心に渦巻いている。
「『アレグ・キリグ・リバル』!」
叫びながら地面を思い切り殴りつける。拳の影が広がって、その向こう側から『それ』は現れた。前足を地面にかけて。ほの暗い穴の奥から咆哮を上げて飛び出してくる漆黒の獅子。
「……なんだ。それはなんだ」
「『守護者』」
一馬は獅子の背を撫でた。その表情は笑ってはいたが、その瞳は公平だけを睨んでいた。
「俺が契約している『守護者』。これが俺の力だ!」
嬉しそうに叫んで。嬉しそうに公平を指差す。獅子が吼えて走り出す。その指の示す先に向かって。
訳が分からなかった。一馬が何を考えているのか、どこからそのライオンを持ってきたのか。どうしてそのライオンを自分にけしかけたのか。分からないことだらけだ。
獅子が大口を開けて公平に襲い掛かる。現実に起きていることに理解が遅れる。さらに遅れて『あ、やばい』と脳みそが焦る。
「仕留めろォ!」
──だが身体は動いた。
「『裁きの剣』!」
顔を歪ませながら獅子の攻撃を二本の光の剣で受け止める。エックスが鍛え上げてくれたおかげだ。絶体絶命の時にこそ反射的に魔法が使えるようになっている。
一馬が小さく舌打ちした。公平はその様子に奥歯を噛み締める。
「いいよ。不意打ちで倒すなんてだせえしなあ!正面から潰してやるよぉ!」
「一馬ァ!お前何訳分かんねえこと言ってんだ!」
魔力で全身を強化する。その力で獅子を振り払い、弟に向かって走り出す。日本から遠く離れた国。人気のない森の中での出来事。兄弟のぶつかり合いを、木の上で観察している者がいる。
「ふふ……」
始まった始まった。アルル=キリルは愉快気に笑った。




