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time⑤

「ぐああっ!」


 改変された時間に生きるエックス──もう一人の自分が放つ魔法にエックスは吹き飛ばされた。その巨体はまだ逃げきれていない人々を押し潰しながら地面に倒れこむ。目を開けると辛うじてエックスに巻き込まれずに済んだ親子が涙を流しながら自分を見つめていた。その視線に心の奥がずきんと痛む。


「どうする……。……えっ?」


 その時エックスは気付いた。公平とリリの住むアパートに目を向ける。二人にかけた時間操作に対する耐性魔法のうち一つが効力を失ったのだ。


「リリ……?」


 リリの命が今、終わったのだということを察する。

 このタイミングで黒田がリリを殺害する理由はない。ならば彼女は命を絶ったのだということになる。理由は明白だった。リリは自分と同じだ。リリは公平のことが一番大切だから、公平のために死を選んだのだ。

 涙が流れて落ちる。雨のように降り注ぐそれは震えている生存者たちの身体を濡らした。


「──はははっ。心折れたのかい。全く情けない。人間なんか気にして戦っているからそうなるのさ」


 自分と同じ顔をした魔女の笑い声が聞こえてくる。あれがあり得たかもしれない自分の姿だと思うと心の底から死にたくなった。

 けれどまだ死ねないのだ。リリは公平のために命を投げ出した。ここで死んだらその公平を守れなくなる。それだけは絶対に認められない。拳を握って立ち上がり、この時間に生きる自分を睨みつける。考えろと自分に言い聞かせる。この憎たらしい自分を打破する手立てはないか。


「……なんだ。まだやる気?いい加減面倒だなあ」


 彼女はパチンと指を鳴らした。次の瞬間、避難所となっていた中学校の体育館が彼女の手の内に収まる。指先を天井に突っ込んで、穴をあけて中を開ける。無数の悲鳴と泣き声。彼女の心をこれ以上ないほどくすぐる音楽が耳に入ってきた。


「……ふふっ。思ったとおりだ。ここにはたくさんの虫けらが逃げ込んでいるね」

「……」

「さあもう一人のボク。この子たちを殺されたくなかったらそこから一歩も──」

「どうしてそんな卑怯な手ばかりを使うのさ」

「──なに?」

「自分の魔法に、自信とか誇りはないの?」


 彼女はランク100の魔女。このタイムラインにある『魔法の連鎖』における最強の存在だ。だというのに彼女の戦い方は人質を取って相手が動けないところを責め立てるという、およそ強者とは思えないもの。違和感がある。


「考えてみれば簡単な話だ。正々堂々と戦ったらボクには勝てないんだろ?一目見た時に分かったんじゃない?『ああ。まともにやったらコイツには勝てない』って。できることと言えばボクが人質を助けるのを邪魔することくらい?それができるってだけで大したものだけど……でもそれだけだ」

「何を言って……」

「ランク100の力はいつ手に入れた?」

「そんなことキミには関係な──」

「つい最近……ボクが現れたときじゃないか?」

「──っ」

「図星か」


 ランク100はエックスですら単独では到達できなかった領域である。公平の持つ『最強の刃・レベル5』を借り受けたことでようやく手に入れた力だ。そういう相手がいないであろうこの時間軸の自分がランク100に到達できたのは何故か。


「ボクが現れたからだ」


 『エックスはランク100の魔女である』。その事実がこの時間軸のエックスにも影響を及ぼしたのである。ランク100の力が同期したと言ってもいい。


「でもそれは手に入れたばかりの上にほとんど借り物の力。多分……使いこなせていない。だからランク100を乗りこなしているボクには卑怯な手を使わないと勝てないと判断したんだ」

「……バカなことを言うね。ここまでいいようにやられっぱなしだったくせに」

「それもおかしいんだよねー。ここまで幾らでもボクを殺すチャンスがあったのに、どうしてそれができてないんだろうって。……力を使いこなせていないのなら説明がつく」

「そんなのただの憶測──」

「その証拠に。キミはボクがとっくに人質を全員逃がしたことに気付いていない」

「なっ!?」


 ハッとして彼女は手のうちにある体育館に目を向けた。極まったランク100の力ならば一切の気配を感じさせずに魔法を発動させることも可能なのかと。


「……え?」


 そこにあったのは先ほどと何も変わらない光景だった。避難者たちが怯えた表情でこちらを見上げているだけ。一瞬意味が分からなくて、そしてすぐに自分が敵から目を離していたことに気が付く。


「まさかハッタ──!」

「はあっ!」


 気が付いた時には一手遅い。エックスはすでにこの時間のエックスの懐に入り込み、魔法を籠めたキックでその身体を蹴り上げていた。ハッタリに嵌まった時点で彼女は詰んでいる。


「うあああっ!」


 そのの手から体育館が離れる。百メートル以上の高さからの落下。死は免れない。体育館中で悲鳴が上がった。

 だがいつまで経っても死ぬことはなかった。地面に叩きつけられることもない。落下の感覚もすぐに消えた。避難者たちが恐る恐る天井を見上げると、先ほど同様の緋色の瞳が、先ほどとは違うまなざしでこちらを見つめている。


「ふうっ。みんな無事、と。後は」


 体育館をおろして空を見上げる。


「く、そおおっ!」

「悪いね。卑怯の手はそっちの専売特許じゃないのさ」

「──『未知なる一矢・完全開放』!」

「最後の勝負!『未知なる一矢・完全開放』!」


 互いに構えた光の弓。同時に放たれる緋色の一矢。空から降り注ぐ流星と天へと上る輝き。その二つが空中でぶつかり合う。時空間が歪むような衝撃が街中を包んだ。世界が砕けるような音が辺り一面に響き渡る。


「はあああああっ!」

「うおおおおおっ!」


 だが決着の時は訪れる。空を目指す光が、天より落ちる災禍を貫くという形で。


「なっ……。そんっな」


 避ける間もない。呆然とする彼女の身体を光の一矢が突き刺さる。そして。


「そ、ん……。ぐ。ああああああああっ!」


 大空で花火のように爆ぜた。意識を失くし、ゆっくりと落ちてくるもう一人の自分を見つめながら、エックスはほうっと安堵の息を吐く。


「あとは──」


 公平とリリのアパートに目を向ける。


──time──


「ば、かな……。なんでこうなる……。俺の、俺のけいか……。くっ!」


 黒田が逃げていく。俺の耳はその音を通り抜けていくばかりであった。抱き留めたリリさんの身体はまだ暖かい。けれどもうどこも見ていない。動くこともない。首から流れる血は、果物ナイフが突き刺さった瞬間の勢いをとうに失っていて、ぽたりぽたりと落ちていくだけとなっている。


「……なんで。俺だって、リリさんを、幸せをしたかったよ。なんで……」


 こんなことになっても俺は何もできない。本当に情けない。悲しみと悔しさと自己嫌悪で流れ落ちる涙がリリさんの頬に当たる。


「う、うう……」

「……あ」

「……う。……え?」

「こ、うへい、く……」

「リ、リさん。あ、リリさ……。ま、待ってて。今救急車を……」


 小さく。本当に小さく。辛うじてそうしていると分かるくらいに小さく首を横に振った。それがリリさん精いっぱいだった。だから『なんで』とは聞けなかった。


「わ、たしね。しあわせ、だったよ」

「……え」


 それだけ言い残して、リリさんは本当にいってしまった。俺は何もできなかった。最後の言葉を伝えることもできなかった。それどころか励まされてしまった始末だ。結局俺は泣くことしかできない。

 もう力の入らない彼女の手を強く握る。もうすぐに消えてしまう温もりを心と身体に刻み込む。

 そして。俺はリリさんの手をおろして、立ち上がる。


「……黒田ァ……!」


 アパートを飛び出した。手すりから周囲を見回す。黒田はアパートのすぐ近くにいた。ふらつく足取りでどこへともなく歩いている。


「まだだ。まだ。手は。手は。そうだ。アイツに別のヤツを宛がえば」

「黒田!」

「……あ?」


 二階から飛び降りる。着地した俺は黒田を睨む。


「……その身体能力。魔法に目覚めたのか。ああ……。そう……」

「お前だけは……!」


 黒田は小さく舌打ちをして、面倒くさそうに俺を睨み返した。ヒステリックに頭を掻きむしりながらヤツは叫ぶ。


「お前と遊んでるヒマなんかねーんだよ!俺は!」

「お前だけはァ!」


 拳をぎゅっと握りしめて走り出す。この拳をあの男の顔面に叩きつけてやらないと気が済まない。


「あのなあ……。今さっき魔法使えるようになったカスに俺が負けるかよぉ!」


 黒田が手を俺に向けた。そこから火炎弾が放たれる。

 俺は構わずに走り続けた。あの炎に当たって消し炭になってもいい。あの男を前に立ち止まるくらいなら、胸の奥から聞こえてくる声を信じる。この魔法で立ち向かえという声を。


「『最強の刃』!」


 叫ぶと同時に俺の傍に銀色のナイフが出現した。ナイフは吸い込まれるように黒田の炎に向かっていき、ぶつかった瞬間に炎をかき消す。


「な──」

「おおおおおおおっ!」


 『ひっ』という声がした。黒田がとっさに顔を腕で守る。俺は、その上から、思い切り拳を叩きつけた。

 骨が砕ける感触がする。黒田の手首がおかしな方向に曲がる。その勢いのままにヤツの身体は数十メートル吹っ飛んでいく。そして二回ほどバウンドをしてからアスファルトの地面を滑っていき、そこで動かなくなった。

 だがまだ気が収まらない。殺したって俺はきっと納得できない。意識のない黒田に俺はゆっくりと近づいていく。


「黒田……!お前だけは……!」

「そこまで!」


 ずんと音を立てて、目の前に巨大なスニーカーを履いた足が落ちてきた。顔を上げるとエックスが俺を見下ろしている。彼女はすでにもう一人の自分との対決を終えていたのだ。


「止めるなよ。アイツだけは……」

「いいや。これ以上はダメだよ」

「お前……!」

「ボクにも一発くらい殴らせろ!」

「……は」


 ぽたっという音。塩っ辛い雨が俺の身体を濡らす。エックスの涙だ。ああそうかと俺は呟く。コイツにだって権利はある。コイツは黒田のせいで、リリさんという親友を失ったのだから。


「……分かったよ。あとは、任せる」

「うん」


 そうしてエックスは気絶している黒田を摘まみ上げた。


──time──


「……はっ!」

「起きた?それはよかった。気絶したままのキミを相手しても面白くないからね」


 エックスの手の上。黒田は一瞬状況が分からないような顔をしていた。だが次の瞬間に襲ってくる痛みで我に返る。


「……こ、この時間のエックスは……」

「やっつけた。ボクが」

「俺の魔法は……?」

「ぶっ壊した。ボクが」

「──」


 黒田は絶句した。今の自分は完全に無力。そんな状態でエックスの手の上に乗せられている。絶望に打ちひしがれている黒田の姿に、エックスはにやりと笑みを浮かべた。


「ま、待った」

「待たない」


 問答無用で黒田を摘まみ上げる。重機のような指先は手加減をしない。骨が折れた腕を摘まんでぶら下げる。駆け抜ける激痛に黒田は悲鳴を上げた。


「おいおい。まだ何もしていないのにそんなに叫んでちゃ、この後が大変だぞ?」

「……う、うう。……え?」


 黒田のすぐ目の前に握りしめた拳を近付ける。


「ま、まさか……」


 怯える黒田にエックスはニコリと微笑んで言った。


「殺しはしない。でも、もっと全身の骨をばらばらに砕きはする」

「や、やめて──」

「やめない」


 淡々と言うとエックスは黒田をひょいっと放り投げた。小さな生き物は悲鳴を上げながら上昇していき、頂点で一瞬静止して落ちてくる。

 そうして。顔の高さまで落ちてきたところで。振りかぶっていた拳を思い切り叩き込んだ。小さな彼の骨という骨が砕けるのをエックスの拳は感じ取る。


「うあああああ……」


 それでも黒田はエックスの魔法のせいで死ねない。全身を砕かれるような痛みを感じながら、空の彼方へと吹っ飛んでいくのであった。


「ふうっ……」


 そして。黒幕を殴り飛ばしたところで。エックスは振り返ってしゃがみこむ。公平が彼女を見上げていた。


「公平。悪いけどボクはもう時間を元に戻す。この時間を維持しておく理由が、なくなったからね」

「……ああ」


 公平は俯いたまま言った。彼の気持ちが分からないわけではない。この世界は辛いことや悲しいことが沢山あった。それでもリリと生きてきた世界だ。消えてしまうことを心から肯定できるはずもない。

 けれどエックスはやめない。


「いくよ。『──time──』!」


 このままでは公平は幸せになれない。それはリリの望むところではないから。


(リリ。キミの分まで、ボクが──)


 世界中を暖かい光が包み込んでいく──。


--------------〇--------------


「あ……」


 目を覚ますと泣いていた。一瞬遅れてスマートフォンが目覚ましの音を鳴らす。


「俺……」

「あっ。公平起きた?」


 声のする方へと顔を向ける。すでに起きていたエックスが寝室の扉から顔だけ出して微笑んでいた。


「ああ。おはようエックス」

「いい天気だよ?今日はピクニックとか行かない?」

「ああ。それもいいな」


 布団から身体を起こす。エックスが軽い駆け足で近づいてきて、公平を摘まみ上げた。


「……黒田刻ってどうしたんだっけ」

「んー。時間改変をされたけど、改変された時間軸でやっつけた」

「ああ。そうだよな。うん。そうに決まってる」

「朝ごはん食べるでしょ?もう準備できているから」

「うん」


 エックスが公平を肩に乗せる。そのままリビングへと向かっていく。公平はそんな彼女に『なあ』と声をかけた。


「ん?なあに?」

「俺、黒田が改変した後の世界のことほとんど覚えてないんだけど」

「うん」

「なぜリリさんとの記憶は残した?」


 エックスはくすっと笑って答える。


「大事な思い出だから!」


 とてもシンプルな答えが返ってくる。

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