俺はもう決めたから
『機功の連鎖』に戻ってきた明石四恩は、研究室の休憩室に入った。灯りもつけずにソファに座り、『魔法の連鎖』で購入した缶コーヒーのプルタブを開ける。飲み口をじっと見つめていると、がらっという音とともに休憩室の扉が開いた。誰かの足音が近づいてくる。
「今使用中だ」
「なら電灯くらいつければいいだろ」
その言葉と同時に休憩室がパッと明るくなった。ふうっと息を吐きだして、顔を上げる。
「何かあったか。四恩」
「一会か」
「今日は決着がつく日だと聞いていたけど」
「ああ。まあ。おおむね決着はついた」
「曖昧な言い方だな。お前らしくない」
「……」
「何があったんだ」
「女神の心は砕いた。だが──」
その先を言い淀む。代わりに吐き捨てるようにして続ける。
「本当に。異能ってやつは腹立たしい。不確定要素が計算をいくらでも狂わせる」
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結論を言えば明石四恩の目的は完全には達成しなかった。
明石四恩の今回の目的は二つ。一つはエックスの心を砕くこと。そのために機械天使を『部品』である人間ごと破壊させる算段だった。
エックスはヒトを殺害することを厭う。
エックスはどんな脅威も障害も外敵を殺害することで終わらせることができる。『魔法の連鎖』を守る女神ならば、そうするべきだ。それが一番スマートな解決法だからだ。
だが彼女はそれをしない。そこに合理的な理由はない。単に倫理的にイヤというだけの話。或いは、女神ではなくヒトと共に生きようとする彼女のエゴだ。
だから彼女に殺人を犯させる。気付かないうちに、自分の意志で、命を磨り潰させる。彼女の心に致命傷を負わせる。直接的な戦闘では無敵と言える怪物を仕留める唯一の手段だった。
こちらは上手くいった。思った通り、真実を知ったエックスは絶望に満ちた表情を浮かべていた。その為に最後の一手が遅れ、街は壊滅状態。撤退する機械天使に追撃することもできず、ただ静かに泣くだけであった。
問題はもう一つの目的。女神を生み出した鍵となる魔法の所有者──公平の殺害は失敗した。
本来ならば機械天使の一撃で彼を殺せるはずだった。機械天使は魔法能力の99%を阻害する。機械天使と戦うにはその1%で十分以上に魔法を発動する必要があるのだ。単純にそれまでの100倍強くなられたら負ける。
一方でエックスには90%の阻害能力までしか見せていなかった。公平が魔法の力を高めたとしても機械天使と戦えるレベルに到達することはないはずだった。仮想敵として彼女は彼女が知っている機械天使を想定する。つまりは10倍以上公平を強くすればいいと考える。そこからさらに10倍と考えはしない。
だが、目の届くところでエックスの心を攻撃したのがよくなかったのだろう。それだけが失敗だった。その瞬間の感情の昂ぶりが彼を一気に成長させてしまった。結果として彼は機械天使の攻撃を耐えてしまったのである。
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「女神は分かりやすかった。力は究極。裏を返せば成長の要素はない。そして心には致命的な弱点がある。そちらを突けばどうとでもなると思った。やつが戦えなくなれば機械天使を倒せるものはいない。そうすれば機械天使を嗾けないという条件で好きに彼女を利用できる。……つもりだったが」
「『魔法』にしろ他の異能にしろ、こういう現象は珍しくないさ。しかし、この土壇場でこうなるとはね」
「ああ。致命的な計算違いだった」
「なるほど。お前が計算ミスか。ふふっ。珍しいな」
四恩は自嘲的に笑い。一気にコーヒーを飲み干す。そうして一息つくとソファから立ち上がった。すれ違いざまに一会は四恩に尋ねる。
「で?なんで仕留めてこなかったんだ?どうせ死に体だろ。トドメは刺せた」
「無理だな。機械天使の能力を受けてなおあれだけの魔法が使えたんだ。ほぼ間違いなく負ける。今までの投資とは違うんだ。無駄に機械天使は使えない」
そして。四恩は振り返り、続けて言った。
「計算のやり直しだ。次は奇跡も、それ以外の不確定要素も、全て計算しきってみせるさ。それまでは作戦は中断──」
「冗談だろ。その間に女神が立ち直ったらどうする」
「それはないな」
「なぜそう言える?」
「あれの行動は計算しやすい。理由はそれだけだ」
「だがお前さんは今回計算をミスった」
一会の嫌味に対して四恩は彼を睨むことで答える。暫く見つめあい、やがて静寂を切るように一会は小さく笑った。
「不確定要素の計算なんていらない。女神はともかく。鍵の所持者は違う。前者の力は無限かもしれないが、後者は有限だ。物量作戦で潰せばいい。こっちの方がよほど計算しやすいだろ。機械天使一機で足りないなら十。それで足りないなら百。有限である以上どこかでこちらが超える」
「無理だな。私の計算だと、それでは機械天使を無駄にするだけだ」
『計算ミスをした女の言葉だが』と最後に言い残し、四恩は休憩室から出ていく。残された一会は去っていく四恩に向かって、独り言のように言った。
「なら試してみよう。お前はゆっくり計算してな。その間に、俺が終わらせておくとも」
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携帯電話の音で目を覚ました。時間を見ると13時半だった。大学の授業には完全に遅刻である。エックスの姿は家の中にない。広い広い巨人の家に公平は一人である。電話に出て一言二言会話をし、最後に言う。
「悪いな。エックスは、今回行けないよ」
最後の攻撃で街を吹き飛ばした機械天使は明石四恩と共に姿を消した。トドメを刺そうと思えば刺せただろうに何故撤退したのか。公平には分からない。
それからどうにか身体を起こしエックスの傍に歩いて行った。何を言えばいいのか考えて。分からなくて。ただ近づいていくことしかできなかった。そして、そんな公平をエックスは拒絶した。『ごめん』と言った静かな泣き顔が頭に染みついて、離れない。
見つけようと思えば見つけられる。手を伸ばせば恐らく届く。まだエックスとの繋がりが切れたわけではない。
「……けど。先にあっちか」
電話の相手は岸田。内容は機械天使の襲来について。見た目の特徴から察するに昨日の機械天使だ。数にして百機。現在人間の魔法使いは避難活動をし、機械天使への攻撃は魔女が行っているが、苦戦を強いられている。
ヴィクトリーにせよローズにせよ、機械天使が相手では魔法が使えない。魔法が使えない以上は単純な力勝負になる。一対一では辛うじて戦いにはなるが、相手は百機もいるのだ。このままでは守りきれないのは自明である。
「……よし」
簡単に身支度を整えて、公平は現地へと向かった。
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死にたい。
死にたい。死にたい。死にたい。
いい気になっていた自分を殺したい。得意げだった自分の首を掻っ切ってやりたい。
「ボクは……なんてことを……」
雲の上にエックスはいた。ずっと泣いていた。涙が文字通り雨になるのではないかと思うくらいに泣いた。
何度目か分からないくらいのフラッシュバック。機械天使を破壊した時の感覚が蘇る。握り潰したことも真っ二つにしたことも叩き潰したことも。必然、それは部品とされた相手を、そういう形で殺したということだった。そんな酷い死に方をさせてしまった相手の恐怖を思って、また涙が出てくる。
「……う……」
頭を抱えて、巨大な体を小さく縮こませる。この手は人を何人も殺している。こんな手をした巨人が公平と一緒にいていいわけがない。あそこでやめておけばよかった。あの時公平が迎えに来た時、手を取らなければよかった。怪物の分際で、一緒にいたいだなんて思ってはいけなかったのだ。
やり直したい。あの時からやり直したい。過去に戻ってなかったことにしたい。そう思っていながら、エックスはそれができないことを知っている。強すぎる女神であるエックスは過去改変の影響を受けない。歴史から消えただけでエックスが人を殺したという事実は消えない。
きゅっと目を閉じると知らない誰かの悲鳴が聞こえる。自分が殺した相手の声だ。幻聴だと分かっていても逃げられなかった。逃げずに聞き続けることが罰だと思った。
「……ん?」
幻聴の奥で音が聞こえる。爆発音だ。地上から聞こえてくる微かな音だ。目を開けて、雲に穴をあけて地上を覗く。『ああ』と思わず声が漏れた。機械天使だ。
「……い、行かなきゃ」
あれは自分でなければ倒せない。このままでは避難誘導をしているミライや岸田も、機械天使と戦っているヴィクトリーもローズも死ぬ。倒さなくて──この手で機械天使を殺さなければ、大勢が死ぬ。
「う、うう。うううううっ。うわあああああっ!」
目を閉じて。魔法を発動させて。エックスは雲から飛び出した。何も見ないことにする。全部忘れることにする。それでみんなを守れるなら──。
「おりゃああああっ!」
「……え?」
声がした。大好きなひとの声だ。目を開けた時、機械天使が炎の剣で縦一文字に真っ二つにされていて、そのまま爆散する。地上には公平の姿があった。
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後ろでずずんと音がした。空からよく知った魔女が落ちてきたのだ。公平は何も言わずに振り返り、彼女を見上げる。
「公平……」
「ごめんな。大事なことだったのに、黙ってて」
「そ、それより、あれは」
「いいんだよ。俺はもう決めたから」
そして公平はもう一度エックスに背を向けた。まだ機械天使は無数にいる。休んでいる暇はない。
「俺が戦う。エックスができないことは俺がやる。俺に任せておけって」
「あ……」
走り出す。ビルの壁を駆け上がっていき、屋上から思い切り飛び出す。そのままローズが食い止めている機械天使を真っ二つにする。これで二つ目。
エックスよりも真っ赤に汚れてやると決めた。それで彼女が救われることはないのかもしれない。自己満足かもしれない。けれど自分がエックスのためにできることはこれしかない。ヴィクトリーを殴り飛ばした機械天使を貫く。これで三つ目。
「うおおおおっ!」
機械天使たちが公平を脅威と認めた。十体の機械天使たちが同時にエネルギー弾を放つ。
「『メダヒードの轟炎砲』!」
公平の周囲360度に十個の魔法陣が同時に発動する。そこから炎の弾丸が放たれて、エネルギー弾をかき消し、機械天使を呑み込んで、焼き尽くした。これで十二。
「さあ次はどいつ……!」
「『未知なる閃雨』!」
エックスの詠唱が聞こえた。次の瞬間空を埋め尽くすほどに巨大な魔法陣が展開されて、そこから『未知なる一矢』の雨が降り注いだ。矢の雨は的確に機械天使だけを打ち抜き、粉々にして、破壊しつくした。
あちこちから歓声が聞こえる。壊滅級の脅威が去って一般人も魔法使いも魔女も安堵しているのが分かった。そうでないのは一人だけ。公平は慌てて彼女に振り返る。
「エックス……」
「ばかだな。公平は」
「……ごめん。俺にはこれしかできないから」
「ううん。それはボクもだから、ね」
一歩。彼女は公平に歩み寄る。重たい足音が響く。そっと膝を落として、手を伸ばして公平を拾い上げる。
人を潰した手であっても、公平は逃げたりせずに受け入れてくれた。
「……ありがとうね」
そう言ってそっと、彼を抱きしめる。
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「おかえり」
「ああ」
一会は四恩に『魔法の連鎖』で買ってきたブラックの缶コーヒーを差し入れする。
「悪い。余計なことをしたよ」
「……ふっ。安心しな。キミが余計なことを想定して、私は今計算をしている」
思った通りにコトが進んで嬉しいのか、四恩はにやにやした笑みを一会に向けた。
「これから好きなようにしていい。死なない限りは自由さ」
「……いいや。やめておくよ。お前の邪魔をしたくないし」
「そうか」
四恩は缶コーヒーのプルタブを開けて、こくりと一口飲んだ。
「……で。行けそうか?」
「勿論。けれど、このままだと最後に一つキミに頼まないといけないことがある」
「いいさ。俺のせいで面倒になったわけだし。なんでもやるよ。なんだい?」
「ああ。実は──」
四恩の頼みを聞いた一会は、先日彼女がしたように、缶コーヒーを一気に飲み干して呟く。
「難題だな」
「できないなら他に頼むが」
「やるさ」
「そうか」
『それはよかった』。そう言って四恩は計算を再開した。次こそ『魔法の連鎖』を倒す一手の計算を。




