エックスと公平と岸田
八月病の影響で延期となっていた大学院の入学試験も終わった。あとは結果を待つばかりである。もしも落ちていたら就職活動を始めなければならないが、公平自身はあまり危機感を持っていない。
「もうすぐ夏休みも終わりだねー」
エックスは机に頬杖をついていた。九月も終わりが近い。本格的な秋の訪れにアンニュイな気分に浸る。また公平と遊べる時間が減るんだな。
一方で。机の上でエックスを見上げていた公平は、不敵に笑った。そんな彼をいぶかしむ。
「どうしたのさ。変な公平」
「くくく。まだまだ時間はたっぷりあるぞ。俺はもうゼミ以外の授業は取らないからな」
「え?」
公平は既に、ゼミ以外の必要単位を取り終えている。卒業はほぼ確定しているのだ。そして後期の授業料が免除されるかどうかは、前期の成績だけで決まる。即ち授業を受ける必要もなくなった。
「だからここから先は遊ぶ!授業なんかとらない!ゼミだけ頑張って後は全力で遊びに使う!」
「おー!」
エックスは公平の宣言に喜びの拍手を送った。これから半年は毎日が夏休みであることとほぼ同義である。大学院に受かってさえいれば、進路も確定するので本当にずっと遊んでいられるのだ。
「ええっと。そしたらね。ボク旅行に行きたいなあ。京都とかさ。北海道とかさ」
「おおっ。いいねー。それなら海外もいいな……。アメリカとかイタリアとか?」
そうやって二人は笑いあった。実際にやるどうかは別として、やりたいことをとにかく言い合った。スカイツリーと同じくらいの大きさになってトリック写真風の記念写真を撮ろうか、みたいに絶対にやってはいけないコトも話した。
「あっ。そろそろゼミの時間だ。悪いけど俺行くから!」
「うん。行ってらっしゃーい」
人間世界につながる裂け目を開いて走り出す。そんな公平の姿を見ると、心のどこかで思うことがあった。彼は本当に幸せなのだろうか。こんな巨人に好かれて。時間が増えることをいいことのように言っていたけれど、同時に、それは自分と一緒にいる時間が増えるということでもある。それが本当にいいことなのか。巨人との生活が危険だってことも分かっているだろうに。ほんの少しだけエックスは迷ってしまった。
裂け目が閉じる直前に、人間世界の電波を拾ってエックスの携帯電話が鳴った。公平は慌てて裂け目を再び大きくした。彼に不安げな目を向ける。
「大丈夫かな?誰かに見つかったりしない?」
「目立たないところだし大丈夫だよ。っていうか。別に見つかってもいいけど」
そんなことないだろうと思いつつ、エックスは電話に出た。相手は新潟で出会った岸田という女の子である。
「もしもし?」
『あっ。もしもし。岸田です』
「うん。久しぶりー。どうしたの急に」
『ええと。実はお願いがあって』
「お願い?」
『実はですね。今日、卒研の調査として心霊スポットに行くんです。それで……もしよかったら一緒に行けないかな、って』
心の中で「ははあ」と呟く。エックスは分かってしまった。遊びの誘いのようなふりをしているが実際には違う。これは要するに用心棒が欲しいだけだ。本当に危ない所は一人で行ったらいけないことを学んだのだろう。そこまで学んだのなら危ない所に近づくべきではないことにも気付いていほしい。エックスは少し呆れながら答えた。
「いいよ。何時に何処?」
電話の向こうで喜びの声がする。呆れてはいたけれど。それはそれとして面白そうなので彼女の誘いに乗ることにしたのである。
一方で。人間世界とエックスの部屋の狭間で。おばけが嫌いな公平は嫌そうな顔をしている。
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「いやだなあ」
公平は落ち着かない様子で呟いた。時間は夜の九時。場所は某県の郊外にある家だ。ここにはずいぶん前から誰も住んでいないというが、それにしては綺麗な見た目である。『箱』のある家と同じでここには何かが出るそうだ。
「ここはですね。一階の奥にある部屋が危ないそうです」
「危ないって」
「忍び込んだ大学生が発狂したとか」
じゃあ入っちゃあダメじゃないか。公平は思わず言いたくなった。危ないことをしてはいけない。大体これは不法侵入だ。バレたらきっと怒られる。何より、この家から嫌な気配を感じるのだ。恐らく本当に幽霊がいる。以前の『箱』に比べればずっと弱いが、何が嬉しくてそんなところに入らなければならないのか。
「まあいいじゃん。入ろうよ」
同じく異様な気配を感じているはずのエックスは平気な顔で扉を開けた。彼女は魔法使いとか幽霊とかそういうものとは次元が違うくらいに強いから、もしかしたら幽霊も取るに足らない相手だと思っているのかもしれない。
「だいたいなんで鍵がかかってねえんだよ」
「本当に危ない家は鍵がかかっていないんです」
「かけとけよ。危ないなら」
後ろでぶつくさ言っている公平。楽し気に彼と話す岸田。エックスはクスっと笑った。なんだかんだで仲がいいじゃないか。ちょっとムッとしたけれど、それで怒りをあらわにするほど心の狭い女ではない。
玄関から見て右手に、三つの部屋が並んでいる。岸田の言う通り、一番奥の部屋から一番異様な気配を感じた。彼女も出来る限りそちらに目を向けたくないようである。
明らかにそこにいる。よくない。『箱』ほどではないけれど、人間を死に誘う類の存在だ。
「と、取り敢えず。噂の部屋は一番最後に……」
震え声で言う岸田をよそに、エックスは光の矢を構えた。
「え?……ってエックスさん何を」
きょとんとした表情で手を離した。光の矢が放たれて、そのまま真っ直ぐに廊下を通り抜ける。最後に緩やかなカーブで最奥の部屋に侵入したかと思えば、中にいる『何か』を撃ち抜いてしまった。
ぎゃあああという断末魔。直後家の雰囲気がどこか柔らかくなった。怪異は消えた。それを理解した公平は乾いた笑い声と共に言った。
「……ははっ。はい。終わり終わり」
ぱんぱんと手を叩いて帰り支度をする公平。岸田は怒りや戸惑いが入り混じった声を上げる。
「ちょっとお!?終わっちゃったのお!?」
「えっ!?だって危なかったし!?」
「なんのためにここまで来たんですか!?」
「えっ?お、お化け退治でしょ!?」
「ちがーう!」
結局探検する前に終わってしまった。きちんと趣旨を説明していなかったのがよくなかったのかもしれない。せっかく本物を見るチャンスだったのに。
「見る前にやっつけてどうするんですかーっ!」
廃屋の中で岸田の声が響いた。
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それから。埋め合わせと称して二件の廃屋を探検した。移動はエックスや公平の魔法で。しかしこれらからの廃屋からは何も感じることは出来なかった。そもそも幽霊が居ないのである。
とっくに日を跨いでいた。今は真夜中の二時である。いい加減公平も眠かった。欠伸を噛み殺して目を擦る。
「ねえーもう許してよお。ボクだって悪気があったんじゃないんだよぉ」
「い・や・で・す!まだ幽霊見てないモン!せめてもう一軒行きますよ!」
「うう……。次の住所は?」
「ええっと。東京都の……」
相槌を打ちながら彼女が読み上げる住所を聞く。聞き終えて、ふと疑問符が浮かんだ。
「ねえ?住所間違ってない?」
「間違って……ないと思います」
「だってそこ廃虚じゃないよね」
「え?なんで知っているんですか?確かに今も運営されているアパートです」
「いやでも……」
「ほらっ。公平クン!道を開いて!住所を繰り返す!」
岸田は半ば眠りかけている公平の腕をとり、住所を叫びながら彼の腕を上から下へと下ろした。果たして、そのアパートが裂け目の向こう側に見える。岸田は公平の腕を引っ張って裂け目の奥に入っていった。
やっぱりここだよね。エックスは思った。渋々と足を進める。
「ちなみに。ここってどんな謂れがあるの」
「うーん。噂が広まったのは最近です。何でも恋人を亡くした男性が一人で住んでいる部屋があるそうで……。出かけた後なのに部屋の中からその人の声がしたとか」
「うん……。全く的外れってわけじゃないんだ」
アパートを見上げる。何も感じることはない。このアパートもハズレだ。問題はそこではない。エックスは岸田の話を思い出した。前半部分は間違いではない。ここには確かに『恋人を亡くした男性』が住んでいる。
「ふあああ。そんなのなんかの勘違いなんじゃないのか?」
公平は大きな欠伸をした。目をぱちぱちさせている。一言「ごめん」と呟いたかと思うと、その場に座り込んでアパートの外壁にもたれかかった。
「俺はもうだめだ」
「えっ」
公平はそのまま目を閉じた。普段ならとうに寝ている時間である。もう起きているのが辛い。すうすうと呼吸を安定させていく。
「いやいや。こんなところで寝なくても……。おーい。起きてー」
「うぁ……」
立ち上がってくれない。困りきったエックスに構わず岸田は先に進んで行く。
「ああ、ちょっと待ってって」
仕方がないので公平はここで休ませることにした。早足で岸田の後をついていく。彼女はとある部屋のドアノブを回そうとした。エックスは慌てて追いついてその手を取り押さえる。
「え?」
「ちょっと!」
「灯りついているからまだきっと起きてますよ」
「や、そういうことじゃない!ここは開けちゃダメ!」
「本物がいるんですか?」
「違うよ!このアパートからは何も感じないから!だけど、ダメなんだよっ!」
「えっ?なんで……?」
「い、いいからっ!」
言うや否や、エックスは魔法を行使して岸田を縮めた。きゃあきゃあと悲鳴を上げる彼女を上着のポケットに入れて駆けていく。乱暴だったかなとも思うが、中の人に迷惑はかけられない。
背後からドアの開く音がした。エックスは咄嗟にアパートの二階部分から飛び降りる。
「あのーすいません。もう遅いんで……あれ?」
部屋の住人が左右を見回す。当然、そこにはもう誰もいない。
彼は北井。北井善。以前、異連鎖の侵略者であるマアズに、恋人を殺された男だった。
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「おーい。公平―。帰るよー」
「ううん……もう少し……」
「こんなところで寝たら風邪ひくって……」
何度か身体を揺すってみるも目を覚ますことはない。エックスは公平を起こすのを諦めた。気持ちよさそうに寝ているし。
要は家に連れて帰れればそれでいいのだ。彼の身体も魔法で小さくして、岸田を入れたのとは逆のポケットに突っ込む。それから自室に通じる裂け目を開いた。
部屋に戻って、一歩一歩進むごとに元の大きさに戻っていく。ポケットの中の岸田にはどう見えているだろうか。どんどん空間が広がっていく感覚。或いは更に縮められていくかのような気分だろうか。
ベッドに腰かけてポケットに手を入れる。わざとらしく「どこかなー」なんて言ってみる。本当は岸田がどこにいるのか正確に分かっているけれど、分からないふりをした。
適当に手を動かしてみる。か細い声で「ここでーす」と聞こえた。小さな小さな手が人差し指に触れた。潰してしまわないように慎重に彼女を摘まみあげ、手のひらに載せる。
今の岸田は100分の1の身長である。元の大きさのエックスは100mなので、相対的には10kmの巨人に見えていることになる。きっと恐いだろうけれど、それでもいい。ほんの少しだけ怒った顔で彼女に言う。それくらいやってでも反省してもらった方がいい。
「あのね。百歩譲って廃虚に行くのはいいよ。だけどさ。まだ人が住んでいる家に……」
「……すごーい!」
「迷惑かけるのは……。え?」
「魔法ってこんな事もできるんですね!あっ。そうだ。私が魔法を覚えたら心霊スポットに一人で行っても安心じゃないですか?時間ある時でいいんで私にも魔法を教えてくださいよ!月謝払いますから~!」
エックスは天を仰いだ。困った。この子は意外と手ごわい。
友達の魔女の顔を思い浮かべる。この魔法使い志願者を誰に押し付けようか。考えてみる。
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「うーん。何だったんだろう」
岸田は扉を閉めて部屋に戻った。
「確かに声がしたよね。どう思う、アルル?」
その奥に。男装の女性が座っていた。ぴしっとしたスーツに身を包んだ彼女は柔らかく微笑んで答える。
「さあ。どうでもいいことでしょう。それより、続きをしましょう。守護者の力を使いこなすのです」
北井は頷いた。




