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温泉スイマー

「はあ……」


 肩まで温泉に浸かる。身体の奥から暖かくなった。湯を手で掬ってかけてやると、心の奥で渦巻いていた気疲れが流れ落ちていくような感覚を覚えた。


「ねえねえ。エックスさん。せっかくですし……私のこと縮めて下さいよお」

「またその話?ダメだってば。危ないよ」

「え?また?」

「ああ……。ごめん。こっちの話」


 正体不明の敵。エックスそっくりの姿をした機械人形。一糸も纏わぬ巨大な姿で暴れようとしたそれは、その時N市にいたほとんどの人間が見ていた。それはつまり自分の裸が街中の人間に見られたのと同じことだ。胸を撫でながら思い出して、恥ずかして顔が赤らむ。

 そんな記憶は残してはおけない。エックスはN市の人間全員を軽い眠りに落とし、その時にあったことを夢だと思わせることにした。同時にエックスモドキが壊したものも全部魔法で直し、報道などの記憶に依らない記録が残る前に相手を破壊したことで、全ての痕跡を消し去った。今その時の出来事を覚えているのは公平だけである。

 そういう経緯で夢うつつ状態となり、温泉に入っていた事さえ忘れたSF研と共に総湯に戻ったのが現在である。よく分からないことがいっぱいあって疲れてしまった。疲れを落とすには温泉が一番である。


「はあ……また何かよくないことがありそうだなあ……」

「ねーねー。エックスさあん」

「もー……しょうがないなあ……」


 きょろきょろ周りを見て人のいないことを確認する。それなら多少魔法でおかしなことをしても問題はないだろう。記憶にはないとはいえ、大騒ぎして。一応彼女にも迷惑をかけたわけなので、今回だけサービスしてあげることにする。

 ぱちんと指を鳴らすと田母神の身体が仄かな光に包まれて、徐々に徐々にと小さくなっていく。

 ──サービスするとは言っても。軽率に小さくなりたいと言うとどういうことになるのかは、教えておきたいと思う。


「おお……!これは!」


 田母神の口調は静かに高揚していた。態度は隠しているようだが、心音は強くなっていて興奮しているのが分かる。

 ただ、もうすぐそれとは違う理由で彼女はどきどきすることになるだろうとエックスは分かっていた。


「……わっ!?」

「あ。足つかなくなった?」


 突然にじたばたし始めるから分かりやすい。元々の彼女の身長は160cm代後半。で、あればこの温泉は座っていても顔が出るくらいの深さくらいしかない。1m弱くらいだろう。

 だがそれも縮んでいけば話が変わる。すぐに立っていないと顔が出せなくなって、すぐに足もつかないほどの深さになる。現在田母神の身長はおよそ80cm。1~2歳の幼児くらいの大きさだ。


「どうする?これくらいで止めておく?」

「ま、まさか!」


 ぱちゃぱちゃ音を立てながら田母神はエックスに向かって泳ぎ始めた。自分の身体にくっついて溺れないようにしようとしているのだろうと察する。


「まだまだ大丈夫!私カナヅチじゃないし!」

「そう?それなら……」


 田母神の縮小が再開する。今度はさっきよりもイジワルにした。彼女がこちらに向かって泳いでくると、それに応じて縮むようにしている。


「あ、あれ……?」

「おっ。もう気付いた?流石に賢いねー」


 今の田母神はどれだけ泳いでも、エックスには近付けなくなっている。実際には近付いているのだが、その分だけ彼女の身体は縮み、それだけエックスとの距離も広がっていくのだ。

 ひいひい言いながらそれでも泳ぐ。一番近い陸地はエックスの身体なのだから仕方がない。最早虫よりも小さな身体だ。温泉の熱と永劫に続く水泳の疲労とで意識が遠くなっていく。そしてそんな状況になってもなお、エックスの元には辿りつけない。


「うう……」


 やがて力尽きて、泳げなくなって、そこまでいったところでエックスの手が彼女を掬い上げた。


「はーい。お疲れさまー」

「つ、つかれたぁ……」


 相対的に見ればエックスの手の平は彼女にとっては海のように広くなっている。そっと手を顔の前に近付けて、微生物のように小さくなった田母神をじっと覗き込んだ。


「大丈夫?ちょっとやりすぎたかな?」

「あ、あうう……」


 疲れ切ってちゃんとした返答も出来ていない。しかして身体の調子を見てみれば、どこにも問題はないことが分かった。本当に疲れているだけである。少しだけ、田母神の身体を疲れやすくしていたのだ。そうすることで温泉の熱で熱中症になる前に身体が動かなくなる。

 再度エックスは指を鳴らした。手の平の上の田母神の身体が大きくなっていく。


「──さて」


 そうして、ぐったりした彼女を支えてエックスは立ち上がった。ざばっと音を立てて温泉の湯が流れ落ちる。湯船から上がって脱衣場へ向かう。彼女がこれ以上のぼせてしまう前に休ませた方がいい。


--------------〇--------------


「うう……」

「おっ。起きた?」


 田母神が目を覚ますと浴衣姿で休憩所の椅子に座っていた。隣に座るエックスはぺろぺろとアイスキャンディーを舐めていて、『食べる?』ともう一本を差し出してくる。当惑しながらアイスキャンディーを受け取り、包みを破って口の中へ。温泉で火照った身体に冷たい甘さが心地いい。


「……ん?温泉……。あっ!ああっ!?戻ってるぅ?」

「はいその通り。残念でした」

「うぐう。もう一回小さくして!」

「懲りないねー。でもダメ。特別サービスは一度切りさ」

「くううう……」


 悔しさに唇を噛み締めて、諦めてアイスキャンディーを舐める。


「そういえば男連中は?」

「ん?まだ上がってきてないと思うよ。サウナにでも行ってるんじゃないかな?」

「そうですか……」


 そんなことを話しつつ、溶け始めたアイスキャンディーに歯を立てると、見知った顔が三つ休憩所に入ってくる。


「あっ。いいなーアイス」

「いいでしょ。あっちで売ってたよ」


 エックスの指差した方へと三人は無邪気に走っていく。そんな後ろ姿を田母神はぼうっと見つめた。

 公平は多分、今日自分が堪能したようなことを頻繁にやっている。彼と話している限りの印象だが、彼は巨大な女の子が殊更好きというわけではなさそうだ。なのにそういうポジションを得ている。なんだかとてもズルイ。


「やっぱ目指すべきところはアイツの立ち位置だよねー……。でも横恋慕は趣味じゃないしなー」

「ん?」

「ああいや。こっちの話です。こっちの」

「お待たせー。レモン味買っちゃった」

「ええっ。公平は絶対ソーダだと思ったのに!」

「ふっふっふ。裏をかいたのさ」

「むっ……やるな」


 中身のない会話をしながらクスクス笑っている二人を見て、その気持ちは強くなった。この二人の関係は多分理想的だ。互いに相手の存在以外を求めていない。隣にいてくれるだけで十分だと思っているように見える。この関係性を壊すことはできないし、壊れるところを考えたくない。


「……じゃあ別の相手を探さないとだけど……。さてどうするか……」


 田母神はううんと唸りながら悩んだ。


「どうしたんだこの人」

「さあ……?」


 何か悩みだした田母神を見て、公平はエックスに尋ねるが、彼女にもその理由は分からず、首を傾げることしか出来なかった。


「……ところでさ」

「うん?」


 突然に口を開いた朱音をエックスと公平は見つめる。


「二人とも浴衣じゃなかった?」

「え?」

「あ……」


 言われて気付く。ここに来た時は浴衣だったこと。だが動きにくい浴衣では戦えない。エックスの場合はそれに加えて、巨大化した時に下から覗かれるのがイヤだったので着替えたのだ。

 そして、そのせいでSF研の記憶と現実にズレが発生している。このままだとあの出来事を思い出されてしまう。公平はともかく、エックスとしては忘れてほしい記憶だ。自分ではないとは言え、自分と同じ姿かたちをした機械人形が巨大な裸体を晒していたなんて。


「気のせいだろ。な?」

「う、うん。気のせい気のせい」


 だから。こうして誤魔化すことにする。


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