蹂躙せよ。
人間大の身体になったエックス。今回のターゲットである真瀬紗季が住むアパートの前に立っている。それなりに大きい。一方でオートロック式ではなさそうだった。セキュリティが甘い。その気にならなくなって簡単に入り込める。
「ボクの膝くらいの高さ、かな」
本来の大きさとアパートとの比較を考えてみる。今後の作戦においては大事な情報だ。勇人の情報では、紗季が住むのは307号室らしい。下から見た状態では部屋の中にいるかどうか判断できない。
「まあ。居たって別にいいけどね」
魔法で姿を隠して、空間の裂け目を開く。行先は307号室の内部だ。音をたてないようにしながら部屋の内装をチェックする。
そうする度に。エックスの手の中で小さな箱が出来上がっていった。307号室を再現した模型である。上から模型を覗き込んでその出来栄えを確認する。
「……こんなもんかな」
準備は整った。他に被害を出さず、標的の二人だけを魔女の巨体で蹂躙できる。そうでもしないとこの心のもやもやは晴れないように思うのだ。
再び空間の裂け目を開く。行先はエックスが公平との特訓で使用する『箱庭』の街だ。頭の中でさっきまで自分がいた街並みやアパートの内装を思い浮かべる。
「よしっ。変われ!」
彼女の言葉と同時に『箱庭』が別の形に変わった。二人が普段暮らしている街ではなく、紗季のアパートがある街を再現したものである。その中でも彼女が暮らす307号室だけは特別忠実に再現した。標的の二人を、一切の違和感なくこの部屋に引き込むためである。
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同じ日の夕暮れ。公平はアパートの傍で待機していた。エックスから頼まれた仕事である。殆ど彼女一人完結できるのだが、それでも自分も協力するからと言ったから割り当てられた仕事だ。
「まあいいけど」
なんて言いながら缶コーヒーに口を付ける。
暫く待っていると二人の男女が歩いてきた。勇人から見せてもらった写真と同じ顔。彼女が紗季のようだ。隣で並んで歩いているのは例の浮気相手の先輩だろうか。
二人がアパートに足を踏み入れる。公平は彼らの小さなキャンバスの気配を追跡する。307号室に入ったと同時にキャンバスが消失した。エックスに念話を送る。
『そっちに行ったぞ』
『りょーかーいっ!』
やけに楽しそうな声が返ってくる。友人を傷つけた許せない二人ではあるが、その未来に少しだけ同情した。
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紗季たちは既に『箱庭』の307号室に転送させられていた。ワールドも得意としていた空間操作魔法を利用したのである。本当の307号室に入ろうとした瞬間に、『箱庭』側に送られるように仕掛けをしている。
紗季が部屋の電灯のスイッチを入れると灯りが点いた。それすらエックスの仕込みだ。スイッチがオンになると魔法が起動して灯りがつくのである。絶対にこの部屋がニセモノだと気付かせないため。
部屋の中の会話は聞こえるようにした。仕込みのおかげで二人は今いる部屋が本物ではないことには気付いていない。
「……よし。そろそろ始めようか」
部屋の机に座っていたエックスは、悪戯っぽい笑みを浮かべて空間の裂け目を開いた。その先にあるのは『箱庭』である。
わざとらしく大きな音を立てて踏み入れる。『箱庭』の大地を揺らしながら、模型の家屋や学校を蹴散らす。逃げ回る車の模型を踏みつぶし派手に爆発させる。
泣き叫びながら逃げ惑う人々はエックスが魔法で作った人形だ。話す言葉も数パターンだけ。ただし身体の中には血が流れていて、踏みつぶせば飛び散るようになっている。既に道路にはいくつかの赤い染みが出来ていた。
そんな騒ぎが起これば、唯一の本当の人間である紗季たちはアパートから顔を出すはず。そう思ってちらっとアパートに目を向けてみた。予想通り。二人は絶望的な表情で、ベランダから自分を見ている。
アパート内部の声に耳を傾けてみた。
『どうしよう。ねえどうしよう』
『だ、大丈夫。大丈夫だ』
何が大丈夫なのだろうと心の中で嘲笑う。本当の本当に魔女が襲ってきたら、普通の人間じゃあ何をしたって逃げられるわけがないのに。
大きな模型から順番に破壊していく。遠くにいる二人に見せつけるように。殴り飛ばして。蹴り壊して。踏みつぶして。少しずつ少しずつ。標的のいるアパートに近づいていく。
紗季たちには何もできなかった。ただ街が壊され、燃やされていくのを茫然と見つめることしかできなかった。やがて二人は大きい建物から順番に壊されていることを理解する。同時に、今この街で生き残っている一番大きな建物が自分たちのアパートであることに気付いた。
『ね、ねえ。来る。こっち来るよ!』
『やばいやばい!』
狭い道なんて無視する。遮るものは全部蹴散らして。逃げるまわる人形たちごと地面を踏み砕いて。エックスは『箱庭』のアパートのすぐそばに到達した。
二人は人形たちに合わせるように室内に逃げ込んでいた。エックスは意地悪く、股ほどもない高さのアパートを見下ろし嘲笑う。屋根に足を乗せて揺らしてみる。局所的な高震度の地震。中から悲鳴が聞こえてくる。
「ふふ……。そろそろこの子も踏みつぶしちゃうね……」
内部の悲鳴が一層大きくなった。構わずに足に力を込め、模型のアパートを踏み抜いていく。当然中の二人は踏みつぶさないようにする。それでいて彼らのすぐそばを足が通過するように調整した。
足が地面に着いた。模型のアパートは完全に粉砕される。瓦礫と人形の残骸。無事だったのは魔法を施して一切怪我をしないようにした二人だけである。
地獄のような光景におかしくなりそうになって。それでも生きのびた奇跡に感謝して。紗季たち逃げ出した。すぐ手元にあった鍵をとり、駐車場にある車に向かう。
エックスは嬉しくなった。もしかしたら今の一撃で、恐怖のあまり失神するのではないかと心配していたのだが、思いのほかまだまだ元気である。これならもう少し遊べそうだ。
車に乗り込む直前を狙って踏みつぶしてみる。圧縮された空気の勢いで二人は吹き飛ばされた。恐る恐ると顔を上げる。つま先を上げて、靴の裏側でぺしゃんこに潰れた車のなれの果てを見せつける。その光景に震えあがる二人に向かって。わざとつまらなそうに。無表情で言い放つ。
「……ったく。しぶといなあ」
そして二人の頭上に足をかかげた。車のオイルか血か分からない液体が零れる。半乱狂になりながら、這うようにしてエックスの足の影から逃げ出した。そのタイミングで足を踏み下ろす。衝撃で紗季たちは再び吹き飛ばされた。怪我はないが身体中が痛む。それでも巨大な魔女から少しでも離れようと、血と炎の香りで満たされた街を走り出した。
「ふうん。鬼ごっこがしたいんだね?」
逃げ惑う二人は必死である。しかし遥かに巨大なエックスからしてみれば止まっているのと大差ない。彼らが精いっぱいになって離れた距離なんて、たった一歩で追いついてしまう程度でしかないのだ。追いつこうと思えば簡単に追いつく。だがそれではつまらない。恐怖を煽るようにして二人のすぐ後ろに足を踏み下ろす。何度も何度も。そうやって彼らを追いかけまわした。
「ほらほら頑張れー。早く逃げないと潰されちゃうよー?」
ひいひい言いながら駆けていく。泣き叫びながら助けを求めている。さっきまでとは違う。巨大な生き物にはっきりと認識され、標的にされ、追いかけまわされているのだ。
怯え切って逃げ回る彼らの姿に魔女の身体が疼く。こうして小さな生き物を嬲ると、やっぱり自分は魔女なのだと実感する。
公平とではこうはいかない。彼は随分慣れてしまったのでエックスが何をしても反応が薄いのだ。それはそれで悪い気分ではない。むしろ嬉しい。心がぽかぽかする。
公平のことを考えて冷静になった。いけない。そろそろ終わらせないと。これ以上やったら怪我をさせてしまう。
「ふう……。そろそろ飽きちゃったなあ」
そう言うと二人を追い越して、そのすぐ目の前に足を踏み下ろした。突然現れた圧倒的な質量の巨大な壁にぶつかって弾き飛ばされる。怯えた表情でこちらを見上げる彼らを意地悪に嘲笑い、しゃがみこんで拾い上げた。
手の平の上。抱き合って震える男女。エックスはクスっと笑って手を傾けてみる。「落ちる落ちる!」と悲鳴を上げて這いまわる二人。この程度じゃあ落ちないよなんて思いながら色々な角度に手を傾けて遊んだ。くすぐったくて思わず本当に笑ってしまいそうだ。
「……ふふっ。面白いねキミ達。……そうだ。うん、いいこと思いついた」
言うや否やエックスはぱちんと指を鳴らして、男の方を縮める。そうして紗季に目を向けた。ビクッと震える彼女に優しく告げる。
「キミだけ見逃してあげるよ。そこの男の子踏みつぶしたら」
「えっ──」と男が声を上げる直前に、紗季は一切の躊躇いなく小さな彼に向かって足を踏み下ろした。エックスの手の上で赤い液体があふれ出す。
男の方は既に元の大きさに戻した。意識を失った状態で人間世界のアパートに戻っている。紗季が踏みつぶしていたのは小人サイズの大きさの人形である。
紗季は肩で息をしながら、何度も何度も踏みつぶされて踏みにじられて、何が何だか分からなくなった残骸を見つめた。もう絶対に生きてはいない。ただの肉片だ。満足そうに笑い、上目遣いでエックスの瞳を見つめる。
「これで……これで私は助けてくれるの?」
エックスはにっこり笑って答えた。
「勿論。ボクはウソはつかないよ」
片膝立ちになって手のひらを地面に降ろす。紗季はエックスの手のうえから飛び降りた。それを確認すると立ち上がって彼女から目を離す。
ああ、助かった──。そう思った時。彼女の頭上を暗い影が覆った。顔を上げると、そこには巨大な靴裏が。どうしてと思いながら逃げ出す。ギリギリのところで着弾点から脱出した。
「ど、うして!見逃してくれるんじゃ……」
そこまで言って気付いた。彼女はもう足元を見てはいない。もう自分を見ていないのだ。そんな状態で足元にいてはいけない。少しでも彼女から離れなければ踏みつぶされてしまう。
実際にはエックスは紗季の居場所を正確に把握している。彼女は人間の持つキャンバスや魔力の探知が出来るからだ。だからこそ一切目を向けていない状態で追いかけまわすことが出来る。
きゃっ、と声が聞こえた。キャンバスの動きから紗季が転んだのが分かった。そろそろ潮時かな。そう思いながら彼女に向かって足を踏み下ろす──。
「ふうっ」
実際に潰してしまう直前に、エックスは紗季を人間世界に転送した。心のもやもやが少しだけ晴れた。この程度では罰としては釣り合わない気がするけれど、そもそもこれは罰を与えるのが目的なのではなく、自分がスッキリするためだけの遊びだからいいのだ。
ぱちんと指を鳴らす。壊れた『箱庭』が元の形に戻っていく。後片付けはしっかりと。
「ああ、楽しかったっ」
なんて明るく言って大きく伸びて、自分の部屋に帰っていった。
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後日、公平は勇人からの連絡を報告した。丁度その時、エックスは雑誌を読んでいた。
「なんか、あの二人別れたんだってさ」
「ふーん。そうなんだ。なんで?」
「勇人が言うには……あんな薄情な奴だと思わなかったって先輩の方が振ったらしい」
「へえ」
思い当たることはある。紗季が男を一切躊躇いなく踏みつぶしたからだろう。彼らが目が覚めればアパートも街も元通りだ。しかし彼らの服は汚れているままだし、痛みは消えたりもしない。だから襲われたことも現実だと分かっているはずなのだ。つまりは踏みつぶされたことも真実だと認識しているはずである。
悪いことをしたかな。先に悪いことをしたのは向こうだからいいだろうと自分を納得させる。
「それで?」
「うん?それでとは?」
「スッキリした?」
「……うーん」
公平は意地悪なことをいうものだ。彼に目だけ向ける。どこか心配しているような笑顔が瞳に映った。エックスは諦めたように小さく息を吐いて答える。
「スッキリしたのは最初だけ。だんだんモヤモヤの方が大きくなった。もう……。こんなことなら、みんなの言う通りやめておけばよかった」
「でもまあ。それが分かったならそれでいいんじゃないかな」
分かったようなことを言う公平に、ちょっとムッとして、雑誌を机の上に置いて彼に手を伸ばす。
「うえっ!?」
「それならっ!公平を玩具にしてストレス発散してやるっ!」
エックスの部屋で、公平の悲鳴が響いた。




