競売にかけられた家
「えっ。土地をくれる?」
「ああ」
思ってもみなかった吾我の言葉。エックスは思わず聞き返していた。
「人間世界に土地を用意した。家もあるけれど、家具も何もない空っぽの一軒家だ。潰して自分の思うとおりの家にしてくれて構わない」
「なんだよ吾我。ずいぶん気前がいいな」
吾我は『吾我』という呼び方にちらっと公平を見つめた。
「記憶が戻ったっていうのは本当らしいな。ってことはタンザナイトもお前が仕留めたわけだ」
「ああ……まあ」
そういえばと公平は思い出す。エックスについての記憶を取り戻すまで、自分は吾我を『さん』付の敬称で呼んでいたっけ。なんだか気恥ずかしくなる。
「……それより。なんで急に土地なんて……」
「いや。簡単な話だよ。エックスはここまで俺たちの世界のために戦ってくれたんだ。少しはその活躍に報いないと、ってな」
というのは表向きの話。実際のところはもう少しドロっとしている。要するにエックスという人物がこの世界を離れる可能性を消したいのだ。
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『聖技』に勝ったことでエックスの価値は真に理解された。WWだけではなく、所謂『大国』と呼ばれるような国々の政府上層部にも。
『彼女の存在はただそれだけであらゆる軍事力を凌駕する』
『彼女がいるからこそ起こった危機もあったが、彼女がいたからこそそれらは最小の被害で済んでいた』
『この状況で彼女がいなくなれば、今後降りかかる危機に対処する手段がなくなる』
『それに彼女の存在は、それだけで他国を牽制するカードになりうる』
こうなるとお偉方の考えることは概ね同じだ。第一に『エックスをこの世界から離してはいけない』。第二に『エックスをどうにかして自国に引き入れたい』。
実際そういう圧力もあった。WWの本部もある、世界最大と言える大国からもエックスを引き渡すように仕掛けるかのような動きがあった。
しかし、最終的に撥ね退けた。エックスは今まで通りに日本支部が矢面に立って支援し、まず日本への移住を提案することになった。こうなった理由は、『エックスをこの世界から離してはいけない』という前提部分が理由である。
『エックスは公平がいるから人間世界を特別視しているんです。アイツと離れることになるくらいなら公平と一緒に他の世界に逃げていきますよ』
『それならそのコウヘイとかいう大学生も一緒に連れてくればいいだろう!?』
『無理ですよ。アイツは日本語しか喋れないんですから。他の国に移り住むなんて選択肢そもそもありません』
『なんということだ……』
そういうわけで。公平が日本語以外の言葉を勉強していないが故に、エックスには日本の土地と家が用意されることになったのである。
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「ちなみにだけど。今建ってるのはどんな家!?」
「ああ……ええっと」
吾我が持ってきたタブレットを操作し、外観や内装の写真を表示させる。白い二階建ての家だった。見た目は殆ど新築のようにも見える。西洋風の木製の扉。庭にはパンジーが植えられている。中は殆ど洋室で、一枚だけ和室の写真があった。
「おー……なかなか可愛い家じゃない?」
競売にかけられていたところをWWが購入したらしい。住所は公平の大学までバス一本で行ける程度の距離である。元々彼が暮らしていたアパートよりは遠くなるが、代わりに駅は近くなった。そもそも魔法を使って一気にあちこち移動できる公平にとっては大学や駅との距離などはあってないような要素である。
「へー。どんな家よ。俺にも見せて」
「ああ」
吾我がタブレットを公平に手渡す。『へー』とか『ほーん』とか言いながら写真をスワイプさせていく。
「いや……いいかも!そのままその家を貰っても!」
想像をしてみる。その家に暮らし始めた自分の姿を。庭のパンジーに水をやって。洋室でティータイムを楽しみ。夜には公平とリビングでのんびり過ごす。気持ちがワクワクしてくる。
「いい!絶対いい!だよね公平!」
「……」
公平はエックスの言葉に答えない。無言で和室の写真をじっと見つめていた。
「公平?」
「おい吾我よ」
「ん?」
「お前らこんな家買ったの?」
「はあ?どういう意味だ」
「ほらここ」
和室の窓を指差す。清々しい庭先や青空の他に、恨みがましい表情をした男の生首が映っていた。
「幽霊いるじゃん。この家」
「……」
「どんな奴だよ。前の持ち主」
「ちょっと待ってくれ」
吾我がどこかに電話をかける。エックスがジトっとした目で公平を見つめた。
「もうっ。せっかく盛り上がってたのに。水を差すなよお」
「いやでも幽霊が」
「幽霊なんていないんだって。死んだら終わりなの」
「いやでもこれ」
「はあああああ……」
深い深い吾我のため息。公平とエックスは同時に彼に目を向ける。
「で?これ前どんな奴が住んでたんだよ」
「結婚詐欺に遭って、この花嫁と暮らすために建てた家以外の全部を奪われて自殺した中年男性だと」
「絶対この写真のヤツじゃん」
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「なんて言うか。アレだよね」
曖昧なことを岸田ナナは言った。
「アレってなんだよ」
「いやさ。幽霊とか嫌ったり信じてないわりには、そういう家と縁があるなあって」
「俺はそんな縁いらね」
と、言いつつも。公平はエックスに連れられて、吾我に見せてもらった家の前にやってきていた。時間は夜の8時。とっくに日は暮れている。岸田は公平が呼んだ。
「お前この家知ってる?」
「知ってるよ。有名だもん」
「有名なんだ……」
ローンを払えないまま家主の男が自殺したことで、この家は競売にかけられた。そこから買い手がつくまでの間、この家にある曰くが故に何か面白い写真や現象に巡り会えるのではないかと、肝試しに入ったものが大勢いるらしい。
「みんな言ってるよ。『和室がヤバイ』って。入ろうとすると直感的に危険を察知して、引き返しちゃうんだって。この写真撮った人よく和室に入れたね」
「まあそうね……」
WWの職員ならば魔法使いなのだろう。魔法使いならばちょっとやそっとの幽霊くらいは平気なのだろう。
「それで今日は何故この家に?」
「そりゃあ。ボクがこの家と土地を貰うからさ」
「えっ!?」
「幽霊なんていないけど。でもこれから貰う家に先客がいたんじゃあたまらない。まずはそいつを追い出さないと」
「すごいな……噂になってる幽霊を追い出すんだ……」
「よーしっ!行くぞー!」
意気揚々。吾我から預かった鍵を使って扉を開ける。中は当然真っ暗闇。電気は来ていないのだから当たり前のことだ。
「えーっと。和室は……」
「アタシは二階を探してくるかな……」
靴を脱いで家に上がり、廊下を進みながら手当たり次第に扉を開ける。風呂場。トイレ。リビング。そうして最後。階段よりも奥にある突き当りの部屋の扉を開けると、果たしてそこは和室だった。
「あっ」
「いる」
写真で見たのと同じ、中年男性の幽霊は、部屋の片隅で体育座りをして、じっと畳を見つめていた。エックスがくるんと指を回すと、男の霊は溶けるように消えていった。
「あっさりやっつけたな……」
「幽霊なんていないんだって。アレは残留思念が発動させた魔法で……」
「おーいっ」
二階から声が聞こえる。岸田の声である。
「和室あったよー!」
公平は目をぱちぱちさせて、今ほど中年男性の幽霊を追い払った和室を見つめる。
「……え?和室ってもう一個あったの?」
「写真には一個しかなかったよねえ」
2人で首を傾げながら、二階へ続く階段を上る。廊下を進んでいった先、ある部屋の扉の前に岸田が座って待っていた。やってきた公平とエックスの姿に『やっほー』と手を振っている。
「ここが和室?」
「扉閉まってるのになんで和室って分かるんだよ」
「この家で一番恐いのが和室なんでしょ?ならここが和室よ」
「何をわけのわからないことを……」
呆れた口調で扉に手をかける。反射的に公平は扉から手を離していた。そうして『なるほど』と呟く。
「確かにここが和室だ」
「いや意味が分からないんだけど……」
「扉を開けようとするとすごく嫌な感じがするのよ」
「うん。一回にあった和室とは比較にならねえ。この部屋絶対何かある」
「えー……」
訝しんだ表情でエックスは二人が『和室』であるという扉を見つめる。
「何も感じないけど」
「扉を開けようとすれば分かるって」
「はあ……」
半信半疑で扉に手をかける。そのままの姿勢で十秒ほど待ってみた。
「何も感じないけど」
「うそっ」
「なんで……?」
「なんか疎外感だなあ……」
腕を組んで考えてみる。どうして自分だけこの扉の奥にある『何か』の気配を感じないのか。
二人に聞いてみる。一体二人は扉に触れた瞬間に何を感じたのか。公平も岸田も殆ど同じ回答を返してきた。
「開けたら死ぬっていう予感がした」
「だから二人が来るのを待ってたんだよね。これ私だけだと絶対に手に負えないからさ」
「ふうん……」
もう一度扉を見てみる。扉に触れてみる。しかしてエックスは何も感じ取ることが出来ない。
「……これは、多分。ボクが強すぎるせいだな」
「どういうことだよ」
「『怖い』って感情はさ、死や危険からなるべく遠ざかるために生き物が獲得したセンサーみたいなものでしょ?」
魔法が使えるとは言っても公平も岸田も人間だ。一方でエックスは魔女。許容できる危険は段違いにエックスの方が大きい。高さ100mのビルから飛び降りることは、公平や岸田にとっては死ぬほど恐ろしいことかもしれないが、エックスにとっては普段の自分の身長と同じ高さからダイブするだけのことである。人間大の大きさに縮んだ身体であっても高度100mくらいなら怪我なんてしない。当然死ぬこともない。
この部屋の奥にあるのは根源的な死の恐怖そのものを生み出す何かだ。それは人間では歩けなくなるほどの恐ろしさなのかもしれない。しかしエックスにとってはそこまで重大なことではない。きっとそういうことなのだろうと彼女は理解した。
「そういうことなら話は簡単だ。名案がある」
ぱちんと音がした。エックスが指を鳴らしたのだ。それと同時に公平と岸田が縮む。60分の1ほどの大きさに。
「何するんだよ!?」
「これのどこが名案ですか!」
「まあまあ落ち着いて。つまりだね」
そっと片ひだを落として、足元にいる公平と岸田を摘まみあげる。そうして上着の胸ポケットの中へと招いた。顔を上げるとエックスがにこりと微笑んで二人を見下ろしている。
「こうして。ボクとぴったりくっついていればさ。恐怖なんて忘れちゃうくらいに安心するはずさ」
「そんなバカな……」
「バカかどうかは試してみれば分かる」
言いながらエックスは改めて扉に手をかけた。すると。なるほど。エックスの言うとおり全くもって恐くない。先ほど通常の大きさの時はエックスが扉に手をかけただけでも逃げ出したくなったのに。
「こんなことあるのか……」
「さて。この部屋に何があるか。ご対面と行こうじゃあないか!」
がらっと音を立てて戸を開ける。中には机が一つ置いてあるだけで、他には何もなかった。先ほどのおじさん幽霊のように部屋の隅っこでこちらを恨めしそうに見つめている者もいない。本当に机以外は何もない部屋である。
「なんで何もないのよ……」
「ふうん……」
部屋の内装をきょろきょろと、エックスは見回した。岸田にはこの部屋の状態が信じられない。あれだけの恐ろしさを感じたのに、何もないなんて信じられなかった。
「じゃああの感じって一体……」
「まあ。多分だけど」
そう前置きしたうえでエックスは自分の予想を語る。
「この家。競売にかけられる前にさ。工事会社の人以外で関わっていたのは誰?」
「そりゃあ……家主のおじさんと。……そのおじさんがこの家を建てることになった理由か」
「そう。多分噂の結婚詐欺師はこの家……下手するとこの部屋で死んでいる。というか……殺された?」
「……!」
「人が死んだ場所だって思ったらさ。そりゃあ……なにもなくてもイヤな感じはするよね」
窓を開けながらエックスは言う。そこから見える庭先には、育てる者もいないはずであろうに順調に成長しているパンジーが見えた。
「……まあ。もしかしたらだけど。死体も探せばこの家の敷地内にあるかもね」
「俺そんな家住むのヤだ」
「ボクだってイヤだよ。流石にね」
もう少し調べれば死体が見つかるのかもしれない。屋根裏。壁の中。庭の何処か。或いはそれ以外。ともかく真相は分からない。分からないが一つだけ言えることがエックスにはあった。
「どっちにしろ。この家でなにがあったにしろ、それはボクには関係ないことだ。ただ流石にこの家に住む気はしないし……吾我くんに他の家や土地を探してもらうことにしよう」
胸ポケットの中で、公平が『賛成!』と手を挙げる。エックスはそんな彼を撫でると、『和室』を後にして扉を閉めた。胸ポケットの二人がホッと胸をなでおろす。
「……この部屋で何があったのかな」
閉ざされた扉をじっと見つめる。この部屋で何があったのか。きっとそれは、自分には分からないことだ。この件に関しては、公平とも岸田とも共感できない『何か』が残っている。
『それは。なんだか少しだけ寂しいな』
階段を降りながら、エックスはそんな風に考えていた。




