ベクトル
斬る。斬る。斬って斬って斬り続ける。その度に、虎や狼の顔を持つ獣人──『地針の連鎖』の住人の四肢が、血まみれになって地面に落ちていく。
「なんだっ!なんだコイツァ!」
「クソっ!殺せ!囲んで殺せ!いくら速くても一斉に攻撃すれば──」
『レベル3』という声が響く。その次の瞬間には、透き通ったガラスの刃が駆け抜けていって、彼女の周りにいる全ての獣人をほぼ同時に切り裂いていた。
小さく息をはいて、タンザナイトは『聖剣』を解除する。その身には血のしぶき一つさえもかかることはなく、戦闘開始から10分以内に1000の敵を殲滅していた。
「あの……タンザナイト様」
声をかけられてタンザナイトは振り返る。腰の高さほどの背丈しかない、子どものような姿をした『深緑の連鎖』の民が彼女を見つめていた。
「『様』はいらないよ。そんなに偉い人じゃないからね、私」
「ですが、タンザナイト様は私たちを守ってくれました……!」
「あらゆる連鎖の秩序を守るのが『聖技』の役割。当然のことをしたまでだよ」
強力な戦闘能力を持たない『深緑の連鎖』のような弱い連鎖は『聖技の連鎖』と同盟を結んで、守ってもらわなくては簡単に他所の連鎖に侵略されてしまう。さして強敵ではないとはいえ戦闘タイプの異能を持つ『地針の連鎖』の生き物でも彼らにとっては脅威なのだ。
「く、くそ……」
「ひっ」
「ん?しぶといな。まだ生きてたのか」
片腕が落ちて、両脚はなく、心臓も損傷している状態でなお生きている狼男。タンザナイトは『見苦しい』と思った。ここまで追い詰められたのであれば、大人しく死ぬべきだ。無様な姿をさらして、恥を積み重ねることに何の意味があるのか。
「まだだ……。俺たちが全戦力じゃねえ……まだ」
タンザナイトは呆れながら、ゆっくりと狼男の傍まで歩いていく。歩きながら彼に語り掛ける。
「キミらの『地針の連鎖』だけど」
「あ……?」
「あそこは既に聖女が二人派遣された。もう残っちゃいないさ」
「な……」
「そして」
『聖剣』で狼男の心臓を再度貫く。小さく『かっ』という声がして、そのまま狼男は故郷さえ蹂躙された事実に絶望しながら息絶えた。
元々、『地針の連鎖』は『聖技』と同盟を結んでいた。しかしあまり賢い連鎖ではなかったようだ。『魔法の連鎖』が台頭したことで、『聖技』に付け入る隙が出来たなどというおかしな勘違いをして、今回の凶行に至ったのだから。
「本当に。邪魔だ。『魔法の連鎖』。ルファーの作った秩序を、乱すな」
そう言いながら、タンザナイトは『魔法の連鎖』の女神の顔を思い出していた。どうしてか分からないけれど、初めて見た時からあの顔が、頭の中から離れない。
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「と、まあ。こういうわけで。タンザナイトの中に公平の記憶がある可能性が高い、と」
「へえ……」
ミサへの指導──最近痛くて苦しいことが多いエックスの特訓の日々の中にあって貴重な、穏やかな時間を終えて帰ってきた公平に投げかけられた推察。
エックスは目をぱちぱちさせて、自らの手の上で反応の薄い公平を見つめる。桑野から話を聞いた時は、自分もそこまで大騒ぎはしなかったけれど、それを考慮しても公平のリアクションは弱い。
「もしかして公平、あんまりびっくりしてない?」
「というか……。理屈がよく分からんと言うか」
言うべきか言わざるべきかと公平は悩んだ様子を見せて、意を決したかのように口を開く。
「どうして俺の、エックスについての記憶があるとタンザナイトの心が蘇るの?」
「……はあ」
そう言えばとエックスは思い出した。公平はこういうヤツだった。努力はするけれど、あんまり頭がよくないのだった。困っている彼の顔を見ながら、どういう風に説明すれば分かりやすいかを考えて、そして彼にも馴染みの深い数学を使うことにする。
「要するにベクトルだよ」
「ベク……なんて?」
「ルファーから見たタンザナイトの記憶が方向──タンザナイトって女の子の生き方を定義する『タンザナイトはこういう行動をする。ルファーに対してこういう風にお話をする』っていうね」
「うん」
「そして公平が持っていた記憶がスカラー、感情の大きさとでも言うのかな?それを定義しているんだ」
『タンザナイトという人物はこう生きていく』・『タンザナイトという人物はこういう話し方をする』という情報はルファーの視点からでも集めることが可能だ。それを蘇ったタンザナイトの肉体、その脳にダウンロードすることも可能である。
しかしそこには感情がない。感情がなく、ただ与えられた情報に従って動いているだけ。このままでは人形やロボットでしかない。それを与えるために公平の記憶が使われている、と思われる。
「うん……。ベクトルとスカラーね。うん」
「そうそう。なんとなくだけどね。これでぼんやりとでも分かってもらえれば」
「でもさ。感情をベクトルで表現するのはムリがないか?」
「あ?」
「だってさ。ベクトルだろ。西に20m進んで北に50m進むっていう動き方だと、どういう順番で進んでもゴールは同じだけどさ」
「……うん」
「例えば……美味い飯食った後につまらない映画を見るのとつまらない映画を見た後に美味い飯を食うのだったら感情のゴールの違うと思うんだよね。最後にいいことがあった方がハッピー度は上っていうか……。ってことは交換法則が成り立ってないってわけで。定義に即してないって言うか」
「ごちゃごちゃうるさいっ!」
「うわあっ!?」
エックスの一喝に公平は彼女の手の上で転がる。立ち上がった彼は、突然の大声に耳がどうにかなってないかと、ぽんぽんと叩いている。
「何するんだよ。俺間違ってないよ?」
「どうしてこういう時だけちゃんと数学的に考えようとするんだ。ニュアンスだってニュアンス。ボクだって感情を線形的に表現できるとは思ってないよ。イメージですイメージ」
「イメージねえ……。数学的じゃあないなあ」
「このっ!」
軽く公平を指先で弾く。『ぐえー』と叫びながら、彼はまたエックスの手の上で転がった。その後互いに謝って、そして改めて情報を整理する。
「まあとにかくそういうことらしいから。キミの最後の記憶はタンザナイトの感情を定義するのに使われてる」
「まあ取り敢えず分かったよ。結局最後の記憶を取り戻すには、アイツを倒すしかないんだな」
エックスはこくんと頷いた。ここまでの話で大事なところはこれだけだ。高速戦闘を得意とするタンザナイトから公平の記憶を取り戻すには、彼女を倒して行動不能にするしかない。記憶を奪ったのは、ルファーの力によって強化されたガンズ・マリアの『聖技』によるものなので、或いはルファーを倒せば記憶を回収できるのかもしれないが。
「ってなったら、やることは一つだね!」
「え?」
エックスは困惑する公平を見つめてニッと微笑む。エックス自身はタンザナイトとは戦えない。他の誰かが戦うしかない。そしてエックスがその役目を任さられるのは公平しかいない。だが今のままではまだ勝てない。ならば、急いで勝てるようにならければいけない。
「さあ!特訓だ!桑野クンの用事も終わって、『箱庭』も空いたし!」
「え。ちょ、待って。俺さっき帰ってきたばっかりで疲れて……」
「うそつけ!なんかのんびり飛んできただけで楽しかった~って顔してたくせに」
「なんで分かるんだよ!?」
「女の勘ってヤツさ!さあ行くよ!」
『箱庭』へ続く空間の裂け目を開いて。イヤだイヤだと手の上で騒ぐ公平を、軽く手を握り締めることで黙らせて、エックスは『箱庭』へと足を進めるのであった。




