悪いことはするもんじゃないな。
「そらそら!特訓特訓!いつもと違う環境でやると楽しいね!」
「うわっ!?ちょっ、危なっ……!」
水中での特訓──と称して始まったエックスの遊び。巨腕が起こす波に翻弄され、巨大な手のひらが叩きつけられる度に海に沈む。エックスの風の魔法に守られていなければとっくに昔に溺死している状態だ。
水の抵抗で公平の動きは鈍くなる。一方でエックスはそんなもの問題ではないかのような顔をして、いつも通りの速度でじゃれついてくる。当然公平には成すすべはなく、ただただ巨人の恋人のスキンシップを受け止め続けなければならない。
(……ん?待てよ。こっちが遅くなる?)
波に飲まれながら、公平の脳裏に一つの閃きが浮かんだ。タンザナイトの能力の正体はこれではないか。敵が速くなっているのではなく、こちらが極限まで遅くなっている。
(もしかしてエックスはこのことに気付いていて、それを教えるためにこんなことを……)
と。彼女の顔を見上げると。ただただ楽しそうにはしゃいで暴れるエックスの笑顔があった。そしてすぐに思い違いであることに気が付く。彼女にもしもそういう意図があったとしたら、こちらが気付いたような顔をしたところで手を止める。それをしないということは、本当に遊んでいるだけだ。
「ほら!ボーっとしない!」
「ウワー!?」
そうしてまた、エックスの手によって吹っ飛ばされるのだった。
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「ほう。タンザナイトの能力の正体は『自分以外の全ての速度を遅くすること』じゃないかって?」
「そうそう。それなら色々説明がつく気がするし」
「気がするって……」
苦笑いをしつつエックスは少しだけ考える。そうして自信満々な公平に返答をした。
「うーん、ボクはそれが正しいとは言えないなあ」
「え」
「だってボク、タンザナイトの戦いを見てないもん。見てないのに『そうだね』だなんて無責任な同意はできないって」
「そ、そんなこと言ったらいつまで経っても答えが出ないだろ?」
「うん。だから……。ん?」
「え?どうかした?」
公平が見上げるエックスはジッと水平線の方を見つめている。暫くそうしていて、やがて口を開いた。
「船だ」
「船?」
聞き返しながら先ほど彼女が見ていた方角に顔を向ける。
「……どこ?見えないけど……」
「だいぶ遠くにあるからね。人間の目じゃ見えないかも。でもずーっと向こうにいる。で、こっちに近付いてきてる」
「ふうん。それが?」
「この辺りに他に陸地とか島はない。あの船はこの島に向かってきてるんだよ」
「へえ。……それが?」
「ここ無人島だよ?なんの理由があってこっちに来てるのさ?」
「え……。ええと……」
「例えば。遭難した船かもしれない」
「あっ」
いつの間にやらエックスは携帯電話を取り出して、どこかへ連絡をしている。やがて通話が終わると空間の裂け目を開けて、その中に電話を放り投げた。
「遭難した船の情報はないらしい。だからあの船はこの島に向かってきているわけだけど。さて、どうしてかな?」
言いながらぱちんと指を鳴らす。ぽんっという音と共に彼女の巨大な身体が煙に包まれて、人間大のサイズにまで縮む。そうして公平のすぐ前にまで泳いできて、悪戯な笑顔で口を開く。
「さっきの話は置いておいてさ。ちょっとあの船がなんなのか、考えてみない?」
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海から出て。服を着こんで。『あの船の目的を探ろう』とエックスは島の奥にある森を指差した。公平は露骨に嫌そうな表情をする。
「なにさ。その顔」
「だって森の中入るんだろ?絶対虫とかいるぜ……」
「う」
「エックス虫苦手じゃん」
「うう……」
浜辺を出て陸に向かって歩いていけば、木々の生い茂る鬱蒼とした森がある。当然、エックスの苦手な虫やら得体のしれない獣がいる可能性は極めて高い。
「せめて元の大きさに戻ればいいじゃないか。見えないくらいに小さな虫なら踏み潰したって平気なんだろ?」
「そ、そりゃ平気だけどさ!けどここで戻ったらあの船に見つかるかもしれないって言うか……」
「それの何が問題なんだよ……」
「あの船50人近く乗ってるんだよ?50人もこんな島になんの目的で向かってきてるのさ」
「……うーん」
「ここで目立って逃げられたら厄介だ。なんか怪しい。ボクの勘がそう言ってる」
「……じゃあ森の中に入って調べるしかないな」
「うう……ヤだなあ」
実際のところ海上での仕事という物をエックスはよく知らない。本当に純粋に感性だけで、近付いてきている船を怪しいと警戒しているのだ。船が向かってきている理由は島の内陸部にあると思っている。即ち彼女が入ることを躊躇している森の奥だ。
項垂れて、森の中に入るか真剣に悩んでいるエックス。その姿を見ながら公平は一つのアイデアを思い付いた。
「あ、そうだ。さっきの釣りの時みたいにすればいいんじゃないか?」
「釣り?」
「ほら。イカとか魚を呼び寄せたのと逆で、虫に離れてもらうと……」
「な、なんてこと言うんだ公平っ!」
「へ?」
「あれは対象の精神に入り込んで命令を送る必要があるんだぞ!ボクに虫と精神的に繋がれと!?」
「いや……知らなかったから。え?エックスそんなこと出来るの?」
「うん」
「へえ……」
よく分からないけれど。魚やイカ的には釣り竿にかかるというのは自殺行為ではなかろうか。それを強制的にやらせる洗脳魔法。
「悪役みたい……」
「なんか言った?」
「いや別に。困ったなあ。じゃあどうするのさ」
「……待つ。船が来るのを待つ。流石に船が来れば目的も分かるでしょ」
言うとエックスは公平の手を握って、くるんと指を回した。光の粒子が二人を包んで、その姿を見えなくさせる。光の屈折率を操作する魔法による光学迷彩だ。
「ここで隠れて待ってよう。そのうち船が来るから。あ、手を離しちゃダメだよ?分からなくなるからね?」
「まあいいけど……。それで船は何時頃来るんだ?」
「あと一時間後かな」
「……暇じゃね?」
「まあしりとりでもして待ってようよ」
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「る、る、る。……ルベーグ」
「グール」
「……エックスよお。そっちからしりとり仕掛けてきたのに『る』で攻めてくるのは止めない?」
「止めない」
「くそ……。だいたいどこからグールが出てくるんだよ……。ゾンビ映画かよ……」
「おっ。やっぱり止めだ。船が来たよ」
「え。ホント?」
ホッと胸をなでおろす。『る』の地獄からようやく解放された。
浜辺に近付いてきた船は、見た目だけで言えば50人ほどの乗員がいるとは思えないほど粗末で小さなもの。乗り方を考えなければそれくらい入れるかもしれないが、普通に考えると身体中のあちこちを痛めてしまう。
だが、確かにエックスの言うとおりの人数が乗っているのは確かだった。キャンバスや魔力の気配からそれが分かる。
「……どういうこと?」
「しっ。人が出てくるよ」
聞きなれない言語で怒鳴りながら三人の男が出てくる。その後ろには暗い顔をしてぼろぼろな服を着た子供がぞろぞろとついてきていて、足取りの遅いものは後から船を降りた男に殴られている。彼らの進む先には先ほどエックスが入ることを躊躇った森があった。
「……え。嘘だろ。この時代にそんなことある?」
「あるんじゃないの?今目の前で起きてるんだから。百聞は一見に如かず、ってヤツ?」
エックスは公平の手を離して、姿を隠す魔法を解除する。
「多分あの森の奥に連中の拠点があるんだろうね。そこで一時的に連れてきた子どもを置いていって……。まあ倉庫みたいなものか」
「そ、倉庫……」
「まあ許してはおけないし」
言うとエックスの身体が光に包まれて、一気に元の大きさに戻る。突然現れた巨人の姿。船から降りた男たちは聞きなれない言語で騒ぎ出す。その様子にエックスはにんまりと微笑んで、四つん這いになる。
「さあ。遊んであげようね。悪い子たち」
そこから始まったのはただの蹂躙。殺してはいないだけで殆ど虐殺に近い一方的な攻撃だった。
男たちが撃ってくる銃弾などはかすり傷にもならない。にこにことしながら一人一人順番に仕留めていく。デコピンで弾き飛ばして。思い切り手を叩きつけて。指先で押し潰して。摘まみあげて十メートルほどの高さから落として。気が付かないふりをして脚で圧し潰して。
これだけ大暴れしながらエックスは子どもには怪我をさせることはなかった。ただ男たちを気絶させていっただけ。エックスが子どもを避けていることに気付いた賢い男は近くにいた子どもを捕えて銃を突き付けて人質に取ったりした。そういう輩は魔法で蟻サイズに縮め、魔法で回収し、死なないように調節しながらデコピンをしてやる。
離れたところで見ていたエックスの大立ち回り。公平はぽつりと呟いた。
「悪いことはするもんじゃないな……」
何しろこうして暇を持て余した巨人の玩具にされてしまう。真っ当に生きるのが一番いい。公平は改めて思った。




