箱のある家
一馬の運転で夜道を走る。公平の家がある田舎町を抜けて、県の中心部に近づいていく。既に夜の9時を回っていた。喧嘩中の兄弟はやはり会話をしようとしなかった。
「ねえ一馬クン。今どこに向かっているのかな。大変なことになっているらしいけど、何があったの?」
だから代わりにエックスが一馬に尋ねる。彼の身に起きたことを聞き出そうとする。状況が分からないままだと何をしていいのかも分からない。
「……九月に、なったころっす」
言葉は少し震えていた。ハンドルを握る手も同様に。少なくともただならぬことが起きたのは分かる。そして、ぽつりぽつりと語り始めた。とある『家』と『箱』の話。
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一馬は新潟の大学に通っている。二年生。サークル活動もしている。後輩も出来た。彼女だっている。順風満帆なキャンパスライフ。少なくとも兄よりは充実したリアルを生きている自負がある。
そんな彼も八月病には辟易していた。夏休みだというのにどこにも行けない。退屈のままに田舎の実家で怠惰な日々を過ごしていた。
状況が変わったのは八月の終わりごろ。吾我レイジという魔法使いを名乗る男の宣言映像である。
『八月病は根絶した。病気を撒いた元凶も捕らえた』
動画の中で、一瞬、兄に似ている男の姿が映ったような気がした。喧嘩中の相手。誰より身近で、それ故に嫌いな相手。心がざわついた。イライラする。
「肝試しに行かない?」
サークルの先輩である岸田ナナが言った。八月病は消えた。夏休みはまだ一か月ある。だったら、残りの時間はぱあっと遊ぼうじゃないかと。
彼女は民俗学なんかを専門に学んでいる。その一環として、ゼミの研究で怪談とかそういうものを調べているらしい。実際には怖いものやオカルト探しはただの趣味で、それに大学の研究を利用しているだけというのはサークルのみんなが知っていることだった。
そんな彼女が見つけたのはとある『家』だった。ある時までは誰かが住んでいたはずの家である。家族は逃げるように消えたらしい。家財は殆ど全部残っていて、鍵もかかっていない。良からぬ者が家のことを知ったら、中のものを盗んでいったっておかしくない。
「だけどそうはならないんだ。近づく者はみんな一目で分かるらしい。『この家はヤバイ』って」
見た目は普通の家。うち捨てられてから20年程度経ち、誰も手入れをしていないから所々酷くなってはいるけれど、それ以外は本当に普通の家だ。だが見た者は皆その瞬間に理解する。家が放つ異様な雰囲気。この家には『何か』がある。
「昔ね。どっかの大学のやんちゃな奴らが入っちゃったんだって。そういう連中は舐められたら負けって思っているからさ。ヤバイって思っても平気なふりして入っちゃうんだな。で、まあ。変な話なんだけど、それでも玄関で靴は脱いだんだって。どうせ廃虚なんだから土足で上がったっていい……。っていうかそのまま上がるべきだよね。危ないから」
岸田の語りには妙な雰囲気があった。一馬はごくりと唾を飲む。
侵入した輩は、『なんもねーじゃん』とか『大した事ねー』とか言いながら部屋を見回った。時々家族に置いて行かれた家財を手に取ったりする。皆一様に、少し見てから丁寧に元の場所に戻した。家の内部に何らかの変化を起こすことが怖かったのかもしれない。
一階部分をあらかた見尽くした彼らは階段を上がって二階に入った。そして、彼らは『箱』を見つけた。10センチくらいの黒い立方体。それが『箱』である。
置いてあった部屋には『箱』以外何もなかった。それが却って異様である。他の部屋は、その状態さえ無視すればついさっきまで誰かが居たみたいにそのままの状態なのに。どうしてこの部屋だけは綺麗に片付いているのか。どうして『箱』だけ置かれているのか。
彼らは本能的に察知した。この『箱』はダメだ。これがこの家から発せられる何かの源泉だ。これだけは絶対に触れてはいけない。
「けど……さっきも言っただろう。そういう連中はさ、舐められたら負けだと思っているから、大抵一人くらい無茶するんだよね」
『なんだこんなモン。ただの箱じゃねえか』
なんて言いながら、一人が──Aという男が『箱』を手に取った。
よせと止める仲間の声。それが余計にAの無謀を煽った。ああでもないこうでもないと弄り始めた。そして、彼は突然気付いたような口調で言った。
『この箱、中に何か入っている』
Aはそう言って箱を開けようとし始めた。だけど開け方が分からない。妙に硬いから壊せそうにもない。
仲間はその姿に引いた。そして同時に尊敬もした。コイツは思った以上に度胸がある。俺たちはこんな怖い箱触れねえ。
『もうちょっとだ。もうちょっとで開きそうなんだ』
Aは『箱』を回転させたり振ってみたりした。その時である。仲間の一人が、アレと思った。
『なあ』
『あン?』
『その箱振っても音とかしねーけど。なんで中に何か入ってるって分かったんだ?』
言われてみれば。他の仲間も不思議そうに顔を見合わせた。Aはめんどくさそうに答えた。
『あァ?決まってんじゃん。箱が教えてくれたからだよ』
……なにを言っているんだろう。言葉の意味がよく分からない。箱が教えてくれたとは。ピンと来ていない仲間の姿に、Aは苛立った様子で続ける。
『だからァ。箱から聞こえんの。開けてって。だからァ!開けないと可哀そうだろうがァ!』
そう言ってAは箱を床にたたきつけた。ガンという金属音が部屋に響く。その背後に、ほんの僅かに『開けて』という声が聞こえた。その場にいた全員が聞いてしまった。
Aは転がる箱を再び掴むと、何度も何度も床に叩きつける。『開け開け開け開け』と何度も何度も呟きながら。
「で、Aを残して他の奴らは逃げ出した。なんかヤバイって気づいてね。そのうちの一人から聞いた話だよ。え?Aはどうなったかって?翌朝には助けてもらったらしいね。まあ、もうまともじゃなかったらしいけど」
これからその家に行くという。一馬は気が重くなった。
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「で、行ったんスよ。まあ実際箱はあって、でもまあ触らんとこってことになって帰ってきたんです」
「ふうん」
何でもない風に助手席に座るエックスは聞いている。一方で公平は後部座席で顔を覆った。聞くんじゃあなかった。なんでそんな怖い所に行くの?
「でもねえ。その日からいやーな夢ばっか見るようになって」
「うん」
「せまーい部屋に閉じ込められてるんですよ。たくさんの人と一緒に。俺はその一番端っこで。出してー出してーって。もうずっと寝不足で」
言われてみれば。バックミラーに映る一馬の目元は深いクマが出来ている。
「サークルのみんなそんな感じらしくて」
「へー。そりゃ大変だ」
今向かっているのは肝試ししようとか言い出した岸田とかいう女の家らしい。その後噂の家に行くという。彼もエックスの正体を知っているので、そういう不思議な力のある彼女であれば謎の『箱』の恐怖も解決できるのではないかと思っているのだ。
「その子の家ってどこ?」
「えっと。あと30分くらい?駅近くのマンションの6階です」
「今は……10時半か。あんまりのんびりしてられないね」
「はい。だから……」
「停めて」
「え?」
「いいから。ここら辺で停めて」
はあ、と言いながら一馬は近くのコンビニに車を停めた。駐車場の広い店舗である。
「ここなら大丈夫かな。お店の人には悪いけど、車はここに置いていこう」
言いながらエックスは車を出た。訝しんだ表情で一馬も後に続く。
「一体何を……。わっ!?」
公平は後部座席から横目で外から溢れる太陽みたいな光を見た。ふうんという顔で。意図は分からないけどやろうとしていることは分かる。
元の、100mくらいの大きさに戻ったエックスはそのまま一馬を右手で摘まみ上げた。わあわあ騒ぐ彼と店内の灯りの中でぎょっとしている店員をしり目に、公平はゆったりと車を出る。彼女は彼を左手で捕らえた。公平は騒がないし慌てない。こういうのにはもう慣れている。
「あ、あの……。これは一体何をするんですか……?」
「んー?うん。つまりね。こんなにおっきなボクが味方なんだから、安心しなさいってことっ!」
右手に載せた一馬に向かって笑顔を向ける。自信満々と言った風に左手を握ってぽふんと胸を叩いた。
「うわあ!?」
「あ、ごめん」
だが、そこには公平が居たので。まるで交通事故みたいに彼女の手に包まれながら彼女の胸にぶつかる。衝撃が身体を襲う。見上げれば悪びれた様子の無い彼女の顔。悪戯っ子みたいに笑っている。
「絶対わざとだ……」
公平は呟いた。




