燃える眼
「いやーごめんごめん。じゃあ始めよっか?」
準備運動のつもりなのか、エックスはその場で軽く跳躍した。一度彼女の身体が浮かび上がって、落ちるごとに『箱庭』全域が揺れる。そのせいでヒビノは『おおっと』とよろけそうになった。『しまった』とエックスは慌てて彼に駆け寄る。
「ごめんっ。だいじょう……」
と、その瞬間。ヒビノの瞳が鋭くエックスを見上げた。炎が彼の足を包む。思い切り地を蹴って、炎を噴射しながら一気に目の前にある巨体へと迫っていき、斬りかかる。
「おっとっ」
右手でその攻撃を受け止めた。燃える足で彼女の手の平を蹴る。そのまま吹きあがる炎の勢いで距離を取り、着地する。
一連の攻防に、離れたところから見守っていた公平は目を丸くした。
「おいおい。いきなり不意打ちかよ」
「お前みたいなことをするな」
「俺はそんな不意打ちばっかしてないですって!」
「いやしてただろ……」
ああだこうだと言い合っている公平と吾我を余所に、エックスはジッと自らの手の平を見つめる。ほんの少し。僅かにではあるが、火傷をしていた。
「……不意打ちとはいえ、このボクから先手を取るなんて。やるね」
エックスの跳躍で転んだフリをして、油断を誘ったところで初撃をぶつける。不意打ちや騙しの技術に優れている。
ヒビノに焼けた手の平を見せる。回復の魔法が発動し、彼が与えたダメージは治癒され、僅かな傷さえ残さず綺麗な皮膚へと戻ってしまった。ヒビノは小さく舌打ちして剣を構え直す。
「待った待った。まだ準備が終わってないって」
「準備?」
「今のままだとボクの攻撃がキミんトコの女神の防御に阻まれちゃうからね」
ぱちんとエックスが指先を鳴らす。エックスの胸から彼女のキャンバスの一部が飛び出てきて、ヒビノの中へと入りこんだ。これで彼は疑似的な魔法使いとなり、エックスの攻撃も通るようになった。
「さあ。本番はここからだよ」
獲物を前にエックスは舌なめずりする。僅かにとはいえ受けたダメージに、エックスの心はいつになくワクワクしていた。こういう人間が他所の連鎖にいたとは思わなかった。
「……待ったっ!」
「ん?」
「今ので分かった。今のままじゃあ多分、俺はエっちゃんには碌なダメージ与えらんねえ」
「エっちゃんって……」
「だから本気を出す」
「……なに?」
ヒビノは剣をその場に突き刺した。空いた両手を交差させて『X』を形作る。右手は左目を隠し、左手は右手を覆った。
「『太陽よ』」
ヒビノの声が、シンとした『箱庭』に響いた。同時に、『ランク99』相当と見ていたヒビノの力が一気に跳ね上がる。
「『我が目に宿りて我が目となり』」
「なんだ。アイツ一体何をしようとしてんだ?」
異変は公平にも吾我にも伝わった。ぼんやりとだけ感じていた彼の力が、二人にも分かるほどに膨れ上がっている。次元を一つ、超越しようとしているように感じた。
「……お前の『レベル5』に似ているな」
「え?」
「キャンバスを一気に広げて、力を跳ね上げるあの魔法。ヤツがやろうとしているのは、それに近い」
吾我と同じ感想をエックスも抱いていた。ともすれば神の領域に手がかかるほどの力に至る能力。本来ならば隙だらけのこの瞬間に潰すべきだ。しかしエックスは敢えて待つことを選んだ。これはヒビノが、公平が『レベル5』に至る時に味わったものに匹敵する苦難や試練を乗り越えてきたことの証明である。発動前に仕留めるのは、失礼だ。
なにより。これからなにが起こるのか見てみたい。わくわくしながらジッとヒビノを見下ろし、見守る。
「面白い。さあ、キミの全部をボクにぶつけてくれ」
ヒビノは小さく微笑みながら、最後の詠唱を行う。
「『世界の全てを焼き尽くせ』!」
手で隠されたヒビノの両目。そこから炎が吹きあがり、バーナーのように燃え上がる。腕を下ろして、剣を握り、燃え上がる瞳で睨みながら刃を向ける。
「時間をくれてありがとう。こっからが俺の本気……」
その瞬間に、その場からヒビノの姿が消えた。少なくとも公平と吾我の目にはそのように見えた。
「だっ!」
目にもとまらぬ速さでエックスの背後に回り込む。足の裏から放出される炎で浮かび上がり、地上90mほどの高さにある首筋に向かって剣を振り上げる。炎が刃を覆い尽くし、巨大なる刀身と変わった。
「おっと」
エックスはお辞儀をするようにしてヒビノの攻撃を避ける。そのまま空中でくるっと一回転をして、ヒビノを蹴っ飛ばす。
突然迫りくる大型車ほどもある巨大なスニーカー。咄嗟の事に避けることも叶わず、直撃したヒビノは『うおおおおっ!?』と叫びながら吹っ飛んでいき、1キロほど向こうの地面に激突し、二度ほどバウンドして、ゴロゴロと地面を転がった。
(今の攻撃。流石にランク99くらいの魔女だと大ダメージだね)
エックスであれば当たっても平気だ。だがそれでは対聖女を想定したヒビノの練習にならない。両目が燃えている今この状態のヒビノの攻撃は受ければその瞬間に致命傷、急所に受ければ即死と考えた方がより現実に即している。
「痛ったあ!」
などと口では言いながら。しかしてヒビノは平然と起き上がった。燃える瞳は諦めることなく巨人の魔女を見上げている。
「ふうん。なかなかに頑丈だ」
「っ!」
ヒビノが再び走り出す。エックスは風の魔法を身に纏って、ふわっと浮かび上がった。と、思うと背後に振り向き手を伸ばして握り締める。間一髪でヒビノはエックスの魔の手から逃れた。
「やっぱり速いね」
「ちっ」
『速い』と言いつつこちらの動きは完全に補足されている。止むを得ずヒビノは再びエックスから離れていった。接近戦は不利だと判断したのである。こちらの最高速でさえ追いつかれている。
(さて……)
ここまでの戦闘で、エックスは今のヒビノの状態を概ね理解した。思った通りあの燃える両目によって公平の『レベル5』相当の力を発動している。そしてその力の全ては純粋なエネルギーに変えられている。それにより常人では目にもとまらぬ速さと人間離れした頑強さ、そして魔女の身さえ焼き断つ破壊力を実現しているのだ。
「ならこれだっ!」
エックスは手を天にかざした。彼女の背後に13本の剣が出現する。
「『断罪の剣・完全開放』!発射―!」
手を前に振り下ろす。それと同時に13本の剣が順番にヒビノに向かって放たれる。一つ一つが魔女が手にして振るうサイズの剣。当然のこととして、剣たちはちょっとした高層ビルよりも遥かに巨大。
「やばっ!」
言いながら炎の剣で『断罪の剣』たちを斬り飛ばし、進んでいく。弾かれた『断罪の剣』たちは『箱庭』の街に一本、また一本と突き刺さっていく。5本目を斬り飛ばしたところで、ヒビノの中にある疑問が浮かんだ。
(あれっ。おかしいぞ。どうして同時に撃ってこない?)
この剣はエックスが操っている。その気になれば同時に放てるもの。当然同時の方が対処が難しい。なのにどうして一本ずつなのか。どうしてやり過ごせる程度の感覚で撃ってきているのか。ヒビノは6本目を斬り飛ばしながらエックスの表情を見た。彼女の口元が微かに緩んでいる。
(まず──)
考える間さえ無く。地面に突き刺さった剣同士が魔力のネットワークで結びついて、内部にいるヒビノを縛り付ける。
「ぐ──!?」
「全弾発射―!」
エックスの掛け声とともに残った断罪の剣が一斉に放たれる。この動けないままではやられる。ヒビノは小さく舌打ちをして、自身の中にある力を一気に開放した。その身を中心にして、半径1キロメートルにも及ぶ超高温の熱風が吹き、彼の周囲にある剣も彼に迫ってきている剣も、全てを纏めて吹き飛ばす。
しかし力を一気に使い過ぎてしまった。思わず膝をついて、顔を上げると。
「──なんだって」
そこには既にエックスの姿はなく。どこだと探している間に上空から放たれて、彼のすぐ目の前に着弾した光の矢に吹き飛ばされるのであった。
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「いやー!これほどとは!一人一人がこれくらい強いって考えると、魔女や聖女を相手取るのはなかなか厳しいかもなあ!」
「いやいやいやいや」
「エックスのはちょっとやりすぎだから!」
体育座りをしているエックスの足の傍。公平と吾我が、ヒビノが抱いた魔女や聖女の強さの認識を訂正している。
「むう……確かにちょっとやり過ぎたかもしれないけどさ。でも普段公平にやってるのよりは優しいつもりなんだけどなあ」
「いや!今回第三者視点で見て分かった!普段のアレで今日まで生きている俺は偉いよ!」
「おー!偉い偉い!」
何が嬉しいのか、エックスはにこっと笑ってぱちぱちと公平を拍手する。『そういうことじゃあないんだけどな』と思いつつ、拍手喝さいを送られるのは悪い気持ちではない。
「……ってことだと。今のままじゃあコウちゃんたちが手も足も出なかったっていうタンザナイトってヤツを倒すのは難しいな。参ったなあ。そこまでのヤツがいるなんて想定外だぞ?」
少し考えて。頭を数回掻いて。そしてヒビノは公平と吾我に言う。
「そのタンザナイトってどんな戦い方なワケ?」
「えーっと。とにかく速い」
「目だと全く追いきれないくらいの速度だ。正直どうやってもあの速さに追いつける気はしないな」
「ふうん。他には?」
更に情報を伝える。ヒビノは腕組をしながら二人の話を聞いていた。聞き終えてから少しの間黙っていて、数分してから口を開く。
「トリックだな」
「トリック?」
「タネも仕掛けもない、なんて手品はない。どこかにそんなスピードを実現できる理由がある」
「単なる超スピードだろ?」
ヒビノは首を横に振った。
「だとしたら。空気の流れとか。足音とかで追いかけることもできるはずだ。俺は目だけじゃなくて、五感の全部で敵を追う。二人も意識してるかどうかは知らないけど、同じことをやっているはずだ。それすら出来ないのは変だ」
「なるほどねえ」
エックスがその場に寝転がる。三人のすぐ傍に巨大な腕と顔が迫ってきた。一人だけしゃがみ込んでいると距離が遠くて寂しい。
「ならタンザナイトの能力と、その攻略法をしっかり考えてから行こう。今のまま『聖技』に乗り込んでもやられるだけだ」
その提案に、彼女の顔を見上げる公平たちは頷いた。ならば、とヒビノが口を開く。
「なら一週間だ。一週間個別で考えよう。で、それらをすり合わせて答えを出す。どうだ?」
「うん。いいと思う」
本当は今すぐ『聖技』に乗り込みたい。しかしそれでは公平たちを無駄に傷つける。この一週間はきっと大事なものになるはずだ。
「よし。なら一週間後。またな、『魔法の連鎖』!」
そう言って、ヒビノは振り返る。何もない真っ白な空間で、オレンジ色のジャケットの男が歩いていく。数十メートルほど進んだところで、彼は慌てて帰ってきた。
「ここってどうしたら出られるんだ?」
『はいはい』と。エックスは苦笑いして、人間世界へ続く空間の裂け目を開いてあげる。




