リフレッシュをしよう:エックス祭り④
暗い本殿の中。空間の裂け目が開く。
「ふうっ。ただいまー」
エックスは『魔法の連鎖』に侵入してきた異連鎖の神々を追い払って無事に帰ってきた。疲れ切った顔でため息をついている。
『ただいま』に対する『おかえり』の返事はない。おかしなことに公平の力の気配も感じない。眠っているだけであれば気配を見失うことはないはずなのに。
「公平?どこー?」
四つん這いになって床に視線を近付ける。姿も見当たらず気配も感じないとなれば下手に歩き回るのは危険だ。間違えて踏み潰してしまう可能性がある。
板張りの固い床で眠っているのだろうか。風邪をひくし肩もこるから、そんなところで寝るのはやめて自分の身体の上で眠った方がいいと言ったのに。きょろきょろと床の上のあちこちに目を向けて、何もないと確認したところを進む。そうして本殿の中にはいないことを理解する。
「……ってことは。外?」
どうして外に出たのだろうか。この町は怪しいと言ったのだから、本殿の中で待っていてくれればいいのに。理由を考えて、すぐに理由が予想できた。きっとこの暗く、不気味な絵が置いてある空間に一人残されて怖かったのではないか。幽霊が嫌いな公平である。この可能性は高い。
「……ったくもう。別になにかあるわけないのに。臆病なんだからあ」
くすっと笑いながら本殿の戸を開ける。
「……おお?」
町人が神社の敷地内のあちらこちらに何人も倒れている。その中には彼の姿もあった。
「ちょ、ちょっと!?どうしたの!」
足下に気をつけながら彼に駆け寄る。そっと膝を落として拾い上げるとお酒の匂いに気付いた。
「嘘っ!?まさかお酒飲んだの!?」
「わ、悪い……町の人に誘われて……」
彼が力なく笑みを浮かべながら答える。
「もう……ばかなんだから。ボクがいない時にお酒はダメだって」
言いながらほっと胸をなでおろす。酔っている以上は魔法が使えない。最悪の事態も想像できた。だが返事が出来るのであれば大ごとではなさそうだ。顔を上げて周りをよく見てみる。町民には目立った怪我はない。ただあちらこちらで倒れているだけだ。
「なに……?宴会が盛り上がってこんなことになったわけ?」
「ち、違う。蛇が、出たんだ」
「蛇?」
ぜいぜいと荒い呼吸をしながら本殿を指差す。
「絵が、描いてあったろ。あの蛇だ。俺たちが寄ったところで出てきて。人に化けるみたいなんだ。町の人が何人か喰われた」
「……ほお?」
「エックスが戻ってきたのに気付いて、あっちに逃げた。俺たちも抵抗して、ダメージは与えたけど……どうなってるか。ごめん俺は役に立てないから、任せていいか?」
彼が指差した先は高い木々の立ち並ぶちょっとした森である。確かに森の中央あたりに魔法の力の気配を感じる。
以前、魔法の使える飛竜がいる世界に行ったことがある。魔法を使える蛇がいる世界。あってもなにもおかしいことはない。
そっと彼を下ろして立ち上がる。そうして彼を見下ろして声をかける。
「分かった。キミはここで待ってて」
「ああ。ありがとう」
森を睨んで、エックスは足を進めた。一歩ごとに地面が大きく揺れる。
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勝った。置いていかれた蛇は内心でほくそ笑んだ。たった数歩で森の前まで着いて、木々を踏み潰しながら進んでいくエックスの後姿を見つめる。彼女は自分の正体には気付かなかった。
蛇の力。自分と相手の意識を入れ替える能力。発動には四つ条件がある。目と目を合わせる事。会話をすること。相手のために何かをしてやること。そして相手の力が自分より弱いこと。全てを満たすことで、蛇は相手の身体を奪うことができる。
元々はエックスの身体を乗っ取るつもりだった。だが相手があまりにも強すぎた。入れ替わりは不可能である。同時に公平にも本来ならば入れ替わることは出来ない。彼もまた蛇を遥かに超える力を持っている。だが今回は特別だ。
(こんなバカでかい力の塊が、こんなにあっさり手に入るなんてツイてるな)
彼は酒に酔い力を一時的に失った。蛇の力への抵抗力も失くしてあっさり侵入できた。
蛇は条件をクリアしたことで、眼鏡の男の身体から飛び出して、公平の口から内部に入り込んだ。同時に公平の腹から彼の意識が飛び出して、抜け殻となった眼鏡の男に入り込んだ。これで入れ替わりは完了である。記憶。能力。全てを得た。
(片脚を折ったからアイツはもう逃げられない。ふふっ。テメエの女に踏み潰されて、それで終わりだ。あとは俺が引き継いでやるから安心しろよ)
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「あっ。いた」
「……うっ」
薄く目を開ける。ガラスのレンズの向こう側に見慣れたエックスの姿がぼんやりと見えた。
「キミが蛇だな。全くもうっ。ボクはもう疲れたんだから。変なことをしないでよね」
そっと彼女の指が迫ってくる。脚が痛い。動けない。一切の抵抗も出来ず、公平はエックスの指に摘まみあげられた。脚の痛みにキュッと目を閉じ、顔を歪める。
「さあ。覚悟はいいかな?あの絵のとおり。キミを退治させてもらうからね」
「ま……」
待ってくれ。そう言おうとして目を開ける。
「……あ?」
そして。言葉を失った。エックスはやたらといい笑顔をしている。これから仕留める相手に向ける顔ではない。なんだか悪戯を企んでいるような表情だ。
「……おい」
「んー?何かな?何か言いたいことでも?」
彼女の手から回復魔法が流れてきて、脚の痛みが消えていく。
「お前……気付いてるな?」
「んー?」
「すっとぼけるのをやめろ。なんで分かった?」
「人に化ける蛇なんだろう?なら公平の顔をしているからって、公平とは限らない。それにあそこにいた公平は、公平の顔をしてなかったから」
「……ん?」
矛盾したような発言である。自分の顔をしているのに自分の顔をしていなかったとはどういうことか。そしてそれは自分が公平であることに気付いた理由にはなっていない。
「表情が違った。違和感があった。今ここにいるキミの方がよっぽど公平の顔をしてる。それに、ボクの笑顔の意味にもすぐに気付いたしね、キミ。これで公平じゃないわけがない」
その場でエックスは回れ右をした。そうして公平の姿をした蛇を見下ろす。
「さて。何があったかだいたい分かったぞ?公平の身体。返してもらおうか」
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莫迦な。蛇は目の前の現実に目を疑った。
(姿を奪った。記憶も奪った。なのにどうしてこうなる?)
公平とエックスはたったの数年しか一緒にいなかったはずだ。それだけしかなかったはずなのに。再現しきれない表情の僅かな差に気付けるなんてあり得ない。
思考をフル稼働させて、自分を睨むエックスに向かって声をあげる。
「な、なに言ってんだよ!どう見ても俺が公平だって!疑い過ぎだよ!」
「ふうん。そうかい?」
ずしんずしん。エックスの巨体が近付いてくる。一歩彼女が進むたびに大きくなっていくような錯覚。彼の目の前に右足の靴が踏み下ろされる。
(……落ち着け。俺は今あの男の身体を使ってんだ。どうとでも騙せる……!)
弁明をしようと蛇は顔をあげる。と、そこで。一切予想していたなかった途轍もない衝撃が彼を襲った。
「ぐあっ!?な、なにを」
顔をあげれば左足が一瞬前よりも少し前に出ていた。すぐに蹴られたのだということに気が付く。そして、右足が持ち上がって──。
「えいっ」
「ぐあああっ!?」
そのまま。彼女の足の下敷きにされる。下半身は完全に靴に隠れ、自由になっているのは上半身だけという状況。ぱきんという小さな音が身体の内側から聞こえてくる。
「つ……これ絶対骨折れて……。俺今魔法が使えないんだぞ!?」
「そう」
エックスの足にかかる力が少し強くなる。
「お、おい。お、前」
「出て来い蛇。出てこないならそれでもいい。このまま踏み潰す。公平はここにいるから構わない」
「だ、だからそれが勘違いで」
「勘違いなんかするもんか」
「なに言ってんだ!?俺たちたった数年しか一緒にいなかっただろ!?間違える事だって」
「ない。ボクのこの数年は、今まで生きてきた千年よりも濃い。間違えるわけが、ないんだよ」
「っ!クソがっ!」
蛇は公平の身体の口から飛び出した。全長は2m弱。同時にエックスの手に乗っていた眼鏡の男の身体から公平の精神が飛び出して、エックスの足の下敷きになっている自分の身体の中に入り込む。
「あっ!いってえ!足!足!え、エック、お、お前!薄々思ってたけどやり過ぎだろうが!」
「お。パーフェクトに公平だね」
エックスが靴を上げて、降ろす。それと同時に踏み潰されていた彼の身体に回復魔法がかかり、傷を癒す。
「──さて」
にょろにょろにょろにょろと這いながら逃げる蛇。くそくそくそと心の中で悪態を吐きながら進む彼を、夜よりも暗い闇が包んだ。グレーの眼には無慈悲な巨人の靴の裏側が映る。
「くそ──」
そして。ずずんという重い音が、最期に蛇に聞こえた。
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エックスがそっと足を上げる。血に包まれて潰れた大蛇の死骸がそこにあった。
「うえー。やっぱこういうのってあんまり後味よくないねー」
「よ、容赦ないな。相手が蛇とは言え」
「まあ仕方ないじゃないか」
にこっと微笑んで公平を見下ろし、彼を拾い上げる。
「アイツは一線を踏み越えた。……まあ足はないんだけどさっ!」
「は、はは……。……あっ!そうだ!忘れてた!蛇アイツだけじゃないんだった!」
「え?そうなの?」
「っていうか。ここに倒れてるやつらみんな蛇だぞ!」
「嘘ぉ。えー……。どうしようか。別に無視してもいいんだけど」
口ではそう言いながら。エックスは思い切り足を上げて、その場に一気に踏み下ろす。地面が揺れる。木々が震えて神社が軋む。
「まあ。ここの蛇あんまり好きじゃないし。ぜーんぶやっつけておこうかな?」
地面から舌打ちが聞こえた。町民が次から次へと立ち上がる。と、思えば。彼らの口から蛇が次から次に飛び出した。グロテスクな光景にエックスは不快感を覚える。
「うわー。多いなあ。こりゃちゃんとやっておかないと」
蛇たちのグレーの眼の視線が幾つも突き刺さる。エックスはそれを涼しい顔で受け流して言った。
「さあ。蛇退治の始まりだ」




