虹翼のシンラ
ヒトは生まれてすぐに一匹の虹翼を選ぶ。或いは、虹翼がヒトを選ぶ。小指に結ばれた赤い糸よりも強固な運命によって、当然のように虹翼とヒトは出会い、繋がり合う。互いに見つめ合うことでヒトの心と虹翼の力がリンクする。生涯を共にするただ一つのパートナーとして。
虹翼はヒトの心からエネルギーを貰い、ヒトは虹翼から力を授かる。虹翼の力はある時は争いに使われ、ある時は社会生活を豊かにするエネルギー源として使われ、ある時は娯楽やスポーツとしての戦いに使われてきた。そういう関係が長い歴史の中で出来上がっていたのだった。
その日、一人の女の子が生まれた。彼女もまた一体の虹翼に選ばれて、繋がり合った。その時虹翼は『シンラ』という名を貰った。シンラは決して強い虹翼ではなかったが、少女にとっては己の命と同じくらいに大切な友だった。
そこまではごく当たり前のことである。彼女は傍に寄り添うシンラと共に成長していった。彼女は本を読むのが好きだった。まるで弟にそうするかのように、彼女はシンラに物語を読んでやるのが好きだった。
やがて少女は10歳になった。少女が自身の持つ才に気が付いたのはその頃である。
「あたしね。虹翼に異様に好かれやすかったのよね。そういう体質なの」
そこに理屈はなかった。彼女がただそういう存在だったからとしか説明のつかない現象であった。既にパートナーであるシンラがいる彼女に対し、あらゆる虹翼がリンクしようとしてきた。自分にも既に繋がりのある人間がいるのに。その繋がりを放棄してでも彼女とのリンクを求めた。
「あたしにはシンラがいたから断ってきたのよね。そういうの。けど周りのヒトはそれで納得してくれなくて──」
己の虹翼を奪いかねない彼女は世界にとっては脅威でしかなかった。故にヒトはどうにかして彼女を排除しようとした。しかしその為に虹翼の力は使えない。虹翼は彼女に力を向けることを拒否する。よって少女を襲ったのは、純粋な暴力であった。
「あたしが傷つけばシンラも弱る。ああ、どうしようって思って。……それであたしは、もういいやって他の虹翼とリンクしたの」
一人の大人が虹翼を連れてきていた。少女はその虹翼を見つめて、リンクした。──そして、その虹翼の力によって、多くの命を葬ることで少女は生き延びた。
本来であれば一人につき一体の虹翼しかリンクできない。だが彼女は、複数の虹翼と繋がることが出来る異能を持っていた。或いはその特異性が虹翼を惹き付ける力の源だったのかもしれない。
一度ヒトを手にかけた少女には、もう迷いはなかった。手当たり次第にあらゆる虹翼と繋がりあった。そうして自分を傷つける全てを殺して。殺して。殺していった。
少女が虹翼と繋がる度に、その力が彼女に流れてくる。その力によってシンラも強く大きくなっていった。
世界対少女の様相は更に規模を増していく。少女の力が強くなったことで異世界の虹翼も彼女に惹かれるようになったのが原因だった。思うように力を使えなくなった異世界人はその原因を探り、やがて一人の少女に行き着いた。
「あたしは安心して生きていきたいから、戦ったよ。そうして最終的には、虹翼が存在するあらゆる世界とあたし一人の争いになった」
その時には少女は虹翼の目を通じて外の景色を見る技術を身につけていた。これによって、虹翼の目を通して間接的に他の虹翼とリンクできる。最早少女を止めることは出来ない。ネズミ算式に少女と繋がる虹翼は増え、戦力は一方的に奪われる。
その頃には虹翼による攻撃もシステマチック化されており、匂いによって敵味方を識別し、敵とあれば問答無用で殺すようになっていた。死体に寄生し力を底上げする仕組みも構築されていた。それでも他の手段で抵抗する世界は、超巨大となったシンラによって蹂躙された。
そうして彼女は、神になった。あらゆる虹翼の視点を用いた神の視野と、シンラという圧倒的な暴力がその存在を保証した。
「聖女が来たのはそんなころ。他の世界を定期的に差し出すことで守ってくれるって。あたしは他所の世界なんてどうでもいいし──なんなら減ってくれた方が安心だから、すぐに契約したわ」
彼女の力はルファーにも認められた。鍵を預けるに相応しい、それでいて完全に破綻している連鎖と神だと。
こうして『虹翼の連鎖』のヒトが減る速度は一層早くなった。聖女による殺戮とあらゆる虹翼による蹂躙。全ては安心して生きていくために。
「それで。そんなことをしていたらヒトがだーれもいなくなったのよ。20歳くらいの時だったかな?流石に後悔したわ」
彼女が安心して生きている世界は彼女以外のヒトがいない世界だった。それが達成された今、彼女はもう誰とも触れ合うことができない。
「時々異連鎖のヒトが来る。でもそのヒトも虹翼が殺してしまう」
彼女は虹翼とリンクしすぎていた。キャパシティを超えてしまって、シンラ以外の虹翼は制御不能な状態である。虹翼は今や侵入者を問答無用で殺す暴力装置だった。
「それどころかあたしにまで攻撃してきたからね。仕方ないから、シンラに結界領域を張ってもらって隠れたのよ」
シンラは彼女の命令を聞いて、結界領域を張った。その内部は虹翼が決して立ち入ることの出来ない、認識さえ出来ない領域である。彼女はそこに家を作って、大量の本と共に閉じ籠った。
「そして。シンラもあたしを見つけられなくなった。繋がりだけはあるけど決して見つからない。自分で隠したのにおかしな話よね。……あの子はいつでもあたしを探している。ある時は異世界に行って。ある時はこの世界に帰ってきて。今は他の世界に行っているけど、あと五分もすれば帰ってくるわ。鍵はあの子が持っているから」
安楽椅子の女は、そこで話を切り上げた。
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「……なんでこの話をボクに?」
問いかけるエックスに、安楽椅子の女はにこりと微笑む。
「あの子が来るまでの時間つぶしよ。ほらそろそろ来るわ。外に行きなさい。言ったでしょう?鍵はシンラが持っている。あなたは鍵がほしい。ならやることは一つじゃない?」
虹翼と話すことは出来ない。話し合って和解して、鍵を譲ってもらうという手段はとれない。
「ほら。早くあの子を楽にしてあげて。もう五百年も一人で彷徨って、あたしを探しているのよ」
「五百年、ね」
「そ。あの子とあたしは一蓮托生。もう誰もいない連鎖よ。それにあたしも五百年一人で、いい加減飽きちゃったわ。こんな連鎖は早く閉じてしまった方がいいの。だけど今はあの子が強すぎて、あたしは死ぬことができない。結界領域の外に出て他の虹翼に食べられようかとも思ったけど……その前にあの子があたしを見つけて助けてしまう。だから他の誰かを待っていたの。あの子を、殺せる誰かを」
「そう」
エックスは小さく息をはいて、踵を返した。安楽椅子の女は、机の上の本に手を伸ばす。
「行こうか」
「い、いいのか?」
「いい。ボクはもう決めた」
そう言って彼女は部屋の扉へと走っていった。公平は慌ててその後を追いかける。
部屋を出て、出入り口を飛び出す。空を見上げると既にシンラはこの世界にやってきていた。空を覆い尽くす白い腹。振り返れば地の果てにまで広がる虹色の翅。幻想的で非現実的な景色。エックスはそれを見つめて小さく身震いした。
「うう……覚悟はしていたけど……実際に見るとやっぱり気色悪いなあ……」
「あれがシンラ……。『虹翼の連鎖』の神の片割れか。流石にでっかいな……。どうする?いくらなんでも俺じゃあ倒せないぞ」
「いいよ。ボクがやるから」
言うや否や、エックスの身体が光に包まれて、元の大きさに戻った。ずんと公平のすぐ横に巨大な足が踏み下ろされる。地面が揺れて、公平が転ぶ。
「あ、ごめん」
「わざとだろ」
「まさかぁ。……さて」
そうして、エックスは空を見上げた。視線の先には『虹翼の連鎖』の神の片割れ──シンラがいる。エックスは弓矢の魔法を発動させて、ゆっくりと構えた。照準を合わせ、矢をぐぐっと引き絞る。
今までの虹翼は、エックスでは倒すことが出来ないから怖かった。逃げるしかないから、他の人に任せるしかないから恐ろしかった。だがこのシンラが相手ならば話が変わる。この虹翼はこの連鎖の神。当然、エックスの攻撃も通る。
「い、いいのか!エックス!」
「いいって?」
「あの虹翼を倒してもいいのかって!だってそうしたら……」
エックスは足元の公平に目を向けた。そうしてにこりと微笑みを向ける。
「そんなの決まってるよ」
そう言って。再びシンラに視線を戻して。更に強く強く矢を引いて。パッと指を離す。
「いいわけあるかー!」
放たれる光の矢。ここにはある魔法が籠められている。『悪魔の腕』。対象の内部に侵入し、力を奪う魔法だ。鍵は力に紐づいて存在している。故に力を奪うこの魔法であれば、鍵を奪うことが可能である。
(問題はそもそも虫の中にあった鍵を回収したくはないってことだけだけど……)
それはもう諦めていた。この連鎖の神が虹翼──虫である可能性がある以上、少なくとも一回だけは諦める必要があると覚悟していた。最初からこの一回だけは我慢すると決めていたのだ。だから、今だけは耐えられる。
光の尾を飛行機雲のように伸ばしながら突き進んでいく矢は、やがてシンラの腹に命中した。そうしてシンラを傷つけることなく貫通する。鏃には光の球が突き刺さっていた。『虹翼の連鎖』が管理している『聖技の連鎖』への鍵である。
「『開け』!」
空間の裂け目が矢の進んでいく先で開いた。果たして、矢は裂け目を通り抜けて、エックスの目の前に返ってくる。同時に魔法を解除して、『聖技』への鍵を回収する。
「ふうっ。終わり!」
『イエーイ!』と、エックスは足元の公平にVサインを向ける。公平はほっと安堵の息をはいて、同じくVサインで答えた。空を見上げればあの虹翼はやはり健在である。誰も死なずに済んだのだ。
「どうして?」
その時である。公平の後ろで声が聞こえた。振り返るとそこにはこの連鎖の神の片割れであった安楽椅子の女がいる。恨めしそうな目でエックスを見上げていた。
「どうしてシンラを……あたしたちを殺してくれなかったの?」
「あの虹翼を殺すなんてボクは一言も言ってない。そんなのはボクの自由だ。……そもそも僕はあなたのその考えが気に入らない」
「はあ?」
「いくらでも外に出られるのに。勝手に籠っただけなのに。絶望して死にたがっているのが気に入らないんだ」
「なっ……」
「全部を殺してでも生きようとしたなら、生き続ける責任があるんじゃないのか?死にたくないから、殺されたくないからって色んなものを殺して。かと思ったら今度は寂しくなったからって死のうとして。そんなのいくら何でも身勝手すぎる」
「……あなたに何が」
「だいたい、まだ五百年だろ?」
エックスは女にむかってにこりと微笑んだ。
「ボクは千年以上待った。そうしたら、この数年で、それまでの全部を許せてしまうくらいにきらきらした日々が手に入ったよ。辛いこともあるけど……それでも虹翼の翅の虹色よりもずっと、綺麗に輝いている毎日だ」
そう言いながら片膝を落として、公平を拾い上げた。
「これはボクの経験談だけど、まだ全部を投げ出すには早いと思うよ?」
そしてエックスは飛んで行った。仲間の元へと戻っていった。残された神の片割れは、空を見上げる。もう一方の片割れ。生涯を共にするパートナーが、自分を探している。無機質な瞳は何を見ているのだろうか。シンラは何を思って、五百年彷徨い続けたのだろうか。
『だいたい、まだ五百年だろ?』
巨人の女神の言葉を思い出す。
「なによ。それ」
勝手なことを言って。五百年の孤独がどれだけの苦痛か、知っているくせに。そんなことを思いながら結界領域の境界線に向かって歩いていく。
「あの子にどんな本を読んであげようかしら」
今日までに読んだ数多の本たち。その内容を思い出してみる。




