戦いのあとのちょっとした時間
「やった!」
ガンズ・マリアが落ちていく。キリツネにとっては不俱戴天の仇だ。彼女の暮らす世界の全てを、踏み躙った相手である。
「急げ急げ!アイツのところへ!」
「ええい!人に任せっきりで偉そうに!」
「仕方ないだろう!足を怪我しちゃったんだから!」
マリアがアルル=キリルの力を開放した時、その余波で彼女は思い切り吹っ飛ばされていた。それに気付いた桑野が慌てて彼女を追いかけたのである。どの道『オーバーヒート』を使った後は暫く魔人に変身することはできない。戦線に立ったところで邪魔になるだけと、自ら身を退いたのである。
キリツネを背負って走る最中で、桑野は考えた。この自分の頭をぽかぽか叩きながら急かす幼い女神はガンズ・マリアのことをきっと恨んでいる。それこそ殺してやりたいほどに。
(……彼女との話は、出来ないかもな)
そもそもの話として、今の自分が彼女と話すようなことなんて、きっと何もないじゃないか。
「しっかしすごいな、『魔法の連鎖』。まさか聖女をやっつけるなんて」
「……ああ。あの男はずっと、ずっとずっと大きな魔女と戦ってきたからな」
「へえ、そっかあ」
それっきりキリツネは黙りこくった。時々頭を叩いてくるけれどそれだけである。桑野はもやもやした想いを抱えたまま走った。本当はそんなものは放り出してしまいたい。だから忘れるために一層早く走る。けれどどれだけ早く走っても、この正体の分からぬ感情を振り払うことは出来なかった。
『ぽたっ』
「ん?」
雫が落ちてきた。雨でも降りだしたのだろうか。桑野は思わず顔を上げる。
「……あ」
雫の正体は雨ではなかった。キリツネの涙である。桑野は思わず足を止めてしまった。相手は神さまで、自分よりも長生きなのだろうけれど、それはそれとして見た目は子どもである。突然泣き出したりされると困ってしまう。
「お、おい。どうした」
「う、うるさいな。なんだっていいだろ」
「よくないから聞いているというのに」
「くそう。くそう。なんだよ。その気になれば、戦える相手だったんじゃないかよお」
「……」
キリツネの言葉の意味を、桑野は何となくだが理解していた。彼女は勇気を出せなかったことを悔やんでいる。もっと早く聖女に立ち向かっていれば。もしかしたら自分の連鎖が滅ぼされることもなかったのかもしれない、と後悔しているのだ。
桑野は一瞬だけ俯いて、また走り出した。
「俺は、魔女に育てられたんだ。親を殺した魔女にだ」
「……え?な、なんだよいきなり」
「その魔女が恐くて。俺は色々やった。街を焼いたりもしたし人も、殺した。今日まで生きていて、あの時のことを後悔しなかった日はないよ」
「……」
「……俺はあの聖女と話がしたい。多分、それをしなかったらまた後悔が一つ増えると思うんだ」
「……ふん。好きにすれば。アイツを倒したのは私じゃない。『魔法の連鎖』だもんな」
あいつをぶっ飛ばしてくれてありがと。あとのことは譲ってやるよ。キリツネは言った。
桑野はありがとうの言葉をキリツネに返す。顔を上げれば、エックスの姿があった。ガンズ・マリアが落ちてきた辺りにまで来てゆっくりと地上に降りていっている。
「……目を覚ました虹翼が増えてきた気がする。急ぐぞ」
そう言って桑野は更に大きく前へと駆け出した。
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「あっ。エックス!おーいっ!」
公平が手を振っている。エックスも小さく手を振り返しながら、ゆっくりと地上へ降りていった。……が。魔女たちの頭の高さ──即ち地上100mの高さよりも随分手前で彼女の下降がぴたっと止まってしまった。
「?おい。どうした?」
「なにかありました?」
吾我と高野が聞いてくる。当然の質問である。あとは合流してこの連鎖の神を見つけ出すだけ。ここで止まる理由がないのだから。
しかしエックスは止まった。その呼吸は心なしか荒い。顔色も悪い気がする。彼女の肩の上にいる吾我たちも流石に心配になった。
「むー……?」
「お、おい。本当に大丈夫なのか」
「ああ、うん。大丈夫」
目を閉じて二回深呼吸をする。それからぱっと目を見開いて、力の制限を外す。
「なにっ」
「ごめん。ちょっとキツいだろうけど我慢して」
特訓の時と同じ負荷。鍛えていない者は一瞬で気絶してしまう。エックスに鍛えられた者ですら緊張してしまうくらいだ。実際隣に座る高野も顔をこわばらせている。この場で平気なのはエックスと地上で待つ二人の魔女くらいだった。
どさ。どさ。どさ。暫く待っていると何かが落ちる音が下から聞こえてきた。やっぱり……とエックスが呟く。何事かと吾我が地上を見下ろす。
「ああ……。そういうことか」
そこには大量の虹翼が落ちていた。木々にくっついていた虹翼たちが、エックスの力を受けて気絶し、落ちてきたのである。
「うう……やっぱりいたのか……」
「そんなにダメか……」
彼女の虫嫌いは筋金入りである。虹翼という魔女の感覚でもそれなりに大きめの虫はエックスの天敵だった。
「あっち行けー!」
風の魔法を使って、ばたばたと落ちてきた意識のない虹翼たちを次から次に吹き飛ばしていく。そのまま足を下ろして踏みつぶしてしまえばいいのにと吾我は思ったが、実際にそれを言うと酷く怒られる気がしたのでやめておいた。
あくまでも移動させるだけで攻撃ではない。よって今回の場合は虹翼相手にも魔法が使える。『虹翼の連鎖』に来てからの数少ないエックスの幸運の一つがそれであった。
そして数分後。
「……ふう。これでよし」
綺麗になった地面にエックスが改めて降りていく。彼女の両足が木々を踏みつける。常人の60倍の体躯だ。どんな大木であろうと、1万トンを優に超える重量を支え切れるものはない。ぱきぱきと鈍い音を立てながらへし折れていく。
飛んでくる木片に公平たちが傷つかないように、先ほど虹翼を吹き飛ばした風の魔法で彼らを守り、ゆっくりゆっくりと降りていく。ローズとヴィクトリー、それからヴィクトリーの肩の上で座っているミライはその様子を無言で見守っていた。
ずずんと音を立てて。ほんの少しだけ地面を揺らして。エックスの足は地面に着いた。傍らには気絶して横たわるガンズ・マリア。顔を上げれば仲間である魔女たち。
「お疲れ様!」
エックスはヴィクトリーとローズに手を差し出した。2人はにこっと微笑んでその手を握り返す。
「どういたしまして……。っていっても途中から何もしてないのよね。私。今回はローズに助けられたわ」
「いやいや、そんなこと……アタシ基本的にはヤクタタズだったしさ……」
「またまたー!謙遜しないでって!」
手を繋いだ3人がきゃいきゃいとはしゃぐたびに10本単位で木が魔女たちの足の下に消えて、森が踏みにじられていった。
「……よしっ。あとは!」
地上に向けて探知を行う。公平たちの位置を特定し、邪魔な木を踏み潰したり蹴り飛ばしたりする。エックスの足元にいる彼らにとってはちょっとした大災害だ。そうして出来たスペースに膝を落とす。
「お疲れ様!みんな!」
「し、死ぬかと思った……」
「あー……恐かったあ……。踏み潰されるかと思ったわ……」
ボウシとアリスがまず姿を見せる。そして、続いて現れた公平のすぐ後ろでは。
「エックス……危ないって……」
「まったく乱暴な魔女だ。こちらへの配慮という物がないね」
ユートピアが、彼にぴったりとくっついて歩いてくる。
「……」
「ん?」
エックスは無言でユートピアに向かって手を伸ばすと、人差し指で軽く弾き飛ばした。
「あいたぁ!?」
「ありがとう!公平!アリスちゃん!ボウシクン!」
「ちょっとエックス!誰か一人労う相手を忘れているんじゃないか!『ありがとう』がないぞ『ありがとう』が!」
「ふんっ!公平にやたらとくっついたバツだよっ!デコピン一発で許してあげたんだ!こっちこそ感謝してほしいくらいだね!」
言いながらエックスは公平とアリス、それからボウシを拾いあげて立ち上がり、悪戯っぽい笑みで彼女を見下ろす。
「ふふん。ガンズ・マリアをやっつけた今となってはキミは用済みさ。ここで踏み潰してしまおうか?」
言いながらユートピアの真上に足をかざし、『ほうらほうら』と脅かす。ヴィクトリーとローズが冷ややかな目でエックスを見つめていた。
「このお……出来もしない事を……!」
ユートピアは悔し気にエックスの靴の裏側を見つめることしか出来なかった。人間大の大きさのままではエックスには太刀打ちできない。
「お、おいエックス。今回はユートピアのおかげで勝てたみたいなところもあるしさ……。あんまりそういうことしちゃダメだよ」
「む……」
公平に言われてエックスは少し冷静さを取り戻す。少し暴走してしまっていた。憎い相手ではあるが、期待通りの仕事をしてくれたのは本当だ。実際おかげでガンズ・マリアもこうして倒せているのだから。
「分かったよ……。ごめん、ユートピ……」
と、エックスの意識が緩んだ瞬間をユートピアは見逃さなかった。
「あっ。エックス。靴の裏にぺしゃんこになった虫の死骸が」
「えっ!?ウソッ!?」
反射的にエックスは靴の裏側を見ようとする。
「……あっ!?」
あまりにも慌てていたせいでバランスを崩してしまう。『あっ。あっ。あっ』と言いながら3回ほど片足で飛び跳ねる。次の起こりうる事故に気が付いた吾我と高野は咄嗟にエックスの服に思い切りしがみ付いた。慌てているだけのムームーは急いで彼女を助けに来たボウシによって救出される。
「あああああ!?」
そして。彼女の必死の抵抗も虚しく。バランスを崩したエックスの身体はそのまま倒れてしまった。うつ伏せになった彼女の身体の下敷きになって100本近い木が圧し潰される。公平とアリスは彼女の手から思い切り投げだされてしまった。悲鳴を上げながら落っこちた先はエックスの太ももの上である。
「……ユートピアああああ!」
エックスは怒りのままに顔を上げた。少し離れたところでユートピアが大笑いする声が聞こえてくる。悔しくて悔しくて奥歯を噛み締める。どうして聖女を追い払って大勝利といった後にこんな悔しい想いをしなければならないのか。甚だ疑問だった。
「おのれええ……。……ん?」
その時エックスは初めて胸のあたりにある違和感に気が付いた。首を傾げながら身体を持ち上げる。胸の形に窪んだ空間。そこで目を回している二人がいた。
「あ。桑野クン。……桑野クン!?」
魔人化した桑野とキリツネが目を回している。咄嗟に変身し、キリツネの『天儀』と合わせて身を守ったことでエックスのボディプレスから辛うじて生き残ったのだ。
「お、おーい!大丈夫―!?」
慌てて回復の魔法をかけながら二人に呼びかける。ユートピアの笑い声が一層大きくなった気がした。




